光陰矢のごとし。
加齢とともに月日の流れは速くなる。と聞いてはいましたが実感できる齢になりました。
昨日と今日とでは何の変りも感じられませんが、身体も世間も確実に変っているようです。(筆者の抜け毛のように)
そういえば日本の正月の景色も変りました。(筆者は昭和生まれ)
祝日に国旗を掲げるお宅はほんとうに少なくなってしまいました。(元日は祝日です)
玄関先に注連縄(注連飾)を飾るお宅はまだ多いようですが、ナンバープレートの上に飾っている車はほとんど見かけなくなりました。
注連縄は特別の内と外を区別する結界を表すもので、祭祀における浄と不浄の印として新しい稲藁を左ないに綯います。
神道では神様の住む常世(とこよ)と私たちが住んでいる現世(うつしよ)を分けています。
地方地域によって飾り方は違うそうです。
注連縄は古事記に書かれています。
アマテラス大御神の弟であるスサノオの命(ミコト)が乱暴ばかり働くので、怒った大御神は天の岩屋戸に隠れてしまい、陽の光が出なくなってみんな困り果てました。
知恵者のオモヒカネのアイデアで、常世(とこよ)の長鳴鳥の唄にあわせてアメノウズメ(のちの猿田彦の奥様)が踊りました。
「何事・・?」とアマテラス大御神が覗いたところを、強力のアメノタジカラオが岩屋戸を開けました。
二度と大御神が岩屋戸に戻らぬように、ヤオヨロズのカミガミは注連縄を張りました。
景色だけでなく世態人情も変わっています。
「除夜の鐘がうるさい(騒音)という苦情があり、大晦日の夜に打つのを止めた」という報道にはとても驚きました。
驚いたというよりも、腹立たしく情けなくもなりました。
毎晩深夜に鐘を撞いているのではないでしょう。
一年でたった一晩、午前0時を挟んで大晦日から元旦にかけての108つの鐘の音は、私たちの苦悩煩悩を解脱させてくださる響きですよ。
ついにこのような苦情をいうひとたちが現れましたか・・。
まさしく「縁無き衆生は度し難し」です。
さて、筆者は今年も全ての本会議と委員会を傍聴しました。
市役所を訪れることが多いのですが、いつ頃から市民は役所の「お客様」になったのかと感じています。
納税者だからでしょうか、有権者だからでしょうか。
お客様のはずがないのです。
お客ならば気に入らない店(この場合役所)など行かずに別の店に行けばよろしい。
しかし、市民は店(この場合役所)を選べません。
いやなら市外に転居するしかないのです。
役所に対してだけでなく、教育現場や公立医療現場でも「自分は客だ」と思い込んでいるひとが増えました。
教育も医療も気に入らなければ別のところに行けばよろしい。
役所も教育現場も公立医療現場も「サービス業」ではないはず。
市民は客ではなくむしろ「株主」です。
モノ言うのならば、苦情文句ではなく「改善提案」を。
公務員という職業についているひとたちは、多かれ少なかれ「矜持」を抱いて採用試験に臨んだはずです。
安定性も志望動機のひとつでしょうが、ヤリガイと自らの矜持もあったはずです。(失ったとは思いたくありませんが)
役人や、警察、消防、海保、自衛官など公務員(官吏)に経済的(収入)インセンティブはほぼゼロです。
収入をアップさせるには「出世」するしかありません。
逆にがんばらなくても収入は直ちに減額しません。
だから、公務員組織のトップが絶対にしてはいけないこと!
それは職員のモチベーションを下げてしまうこと、矜持を失くさせることです。
選挙で当選した「政治家」が役所のトップに就きます。
キャリアもスキルも、まして部下からのリスペクトも関係ありません。
「選挙で勝った」ただそれだけです。
生き抜こうとする原動力は人さまざまでしょう。
アスリートのように勝負の世界で生きていくには「悔しさ」がパワーの源。
引退時「負けても悔しくなくなった」と多くの勝負師が語っています。
「キャリアをリベンジしてやる」というのも力の源でしょう。
有名大学卒業ではないから・・
大手企業の社員ではないから・・
たとえコンプレックスであったとしても、
発奮する原動力ならわからなくもありません。
漫才師の西川きよし氏が国会議員に当選しました。
「中卒になにができる!?」と揶揄されながら、
「よし、いまに見ていろ」と福祉行政を懸命に学んで立派に議員を務められました。
本当にキャリアをリベンジしたいのなら、公権力を手中に収めたあとの姿が問われます。
発奮した原動力のままに職権を振りかざすのは愚者のすることです。
役所に取り入れるべき民間手法はトップダウン命令ではありません。
投資した税(歳出)がいつ、いくら、どのようなかたちで行政にリターンするのかをキャッシュフローなどで解析し、事業計画を立てようとするのが民間手法です。
むしろ中小零細の創業家経営者のほうが有無を言わさずトップダウンできるでしょう。
役所はトップはじめ職員で儲けたお金を使っているのではありません。
税を徴収して事業を行っています。
だからコンセンサスが大事なのです。
納税者への説明責任が発生します。
市民という株主に(その代表である議会に)なぜその事業を行うのか、あるいは行わなければならないのか「丁寧に説明し納得してもらおうとする」のが職責です。
公権力で事業(部下たちの企画ではない)を行わせるときは(部下に事務執行を命じるのなら)、部下に頼らずトップ自らの口で市民という株主に説明するべきでしょう。
就いたポストがキャリアではありません。
ポストで何をしたかが『キャリア』になります。
学歴も同じで、卒業した学校がキャリアではありません。
何を学んだのかが『キャリア』です。
政治家は特にそうです。
長に就いたのがキャリアではありません。
長として何をしたのかが『キャリア』になります。
このことは議会でも同じです。
議会の役員人事に就いたことがキャリアではありません。
明確な政策もなく行財政の方向性も示さず、コンセンサスを無視して公権力を行使すれば組織は壊れてしまいます。
そして職員のモチベーションが下がってしまえば、労働生産性(マンパワー)が下がってしまうことを意味します。
つまり「株主」である市民からすれば、とんでもない損害を被っていることに他なりません。
機械化できない職員の作為で行う役所では顕著に現れます。
民間CEOなら役員会か株主総会で解職動議でしょう。
幼い子どもたちは政治参画の機会も権利も与えられていません。
私たち大人の判断や行動の結果として、政治行政の成果も負担も子どもたちが背負っていきます。
いま私たちの手中にある「株券」を子どもたちは受け継いでくれるでしょうか。
近い将来、本市ほどの規模の都市は「広域連携経営」で事業経営していくことになるでしょう。
(いまでも公立病院や可燃ゴミ処理は連携経営で行われています)
各自治体がフルスペックで都市経営を続けるのが困難だからです。
そのとき、どこの周辺市町が本市と連携するのでしょうか。
そういう時代をみなさんのお子さんやお孫さんが暮していきます。
お正月です。
お孫さんと過ごされるかたも多いことでしょう。
「孫はかわいい!!」
その子たちにどんな社会を残しますか。
価値ある瀬戸市の「株券」を譲渡できますか。
子どもや孫の笑顔を見ながら、自問自答するには良い時季です。
どうか善いお年をお迎え下さい。
来年もご愛読いただければ幸いです。
本稿も読了いただきありがとうございます。
加齢とともに月日の流れは速くなる。と聞いてはいましたが実感できる齢になりました。
昨日と今日とでは何の変りも感じられませんが、身体も世間も確実に変っているようです。(筆者の抜け毛のように)
そういえば日本の正月の景色も変りました。(筆者は昭和生まれ)
祝日に国旗を掲げるお宅はほんとうに少なくなってしまいました。(元日は祝日です)
玄関先に注連縄(注連飾)を飾るお宅はまだ多いようですが、ナンバープレートの上に飾っている車はほとんど見かけなくなりました。
注連縄は特別の内と外を区別する結界を表すもので、祭祀における浄と不浄の印として新しい稲藁を左ないに綯います。
神道では神様の住む常世(とこよ)と私たちが住んでいる現世(うつしよ)を分けています。
地方地域によって飾り方は違うそうです。
注連縄は古事記に書かれています。
アマテラス大御神の弟であるスサノオの命(ミコト)が乱暴ばかり働くので、怒った大御神は天の岩屋戸に隠れてしまい、陽の光が出なくなってみんな困り果てました。
知恵者のオモヒカネのアイデアで、常世(とこよ)の長鳴鳥の唄にあわせてアメノウズメ(のちの猿田彦の奥様)が踊りました。
「何事・・?」とアマテラス大御神が覗いたところを、強力のアメノタジカラオが岩屋戸を開けました。
二度と大御神が岩屋戸に戻らぬように、ヤオヨロズのカミガミは注連縄を張りました。
景色だけでなく世態人情も変わっています。
「除夜の鐘がうるさい(騒音)という苦情があり、大晦日の夜に打つのを止めた」という報道にはとても驚きました。
驚いたというよりも、腹立たしく情けなくもなりました。
毎晩深夜に鐘を撞いているのではないでしょう。
一年でたった一晩、午前0時を挟んで大晦日から元旦にかけての108つの鐘の音は、私たちの苦悩煩悩を解脱させてくださる響きですよ。
ついにこのような苦情をいうひとたちが現れましたか・・。
まさしく「縁無き衆生は度し難し」です。
さて、筆者は今年も全ての本会議と委員会を傍聴しました。
市役所を訪れることが多いのですが、いつ頃から市民は役所の「お客様」になったのかと感じています。
納税者だからでしょうか、有権者だからでしょうか。
お客様のはずがないのです。
お客ならば気に入らない店(この場合役所)など行かずに別の店に行けばよろしい。
しかし、市民は店(この場合役所)を選べません。
いやなら市外に転居するしかないのです。
役所に対してだけでなく、教育現場や公立医療現場でも「自分は客だ」と思い込んでいるひとが増えました。
教育も医療も気に入らなければ別のところに行けばよろしい。
役所も教育現場も公立医療現場も「サービス業」ではないはず。
市民は客ではなくむしろ「株主」です。
モノ言うのならば、苦情文句ではなく「改善提案」を。
公務員という職業についているひとたちは、多かれ少なかれ「矜持」を抱いて採用試験に臨んだはずです。
安定性も志望動機のひとつでしょうが、ヤリガイと自らの矜持もあったはずです。(失ったとは思いたくありませんが)
役人や、警察、消防、海保、自衛官など公務員(官吏)に経済的(収入)インセンティブはほぼゼロです。
収入をアップさせるには「出世」するしかありません。
逆にがんばらなくても収入は直ちに減額しません。
だから、公務員組織のトップが絶対にしてはいけないこと!
それは職員のモチベーションを下げてしまうこと、矜持を失くさせることです。
選挙で当選した「政治家」が役所のトップに就きます。
キャリアもスキルも、まして部下からのリスペクトも関係ありません。
「選挙で勝った」ただそれだけです。
生き抜こうとする原動力は人さまざまでしょう。
アスリートのように勝負の世界で生きていくには「悔しさ」がパワーの源。
引退時「負けても悔しくなくなった」と多くの勝負師が語っています。
「キャリアをリベンジしてやる」というのも力の源でしょう。
有名大学卒業ではないから・・
大手企業の社員ではないから・・
たとえコンプレックスであったとしても、
発奮する原動力ならわからなくもありません。
漫才師の西川きよし氏が国会議員に当選しました。
「中卒になにができる!?」と揶揄されながら、
「よし、いまに見ていろ」と福祉行政を懸命に学んで立派に議員を務められました。
本当にキャリアをリベンジしたいのなら、公権力を手中に収めたあとの姿が問われます。
発奮した原動力のままに職権を振りかざすのは愚者のすることです。
役所に取り入れるべき民間手法はトップダウン命令ではありません。
投資した税(歳出)がいつ、いくら、どのようなかたちで行政にリターンするのかをキャッシュフローなどで解析し、事業計画を立てようとするのが民間手法です。
むしろ中小零細の創業家経営者のほうが有無を言わさずトップダウンできるでしょう。
役所はトップはじめ職員で儲けたお金を使っているのではありません。
税を徴収して事業を行っています。
だからコンセンサスが大事なのです。
納税者への説明責任が発生します。
市民という株主に(その代表である議会に)なぜその事業を行うのか、あるいは行わなければならないのか「丁寧に説明し納得してもらおうとする」のが職責です。
公権力で事業(部下たちの企画ではない)を行わせるときは(部下に事務執行を命じるのなら)、部下に頼らずトップ自らの口で市民という株主に説明するべきでしょう。
就いたポストがキャリアではありません。
ポストで何をしたかが『キャリア』になります。
学歴も同じで、卒業した学校がキャリアではありません。
何を学んだのかが『キャリア』です。
政治家は特にそうです。
長に就いたのがキャリアではありません。
長として何をしたのかが『キャリア』になります。
このことは議会でも同じです。
議会の役員人事に就いたことがキャリアではありません。
明確な政策もなく行財政の方向性も示さず、コンセンサスを無視して公権力を行使すれば組織は壊れてしまいます。
そして職員のモチベーションが下がってしまえば、労働生産性(マンパワー)が下がってしまうことを意味します。
つまり「株主」である市民からすれば、とんでもない損害を被っていることに他なりません。
機械化できない職員の作為で行う役所では顕著に現れます。
民間CEOなら役員会か株主総会で解職動議でしょう。
幼い子どもたちは政治参画の機会も権利も与えられていません。
私たち大人の判断や行動の結果として、政治行政の成果も負担も子どもたちが背負っていきます。
いま私たちの手中にある「株券」を子どもたちは受け継いでくれるでしょうか。
近い将来、本市ほどの規模の都市は「広域連携経営」で事業経営していくことになるでしょう。
(いまでも公立病院や可燃ゴミ処理は連携経営で行われています)
各自治体がフルスペックで都市経営を続けるのが困難だからです。
そのとき、どこの周辺市町が本市と連携するのでしょうか。
そういう時代をみなさんのお子さんやお孫さんが暮していきます。
お正月です。
お孫さんと過ごされるかたも多いことでしょう。
「孫はかわいい!!」
その子たちにどんな社会を残しますか。
価値ある瀬戸市の「株券」を譲渡できますか。
子どもや孫の笑顔を見ながら、自問自答するには良い時季です。
どうか善いお年をお迎え下さい。
来年もご愛読いただければ幸いです。
本稿も読了いただきありがとうございます。