スズキ ゲンさんのブログ

立命館の再生を願って

NO16 常任理事ならびに関係各位へ

2013-09-10 06:55:58 | 立命館の再生を願って
NO.16 常任理事並びに関係各位へ

改めて「足羽慶保は卒業も、一時在籍もしていなかった」ことが確認された。立命館は、この事実に基づく厳正な対応をしなければならない。

2012年10月9日 元総長理事長室室長 鈴木元
はじめに
 私は10月2日付のNO15において、足羽慶保の学歴詐称にかかわっても論じた。その後10月3日(水)の常任理事会終了後「足羽慶保問題調査委員会」(委員長・服部健二副理事長)が開催され「足羽慶保は本学を卒業していなかったばかりか、在籍した事実も無かった」「教訓をまとめる」事が確認され、10月10日の常任理事会に報告するとされた。
そこで新たに判明した事実を基に、この問題に関してNO15を補足した文書を作成しました。母校の社会的責任と自浄努力が果たせるように参考にしてください。

目次
(1)森島朋三常務理事は「末川時代の理事会決定は誤解に基づくものであった。足羽慶保氏は卒業していました」と極めて意図的で悪質な嘘によって常任理事会を混乱させた。懲戒解雇か、少なくとも解任しなければならない。
(2)理事会は、文部科学省にたいして、1995年の理事会決定と文部科学省への提出した文書(足羽慶保の学歴詐称経歴書)を取り消し、川本顧問の解任、森島常務を処分したことを報告する義務がある。
(3)問題の発端を作った川本八郎前理事長の顧問は直ちに解任するとともに、足羽史衣に支払った2億円1000万円以上について川本前理事長、長田理事長、森島常務が関与した役割に応じて立命館は賠償を求めなければならない。
(4) 2011年(平成23)2月17日付の森島朋三常務理事が文部科学省に提出した「『覚書』『公正証書』の作成に関する経緯について(ご報告)」について。

(1)森島朋三常務理事は「末川時代の理事会決定は誤解に基づくものであった。足羽慶保氏は卒業していました」と極めて意図的で悪質な嘘によって常任理事会を混乱させた。懲戒解雇か、少なくとも解任しなければならない。

 8月1日の常任理事会後に開催された理事のみ会議において森島常務は「足羽家から足羽慶保氏が本学を卒業した証明書が出てきました。末川時代の理事会決定は誤解に基づくものでした。足羽慶保氏は本学を卒業していました」と発言し、佐上コンプライアンス室室長が、その「卒業を証明する書類」なるものを数名の理事に「見せた」後、「時間が無いのでこれで終わります」とした。
 私は森島常務の8月1日の発言を受けて「足羽慶保が本学を卒業していたと言うなら、本学の学籍簿から、卒業を証明する単位取得成績証明書などを提出しなければならない。森島常務は、足羽慶保の卒業を証明できなければ懲戒解雇、少なくとも解任しなければならないと提言してきた。
 その後、服部健二副理事長を委員長とする調査委員会が作られ9月末までに調査結果を報告するとされた。10月3日の常任理事会終了後、調査委員会が開催され、10月10日の常任理事会に対して「足羽慶保は本学を卒業どころか在籍した事実も無かった」こと、ならびに「今回の教訓について」を報告する。とされたそうである。
予定されている「報告」において森島常務理事の責任を曖昧にするなら、その「経過報告」も「教訓」も、今後の立命館の在り方に深刻な社会的信用失墜をもたらすことになるだろう。森島常務に対する厳正な処分が求められる。
足羽問題が露見した直後の2010年2月、森島常務は一貫教育部付部長であった高橋英幸(現財務担当常務理事)に対して、足羽問題の全経過について再調査を指示した。高橋部長は1995年の慶祥学園との合併時の密約である「公正証書」ならびに1998年の稟議書策定(足羽史衣への支払い)に関わった人物で、現在在籍しているただ一人の幹部職員である。彼の再調査報告を受けた時点で、長田理事長ならびに森島常務は足羽慶保の学歴詐称を知っていたと推察される。
本年7月、①末川博先生が総長しておられた1956年(昭和31)5月25日の理事会決定(足羽慶保は本学を卒業していなかったどころか、一時在籍した事実もなかった)と、②足羽慶保を理事にした1995年12月25日の理事会に提出され確認された足羽慶保の学歴詐称経歴書(1933年に本学法経学部経済学科を卒業していた。法学・経済・商業の三つの博士学位を取得しているとしたもの)が学園内で広く流布されていた。私も念のために、この二つの文書を常任理事各位にメールで送信している。全学に疑問が広がった後の8月1日の理事のみ会議において、森島常務は先の発言をわざわざ行ったのである。
普通に考えれば、そのような文書が出てくれば直ぐに調査すべき問題である。百歩譲っても「私は、知りませんでした。経済学部ですぐに調べてください」と発言すべき問題であった。 
ところが彼は上記の発言をしたのである。これは明らかに作為的な虚言である。それどころか何人かの理事が森島常務の発言に疑義を発したのに対して「足羽家から卒業を証明する書類が出てきてもだめですか。私たちが経済学部事務室へ行って調べるまでのことをする必要がありますか」との居直り発言をしていた。
それに対して教授会討議での疑問を受けて、翌週の常任理事会において調査委員会が設置された。調査委員会は教学部門の最高責任者である総長をはじめ教学担当常務理事などを排除した上に、森島常務、佐上コンプライアンス室室長と言う2人の偽証容疑者を入れたものであった。
その調査委員会でさえも、足羽慶保の卒業を証明することはできなかったのである。それであれば末川先生時代の理事会決定を否定した森島常務は責任を取らなければならない。それが一般社会の常識である。
ところで10月8日の日本経済新聞をはじめとするマスコミ各紙の夕刊の報道によると中大学附属小学校の不正入試とかかわって、全学部の教授会が総長の辞任を求める決議を上げている。附属小学校の不正入試でさえも中央大学の教授会は教育機関の社会的信用問題として重視して動いたのである。
大学は唯一、学位を授与できる機関である。その大学において川本前理事長は、寄付や合併を根拠に足羽慶保の学位詐称を組織として行った(1995年12月25日の理事会)。それは「立命館は寄付をすれば、学位を認めてくれる大学」と大学の存立意義を自ら否定する行為であった。
末川先生時代の理事会が最も重視した点が、まさにそこにあった。「立命館は寄付ほしさに学位詐称を容認した、などの社会的評価を受けることはできない」との判断に基づいて「寄付を返還し、功労者名簿からも削除する」としたのである。
それが全学に明らかになっていた時点の8月1日の理事のみ会議において、総務担当常務理事である森島常務が公然と末川総長時代の理事会決定を否定したのであるから、その責任が問われなければならない。
もしも立命館の理事会が森島常務を懲戒解雇、少なくとも解任もさせずその職位のままに置いておくことは「立命館は『大学の存在意義を否定する学歴詐称』を嘘と作為で否定した人物を、引き続き常務理事にとどめている大学」として社会的信用を失うであろう。各学部教授会ならびに教授会を基礎にして選出されている学部長理事は、社会から大学に付託されている学位授与権を守るために原則に基づいた行動を取ることが求められている。
なお慶祥学園との合併時、実務を担当していた事務職員(末川時代の決定は知らなかった)が足羽慶保から提出された経歴書の裏づけを取るために経済学科の学籍簿を調べたが卒業も在籍した事実もないことが分かった。念のために法律学科、そして文学専門部(当時はまだ学部はなかった)も調べたが、いずれにおいても卒業も在籍もしていなかった。そこで川本理事長に「足羽慶保は本学を卒業どころか在籍した事実もありません」と報告した。それに対して川本理事長は曖昧な返事をした。ところがその直後の理事会(1995年12月25日)において「足羽慶保は1933年に立命館大学法経学部経済学科を卒業」とした経歴書が提出されて、理事に選任された。川本前理事長は知らずに足羽慶保に騙されたのではない。知っていて学歴詐称に関与したのである。

(2)理事会は、文部科学省にたいして、1995年の理事会決定と文部科学省への提出した文書(足羽慶保の学歴詐称経歴書)を取り消し、川本顧問の解任、森島常務を処分したことを報告する義務がある。

このような大学の存在意義にかかわる問題を立命館内部で曖昧に処理してはならない。社会的にきちんとわかるように取り扱わなければならない。そうでなければ社会的に見て「立命館の本気度」が疑われ、立命館は「このような大学の存立意義に関わるような問題を、この程度にしか対応できない大学なのか」との社会的評価を受けることになる。
しかし今のところ森島常務に対しては「良く調査もせずに、足羽家から提出された卒業証明書を鵜呑みにして間違った判断を示したことは、私の軽率な振る舞いでした。ごめんなさい」の発言でとどめ置き、処分や解任までは行わない危険がある。川本前理事長に対しては、直ちに解任を求めるのではなく、来年度には顧問の依頼は行わない。との方向で済まそうとする危険がある。
要するに長田理事長や川口総長は自分を後継者として任命してくれた川本理事長と長田理事長の脱税容疑、竹中工務店との密約などの暗部を掌握している森島常務の解任が出来ないのである。立命館の社会的信用よりも自分たちの身の保障を確保するために、曖昧な対応で済まそうとしているのである。
立命館は理事会において「足羽慶保の学歴詐称経歴書を認め、それを前提に理事にしたこと、学歴詐称経歴書を文部科学省に提出することを決定した1995年の理事会決定は間違いであった」「この件に関わった川本前理事長に対して直ちに顧問を解任し、森島常務への処分を決定」し、文部科学省に正直に正確に報告する義務がある。
そして学内の全教職員へは当然のこととして、学生・父母・校友に対しても痛切な反省を表明した上で広報する義務がある。そうでなければ立命館の学位は信用されず卒業生、在校生、そしてこれから受験しようとしていた生徒たちに、屈辱を負わせることになる。

(3)問題の発端を作った川本八郎前理事長の顧問は直ちに解任するとともに、足羽史衣に支払った2億円1000万円以上について川本前理事長、長田理事長、森島常務が関与した役割に応じて立命館は賠償を求めなければならない。

問題の発端を作ったのが川本前理事長であることは明確である。そのような人物を立命館の顧問としておくことはできない。直ちに解任しなければならない。
同時に川本前理事長は常任理事会に諮らず足羽慶保と「覚書」や「公正証書」を作成し、足羽史衣に対して「生涯月55万円+専任教職員と同様の一時金を支払う」ことを約束した。そして足羽慶保の死去に伴い川本前理事長は財務部と総務部に1998年12月16日に起案させた稟議書を1999年1月12日に決済し、遡って1998年の12月1日から足羽史衣に支払いを実行してきた。
問題が発覚した2009年の年末から2010年年頭の調査によって事態が明らかになり1月、私は長田理事長に、そして2月に久岡常勤監事ならびに佐上コンプライアンス室長に「これは私学法違反であり、ただちに止めるべきです」と進言していたにも関わらず、2010年3月の理事会において長田理事長ならびに森島常務理事は「一部に問題にする人がいますが、何ら問題はありません」として支払い継続を決定した。その時、久岡常勤監事も佐上コンプライアンス室長も「法律違反」として止めなかった。
その後2010年5月と2011年2月の2度に渡り文部科学省から支払い停止の指導を受け、2011年2月25日の理事会において「支払いは目的外支出であり、2月を持って支払を停止する」とし3月8日付の長田理事長名の文書で足羽史衣に通告した。
それに対して足羽史衣から支払いを求める訴訟が起こされた。2012年5月、京都地裁からの「和解勧告」を受けて、長田理事長ならびに森島常務は、新たに6000万円を超える和解金支払うことにした。
少なくとも足羽史衣に既に支払った1億5000万円については川本前理事長、長田理事長、森島常務等は関与した状況に応じて立命館に賠償金を、そして今後支払う6000万円を超える和解金についても同様の支払い義務を負う。父母・学生が納める学費や国民の税金からの公費助成金には、このような支払い項目は存在しない。

(4) 2011年(平成23)2月17日付の森島朋三常務理事が文部科学省に提出した「『覚書』『公正証書』の作成に関する経緯について(ご報告)」について。

森島常務によって作成された2月17日付の文書は、2011年1月7日に文部科学省から「『覚書』や『公正証書』が作成された経緯と理由について確認するよう」との指摘を受けたことに対する、立命館側から文部科学省に「報告した」ものである。
この文書を読めば「足羽史衣に対する支払い」は、川本前理事長等が常任理事会も諮らず密かに行ったことであるにもかかわらず、立命館の総意であったかのように作為的に文書化していることが良くわかる。ただし文部科学省は「総意だったのか、多数決だったか」を問題にしていたのではなく「非営利法人である学校法人は合併や寄付を理由に特定の人間に対して便宜を払ってはならない」とする原則を違反してはならないとしたのである。 
したがって文部科学省は「森島報告書」を持って足羽史衣への支払い継続を認めることなく、2010年5月の指導に続き、森島文書を受け取った直後に、再度支払い停止の指導を行い、立命館は2012年2月25日の理事会において支払い停止を決定し、3月8日付の長田理事長名の文書において「目的外支払いなので、今後一切支払わない」と通告したのである。
もはや破綻した文書であるが、念のために「森島報告書」の黙過できない、いくつかの論点についてメモ的に批判しておく。
ただこの文書の性格そのものについて極めて不可解な点がある。一つは相手が文部科学省高等教育局私学部参事官室となっているが相手の氏名が書かれていない。もう一点は発信者が学校法人立命館常務理事森島朋三となっていることである。本来発信者は長田理事長か川口総長である。森島常務に立命館を代表する権限は無い。この文書は文部科学省に納得してもらうために書かれた文書と言うより、学部長理事など学内関係者に対して支払を行ってきたことを合理化するために書かれた文書という性格が強い。
1)「慶祥学園では、退職金1億円、慰労金2000万円を予定していた」などは真偽を含めて合併前の別法人のことであり、立命館とは直接関係が無い。「慶祥学園で想定していた退職金1億円を辞退し、それを合併後の立命館慶祥校高校の奨学金の原資の一部として充当した」という事実はない。裁判所における立命館側の反論においても、足羽慶保による立命館慶祥高校奨学金への寄付の事実は否定している。
2)立命館の理事会において「足羽史衣を立命館慶祥高校の顧問にする」決定は行われたことはない。立命館慶祥高校においても、そのように処遇した事実はない。川本前理事長が決裁した「足羽史衣に対する支払いを決定した1999年1月12日に稟議書」の中にのみ記載されていることである。
稟議書には「1998年12月1日より、下記の通り手当を支給したくお伺いいたします。なお、足羽史衣氏は同月同日をもって立命館慶祥高等学校の名誉顧問といたしたく、併せてお伺いいたします。」としている。それも校長からではなく、総務部と財務部からの川本八郎理事長にたいしての起案であった。稟議書の中にのみ書かれた幻の名誉顧問であり、慶祥高校の会議への出席はおろか創立以来の一切の広報物にも記載されていない。
3)支払いの根拠とされている「公正証書」ならびに「覚書(契約)」について、「覚書」の締結については「理事会で『一定の処遇を行う』とする内容で了解が得られていたために、改めて理事会の承認を要さない事項として扱われました」としている。「一定の処遇を行う」という抽象的合意でもつて「月55万円+教職員一時金を支払う」ことの合理化はできない。それ自体が規定化された議決が必要なものである。
しかし「密約による支払い」を心配した足羽慶保から「公正証書」が求められた。「当時はすでに契約した事項を公正証書にするだけであり、特別な手続きは不要と考えました」としている。しかし立命館と足羽の間に契約など存在しない。あるのは理事会に諮られていない密約である「覚書」だけである。
要するに同支払いは川本前理事長が常任理事会にも諮らず勝手と調印した「覚書」と「公正証書」によるものである。したがって実際の支払いにあたっても財務部と総務部の特定の人間しか知らない「川本理事長宛の稟議書」によって実行されたのである。
なお前回のNO15で指摘したが、立命館側は裁判所において「当初想定した1億5000万円を支払ったので支払いを止めた」と主張した。これは合併後に足羽慶保が自宅を立命館に寄付した(当時1億5000万円程度と言われていた)ことに相応するものと推察される。
足羽慶保は1億5000万円の自宅を立命館に寄付する代わりに、川本八郎前理事長に足羽史衣の面倒を生涯見させる約束をさせた。自宅を寄付することによってもう一人の遺産相続対象者である前妻の子供を遺産相続対象者から外し足羽史衣に限定する。そして相続税の支払いを逃れるために学校人に寄付するという形式にしたと推察される。これ以外に考えられない。
いずれにしても足羽史衣への「月額55万円+一時金」の支払いは、どの機関でも決定されておらず、川本八郎前理事長が密かに数名の総務部と財務部メンバーに稟議書を書かせて開始したことである。そして2010年3月以来、長田理事長と森島常務理事によって継続されたものである。
最後に
1995年理事会決定の取り消し、川本顧問の解任、森島常務の処分、川本前理事長・長田理事長・森島常務による足羽史衣への2億円1000万円にも及ぶ不法支払いの損害賠償を求める。これらの措置を取った事を文部科学省に報告するとともに、学園関係者は当然のこととして広く社会に対して誠実に謝罪し広報する以外に立命館の社会的信用を取り戻すことはできない。