スズキ ゲンさんのブログ

立命館の再生を願って

NO15 常任理事ならびに関係各位へ

2013-09-04 08:41:42 | 立命館の再生を願って
NO15 常任理事ならびに関係各位へ
立命館での最近の新たな事態について
2012年10月2日 元総長理事長室長 鈴木元


目次
(1) 一時金訴訟での敗訴と控訴・和解協議
(2) 10月3日に、足羽慶保の学歴詐称を「政治決着」する危険が浮上
(3) 「立命館、竹中工務店、サッポロの三者密約」が露呈
(4)  茨木ありきが教学構想に矛盾を生んでいる
(5) 財務部が財政破綻を予測
(6) 足羽史衣に対する新たな6000万円を超える不法支払い、誰が責任を負うのか 
さいごに 現場の教職員の奮闘に期待

(1)一時金訴訟での敗訴と控訴・和解協議
3月28日、京都地裁において一時金問題の判決が下され、理事会が敗訴した。判決の主文は①学校法人立命館は、原告205名に、2005年、2006年、2007年の3年間の一時金について、5.1カ月と6.0カ月の差額、2億2900万円を支払う事。②その他の原告の訴えについては退ける。③裁判費用は原告が3/10、被告が7/10支払う事。と言うものであった。
ところが前日の3月28日の理事のみ会議において「明日、勝訴すればいいが、負けた場合は控訴する」ことを確認していた。判決を読まずに控訴を決めていたのである。29日の判決の後、訴訟団は理事会に対して「控訴しないように」と申し入れたところ「既に控訴した」と答弁している。90ページもある判決文を読める時間など到底無かった。前日の「敗訴した場合は控訴する」が実行されていたのである。なお29日当日には常任理事会そのものが開催されていない。
理事会による控訴に対する第一回の審理が9月21日に大阪高裁で開催された。その場で裁判長から結審は11月30日とされ、和解協議が提起された。高裁としては、新しい論点などなく基本的に地裁判決を踏襲することが予測されるので11月30日結審としたものと推察される。
同時に予てから訴訟団や組合などが主張していたように、裁判長としても「学校と言う場で、何時までも紛争状況にあることは望ましくない」と判断し、和解協議を提起したものと考えられる。そして裁判長から「和解原案は、学校法人立命館が提案すること」が指示された。この間の混乱の主たる責任が法人側にあることを暗に示唆していると思われる。
訴訟原告は「和解そのものには反対ではないので、和解協議のテーブルに着くことについては問題ない。問題は提案される中身である」と即同意した。理事会側は判決の前日に「敗訴すれば、控訴だ」と決めているので、極めて硬直的控訴文書を提出している。そのため「審議は1日(1回)で終わり11月30日に結審する。それに向けて理事会側が『和解案』を提起すること」という裁判長からの提案については即答できず、裁判長の説得を受けながら担当次長が携帯電話で学園本部と連絡するなどして20分余りして漸く同意し、10月11日に和解協議が行われることになった。
理事会は一審判決を踏まえた和解案を提出し、7年に呼ぶ混乱に終止符を打つ責任がある。同時にこの間の混乱をもたらした長田理事長や森島常務はその責任を明確にしなければならない。
(2)10月3日に足羽慶保の学歴詐称を「政治決着」する危険が浮上
2012年7月になって足羽問題の発端となった足羽慶保の学歴詐称が明らかになった。
末川博先生の総長時代に足羽慶保から立命館に寄付の申し入れがあり、立命館は受け取り「功労者」として扱うことにした。ところが当初「立命館法経学部経済学科の中退者である」と語っていた彼から「卒業証明書」が送ってこられ不審に思い、学籍簿を調査したところ「卒業どころか一時在籍したことも無い」ことが判明した。そのため理事会において寄付金の返還と功労者名簿からの削除が決定された。これに対して足羽慶保から異議申し立てや名誉棄損の訴えは無かった。
ところが1995年12月25日の理事会において、川本理事長から足羽慶保を理事にする推薦があり経歴書が提出された。そこには1933年立命館大学法経学部経済学科卒業(川本八郎理事長の名前が明記された「原本と相違ない」との押印がある文書)と記載されるとともに経済学・法学・商学の三つの博士号を取得していると記載されていた。そしてこの文書を当時の文部省に提出していた。これは足羽個人の学歴詐称だけではなく立命館が組織として学歴詐称に関わったことになる。川本八郎前理事長の行為は「学位を授与できる唯一の組織である大学」が絶対に行ってはならない自殺行為であった。
ところが、この事態が学内に広く知れ渡った2012年7月17日の理事のみ会議において森島常務は「足羽家から卒業証明書が出てきました。足羽慶保氏は本学を卒業していました。末川時代の理事会決定は誤解に基づくものでした」とし、佐上コンプライアンス室長が、その「卒業証明書」なるものを数名の理事に見せて「時間がきましたので」と会議を終了した。
私をはじめ多くの人が「末川総長時代の理事会決定を否定し、足羽慶保が立命館大学を卒業していたと言うなら、卒業に必要な単位を所得していた成績証明書を提出しなければならない。当時の経済学科の卒業生は1学年でせいぜい30-50名であり、学籍簿を見ればすぐにわかることである。直ちに調査する必要がある」とした。
ところが理事会は8月1日調査委員会なるもの設置し9月末までに調査し報告するとした。明らかな時間稼ぎの対応をとった。設置された調査委員会の構成は、総長や教学担当常務理事等を排除して委員長を服部副理事長とした。当該の経済学部と法学部の学部長、を入れたのは当然のことであるが、「足羽氏は本学を卒業していました」と言明した偽証容疑者である森島常務と佐上コンプライアンス室室長、それに長田理事長の了承を得て学外の弁護士一名と言うものであつた。学内では「これでは調査委員会ではなく居直り誤魔化し委員会だ」と悪評が広がった。そして既に9月を超えたが、未だに調査報告なるものは提出されていない。調査委員長の服部副理事長などが経済学部事務室等を訪ね学籍簿などを調査した形跡も無い。
ところが10月3日の常任理事会終了後の理事のみ会議において「足羽慶保の学歴問題」が報告される可能性がある。
そこでは①「足羽家から提出された卒業証明書を良く調べもせずに『卒業していました』と言ったのは軽率でした」ぐらいの「ごめんなさい」式でことを済そうとする危険性がある。②また居直って「はるか昔の事を、いまさら問題にしても始まらない」「既に本人は亡くなっており、これ以上問題を広げても立命館の恥をさらすだけ」等の「政治決着」を図ろうとしていると推察される。
問題は昔の事でもなければ、亡くなった人の問題でもない。①1995年12月25日に立命館の理事会として足羽慶保の学歴詐称を追認し、文部科学省に文書を提出した時の責任者である川本八朗前理事長を立命館の顧問として置いておくのかという問題であり②2012年7月17日という時点において「末川時代の理事会決定は誤解に基づくものでした。足羽慶保氏は本学を卒業していた」と発言し、改めて足羽慶保の学歴詐称を追認した森島常務と佐上コンプライアンス室長の責任を問わないのかという問題である。③そしで唯一「学位を授与する」権能を持っている大学において組織的に学歴詐称を追認するような大学を誰が信用するのかと言う問題である。
立命館で学んだ卒業生、学んでいる在校生、そしてこれから学ぼうとする志願者たちにどれほどの屈辱を与えることになるかよりも、あくまでも川本八郎前理事長と森島朋三常務の身を守ることが上に置く大学は、必ず世間から厳しい批判にさらされていくであろう。
既に教職員組合、「創造する会」「民主主義を考える会」のニュースにおいて「足羽慶保は卒業どころか一時在籍もしていなかった」とする末川先生時代の理事会決定が広く学園構成員に紹介されている。学外に伝わるのは時間の問題である。その時、世間は「立命館の理事会は、事実を明確に確認をした上で大学としてけじめある措置を取ったのか、曖昧模糊とした対応をしたのか、かかわった川本前理事長や森島常務に対して、どのような処分を取ったのか」が厳しく問われることになるだろう。
この問題は教学の最高責任者たる川口総長も責任を感じ厳しい調査に基づく関係者に対する厳格な措置を求めるのか、それとも自らが責任を取って辞任するのかが問われる。なぜならこの問題は大学の存在意義に関わる性質の問題であるからである。学部長を含めた常任理事各位の責任も問われている。1995年の理事会決定については、出席理事は事情が分からないままに議決に参加していたので、あえて責任は問われないと考える。しかし今回は違う。末川先生時代の理事会議決文書が出ているのである。これを覆すほどの明確な材料が出てこない限り、川本前理事長、森島常務の責任を曖昧にしてはならないのである。
(3)「立命館、竹中工務店、サッポロの三者密約」が露呈
2012年の夏季休暇が終わり一連の会議が行われた。その中で報告という形で、茨木キャンパスでの建設工事契約が竹中工務店になったと報告された。報告書を見ると公開公募で手続きを踏んだ結果、竹中工務店の提案が一番適切であったので竹中工務店としたとしている。
しかし私は2010年の段階で「立命館とサッポロホールデング(サッポロビールの親会社)そして竹中工務店」の間で密約があり「サッポロビール茨木工場跡を2010年10月末までに購入する」「工事は竹中工務店が落札し、2015年開講に間に合わせて工事を行う」ことになるだろうと記した。
当時は、私の独自取材による提起であった。しかしその後、立命館からのサッポロホールデングスに対して「決定期日10月末を今しばらくの延期を」との申し入れが行われ、サッポロホールデングスから「役員会に諮った上で」「11月12日まで」と言う期限付き延期で了承を得た。その上で立命館は11月12日の理事会において茨木購入を決定した。私の提起の一番目は実証された。
そして今回、茨木の工事は、竹中工務店に落札された。私の「三者密約による竹中工務店による落札」という提起が正しかったことが証明された。
当時、私が「密約」の疑いを告発した根拠は、私の取材によって以下の事が明らかになっていたからである。
2010年の初めマスコミ各社は「立命館がサッポロビール茨木工場跡地で新キャンパスを展開」と報道した。当時、関西の建設業界において「立命館の茨木の工事を竹中工務店が取るらしい」という情報が流れた。そこで清水建設を除くゼネコンが竹中工務店にたいして「今時、指名入札など、許されない、公開入札にすべきである」とした。それに対して竹中工務店は長田理事長の署名、押印のある「サッポロ、竹中、立命館の三者の覚書」を見せた。他のゼネコンは「ここまでの約束があるのなら仕方がない」と引いた。私は、この建設業界内部の情報を掌握した上で、竹中工務店が落札した後でゼネコン各社に仕事が割振りされるであろうと記した。
密約による「2012年入札、2013~14年工事、2015年開講」という約束を守るために、政策科学部、経営学部に続くとされている第三の学部の教学内容も学生規模も決まっていないにも関わらず「基本設計」を強行し、そして今回、竹中工務店が落札した。
この問題に直接かかわった長田理事長、森島常務、志方部長は背任の責任が問われなくてはならない。
(4)先に茨木ありきが教学構想に矛盾を生んでいる
20日のキャンパス創造・計画合同委員会において茨木キャンパス、衣笠キャンパス、BKCの各整備計画の概要が膨大なページで提起された。
記載されている個々の内容は、それぞれの部門の関係者が論議されて作成されたものであるので、私はあれこれ論評しない。
しかし「茨木ありき」から出発しているための矛盾が表面化しており、そのまま実行していくことは、次の(5)で示す財政矛盾だけではなく、立命館の教学に新たな矛盾を拡大することになる。
① 予てから、私は「お金が無制限にあるのであれば別であるが、特段問題にもなっていな
かった既存の経営学部の移転のために200億円ものお金を使う必要は無い」と批判していた。
ところが今回の文書を見ると「BKCから経営学部が無くなると社 系・文系の比重が下がるので、新しい社系・文系の学部の設置を検討する」としている。経営学部の移転の理由として①交通の便が悪い②、いまやBKCも手狭になっている③大阪に近く新しい入学層を確保できるとされた。そのような見解と今回の新たな社系・人文系の学部をBKCに設置することは明確に相反している。
経営学部は1962年に経済学部から別れて設置されたが、その後、経済学部とともに広小路キャンパス、衣笠キャンバス、そしてBKCへと移転し、それぞれのキャンパスにおいて経済学部と教育・研究を共同してきた。この共同をつぶしてまで200億円も投じて経営学部を茨木に移転させる明確な教学的根拠は示されていない。
② 茨木において政策、経営だけではなく「心理・コミニケーション学部の設置の機が熟し
たので設置委員会を立ち上げる時にきた」とされている。
心理というのは文学部の心理学科を母体としている。ところが文書の中では「他大学の心理系は、人文科学系が多いが、立命館では社会科学系・・云々・・」としている。文学部の心理学科は動物実験などによる基礎心理がメインである。教員を入れ替えるのか。そして何よりも衣笠キャンパスにおいて産業社会学部の心理系、子供系、文学部の教育系によって新人間系学部の設置が構想されている。一つの大学において例え学部の名称は変えるにしても同じ系列の教学を二つ作るのか。その矛盾が衣笠の新人間系教学は学部は衣笠、修士課程は茨木、博士課程は衣笠という社会的に説明不能の提案となっている。
③ところでこれら一連の文書の中に、提案部署も会議経歴も記載されていない文書として「『アジアのゲートウエィ』と『グローバル人材養成』を担う新学部構想」なる文書が入っている。文書の書き出しから読み取れるのは「茨木キャンパスでの新学部構想」と判断される。
それでは先の「心理・コミュニケーション学部構想」プラス四番目の学部構想なのか。それにしては提案部署も会議歴も記載されておらず、まったくの思いつきによる文書だと推察される。しかし個人(もしくは複数者としても)の思いつきの文書が、常務会やキャンパス創造・計画合同委員文書の中に入れられるとすれば、長田理事長か川口総長の意向としか考えられない。川口総長は心理・コミニケーション学部の推進論者であつたから、この文書は長田理事長の意向を受けた文書と推察される。
既に「基本設計」が強行され、来年度から工事が始められる今頃なっても、未だに社会的に説明しきれる構想が出ていないどころか、突然、全く異なる新学部構想が出されるなど大学の教学構想としては支離滅裂である。結局「茨木ありき」との強行が教学的矛盾を表面化させている。
(5)財務部が財政破綻を予測
9月19日の理事のみ会議において財務部が財務見通しを報告した。
それによると2013年から「帰属収入-消費支出=赤字」に転落し、2020年度で累積消費支出超過額は1002億円となる見通しで、学生定員の拡大と職員合理化が必至であると提起している。
私を含めて多くの人が、茨木キャンパス設置案は財政的にきわめてずさんであり、財政的行き詰りを起こす危険があると指摘した。ところ今回財務部から提出された財務見通しは、我々が指摘していた以上の困難を記している。
①2006-2010年度の帰属収支差額(帰属収入-消費支出)はプラスを堅持しており、差額比率はプラス13.8%となっている。ところが2013年以降は、帰属収入で消費支出を賄えない(帰属収支差額マイナス)構造となる。
②消費収支差額は10年間で945億円悪化し、累積消費支出超過額は 2015年度で588億円(帰属収入の81.5%)、2020年度で1002億円(135.9%)に膨らむとしている。
(参考)大学基準協会の大学財務評価では、帰属収入に対する翌年度繰越(累積)消費支出超過の割合が50%未満であるかを評価に際し留意すべき事項としている。
こうして、この19日付の報告書では「収支試算結果の評価は、内部留保(引当特定資産)が当初計画どおり積み立てられなくなった」としている そして今後の取組として以下の課題を提起するとしている
① 収容定員増・・「入学定員400名以上の増員を目安とする」したがって1600名規模以
上の学生定員増を行うとしている。一部には入学定員800名の増員(収容定員3200名の増員)を主張している者もいる。
今次R2020計画(2010年-2020年)を作成するにあたって、定員は現状を基本とすることを原則として確認していた。それは機関誌「ユニタース」での川口総長、上田副総長対談でも明らかにされていた。
これだけ大規模な財政悪化が見通されるなら、当初の茨木移転の財政見通しが間違っていたのである。計画の最終年度である2020年には1002億円の累積赤字が生まれると言うのである。これではこの計画を根本的に見直さなければならない。
② 専任職員の適正規模化・・「補助対象専任職員数の上限=専任教員の80%。2011年度
補助申請:RU(立命館大学)87%、APU(立命館アジア太平洋大学)120%」
これは立命館大学では7%、APUでは40%の専任職員を削減しなければならないこと提起しているのである。立命館大学の専任職員数は約600名であるから40名以上の削減である。この間、総務部から「学園三分割に伴って職員を60-70名増やす」と提案されていたばかりである。
これほど無責任な学園運営は無い。茨木キャパ計画は移転必然性が無い経営学部移転を含めて一旦ストップし、傷が大きくならない内に抜本的再検討を行うべきであろう。
整備計画に記載されている個々の政策は関係部門の教職員が討議しまとめたものであるから学生・院生や教職員の要求が一定反映されている。しかし学術・学芸・スポーツの課外活動分野は依然として学生の声を十分に組み上げているとは言えない。
しかし根本問題である、教学的戦略も明確にしないままに、茨木の土地を購入し、2015年開講と言う期限を定めた中で、あれもこれも取り入れ、さらには執行部への不満を納める為に学部・部門のセクト的要求にも応じているために、このようなことになっているのである。
このまま進行させれば教学的矛盾と財政矛盾を広げ、挙句のはては「今次の計画は教学の質向上を目指すことを第一にした計画である」にもかかわらず、18歳人口の第三次減少期に学生数を増やしたり、教職員の合理化を図らざるを得ないとしているのである。
杜撰と言うより、長田理事長、川口総長、森島常務、志方部長らは茨木推進のために意図的なごまかしの財政的見通しを提出し、購入を含め一連の過程を強行したのである。
一般企業で、これだけの財政見通しの違い、しかも1002億円もの累積赤字、教職員の合理化が不可避であることが見通される事態となれば、その計画自体を一旦ストップした上で、それを推進した役員は総退陣し新執行部の下で計画のやり直しが行われる。
理事会から独立した独自の調査委員会を設置し、竹中工務店、サッポロホールディングスとの密約を含め、この間の経緯について厳正な調査を行い、関係した人物に刑事罰を含めた訴訟が必要になるだろう。
なお、今回の茨木キャンパス整備計画で触れられていない重要な問題の一つが社会連携施設問題である。既に私は、立命館と茨木商工会議所の間で協議が行われ、商工会議所本体を社会連携施設の中に入れる計画が持ち上がっていること。さらに商工会議所の土地建物を6~7億円で購入することさえ密かに検討されていることを明らかにした。
今回の計画の中に商工会議問題は一切触れられていない。図書館や教室との調整に手間取っているか、あわてて撤回したのか、それとも提案する時期を模索しているのか。いずれにしても、そのような計画は「無いのか」「あるのか」を明確にする義務があるだろう。
(5)足羽史衣に対する新たな6000万円を超える不法支払い、誰が責任を持つのか
文部科学省の指導を受け、2011年2月の理事会において「足羽史衣氏の支払いは、2月をもって打ち切り、今後は一切支払わない」と決定した。そして長田理事長と森島常務は足羽史衣宅を訪れ「貴殿への支払いは目的外の支払いであり、今後は支払わない」と申し入れ、同じ趣旨の文書を3月8日付で送っている。それに対して足羽史衣は弁護士を立て「損害支払い訴訟」を起こした。
当初立命館側は第一次準備書面において「支払ってはならない目的外支出なので支払いを止めた」としていた。ところがこれでは支払いを開始した川本前理事長ならびに「なんら問題はありません」と支払いを継続した長田理事長ならびに森島常務理事の責任が問題になる。そこで第二書面では「足羽史衣への支払いは退職金の分割払いであった。しかし当初想定した1億5000万円を支払ったので、打ち切った」とした。それに対して足羽側は「退職金の分割払いや、1億5000万円など同意したことは無い。公正証書に基づき、生涯支払え」と反論した。
そして2012年8月9日、京都地裁は和解案を提起した。その内容は「立命館側は今後10年間か、もしくは足羽史衣が亡くなるまで月55万円を支払う事」というものであった。10年間となると6000万円を超える額である。理事会はこの和解提案を受けて入れた。その際、受け入れ理由として①裁判所は立命館の「退職金の分割払いであった」とする意見を認めている②支払額は立命館に大きな経済的負担となるものではないとしている。
これほどでたらめな主張はない。足羽史衣への支払い理由はこの間「特別手当」「雑費(謝礼)」、「退職金の分割払い」と二転三転している。
そして何よりも2011年3月8日付の長田理事長名で足羽史衣へ出された文書において「貴殿への支払いは、目的外支出で支払ってはならないものなので、支払わない」としたのである。そして裁判における準備書面(Ⅰ)においてもそうしたのである。それを突然準備書面(2)において「退職金の分割払いであった」としたのである。ところが同書面において「当初に想定した1億5000万円は支払ったのであるから、今後は支払わない」と主張したのである。裁判所が立命館の「退職金の分割払いであった」との主張を認めてくれたとするなら、6000万円を超える和解など受け入れる必要がなく、裁判を継続していたら勝訴していたであろう。今になっても「退職金の分割払い」と言うのは文部科学省や立命館関係者に対して和解金を法人のお金から引き出すための、つじつま合わせの主張であることは明白ではある。
しかし「当初退職金として想定した1億5000円は支払ったので支払わない」としていたにもかかわらず、さらに追加して今後「6000万円を超える和解金を支払う」と言うのは結局「生涯の支払い」を約束した「公正証書」があったからである。
この公正証書を作成した川本前理事長ならびに、「何ら問題はありません」と継続した長田理事長、森島常務等は、それぞれの役割に応じて立命館に与えた損害を賠償しなければならない。
なを、密約である「覚書」においてすら「2000万円の退職金」を支払い「今後、いかなる名目でも退職金は支払わない」としながら、何故、さらに「生涯支払い続ける」「退職金の分割払いは1億5000万円を想定」としたのかである。
「合併後」足羽慶保は、自宅を立命館に寄付している(1億5000万円相当と言われていた)。これを基にして「自分が亡くなった後、足羽史衣の面倒を生涯みてほしい」と川本八郎理事長と密約した可能性が高い。
このことによって①遺産相続のもう一人の対象者である前妻の子供を対象者から外し、全額を足羽史衣に渡す。②学校法人への寄付には税金がかからない。つまり相続税の支払いを逃れられる。この二点しか考えられない。これは犯罪に該当する可能性が極めて高い。
この問題は終わっていない。引き続き粘り強く追及されていくだろう。
現場の教職員の奮闘に期待
 かつて同志社大学では選出基盤が異なることもあって、およそ20年間、総長、学長、理事長がいがみ合い、学部・学科の新増設など「目に見える改革」はほとんど進まなかった。 
しかし現場の教職員は「上がどうであれ、学生に直接責任を負っている我々は学生のために奮闘しなければならない」と授業・ゼミでの教育、サークル支援、就職指導などで持続的に奮闘された。そうした努力があったからこそ、司法試験などの難関試験合格者数、就職実績、クラブ活動の全国的成績などでほとんど後退することなく歩んだ。そうして今日学園の団結を取り戻し、文系学部を全て今出川周辺の京都市内に集合するなど新たな戦略的展開を進めている。
立命館においても、理事会による一時金一カ月カット以来、評議員選挙や総長選挙、学費値上げ反対運動など、数々の闘いを教職員、学生、院生の協同した取り組みで学園の民主化が求められてきた。またアメフトや女子駅伝で日本一になるなど学生諸君の自主的奮闘と現場の教職員の熱心な支援活動等により、様々な新しい前進を遂げている。引き続きの奮闘を期待したい。
同時に、川本前理事長、長田理事長、川口総長、森島常務達によって引き起こされた混乱の傷はあまりにも大きく、立命館の構成員が団結して、新たな前進を遂げる妨げになっている。それだけではなく立命館の社会的信用失墜、財政的困難をじわじわと推し進めている。
学生・院生・教職員が教職員組合や学友会、院生協議会をはじめとする様々な組織や運動において、まずR2020中期計画の具体化の現状と到達点を共有し、当初の教学の質的充実と向上に資する、衣笠狭隘化の改善、BKC教学施設改善を重点課題とする政策の実現を迫ることが重要である。
その運動と結合して2010年全学協議会確認に盛られた課題の解決、実現の取組の中で自治組織の活性化を図りつつ、学園の私物化を強める学園トップの交代・退任を実現し、一刻も早く学園の正常化を実現しなければならないだろう。
奮闘を期待しています