50年来の親友の父が亡くなられました。
昨日、喪中はがきで知ったのですが、とても残念でした。
出来れば、最後くらいは、見送りたかったのが本音ですが、
まあこれは他人がどうこう言うことではありませんので、
仕方のないところです。
親友とは小学校3年生からですね、遊ぶようになったのは。
それから50年も過ぎたのですから、そのあまりの時間の長さに
戸惑いさえ感じます。
そのお父様とも、長いお付き合いでした。
海、山、川、キャンプと、本当にたくさんの思い出をいただきました。
実は、その方とお仕事も一緒にしたことがあります。
私の人生において、一番の先輩でもありました。
アリスが大好きで、若かりし頃、家族でコンサートに
よくいっていたようです。
そのアリスに、はまるきっかけをつくってしまったのが、
実は私なんですが(笑)
すでにその時からでも、45年近く過ぎようとしています。
親友とのお付き合いもそうなんですが、実はご両親とも私は仲良く
お付き合いさせていただいておりました。
遊びに行くたびに、ご両親が最初に歓迎してくれて、
親友よりもご両親の方が話が合っていたように思います。
親友とはまた違った特別な関係でした。
最後にお会いしたのが、6年前、2016年の正月でした。
別れ際、そのお父様から
「根岸君、元気でな」と肩を”ポンッ”とたたかれたのを
覚えています。
その時、すでにお母さんは亡くなられていて、寂しそうでした。
もうそんなに会えないことを悟っていたのでしょうか?
こんなことなら、もっと会っておけばと後悔すらしてしまいます。
我が父が元気が良いので、まだまだ、お父様も元気でおられるだろうと、
勝手に思っていましたが、現実は違いました。
氏に恩を返せぬまま、他界されてしまいました。
実は、親友に遇いに行くときは、お正月にしていたのですが、
それには訳があります。
少しでも恩返しにと、息子さん(親友)のお子さんたち(お孫さん)に
お年玉を渡すためでした。
私にはそれくらいしかできなかったのも事実です。
もっともっといろいろと返したかった・・・
そんなこともあり、せめて言葉だけでも残そうと、
こちらに書かせていただきました。
長い間、本当にありがとうございました。
謹んで、ご冥福をお祈り申し上げます。
最後に、氏が私を撮ってくれた最後の写真を貼り付けます。
昭和59年4月1日(浜名湖舘山寺のホテル前より)