瀬戸市民言論広場

明るい未来社会をみんなで考えるために瀬戸市民言論広場を開設しました。

しなかった行動

2018年11月24日 | お知らせ
新聞記事から

いつもほえる番犬が、事件の夜は静かだった。
コナン・ドイルの短編小説「白銀号事件」でシャーロック・ホームズは、犬が「しなかった行動」に注目して、殺人事件を解決した。
先に成立した2018年度補正予算を巡っても、「しなかった行動」が話題になっている。
いつも閣議決定までに開かれる与党政策責任者会議が開かれなかった。(以下略)

「しなかった(のではないか?)行動」は本市でもあったようです。
公募手続きをせずに、ある企業に教育関係事業を持ちかけたのではないかという疑念です。
(現時点ではあくまでも疑念です)

行政は公共の整合性を何より重要視します。
行政機関で生きる職員には、ほとんど「本能的」とも言える、欠かすことはできない作業手順です。

政策事業を決定し、実施するまえに、

パブリックコメントを募集しました。
ホームページや「広報せと」等でお知らせしました。
関係機関には事前連絡しました。

私たちに不備はございません!!
合理性・無謬性・継続性を保持しようと努める(ハズ)なのですが・・。

どうも現首長になってから、御座なりな指示や、手続きを等閑にする傾向が強いように感じられます。

知事が賞した。ならば本市も。
お隣は保存した。ならば本市も。
県内自治体はほとんど宣言している。ならば本市も。

議会や審議会とはちがい、庁議の傍聴は許可されません。

いったいガバナンスはどうなっているの。と詰問したくなるような事案が多すぎます。


何度も当ブログで書いてきましたが、
有権者に負託された代表者が政治を行う間接民主制においては、
どのようなプロセスを経てコンセンサスを得られたのかという「手続き」が最重要なのです。
「手続き」を経ているから、決められたことはみんなでやっていこう。とするのが民主制度における統治です。
法令例規に反していないなら、何をやっても良いわけではありません。

権力に物言わせて、あれやれ!これやれ!と指示するのは、大災害など不測の緊急対応以外、慎むべき手法です。
事業実施後の効用を十二分に議論せず、合意形成をないがしろにする行為を「リーダーシップ」とはいいません。
「職権の乱用」といいます。

この現状で、幹部職員相手に「コンプライアンスとは!」のご講説。


当ブログでは、現市政4年間を振り返る「市政検証(仮題)」を準備中です。

来年1月からスタート、数回に亘りシリーズでお届けする予定です。

11月28日から12月定例会が始まります。
改選まで5ヶ月を切りました。
お一人でも多く議会傍聴にお越し下さい。

議場でお会いしましょう。





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この娘たちもシティブランド

2018年11月12日 | お知らせ
Such female students are the city's brands.

I'll introduce the one of English speech contest prize- winning works.

Title- "I love Seto City"


My grandmother came to Seto in 1960s.
She got married in Seto and raised children. My mother was born in this city and spent her whole life here.
I am the third generation Seto citizen.We are proud citizens of this city.

One day, my grandmother showed me some pictures from her albums. Among faded full color pictures, I found some black and white ones.
My grandmother looked very young and beautiful in those pictures.
I recognized a camellia tree in one of the pictures. It was the camellia that is still in my grandmother's yard, of course
the tree is much bigger now.
The change that I witnessed in the pictures were the changes of the city for the last fifty years or so.

Inspired by grandmother's pictures, I decided to do some research on our home city.
I went to the city library, interviewed my grandmother's friends and googled using various key words.
The biggest source was the digital documents were digitized and available for public on the page.
Here are what I found.

Pottery making in Seto area started around 10th century, in Heian era.
That means the area has been famous for its pottery making for over one thousand years.
The area became Seto village in 1888 and Seto town in 1892. Our beloved Meitetu Seto line started in 1905.
Seto became a city in 1929.

When my grandmother came to Seto, the building of Owari Seto station was not brown but white.
Trains were not silver like they are today but they were red. In my mother's childhood, shopping arcade was always full of people and it was her favorite place to shop. Many things changed over time. On the other hand, there are some things that are always the same.

Setomono Festival is the favorite time of the year for all three of us.
The traditional pottery making is something we are all proud of.
Above all, the people of Seto has always been nice and kind to each other and that makes this city a great place to live.

We all love this city.
I feel lucky to be able to prow up in the city where I can find great history, tradition and environment.
I would like to live and watch this city to change even further.
I would like to continue to love this city and be someone who can contribute to this city in the future.

Thank you.


Other prize-winning works
Title
"You can learn in many ways"
" The Job of My Dreams"


The Fortieth Annual Junior high school English speech contest in Seto


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英語教育持論 My opinion on English education (Early Childhood)

2018年11月04日 | お知らせ
瀬戸市は小中一貫校の教育目標に、特色ある活動として「英語教育」を挙げています。

現在は小学校5年生から始めている英語教育ですが、小学1年生から9年生(中学3年)までの9年間を見通した系統的な英語教育を展開するとしています。
9年間一貫した英語に触れる機会を通じて、世界に通用する英語力を習得するのだそうです。

何事も論を起こすには言葉の意味する概念を確認する必要があります。
「世界に通用する英語力」とはどのような語学力を念頭にしているのでしょうか。
9年間で英検3級程度の語学力を取得させるのが目標のようですが。

お断りしておきますが筆者は教育の素人ですし、英語力はさっぱりだめだと自認しております。
その上での持論ですのでご承知おきください。

みなさんは「世界に通用する英語力」をイメージできますか。
わたしは具体的な場面(scene・ situation)が浮かびません。
なので、申し訳ないですがこの先はわたしが「たぶんこういうおつもりか」と仮定して持論を進めていきます。

外国語(本稿では英語)は日本語が通じない人々とコミュニケーションを取ったり、文を読解する手段(means)か、道具(tool)とするために学習するはずです。
あるいは、語学そのものを習得することを目的として英文学や英語学(文法、修辞など)を研究するためか。

語学研究者を目指す子どもは多くいないと思いますが。
義務教育の、しかも小学1年生から英語教育をするというのですから、英語が手段、道具として使えるようになることを習得目的としているのではないかと推察いたします。

さてみなさんは英語を手段、道具として使わなければならない場面に何回遇われましたか。
「仕事で絶対に英語力は必要なんだ」というかたはいらっしゃいますか。
「仕事じゃないが、日本語が通じない人と知り合いなんだ」というかたは。

ここまで書くと、こうおっしゃるひとがいます。
「英語ができればいろいろな国の人たちと交流できるし、他国の文化を知ることもできる。だから英語は勉強したほうがいいのだ。」
そうですね。その通りです。
手段や道具はひとつでも多く身に着けていたほうがよろしい。

本稿のサブタイトルに(幼児)と書きました。

なぜ瀬戸市は小学1年生(満6歳児)から英語教育を始めようとするのでしょうか。
これも推察するしかありませんが「語学教育は早く始めたほうがいい」とお考えなのでしょう。
では、なぜ早くから始めたほうがいいとされているのでしょうか。
わたしは教育の専門家ではないので学術的論証はできませんが、恐らく「早く始めたほうが習得力があるから・・」では・・。

再度申し上げますが本稿は持論です!

早く始めようとしているのは「幼児の聴き取る力」に期待するからではないでしょうか。
わたしは言語学習は「聴く」から始まると考えています。
その論拠は私たち日本語の「訛り」です。
訛りは英語圏でもあります。

わたしたちは母国語をいつごろから聴いて、いつごろ喋れたのかという記憶はありません。
気付いたら「話していた」のではありませんか。
そもそも何歳から喋り始めたのか、なんて自分ではわかりませんし考えたこともありません。
しかし気付いたときには「お国訛り」で話していましたよね。

「お国訛り」というのは、成人してからでは容易に直せません。
もちろんほとんどの人はお国訛りを直す必要などありません。
どうしても直さなければいけないのは、アナウンサーか芸能関係かサービス業の仕事についた人くらいでしょう。
お国訛りを完全に無くして話せるようになるのは(日本では標準語というアクセント)おそらく不可能です。
地方出身者(実は東京出身者も同じなのです。東京弁と標準語は違います)が仕事で標準語を使っていても、里帰りするとたちまちお国訛りで喋っています。

幼児期に聴いた「言語の音」はきっと深く脳内に刻まれるのでしょう。

1868年明治政府は神戸港波止場のひとつを「メリケン波止場」と名づけました。
アメリカ領事館があったからと言われていますが、わたしは英語を素直に聴き取れば「アメリカン」ではなく「メリケン」と聞こえたはずだと思っています。
現代のように英語に触れる機会は少なく「余計な情報」(和製英語やカタカナ英語)もなかった時代では、米国人の発音は「メリケン」と聞こえたでしょう。
「アメリカン」よりも「メリケン」のほうが、より正確な言葉の音ではないかと思います。

バラエティ番組で米国人の叫ぶ声を「オー・マイ・ガー!!」とテロップに書くことが多くなりました。
もちろんこれは "Oh,My God!!!"です。
ひと昔まえのカタカナ表記なら「オゥ・マイ ゴッド」です。
でも実際に米国人の発する音は「オー・マイ・ガー」と聞こえますね。

中学校3年間、高校3年間、大学4年間、計10年も英語を勉強したのに(大学では原書講読までしたのに)、日本人は英語、特に英会話は苦手だと・・。かく言うわたしもそうですが・・

このわけは「わたしたちは聴き取れないから」だと思いませんか。
文章ならそこそこ読解できるのに、会話は苦手・・。
ネイティブ英語を喋られると、ほとんど聴き取れないという体験はありませんか。

英語の音を「カタカナ」で覚えているから。と思っています。
わたしたちは英和辞典を使っています。
そこには単語のあとに必ず発音記号が記されています。
母音(vowels)は短母音6種、長母音7種、二重母音11種、三重母音3種、弱母音6種。
子音(consonants)は無声有声合わせて28種。
現代ほとんどの英和辞典は米音、英音の順で表記されています。
これを全てマスターしたというかたはすごい。
入試で出題された「音の違い」は理解できるということじゃなく、
使い分けられる、あるいは聞き分けできるという意味でのマスターです。

標準的な米音(American pronunciation)は、米国本土の東部と南部地方を除く中西部地方で話されている発音です。
南部訛りもひどいですが、ニューヨーカーも相当なものです。
ご関心あるかたは、ビリージョエルをお聴きになればNY訛りがわかります。

英音(British pronunciation)は英国ロンドンを中心にイングランド南部地方で教養あるひとたちが使う発音です。
代表的なのがクイーンズイングリッシュ。(エリザベス女王の発音は実に美しい。と思っています)
下町の花売り娘イライザ・ドゥーリトルがヘンリー・ヒギンズ教授によって、上流階級が集う舞踏会でも通用するアクセントと話し方を教えられたミュージカル、というよりわたしはオードリー主演映画「マイ・フェア・レディ」が大好きですが・・。

「文法なんて気にしない。少々間違えたって大丈夫。日本人は文法を気にしすぎ」というひともいます。
確かに、自分が話者で喋るときは、少々文法がおかしても、聞き手が考慮して意味を汲んでくれます。
わたしたちも外国人が少々おかしな日本語を話すからといって、意味がわからないわけではありません。
むしろ完璧な日本語をしゃべるほうが「ヘンな外国人」と思いますよね。

でも、ネイティブが話す英語を聴き取るときは違います。
言葉は聴き取ることで会話ができるのです。

国際教育としてオーストラリアやニュージーランドの学校との交流をするそうです。
もしオージーイングリッシュで話されたら慣れるのに少し大変かも・・。
爺ぃの老婆心です。
"I'll go to hospital today." は
"I'll go to hospital to die."って聴こえるかも・・。

なぜ英国や米国の学校じゃないんだろう、東南アジアの国でもいいのに(独り言です)。


長々と書いてきましたが「標準米語か英語」の発音を聴き取れるようにするのなら、小学1年生(幼児)から英語習得を始める意味はあると思いますが、日本人教諭や豪州訛りの先生が担当するのなら、
『幼児から英語授業をする価値はない、いや、しない方がいい』
というのが持論の「結論」です。

瀬戸市は全ての小学校に標準米語か英語を発音できる教諭を配置できますか。
もしできないのなら、小学1年生の貴重な時間はもっとほかの、例えば情操教育の充実、郷土、日本の伝統文化、芸術等に触れさせるなどに充てるべきです。

仮に小学1年生から英語習得をさせるのなら勉強(study)させてはいけません。
トーレーニング(training)してください。
勉強するというよりも、例えば補助輪なしで自転車に乗れる、逆上がりができる、プールで25メートル泳げる・・。
このイメージです。反復トレーニングです。

「聴き取る、話せる」ようになるのに勉強は無用です。
まして英文法など絶対に教えてはいけません。

文法は「書くため、読むため」に必要な学習です。
幼児が「聴くため、話すため」には無用です。
「聴く、話す」は反射的能力です。
勉強(study)させると英語嫌いの子どもが増えるだけでしょう。

もともと日本語と英語とは大きな違いがあると思っています。

日本語は話者と聞き手の距離感(関係性)に力点を置いて会話します。
だから人称代名詞が豊富にあって、初対面から使い分けて会話します。
わたし、おれ、じぶん、あなた、おまえ、きさま、・・。
英語はIとYOUだけです。
日本人は話す前から、相手との上下間や距離感などを無意識に読み解こうとしているのかもしれません。
どの人称代名詞を使うのが相応しいのかを。

英語は主語・述語・目的語(補語)。この語順が重要です。
ポン、ポン、ポンと単語を並べていきますが、並べ方で意味が確定します。
しかし日本語はそうではありません。述語を語尾に並べても意味は通じます。
聞き手が使う単語を話者が使っても違和感がないのも日本語の特徴でしょう。
教師が生徒に向かって「先生はね・・」と話します。
英語で教師が生徒に向かって "Teacher is・・・"と喋り始めたら、先生はおかしくなったか、
もしくは「教師というのもはだな・・・」と言いたいのかと捉えるでしょう。

もう一度持論の「結論」です。
標準米語・英語の聴き取り力を習得できる「環境」が十分に整えることができないのなら幼児の英語学習は無意味です。
カタカナ英語ならやらないほうがいい。

語学習得は、聴き取る、しゃべる、読む、書く の順です。
学ぶは「真似る」。
先生(大人)の発音を「真似てしまう」。
幼児英語に日本人教諭を担当させてはいけません。
この時期に育てるのは「英語耳と英語音」です。
環境が整ったとしても、小学1年生2年生では「聴く、話す」だけで十分でしょう。
アルファベットを書いたり、簡単な文を読んだりするのはそのあとからです。

何かと教育関係者は「グローバル時代、AI時代」とおっしゃいますが、旅行や日常会話程度ならスマホでも十分対応できます。
最新のポケトークなら74言語に対応し、翻訳スピードも格段にアップしています。
市役所の窓口でもポケトークを使えばいいんじゃないでしょうか。

「グローバル」で生きてゆく子どもはみなさんが期待するほど多くはいないと思いますよ。
「インターナショナル」と混同されてはいませんかね。

幼児から英語教育ですか・・
なんだか大人のREGRET だと思いますがね・・・。

学生時代の恩師に諭されました。
5000時間、5000ページ、5000語
このくらいやれば、なんとなく英語はわかったような気になれる。

瀬戸の幼児英語教育、あなたのご意見をお待ちします。

読了ありがとうございます。


























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