水溜りに青空のあり夜来ればそこには月と星もありなむ
雨上がりの大きな水溜りに真っ青い空が写っています。ほんとうの空よりももっと青く、もっと澄み切っています。こんなに美しい写真を見ていると、いろいろなことが想像されます。夜が来たら、どうなるのでしょうか?ここには黄色い月も、幾千の光り輝く星もきっと写るはずです。それが本物より美しく、澄み切って写るのですから、どんなに美しいのだろかと想像するだけで楽しくなります。
水溜りに青空のあり夜来ればそこには月と星もありなむ
雨上がりの大きな水溜りに真っ青い空が写っています。ほんとうの空よりももっと青く、もっと澄み切っています。こんなに美しい写真を見ていると、いろいろなことが想像されます。夜が来たら、どうなるのでしょうか?ここには黄色い月も、幾千の光り輝く星もきっと写るはずです。それが本物より美しく、澄み切って写るのですから、どんなに美しいのだろかと想像するだけで楽しくなります。
大粒の種無し葡萄ピオーネの種を結べぬ哀しみを食む
岡山の葡萄といえばマスカットですが、このごろはピオーネも人気があります。写真の葡萄は「大粒、種無し、美味しい」の三拍子そろったニューピオーネとして売り出されたものです。確かに大粒で、一個を口にいれるには思い切り口を開けないと食べられません。味は甘酸っぱくてほんと最高!!それに種なしなので食べるには便利!!でも食べていると、薬品処理されて種を結べなかった葡萄の哀しみが伝わってくるようでした。
水草に隠れぼうふら泳ぎをり蚊の子と思えばただただ憎し
空き瓶に水草を植えて小さな魚を泳がせると、結構楽しいインテリアになります。窓辺においているのでじっと見ていたいたら、なんとぼうふらが一匹浮いたり沈んだりして泳いでいるではありませんか。部屋の中なのに・・・とすると、そのぼうふらの親の蚊は私の血を吸って産卵したことになります。ぼうふらはほんとに細く小さく、かよわそうにふわふわと変わった泳ぎ方をして結構可愛らしいのです。でも蚊の子だからやっぱり憎らしい!!
屋根裏の蜂を眺めてゐるうちに巣は膨らみて秋は来にけり
我が家の車庫の屋根裏に小さな蜂の巣を見つけたのは夏の暑い日盛りでした。一匹の蜂が大事そうに巣の手入れをしていました。形からおそらくアシナガバチではないかと思いました。その日から時々眺めていたのですが、少しずつ膨らんでいき、もう随分大きくなってきました。蜂の数もたくさん増えています。駆除すべきでしょうが、それも恐くて、どうしょうかと思っている間に秋が来てしまいました。
秋彼岸は今日にはあらず昨日とや宇宙の摂理暦に合わず
秋分の日(秋彼岸の中日)は例年10月23日と覚えていたのに、今年は22日になっていましたが、なんとこれは116年ぶりのことだそうです。どうりで不思議なはずです。秋分の日は夏至と冬至の中間に当たりますが、ぴったりとはいかなくてこのような調整をしないといけないようです。ちなみにこれから当分の間うるう年は22日に、それ以外は23日になるそうです。自然の摂理を人間の作った暦に合わせるということは大変なことですね。
夏逝くなといふかに鎌を振り上げて蟷螂一匹あさかげにゐる
暑い暑いと言っている間に秋の彼岸もやってきました。いつの間にか夏の虫たちの姿は見えなくなってきました。でも、今日この夏最後の蟷螂を見ました。朝方、網戸に止まって鎌をふりあげて、じっとしていました。それはまるで「夏よ逝かないでくれ!」といっているように見えました。今朝は急に涼しくなったので、夏もいよいよ逝くのだなあとしみじみ感じた朝でした。
茎を裂き友と作りし遠き日の蚊帳吊草の蚊帳の懐かし
カヤツリグサをあぜ道に見つけました。この植物は茎が珍しくて、三角形をしています。茎だけにして二人が両側から茎をゆっくり裂いていくと、ぶつかったところからまた新しく裂けていき、正方形ができるのです。この時、同じ面を裂かないようにすること、ゆっくりと心を合わせて裂いていくのがコツです。出来た形が蚊帳に似ているところから、この名前が付いたようです。できることならもう一度あの幼友達と作ってみたいとふと思いました。
台風が恵みの雨を連れてきて背を濡らしつつ秋の種まく
台風の被害はあまりなく、むしろ恵みの雨と言った感じです。我が家の敷地内にある小さな畑は白く乾ききっていたのですが、この台風による雨で何日ぶりかに黒くなりました。今朝はこぬか雨が降っていましたが、いくつかの青菜の種を蒔きました。いつ芽が出るかな? いつ食べられるかな?今日から子どもを育てるような楽しみが一つ増えました。
涙せし日々思ひつつ独り聞く敬老の日の演歌春秋
月曜日にはラジオで「演歌春秋」を聞いています。演歌にはドラマがあって、どの歌を聞いても、過ごして来た人生が重なってきます。思い出せば私の人生は愛に泣いた日々でした。親子愛、男女愛、夫婦愛、友達愛,姉妹愛・・・等々 演歌にはそれらの愛が歌われていて、思わず過ぎ去った日々が思い出されます。今はもう泣くこともなくなり、私もいつの間にか老人の仲間入りをしています。でもその分だけ、豊かな人生だったのだと今は満足しています。
夕闇に浮かぶ韮花手折らむと見れば小さき種結びをり
韮の花は小さい花が鞠のようにまんまるく集まって、まるで白いポンポンのように見える可愛い花です。夕方道辺に咲いていて、手折ろうとしてよくみると、花びらが散りかけていて、中心の雌しべが緑に膨らんでいました。それが翡翠のように輝いていて、ひとつひとつの小さな花は指輪したいほどでした。あまりに可愛くて、手折るのをやめました。まだまだ暑いけれど、ここにはもう実りの秋が来ているのだなと思いました。