瀬戸市民言論広場

明るい未来社会をみんなで考えるために瀬戸市民言論広場を開設しました。

世論から輿論へ 議論を醸成する

2019年11月23日 | お知らせ
世論
みなさんはこの文字を何と読みますか。
ヨロン、セロン、セイロン・・?

ヨは世の中、世渡りなど。
セは世界、世間など。
セイは世紀、3世・4世など。
世という漢字は3通りの読み方があります。

現在、世論はヨロンと読まれています。

新聞社には各社ごとに用事用語集、用語の手引があり、そこにヨロンはありますがセロンは記されていません。
「NHKことばのハンドブック」には「セロンは放送では原則として使わない発音」と記されています。

国語の話をしたいわけではありません。
ヨロンとセロンは別の概念であり、民主制度のもと政治(人民統治)を決定するうえで、極めて重要なテーマであることを知っていただきたいのです。

新聞やテレビで世論調査が発表されます。
「次の首相はだれがふさわしいと思いますか」
「支持する政党は次のうちどれですか」
「あなたは憲法改正に賛成ですか、反対ですか」
「中国、韓国に対するあなたの印象をお尋ねします」

突然電話がかかってきて、応えたことがあるというかたもいるでしょう。
この調査に対して個人の意見(感想)ではなく、公論として応えたというひとはいるでしょうか。

幕末から明治初頭、西洋の政治哲学、理念が日本に入ってきました。

坂本竜馬は船中八策に「万機宜しく公議に決すべし」と書き、竜馬と親交のあった明治政府参与の由利公正は草案に「万機公論に決し私に論ずるなかれ」とし、五箇条の御誓文第一条に「広ク会議を興シ万機公論に決スへシ」と記されました。

この「公論」とは「公議輿論」の略語です。
「公開討議された意見」ということで、個人的な意見(感想)ではありません。
「輿」は「衆」と同じで大勢のひとという意です。

本来「世論」はセイロンと読むべきで、福沢諭吉は「世論多端にして」「世論に頓着せず」と言ったように、もともとは「世間の人たちが個人的にいろいろゴチャゴチャ言うこと」といった気分で使われていました。
そもそも「世」をセと読むのは仏教語だそうです。

それではなぜ「世論」はヨロンというおかしな湯桶読みになってしまったのでしょうか。
戦後まもなく1850字の当用漢字が制定されこれらの漢字で書き表せないことばは、別のことばにかえるか、かな書きにすると注意事項にありました。
「輿」の字は当用漢字表になかったので「輿論」は「世論」に書きかえられてしまいました。
福沢諭吉も使っていたように世論(セイロン)ということばは昔からあったのですが、世論(セイロン)とは別の概念で使われていた輿論とを混用し、現在ではマスコミを通じて「輿論」と「世論」の区別はなくなってしまったのです。

日本語として、政治的概念として、「輿論」と「世論」は別のことばなのです。

なぜこのテーマはそんなに重要なのでしょうか。
それは私たちが情報を受け取れるツールの発達と深く関係しています。

民主主義が生まれた18世紀後半は、マスの情報伝達手段は印刷物しかありませんでした。
民衆が政治家の理念や政策を知るには自ら演説会に行くか印刷物を読むしかなかったのです。
もちろん議会の中継などありません。
その後ラジオ、テレビの登場、そして現在はネット・・。
瞬時にして地球の裏側の出来事まで知ることができるようになりました。
情報、情報、情報、情報の世の中です。

溢れる情報のなかにいながら、なにが真実で、なにが本当で、どこまで知らされていて・・。
洪水のように流れてくる情報ですが、生活に直接影響してくると実感できるのは、きょうの天気やスーパーのチラシくらい・・。
政治、外交、安全保障などに興味をもつひとは少なく、しかもリップマンが言ったように見てから(聞いてから)定義しないで、定義してから見て(聞いて)います。

マスメディアやWEB,SNSの発達は一般大衆(有権者)が公共の問題に関わることを促したのですが、あくまでも情報の受け手は個人(personal)です。
いまでは個人(personal)が発信もできるようになっています。

ニュースや情報には二面性があります。
ワクワク楽しい感動的(スキャンダルも)いわゆる「おもしろい」ニュース。
こちらは受け手の快楽に直接響きますから民衆は追いかけます。

面白くないけれど考えさせられるニュース。
こちらは即時的効果はないので民衆は後回しか、あるいは興味なし。

マスメディアやWEB,SNS、伝聞(ゲナゲナうわさ)から得た情報の受け手は個人なので、情緒的、感情的なもの(PERSONAL OPINION)にしかなりません。
しかも個人的であるがゆえに性格や信条や思想によって保守的かリベラルか、肯定的か悲観的かなど、あらかじめ決まった定義付けで情報は処理されてしまいます。

ワクワク楽しくおもしろいニュースを民衆は追いかけますから、政治課題や社会問題の議論は後回しにされスキャンダル中心の報道が多くなります。
だから読んでもらってナンボ、見てもらってナンボのメディアや「目だってナンボの政治屋」が跋扈するのです。
政策議論をする議員よりも、スキャンダル追及のほうが民衆は喜びます。
なのに、民衆は生活や社会の問題を何とかしろ!と言うのです。

世論はpopular sentiments、情緒的な共感、私的心情(私情)。
輿論はpublic opinion、理性的討議、公的関心(公論)。
と分類できるのですが、
民主主義の制度を有効活用できるか否かは、民衆が「議論する力」をつけて、民衆の間で話し合いながら「合意形成(問題点の共有化)」を図り、独りよがりの持論から公論へと醸成させられるかにかかっています。

とは言ううものの、国政レベルの問題を民衆の間で話し合って、課題の論点を共通認識するにはいささかハードルが高すぎます。
ここでいうハードルとは民衆の知的レベルではありません。
この国で議論できる場はほとんどない。というハードルです。

政党(所属政治家)主催の討論会(実態は応援会)。
中立とは言いがたい新聞の読者投稿欄の採用。
報道番組とはいうものの内容はワイドショー(スキャンダル中心)。
煽りに煽るマスメディア。
ネットのなかは偏った政治信条の一言居士が占めている。

民主主義の本家である英国があの状態です。米国でも理性的議論より感情に訴える政治で国民は分断しています。
世論(popular sentiments)に留まり、民衆間で輿論(public opinion)まで醸成されることなく「反対!!」「賛成!!」と騒ぐだけになっています。
ポピュリズムは世論に訴え、情緒的なままの世論を根拠に正当性を示そうとします。
ポピュリストにとって輿論化はむしろ余計なことなのです。

英国の政治学者ジェームズ・ブライスは「地方自治は民主主義の学校である」と説きました。
参画することで住民自身が地域の政治行政の担い手として必要な力を形成できると言いました。
参画するとは選挙で投票すること、選挙に立候補することだけではありません。
みんなで地域の課題を話し合うことも立派な参画です。

世論を輿論へと議論を深めるには、まず一人ひとりが地域の問題を輿論(公論)にしようと「意識的」に参画することから始まります。
地域でその場を作れるか否かのカギは、
「声の大きなひと(noisy minority)が、声を挙げづらい若者、女性、よそ者(silent majority)でも楽に発言できる場を提供できるか」です。
「ヨソ者かぁ、」では話になりません。


当ブログの主題である瀬戸市に目を転じましょう。
瀬戸市議会は平成29年4月「瀬戸市議会基本条例」を策定し議会改革に取り組んでいます。
先日市議会は「せとまちトーク」と題し、8つの中学校区で市民と議会の意見交換会を催しました。

「あなたの意見(こえ)をお聴かせください」「議員に想いを伝える」とあり、瀬戸市議会では、議会基本条例に基づき、市民の皆様の声を政策へと反映し、開かれた議会を実現するため、「せとまちトーク」を開催します。
各地域で抱えられている課題を市の課題として捉え、行政に対する政策提言への一助とするほか、予算決算審査に活かしていきます。

パンフレットにはこのように書かれていました。

誰でも参加し意見を言ってくださいという会です。
市民一人ひとりの意見(声)を聴くのは大事なことです。
しかし市民個人の意見(本稿でいう世論)を受け取ることは、政治家個人か政党市議団、あるいは会派としての『政治活動』で行うべきであり、住民自治と団体意思の決定機関である『議会』が行うべきではありません。

議会議員個人(政党市議団・会派)で行う政治活動と、地方自治法による議会構成員としての議員活動を整理区別せず、混在させたままで議会改革と称し個人的意見を拾うことは止めましょう。
参加した市民個人を困惑させるだけです。
議会が受け取るのは本稿でいう「輿論」です。
その地域の住民たちで話し合い、合意形成(問題点の共有化・住民意思の確認)してもらった上で議会として受け取るべきです。

「市民の声を聞くのが市議会議員である。」
間違いありません。
個人的要望(苦情)は政治活動でおやりになればよろしい。
個人的意見でも市民は請願や陳情で訴えることができます。

さまざまな課題を抱えながら、いかにして持続可能な都市経営をしていくのかという時代に、「市民の声」を聞くことだけで問題を解決できるはずがありません。
市民よりはるかに多くの情報や知見を持っている(ハズ)の議員側が課題を見出し、市民に説明しながら解決に向かっていくことも求められているのです。

議会基本条例前文に、
瀬戸市議会は、公正性と透明性が確保された議会運営に努め、自らの果たすべき役割と責務の重要性を改めて認識し、市民の多様な意見・意思を反映できる合議機関として市民の負託に全力で応えていくことを決意します。
と、高らかに謳っていらっしゃいます。

今すぐ基本条例に書き込んだ全てを確実に実行していただけるとは考えていません。
しかし、開かれた議会とおっしゃるのなら、全ての議案とまでは申しません。
市民の関心が強い重要議案だけは、もし賛成するつもりなら、採決まえに必ず「賛成討論」を行っていただきたい。
反対する側は「反対討論」を行うので、何ゆえ反対したのかは明白になります。
一方、賛成する側が何も言わず採決すれば、市民には何ゆえ賛成したのかわからないままで終わってしまいます。
市民から『議案追認機関だ!!』と言われないためにも、なぜ賛成するのかを討論するべきです。
「会派の内で決めたから」では開かれていない密室議会のままです。
議員が胸中できめている賛否が変わることはないでしょうが、議場で市民のまえで賛成、反対の討論を見せることが「開かれた議会」です。

読者のみなさまへ
11月29日から令和元年12月定例会が始まります。
みなさんの関心が強い議案も上程されてくるでしょう。
採決のまえ、賛成の議員(会派)は賛成討論をするか否か、どうか注視してください。


市民のまえで公論する。
これなくして「瀬戸市議会は改革が進んでいる」とは片腹痛い思いです。

長くなりましたが、読了いただきありがとうございます。


参考文献:敬称略
『世論』ウオルター・リップマン
『近代民主政治』ジェームズ・ブライス
『輿論と世論』佐藤卓己
『逐条解説地方自治法』松本英明













































コメント

李下に冠を整さず

2019年11月01日 | お知らせ
ひさしぶりの投稿です。

あらためて申し上げます。

当方が問題視するのは、
「決めたこと」ではなく「決めかた」です。

民主制度における公の機関にとって手続きこそ最重要です。

独裁や民間との大きな違いです。


筆者都合により、次投稿は今月下旬ころになります。

これからもご愛読ください。
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