一度でもわれが着むとて直したり母の形見の色留袖を
生前母が「これは嫁に来て村周りの時一回着ただけなのよ。」と言って私にくれた着物があります。よく眺めてはいたのですが、豪華過ぎて着ることも無く箪笥の中で眠っていました。でもどこかで着なくてはと思い長い袖を普通丈に直すことにしました。そのため袖を取り外し短く縫い直して付けました。それがもう大変!!出来たと思ったら左右の袖が反対になっていてがっくり!!ほどいて付け直してやっと完成!!疲れました。でもいつ着る機会があるのかしら?もうすぐお茶会があるけれど、それには格が高すぎるし・・・孫はまだ結婚しそうにないし・・・皇居に呼ばれる予定もなさそうだし・・・・
正絹の着物が五百八十円そんな馬鹿なと二着購ふ
ふらりと立ち寄ったリサイクル店で、和服を見つけました。それがなんと580円です。まだしつけがかかっていて新品同然でしかも正絹です。中には色無地もあり、黒留袖もありました。おそらく作ったものの着る機会がなく箪笥の中に眠っていたものが僅かのお金で売られたものでしょう。和服の好きな私はそんな着物が愛おしくて「私が着てあげますよ!」と二着買って帰りました。
苦しみの後に来る幸疑はぬありがとうとは「難有り」と書く
「ありがとう」は漢字で「有難う」と書きます。考えてみるとなぜこのように書くのか不思議です。「有ることが難い」では意味が通じません。ならば単なる語呂合わせなのでしょうか。いやそうではなくて漢詩のように反対に読む。つまり「難が有る」なのです。困難があることがありがたいのです。なぜなら「人は悲しみが多いほど人には優しく出来るのだから」とか「涙の数だけ強くなれるよ」など歌の文句にあるように、困難を乗り越えた時いつの間にか強く立派な人間になっていますから・・・そしてそれが幸せということなのでしょうね。
ロシアより持ちて帰りし紅葉を栞にしつつかの日思ほゆ
旧ソ連の巡拝から帰って明日でひと月。月日のたつのは何と早いこと・・・どこかに「紅葉すハラザの森の木々の葉を父のかたみと持ちて帰りき」という歌を載せていたと思うのですが、その木々の葉は本に挟んで大切に持ち帰り、重りをかけて押し葉にしました。完成したので記念としていつまでも残るようにと栞にしました。栞には大きすぎるものもあり、それは何にしようかと目下考え中です。