瀬戸市民言論広場

明るい未来社会をみんなで考えるために瀬戸市民言論広場を開設しました。

職業としての地方政治

2020年07月03日 | お知らせ
・・・財政の健全性を示す健全化指数は、国の示す基準を下回り健全性を維持しているものの、将来負担額の増加等により、これまで続けてきた健全性向上の基調から、はじめて前年度と比べて悪化するとともに、財政の弾力性を示す経常収支率は、義務的な経常経費の増加により過去最高値となり財政の硬直化が顕著となるなど、財政構造の変化が生じています。
また、超高齢化の進展等による社会保障費の増加や、公共施設の更新に伴う施設整備費、一部事務組合への負担金の増加など、避けることのできない財政需要は増大していくことが見込まれ、これに対応するため、中期事業計画では、3年間で102億円を超える市債の発行と、47億円を超える基金の取り崩しにより財源を手当てしてもなお、約8億円の歳入が不足しております。
その後も、こうした財政需要の増大は続き、これに伴う公債費を始めとした将来負担の増加など、将来的には更に厳しい財政状況の中での行政運営が予想されます。
こうした状況において、将来像を実現し、目指すべき都市像を達成するための施策を進めていくには、職員一人ひとりが、こうした現状・課題を共通の認識とし、組織横断的な連帯等の創意工夫による効率的かつ効果的な事業の展開、さらなる行政改革の実行が必須となります。

これは平成31年度の予算編成について、行政執行部が庁内各部署あてに配布した文章である。
本稿の結論から記す。
市長、議会議員は「こうした現状・課題を共通の認識とし」各々の職責に勤めているのか、を質したい。
その評価は当ブログの及ぶところではなく、市民が断じることである。

令和2年6月定例会 第60号・第61号議案一般会計補正予算(一般財源)
総務費:市税過年度還付金及び還付加算金 1億3千万円
民生費:子ども・子育て支援施設感染症拡大防止 699万円
教育費:小学校施設管理(タブレット端末等整備)8459万1千円
   :中学校施設管理(タブレット端末等整備)4457万円
   :特別支援学校施設管理(同上)388万8千円
一般会計当初387億4千万円 6月補正4億2387万6千円(うち国・県支出金5420万円)
補正後予算額528億2042万6千円(4月補正135億996万9千円・5月7億7319万5千円・追加7390万5千円)

令和2年6月定例会追加議案(第65号議案)一般会計補正予算
歳入
国庫支出金1億9173万2千円
県支出金 15万円
寄附金 346万円
繰入金 5億2854万2千円
繰越金 953万6千円
追加補正額 7億3342万円(うち一般財源5億3207万8千円)

主な歳出
一般職任期付職員採用 700万円
アーティスト活動支援 500万円
防災資機材購入 600万円

出生臨時特別給付金 7200万円
子ども・子育て支援施設感染拡大防止 137万5千円
児童クラブ運営 272万円
同活動補助金 680万円
小規模保育事業所運営費等補助金 225万円
民間保育所運営費補助金 1025万円
保育所管理運営 962万円
公立保育所運営 150万円
児童クラブ応援金 280万円
民間保育所・私立幼稚園応援金 340万円
ひとり親世帯臨時特別給付金 1億860万円

事業継続支援給付金 3億1700万円
瀬戸焼・ツクリテ販路開拓支援 530万円
飲食等消費促進補助金 1350万円

教育費一般管理 2686万1千円(学校夏季授業用設備、トイレ等清掃委託)
小学校管理 252万円
中学校管理 148万円
特別支援学校管理 20万円
体育施設整備 164万8千円
学校給食センター施設管理 174万3千円
単独校給食室施設管理 571万4千円

政府第1次補正 地方創生臨時交付金総額1兆円(本市は3億円)
政府第2次補正 地方創生臨時交付金総額2兆円(本市は8億1千万円)

法により収入が確定されていない歳出予算は計上できないため、6月定例会では財源内訳で一般財源とされている。
一般財源は財政調整基金の取り崩しであるが、結果的に繰越金の50%は基金への繰入金となる。
本市は独自の基準として15%は公共施設等整備基金に積み立てている。
なお繰り入れできるのは使途が将来的基金に限られる。

財政を考えるに、見落としてはならない2つの着目点を提示したい。
収納率とキャッシュフローである。
歳入予算の市税は「見込みである」ということ。

瀬戸市市税概要にある収納率をみると、
平成30年度(現年課税分)の収納率
市民税(個人)は99.0%、滞納繰越分は39.6%である。
市民税(法人)は99.9%、滞納繰越分は23.5%しかない。
純固定資産税は99.2%、滞納繰越分は35.1%
都市計画税は99.1%、滞納繰越分は35.1%
もっとも収納率が低かった市税は軽自動車税である。
現年課税分は94.9%、滞納繰越分は31.0%である。

平成30年度でこの数値である。
コロナ禍で経済状況は悪化しているなか、果たして収納率はどうなるか。

なぜ収納率に着目するのか、
自治体は当座預金を開設し小切手や約束手形で会計していない。
入金も出金も「現金会計」だからである。

予算書、決算書は期首期末の金額を並べているだけ。
あらゆる入金や支払い(会計)はフローで見なければいけない。

家庭に例えるなら、
年収500万円の家族は、毎年1月1日に500万円が入金されているのか。
そんなはずがない。
ほとんどの家庭は一ヶ月を単位として、収入支出を行っているはずである。

自治体も同じだ。
一般会計400億円の自治体は、4月1日に400億円の現金を有しているのではない。

地方自治体の政治家は、「税金の使い方、使い道」を議論し決定する職業である。

政治家が「責任は取る」と口にしても、その取り方は職を辞するくらいしかできない。
予算編成した市長にも、議決した議会議員にも責任を取らせることなどできない。
財政のツケはすべて将来市民に圧し掛かる。

政治家を地域や団体の御用聞きくらいに使っていても、財政的負担は全て将来市民が払うしかない。

財政を議論しない(できない、やりたくない)あるいは、しなくても当選できるとしている政治家は、
「市民が産み落とし、支えている」のに他ならない。
現実、今も過去の箱物行政のツケは市民が支払っている。

コロナ禍だから財政出動は致し方ない。だからといって何でも良いわけではない。
これだけの支援給付施策を執行しながら、きっと施策成果の評価検証もなくやりすごすだろう。
皮肉だが、平時においてさえ、全額一般財源の政策事業のアウトカムとKPIの整合性や、決算審査での評価検証もなく「経常的な支出」を認めてきた行政と本市議会である(結果的に市民が容認した)。
まして、いまはコロナ禍事態。
なにをかいわんやである。

財政民主主義。
住民が決定し、住民が責任を取る制度である。

大半の議員が市民ニーズと称し、事務事業というアクセルを踏んでいる。
まるでエンジンブレーキが効かない暴走車のように思える。
そのうち激突するか、ガス欠になるかもしれない。

今回も読了いただきありがとうございます。


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雑感

2020年06月26日 | お知らせ
いろいろありすぎて・・・。

議会の議決まえに記者発表、
否決されたらどうするのだろう?
可決が約束されているのだろうか。

地元天才にとんでもない災難。
「帰ってきたら・・・」
市内の人間でないことを祈る。

国債と市債はまるで違う。
天から降ってくるような感覚か?
バラマキは上程まえに詰めてもらわないと、
議員は反対しづらい。
とは言っても中身の精査は必要だ。

いろいろありすぎて・・・。
大事な記事は日を改めて。
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黙契

2020年06月11日 | お知らせ
コロナ禍に関連する記事で「黙契」という言葉を知りました。
お恥ずかしいですがわたしの語彙にはありませんでした。
手元の国語辞書には、
暗黙のうちに気持ちが合って出来た約束。
とありました。
この語意なら恋人や夫婦の間で使うのだろう。と思いきや、
暗黙のうちに・・などは男の(特に日本男性の)へ理屈。
口で言わなきゃわかるはずがないでしょ!と女性方からのお叱りがきそうです。

コロナ禍に関連する文中で使われている語意は、
国家と国民の間にはそれなりの黙契があるだろう。
つまり社会契約といえる概念で用いられているようです。
権威主義的な国家と自由民主主義的な国家、どちらがうまく感染症を押さえ込んでいるかという議論もあります。
もっとも世界に「我が国は権威主義である」とする国家、指導者はいません。
お隣のかのお国でさえ「人民共和国」であります。
コロナ禍により「豊かで安全な社会」と「自由な暮らし」とは矛盾なく合致するのか。という問いが生じました。
豊かで安全な社会を維持形成しなければ、個人の自由な暮らしは安堵されないのではないか。
国家と国民の黙契は「豊かで自由でしかも安全な社会と暮らし」なのかを考える時かもしれません。

当ブログは瀬戸市行政を考えるのが主目的です。本題に入ります。
市民のみなさまは市長、議員とどのような黙契があるとお考えでしょうか。
筆者は一人の市民として市長、議員にその職務権限行使を白紙委任する黙契はないと断言します。

法令例規に反したり抵触しなければ何をしても良いわけではありません。
特に強い職務権限を有する市長に求められるのは、どのような施策事務を立案したのかよりも、どれほどのプロセスを経て庁内コンセンサスを醸成し議会に上程しているのかということです。
ほとんどの事務執行は歳出をともないます。
お金を使わずに執行できる施策事務はほんのわずかです。
税金を使う以上、なぜ、何に、何を目途とするのか。
住民に対する説明責任が伴います。
税金を使わなくするとき(ある施策を止める)も同様です。
当ブログでは再三再四、この点を指摘してきました。
市長にはどれほどご理解いただけているのかわかりませんが。

6月10日、令和2年6月定例会は開会し3本の報告、16本の議案(うち2議案は補正予算)が上程されました。
これら各議案は所管委員会に付託され審査される予定です。
委員会審査は議会議員に委ねるほかないのですが、コロナ禍に関連したひとつの議案について私見を記しておきます。

第48号議案 特別職の職員の給料の特例に関する条例の制定について
執行部の条例制定の理由は、
新型コロナウイルス感染症拡大による市民生活への影響を踏まえ、今後も、財政出動を視野に入れた本市独自の対策が必要になることを考慮し、市長、副市長及び教育長の給料月額等を一定期間減額するに当たり、減額の割合や期間などの必要な事項を定めるため条例を制定するもの。

内容は、
令和2年7月1日から令和3年3月31日までの9ヶ月間における市長の給料月額を20%、副市長と教育長の給料月額をそれぞれ10%減額する。ただし、期末手当及び退職手当の算出に当たっては、本条例による減額を適用しない。

地方自治体の首長や議会議員が、その使途と減額の算出根拠が不明瞭なまま給料の一部(全部)を減額する行為(条例)はコロナ禍対策の美名のもと、政治パフォーマンスという衣をまとった、実質上当該選挙区への寄付行為に等しいと考えています。
コロナ禍による財政出動とは、特定される住民(個人法人を問わず)への給付、支援に他なりません。
暑中見舞いや年賀状の虚礼さえ止めましょうとしているのに、このような給付、支援は公職選挙法で禁じている当該選挙区への実質的寄付行為に等しいと断じます。
無論、法令例規に反した条例制定ではないのは言うまでもありません。
このような条例を制定するよりも、給料に見合うだけの職責を全うすべく尽力されるべきです。
この際、財政難を向かえ行財政改革の一環として、期間など設けずに瀬戸市長の給料額を減額する条例改正を上程されてはいかがか。

総理はじめ閣僚、国会議員の給料減額(国庫返納)は候補者該当の選挙区を特定するものではありません。
また副市長と教育長は選挙候補者(政治家)ではありません。
以上念のため。


最近「まちを良くする、議会を良くするにはどうすればいいか」と問われます。
「重要な議案採決で、賛成した議員(会派)になぜ賛成したのかを聞いてください」
「その際、詰問するのではなくどのような理由で賛成したのかを聞いてください」
「その答えに納得できればそれでよし、納得できなければ改選時に投票しないようにしましょう」
答えようともしない議員は論外です。

議員(会派)も重要な議案の賛否の判断を100%賛成、100%反対というのはほとんどないのでは・・。
悩ましいが6:4で、5.5:4.5で、苦渋の判断をされているのでは・・。
賛成した議員(会派)は胸中を吐露されればよろしいのです。

私たち市民には、反対の理由は聞こえてきます。
反対の討論が行われ、反対した議員(会派)は印刷物等でその理由を公開するからです。
しかし賛成した議員(会派)からは、全くと言っていいほどその理由は聞こえてきません。

議会の「見える化」とは傍聴やユーチューブのライブ配信を指すのではありません。
なにゆえ反対したのか、なにゆえ賛成したのか、
全議案とは申しません。重要議案だけで結構です。
議場において堂々討論する姿を見せてこそ、はじめて「見える化」「見えてるぞ」と言えます。
何も語らず、何も論ずることなく、
表決システムの白いボタンを押すのは止めていただきたい。
このような議員に投票するのは止めましょう。

「何も語らず、何も論じることなく表決してもしかたがない」と黙契した覚えはありません。

市民の投票判断基準が変化すると、議会議員も変化します。

まちをよくする第一歩です。

今回も読了いただきありがとうございます。
次稿は「広報せと6月15日号」を参考に財政について考えます。











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要諦

2020年05月27日 | お知らせ
歳出:公金支出、納税者へ説明責任。
民主制度:議論と説得。
政治屋:利益誘導。
政治家:利害調整。
議会:論拠を糺す。
政策立案:statementは無用、argumentは必須。
施策目的:output,outcome.、social-impact,
論点:優先順位。
観点:公共性。
視点:市場・意識調査、数値化、統計、客観性。
共有:課題、処方、結果。
無策:バラ撒き。

市長:noblesse oblige
キクコト?:hear(聞く)→listen(聴く)→quest(訊く)→effect(効く)、どれが第一?
誤用乱用:主観、僕の価値感、職務権限、独断。
異常?:庁議

財政:収納率、キャッシュフロー。

認識:自助、共助、→協働(公助)。
最高責任者:市民。

尻拭い:若者、子ども。

    





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番外稿  尾身 茂先生

2020年05月16日 | お知らせ
尾身 茂先生
厚生労働省・新型コロナウイルス感染症対策専門家会議副座長

1949年生まれ
自治医科大学卒業後地域医療に従事
90年WHO西太平洋地域事務局に入り、同地域で小児麻痺(ポリオ)を根絶。
98年より同事務局長。SARSや鳥インフルエンザ対策の陣頭指揮を執る。
2009年自治医科大学教授、WHO執行理事などを歴任。
現在は独立行政法人地域医療機能(JCHO)理事長。
2009~10年新型インフルエンザ対策本部専門家諮問委員会委員長。

テレビや新聞では伝えられていない先生の考え方が垣間見えるので、外務省から隔月発行されている「外交」Vol.60 May./Apr.2020に掲載されたインタビュー記事の一部をご紹介します。
著作権等の関係で抜粋してお伝えします。
聞き手は「外交」編集部です。

=新型コロナウイルス(COVID-19)は、今年一月末に中国で感染が確認されて以来、世界の広い範囲に感染が確認され、人々の健康のみならず世界経済にも大きな打撃を与えています。

先生 かつて保健・健康に関する問題(Health matters)は、各国とも厚生労働省のような専門的の高い役所が扱うテーマとされてきましたが、SARS(重症急性呼吸器症候群)の流行以降、外務大臣や首相、さらには国連事務総長も関与せざるを得ない、ジャンルの垣根を越えた重要なテーマとなった感があります。
(中略)
=SARS流行の際には陣頭指揮を執られました。この時WHOとして、広東省と香港への渡航延期勧告を出されています。

先生 SARSは香港が感染の中心でした。大きな方針を立てるにあたって、本部と西太平洋地域事務局で矛盾したことはやるべきではないという共通の意識があり、内部でブレインストーミングを重ね、毎日のように本部とテレコンファレンスでやりとりしました。
特に意を注いだのは、メッセージの伝え方でした。間違っていたり矛盾していたりするメッセージが伝わることは絶対に避けるべきですが、広く伝わらなければ意味がありません。政府の発表よりもマスメディアによる報道の方が人々によく伝わるというのは世界的に共通なので、新聞社や通信社のインタビューを積極的に受け、マスメディアを味方につける戦略を取りました。
一番緊張が高まったのは、香港で空気感染が始まった時で、WHOとして広東省と香港への渡航延期勧告を出すかどうか迷いました。
人の動きを止めれば経済にダメージを与えることは目に見えていますが、放っておけば感染が世界に飛び火しかねません。
しかし私は、当時のブルントラントWHO事務局長(元ノルウエー首相)と連絡をとり「渡航延期勧告を絶対に出すべきだ」ときっぱり言いました。
「われわれはIMFや世界銀行ではない。WHOのミッションを守るべきだ」と。
(中略)
このときは、北京は何も言いませんでした。
一方、香港のSARS対策責任者マーガレット・チャン(のちにWHO入りして2007年に本部事務局長就任)は「決定は尊重するが、最新のデーターを送るから、それをもとに最終判断してほしい」と言って、香港政府が夜を徹して更新したデーターを送ってきたのです。
しかし、大きな状況は変りませんでした。

=最新データに一縷の望みを託したのですね。政治的に、いかにこの決断が重いものかが伝わってきます。

先生 SARSは、国際社会が二十一世紀初めに直面した公衆衛生上の危機でした。03年7月に制圧された後、WHOは過ちを含めた教訓を洗い出し、対応の方法を国際的な合意にすべく、地域委員会やジュネーブの本部で、朝から晩まで議論しました。
その結果、黄熱病やコレラ、ペスト以外の病原体不明の病気であっても、国際社会に早く警告を発して、世界各国が協力して早めに抑え込もうという考え方の転換を盛り込んで、05年に国際保健規約の改定を行うことができました。
国際社会が健康を重要なものとして捉え、「ウイルスは国境を認識しない」という考え方が世界で共有された証が条文化されたものだと思います。今回のコロナウイルスへの対応は、もちろんこの国際保健規約に則って行われています。

=しかし、この度のコロナウイルス流行の初期段階の対応には、批判も寄せられています。

先生 SARSの時よりも短期間のうちにグローバルな問題になってしまいました。
(中略)
SARSウイルスは、はっきり「悪者の顔」をしていたのです。すなわち過去の感染症と似た特性がありました。発症すれば重症化し、潜伏期間には感染しない。ですから感染者を発見したら隔離すれば対処できたのです。
一方でコロナウイルスは、いわば「偽善者」の顔をしていました。感染しても症状が軽かったり無症状であったりする場合も多いのですが、しかし突然悪化したり、無症状のうちに感染させる主体になってしまったりで、タイミングが見えません。いきおい、今回の戦いは非常に厳しいものにならざるを得ないのです。

=中国での初動が遅れたという指摘もあります。

先生 中国政府が武漢を閉鎖したのが一月二十三日でした。そこまでは、何が起きているのかわからぬまま、どんどん事態が進んでいったというのが実際のところでしょう。物心両面の準備が整わないうちに感染者が増えていく事態の下、感染を完全に収束させるために、社会や経済の活動をストップさせたのが各都市の封鎖でした。
感染を止めるだけならば、実はこの方法が最も適しているのです。人の動きを完全に止めてしまえば、一ヶ月で感染をストップさせることができるでしょう。中国は人と人の接触を断つ19世紀的な方法を取り、感染の抑制に成功しつつあります。
いちばんラディカルな方法を中央集権的に、スピーディーに断行できるのは中国の政治体制だからこそ、という側面は確かにあります。SARSの時もそうやって感染を封じ込めて終息させました。

=日本でも三月二日から学校が休校し、人の集まるイベントが中止されるなど、経済活動に大きな影響が出ています。

先生 私たち専門家会議は、立食パーティーやライブハウスなど、感染の機会が多いと思われる状況を自粛するよう呼びかけましたが、日本社会には多種多様なプレーヤーが、さまざまな活動をしている歴史的・社会的構造があり、その動きを止めるのは至難の業です。日本では、私権の制限を伴う緊急事態宣言を新型インフルエンザ等対策特別措置法改正に盛り込むかをめぐって、議論百出の状態でした(三月十三日成立)。人の移動を制限するような、非常に強いラディカルな方法を取るのか、推移を見ながらエビデンスで順次対応するのか、どちらの方法を取るかは、その国の価値感や人々の共通の心理にかかわることで、これらを無視して政策を進めることはできません。

=まさにここが、医と政治がぶつかるところですね。

先生 政治という文化、だと思いますね。今回のコロナウイルスへの対応では、今まで人々の意識になかったようなことが、少しずつ議論の俎上に上ってきています。そこには、いままで日本社会が議論してこなかった、文化人類学的、あるいは人類史的な問いが含まれています。国家の価値感、専門家の意見と総理の判断の関係、ガバナンスのあり方を超えて、社会の構成員一人一人の価値感までが試されていると言えます。これまでの日本の社会を変えた方がいいという反省も出てくるかもしれません。

=三月十一日、WHOのテドロス事務局長は世界的大流行を意味する「パンデミック」状態であることを認めました。コロナウイルスとの闘いはまだ続きますが、今後、私たちはどのように感染症に対する心構えをつくったらよいでしょうか。

先生 いずれ、感染がある程度収束した段階で、対応について評価し、反省する時期が来ることになるでしょう。そこであくまで意識すべきなのは、「これは危機なのだ」ということです。危機の対応と平時の対応は異なります。平時は官と民がそれぞれ役割分担をしていて、また、セクターごとに縦割りがある社会構造です。しかし、危機にあたっては「感染を拡大しない」という目的をしっかり見据えて、オールジャパンで当たる態勢づくりが必要だと思います。
そのためには、官民学の連携、すなわち官僚、政治家、学会、それから民間との連携が大切です。日本では医療機関がほとんど民間ですし、議論を呼んだPCR検査の担い手としても関係してきます。さらに将来を見通すならば、少子高齢化にともなって国の予算を減らさざるを得なくなるという状況も想定することも必要でしょう。官のよさを十分発揮するためにも、民のよさも活かしてお互いに分担して、官民学一体になった感染症対策を行えるようにしておくことが必要です。ある局面では政治がリーダーシップを執ることもしかるべきでしょう。
(中略)

=日本は感染症対策について、今後WHOや他の国々とどのような関係をつくっていけばよいでしょうか。

先生 感染症に関する国際条約は既に整備されており、新たな整備は必要ないと考えます。
今回WHOについて少し残念に思ったのは、ごく初期の中国への対応について、テクニカルな意味での中立を貫くことができなかったように見えることです。「うまく対処したい」という思いがあり、先走ったのかもしれません。
(中略)
世論は不手際と思われることに対してどうしても厳しくなります。日本政府のクルーズ船の対応への反応もそうでしたが、パーフェクトなオペレーションはあり得ません。どうしても試行錯誤にならざるを得ないことは、理解していただきたいと思います。
(以下略)


以上、外務省編集発行「外交」Vol.60 Mar./Apr.2020 より抜粋。


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禍中における市長と議会

2020年05月09日 | お知らせ
新型コロナウイルス感染症による全国緊急事態宣言が発令され、愛知県は特定警戒都道府県に指定されています。
本稿は5月9日に書いていますが、政府は14日にも緊急事態宣言の一部解除が見込まれるとし、特定警戒都道府県についても期間満了を待つまでもなく解除することは可能だと菅官房長官は語りました。

読者のなかには国政、県政についてのご意見もあろうかと思いますが、当ブログは「追分通信」の名のとおり瀬戸市の行政、議会を取り上げておりますのでこの旨はご理解下さい。

5月12日、13日に令和2年第1回臨時会が開催されます。
毎年開かれている5月の臨時会において瀬戸市議会の正副議長選挙が行われます。
本市議会の正副議長は1年で交代しています。
地方自治法は議長の任期は議員の任期とするとしています。
そこで正副議長は「一身上の都合によりその職を辞する」と届け、新しい正副議長を選任します。
法令に反しているわけではないので(1年、もしくは2年で交代する自治体もある)特に問題視するつもりはありません。

本市議会は正副議長選出にあたり、候補として手を挙げる議員は所信表明を演説することになっています。
この臨時会では正副議長それぞれ2名が発言する予定です。
所信表明演説会を設けた改革は素直に評価できます。
各常任委員会と議会運営委員会、3つの一部事務組合は任期2年となっていますから今期の移動はありません。
議会役員である本庁監査委員には柴田利勝議員(自民新政クラブ)が就任することになりました。(この人事は各派代表者会で決定します)

この臨時会には7つの議案(第38号議案から第44号議案)と2つの承認(第1号専決処分と市税条例等の一部改正、第2号補正予算専決処分)、1件の報告が行政執行部から上程されています。

このなかで第44号議案「令和2年度5月補正予算案」と承認第2号「補正予算専決処分」に着目します。

ご承知のとおりコロナ禍により通常とは全く異なる施策が国、県から出されています。
今後も追加施策は出されるはずです。(大学生支援など)
緊急事態宣言と特別警戒地域は各都道府県自治体に対し発令されています。
経済的施策の特別定額給付金は全国各市町村が窓口に、愛知県の休業協力要請に対する協力金は市が窓口に、他に子育て特別給付金も市が窓口になっている「給付金」です。

これらの給付金は国や県が決めた施策なので、財源は国・県からの支出金で賄います。
休業協力要請「新型コロナウイルス感染症対策協力金」50万円のうち25万円は瀬戸市の財政調整基金からの繰入金が財源です。
市の繰入金を財源とした25万円給付について、本市は県の給付条件を緩和して措置することを決めています。
国や県が決めた施策の業務は「委任事務」として瀬戸市が対応にあたっています。
このため一部の補正予算を市長専決処分としています。

専決処分のうち議会の議決がなされない状況で市長が行政執行するのが「緊急専決処分」です。
行政機関保有の車両事故処理等軽易な事案について処理する「常時専決処分」の2つの類型があります。
この定例会に上程されている承認第1号専決処分は常時専決処分で、第2号は緊急専決処分です。

上記の特別定額給付金と休業要請協力金は、
地方自治法第179条にある「長の事務執行が議会を召集し議決を経てから行うこととなると時機を失し、実質的な意義がなくなってしまう」ので緊急専決処分されました。
具体的には、4月27日現在で住民基本台帳に記載されている市民全員に10万円が給付される特別定額給付金として130億5806万4千円の歳入と同額の歳出。
休業要請協力金の歳入として県補助金2億95万2千円と市の基金繰入金2億2595万3千円、歳出として計4億2690万5千円。
さらに県が決定した理美容業界に対する休業協力金の歳入として市の基金繰入金2500万円、同額の歳出。
以上の3つの行政執行の専決処分です。
(但し、5月8日現在で理美容業界に休業協力金の申請方法は県から通達されていません)

さて、ここから本稿タイトルにした「禍中における市長と議会」について記します。
市長も議会議員も、
『優先順位を考えるのが最優先』

コロナ禍による混乱と不安と困惑が社会を取り巻いています。
これらに対処するための施策が打ち出されているのですが、時間的にも財政的にもそして実務にあたる職員のマンパワーも無限であるはずもなく、自ずと事務執行の優先順が議論されなければいけないはずです。
コロナ禍に対する施策はまず「市民生活の救済策(お金に限らず)」を行い、そして「活動(経営・雇用等)の支援策」を継続的に行うという執行順ではないでしょうか。
定額給付金と休業協力金の本市の事務は他市と比べて遅れてはいません。
休日返上で実務にあたっている職員マンパワーによるものでしょう。

日本の自治体活動は、行政執行体としての自治体を規律する行政作用法により、国民生活が住む自治体で極力不均衡とならないようにしている統治制度です。
各州ごとに政府や憲法を有する連邦制ではありません。
行政作用法には都市計画法、建築基準法、農地法、介護保険法、住民基本台帳法、水道法などがあります。
もちろん地方分権で地域課題解決や政策企画など、行政サービスを自治体間で競い合うのは賛成です。

問題提起したいのは、このコロナ禍に対する政策(特に経済的施策)で給付金施策が市町村単位の自治体間競争化してはいないか、首長の政策アピール(パフォーマンスとまではいいませんが)合戦の様相を深めてはいないかということです。
A市は◎◎支給をする、B市は××料金を免除する。
これらの施策を褒め称える政治家やメディアがいるのには顔をしかめたくなります。
結果的に自治体間、首長間の経済施策(厳しくいうならバラマキ政策)を煽っていることになってはいないか。
思慮深く慎重に言動するよう、苦言を呈しておきます。

本市臨時会に上程されている補正予算案にある「学習支援用図書カード」財源は一般財源2103万2千円。
休校期間中の児童生徒の学習を支援するため、1人あたり2千円の図書カードを配布するという施策です。
このほか「新型コロナウイルス感染症対策基金積立金」財源は一般財源1千万円。
なぜ別立ての基金をつくるのでしょうか。
市民1人あたり10万円が支給され(親子4人家族なら40万円)、児童手当の対象等の児童1人あたり1万円を支給。そのうえ図書カード2千円配布。

前述したとおり施策の善し悪しを問うているのではなく、施策の優先順位を議論するのがなにより最優先ではないかと問題提起しています。
筆者の生い立ちから(実家は商店でした)、
休業要請の業種ではなく、売り上げはなんとか50%をキープしているような、歯をくいしばってがんばっている自営業の方々の思いはいかがでしょうか。
無担保無利子の融資制度があるのでご相談を!
いいや、給付金や協力金とはちがってあくまでも借金です。
借金である以上、返済しなければいけない。
借入金返済は純利益を圧迫します。
多くの自営業の方々は実体感として借入金は極力さけようとするでしょう。
設備投資や店舗改装、新規事業の借金なら「攻め」のお金ですが、いまは「護り」のためのお金でしょう。
だから「この際、お店をたたみます」という事例が増えているのだと思います。

行政のもつ基金等は市長の所持金ではありません。
納税者から預かっているお金です。
税を使って施策をするからには市民納税者への説明責任が生じます。
なぜ市長は一般財源100%(国・県からの補助金なし)の施策を補正予算を組んでまで実施したいのか。
なぜその施策を優先すべしと判断したのか。
ほかにもっと救済支援すべき事業所、医療機関、市民はいないのか。

禍中にあるからこそ議会議員は市長の政策理念を質すべきです。

もう一度、指摘しておきます。
施策の善し悪しではなく、議会は施策の優先順位を議論しなければいけません。

そのバラマキは他市町を意識した市長の政治アピールではないのですね?
ほんとうに優先して実施すべき施策でしょうか?
議会は議案追認機関ではなく、施策を議論して執行部と善政を競っていただきますように。


コラムを拝読しますと、お時間ができて新聞をご精読されていらっしゃるそうで・・・
ところで子どもたちは2千円すべて学習図書に使うとお思いですか。
子どもたちには魅惑的な漫画本もたくさん並んでいますが・・・。

今回も読了いただきありがとうございます。

























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こころのヘルペス

2020年04月27日 | お知らせ
ヘルペスという皮膚病をご存知ですか。
筆者は口唇ヘルペスを抱えています。
この病気はくちびるやそのまわりに小さな水ぶくれができる感染症です。
普段は神経細胞のなかに隠れておとなしくしているのですが、
からだが弱ったり、ストレスが溜まったりして抵抗力が低下すると暴れだします。

HSV-1とよばれるウイルスが原因です。
子どものころに初めて感染しますがそのときは無症状のひとが多いそうで、筆者もいつ感染したのか全くおぼえがありません。
発症するときはくちびるあたりに違和感があり、2,3日後には赤くはれ上がってきていくつか小さな水ぶくれができます。
とても痛くてヒリヒリします。
やがて水ぶくれはかさぶた状となりだいたい1週間から10日で治ります。

やっかいなのは一度感染すると体内からウイルスをなくすことはできず、何度も再発することです。
発症経験が豊かなので(!?)、「またきやがったな」とウイルスが暴れだす予告は感知できます。
しかし対抗策はステロイド系の軟膏を塗るくらいしかありません。
くやしいけれどウイルスは強敵です。

さて世の中、新型コロナウイルスで人間様は右往左往の大騒ぎです。
毎日メディアはコロナ禍ニュースばかりです。
そんな中、メディアに「専門家」という肩書きを持ったひとが登場します。
もちろん本物の「専門家」の先生も出演されるのですが、なかには「自称専門家」やウイルス感染症が専門ではない「専門家」や、統計分析が専門ではない先生の「分析」や、日本と国家統治制度の違いなど無視して「A国では~成功している」と説く評論家や、なんでもかんでも政府の責任にしたい政治家や、週刊誌かタブロイド紙が情報源のタレントなど、一知半解のひとたちが蛙鳴蝉噪を繰り広げます。

メディアにこのような俄専門家が登場するのは、なにも今回のコロナ禍が初めてのことではありません。
中東戦争のときも、オウム真理教事件のときも、バブル崩壊のときも、リーマンショックのときも、そのつど「専門家」になったひとたちは登場しました。
このひとたちの共通点はワイド番組など放送局からの出演依頼や、週刊誌・タブロイド紙の取材オファーに対し、とてもお気軽に気持ちよくOKをくれることです。
課題解決にむけて分析や研究に余念の無い「専門家」は、メディアの相手をしてあげられるほど余裕も時間もありません。

では、われら下界の市井はどうでしょうか。

物流ドライバーや医療関係者の子どもの預かりを断った保育所や、
電車内でマスク着用をめぐって乗客どおしの罵声が聞こえ、
首都圏から実家出産しようとした妊婦が破水しているにもかかわらず救急受け入れを断った二つの県立病院や(この県は感染者0人と発表しています)、
子どもにさよならの軽いハグをした保育士が迎えにきた母親から「三密守れ~!」と罵倒されたり、
本市ではスポーツ店主がコロナ感染で死亡したとのうわさが広がり、商売あがったりになっていることがネットニュースで拡散し全国からのあきれたものだというコメントで炎上していたり、(本市は大恥かいてます)
道聴塗説、流言蜚語は枚挙に遑がありません。

このような事象を引き起こしてしまうひとたちは、きっと「こころのヘルペス」に感染しているのでしょう。
普段は前頭葉に隠れておとなしくしているのですが、不安やイライラが溜まって理性抵抗力が低下すると口から飛び出して暴れるのでしょう。
ご本人たちはいつ「こころのヘルペス」に感染してしまったのか、おそらく自覚はないでしょう。
生まれついた保菌者はいませんし、遺伝感染もありません。
口唇ヘルペスには症状を治めるステロイド軟膏がありますが、こころのヘルペスには残念ながら治療薬はありません。
口唇ヘルペスを発症するウイルスは体内からなくすことはできませんが、こころのヘルペスは体内から根絶することは可能です。
ただし感染者自身が保菌者であることを自覚し治癒したいと決心すれば、の話ですが。
このウイルスも強敵です。
おそらく人類登場期から生息し、文明発達とともにパンデミックが発生したのでしょう。

本市の医療関係者から聞いた実話ですが、
家族や患者を守るために自宅を離れ、賃貸ワンルームから病院に通っている医師や看護師がいらっしゃるそうです。
お仕事とはいえ、激務に従事されていることに感謝申し上げます。

みなさまどうかご自愛ください。

今回も読了いただきありがとうございます。















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Parody Song

2020年04月15日 | お知らせ
"Mr.Mayor"
Lyric by Salmon&Garlic
Music by Simon&Garfunkel

And here's to you, Mr.Mayor
Jesus love you more than you will know
God bless you please, Mr.Mayor
Heaven holds a place for those who prey

We'd like to know a little bit about you for our files
We'd like to help you learn to help yourself
Look around you, all you see are sympathetic eyes
Stroll around the grounds until you feel at home

And here's to you, Mr. Mayor
Jesus love you more than you will know
God bless you please, Mr.Mayor
Heaven holds a place for those who prey

Hide it in a hiding place where no one ever goes
Put it in your drawer with your poison-bun
It's a little secret, just the City-Hall's affair
Most of all you've got to hide it from the citizens

Coo coo ca-choo, Mr.Mayor
Jesus love you more than you will know
God bless you please, Mr.Mayor
Heaven holds a place for those who prey

Sitting on a sofa on a Weekend night
Going to the familiar Izakaya
Laugh about it, shout about it
When you've got to choose
Every way you look at it you lose

Where have you gone, Congresspersons?
Our nation turns its lonely eyes to you
What's that you say, Mr.Mayor
He and She have left and gone away
Hey, hey, hey

Thank you for reading.

Let's wash hands and gargle !
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昔も、今も、

2020年04月08日 | お知らせ
ついにと申しますか、やっとと言いますか、国は緊急事態宣言を発令しました。
愛知県は対象自治体になっていませんが、名古屋市長と愛知県知事はご意見が少しちがうようです。
さて、本稿も読み物をお届けします。
お題は「昔も、今も、」
100年まえに書かれた本『世論』からほんの一部を抜粋します。

ときは1922年、著者は米国人ジャーナリストのウォルタ・リップマン(Walter Lippmann) 33歳の上梓です。
本文は岩波文庫版(掛川トミ子訳)からです。
*はわたしです

1914年7月25日になっても(セルビア、オーストリア=ハンガリー国交断絶)、
 *6月28日サラエボ事件、7月28日オーストリアはセルビアに宣戦。第1次世界大戦の勃発です。
世界中の人々が、実は船積みできるはずもない品物をつくり、輸入できなくなっている品物を買い付け、将来の生活設計を立て、事業の計画をたて、希望と期待を抱いていた。
こうしたすべての人たちは、自分たちの生きている基盤としての世界像こそが現実の世界であることを少しも疑っていなかった。
彼らは自分たちの頭に映じた世界像を信頼していたのだ。

われわれは、自分たちがその中に暮しているにもかかわらず、周囲の状況をいかに間接的にしか知らないかに気づく。
環境に関するニュースがわれわれに届くのが、あるときは速くあるときは遅いことはわかっている。
しかし、自分たちがかってに実像だと信じているにすぎないものを、ことごとく環境そのものであるかのように扱っていることには気づいていないのである。

異なる国民、異なる時代については人びとがどんなときにおかしな世界像に必死にしがみついていたかが、たやすく見分けられるとわれわれは自惚れている。
われわれはあと知恵の有利さがあってのことなのに、人びとが知っていなければならなかった世界と実際に知っていると思っていた世界とがしばしばあいいれぬものであったと主張できる。

どんな人でも、自分の経験したことのない出来事については、自分の思い描いているそのイメージが喚起する感情しかもつことはできない。したがって、他人の行為を真に理解しようとすれば、彼らが知っていると思っていることはどういうことかを知らなければならない。

ほんのちょっとした事実、創造を伴う想像力、信じる意志、この三つの要素から生じるにせの現実に対して、激しく本能的に反応する。ある条件の下で、人びとは現実の事態に反応するのと同じ強烈さで、虚構の事柄に反応する。また多くの場合、人びとは自分たちが反応する当の虚構そのものを創造するのにひと役かっている。

人と、その人をとりまく状況の間に一種の擬似環境が入り込んでいる。
人の行動はこの擬似環境に対する一つの反応である。
しかしそれが行動であることには違いない。だから、もしそれが実際行為である場合には、その結果は行動を刺激した擬似環境にではなく、行為の生じる現実の環境に作用する。
もしその行動が実際行為ではなく、大雑把に思考とか情緒と呼ばれているものである場合には、虚構世界の構造に破綻が目立ってくるまでに時間がかかるかもしれない。
しかし、擬似事実による刺激が結果的に現実の事物や他人に作用を及ぼすときには、矛盾がただちに広がる。
社会生活というレベルでは、人の環境適応と呼ばれている現象がたしかに数々の虚構という媒体を通じて起こるものだからである。
虚構といっても、嘘だといっているわけではない。

まったく先入見のない無垢な目で観ることがどれほど新鮮であっても、無垢そのものは知恵の源泉であり知恵を修正するものでこそあれ、知恵そのものではない。
真の環境があまりに大きく、あまりに複雑で、あまりに移ろいやすいために、直接知ることができない。
われわれには、これほど精妙で多種多様な組み合わせに満ちた対象を取り扱うだけの能力が備わっていない。
われわれはそうした環境の中で行動しなければならないわけであるが、それをより単純なモデルに基づいて再構築してからでないと、うまく対処していくことができないのだ。
世界を横断しようとすれば世界地図が必要だ。
だが、自分たちに必要な事項、あるいは他の人が必要とする事項が書き込まれている地図を手にいれるのはつねに困難である。
入手できるのは海のない国ボヘミアの海岸に、つまり架空の場所に書き込まれている地図ばかりである。

それぞれの人間は直接に得た確かな知識に基づいてではなくて、自分でつくりあげたイメージ、もしくは与えられたイメージに基づいて物事を行っていると想定しなければならない。
世界がどのように想像されているかによって、その時その時の人間の行為が決定される。
それは人間が何を達成するかを決定するものではない。
それは人びとの努力、感情、希望を決定するが、何を達成するか、どんな結果になるかを決定するものではない。

われわれが政治的に関わり合わなければならない世界は手の届かないところ、見えないところ、知の及ばないところにある。
だから、探索し、報告を受け、想像をめぐらさなければならない。
人間は、アリストテレスのいうような、ひと目であらゆる存在を思いめぐらすことのできる神ではない。
人間は一つの進化から生まれたもので、生き延びていくのに間に合うだけの現実の一部をようやく支配し、時の秤にかければほんの束の間でしかない洞察と幸福しかつかみとることができない。
しかしその同じ生き物が、裸眼では見えないものを見、耳で聞こえないものを聞き、極大量とか極微量を測り、個々の人間に記憶できる以上の品目を、数えたり分けたりすることが可能な方策を編み出してきた。
人間は、見ることも、触れることも、嗅ぐことも、聞くことも、記憶することもできない世界の大きな部分を知力によって知ることが可能になった。
しだいに人間は、自分の手の届かない世界についての信頼に足るイメージを、頭の中で勝手につくることになった。

外界のさまざまの現象がほかの人間たちの行動に関わりをもたずにはおかない場合、そうしたほかの人間たちの行動がわれわれの行動と交差したり、われわれに依存したり、あるいはわれわれの興味を惹いたりするかぎり、そうした外界の現象をわれわれは大まかに公的な事柄と呼ぶ。

一日のうちで公的な事柄に注意を払うために使える時間が比較的乏しいこと、事件をごく短文に圧縮して報じなければならないために起こる歪曲、錯綜した世界を数少ない語彙で表現することのむずかしさ、そして最後に、人びとの生活の中にすでに溶け込んでいる習慣を脅かすように思われる事実に直面することへの恐怖がある。

昔よりはるかに複雑になっている文明の只中に生きているにもかかわらず、ふしぎなことに彼らもまた、人間の心の中には手の届かない世界に関する情報が存在すると、なぜか思い込んでいる。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

*リップマンは、人は見てから定義しないで、定義してから見る。とし、人びとが事実と思い込んでいるものは、実は特定のパターンに従って構成されている。わたしたちは、あらかじめ持っている「ステレオタイプ」という物を見る目の習慣の型に、外界の現状を流し込んでいる。メディアにより、ある種の固定観念のもとに作り上げた意識「擬似環境」を土台にして物事を見ているようだ。と書いたのです。

『世論』が上梓された時代のマスメディアは新聞とラジオでした。
100年が経ち、わたしたちは個人でも発信できるネット、SNSという道具を手にいれました。
若者を中心にテレビや新聞から情報を入手しない人たちが増えている一方で、朝に夕にワイドショーに釘付けの年配者もいます。
どちらも強弱にかかわらず、必ず情報発信者の「バイアス」はかかっています。
その源は「どうすればウケルか」という意味において同根です。
ただしヤッカイなのは、ウケの狙い方(受信者のよろこびかた)が極端に偏ったバイアスになってきている点です。

わたしたちは、道具は手に入れました。
これからも道具は進化していくそうです。
わたしたちは擬似環境から解放された意識で世界を見られるようになったのでしょうか。


陶生病院に二人の感染者が入院しているそうだ。
いやいや、いまじゃ八人だ。
病院の地下に隔離病室があるそうだ。
感染したのはH連区のひとらしい・・。

ますます盛り上がっている「せとゲナゲナ」であります。

疫病との闘いはまだ続くようです。
みなさまどうかご自愛ください。

今回も読了いただきありがとうございます。
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日本国の母語

2020年03月31日 | お知らせ
今回は行政や議会の話題ではなく、読み物をお届けします。
疫病のおかげでなにかと不自由な生活を強いられていますが、ご自宅での暇つぶしの一助にしていただければ幸いです。
なお浅学菲才の身ゆえ、わたくしのことは棚に上げて書いていきますのでご寛如ください。

「日本国の母語」などと回りくどい言い方ではなく、つまり「国語」のことだろ。
と思われるかもしれませんが、国民が自ら使う言語を「国語」と言い表すのはおそらく我が国くらいではないでしょうか。

言語と国語はちがいます。
言語は民族と関連し、人種や文化などで同一性をもつ集団が共通に話すことばです。
国語は行政と関連し、政府がその国の公用語と定めたことばを国内からみたものです。
複数の公用語をつかう国家は多数あります。
言語は一国で話されるとは限りませんし、一国に一種類の公用語とも限りません。
日本語は民族の言語と国語がほとんど同じで、一つの公用語という世界ではめずらしいことばです。
日本語を公用語としている国は日本だけです。
わたしたちは日本語以外のことばを外国語といい他民族語とはいいません。
ことばは国家単位とし、民族単位で捉えていない証です。

わたしたちは漢字、平がな、片かな、ローマ字など複数の書き言葉をつかっていますが、これも世界ではめずらしいことです。
日本語はもと文字をもっていなかったので、中国から漢字を輸入して日本用に改造しました。
日本の漢字は「訓」をもちました。
ご存知のとおり漢字は形で語の音と意を表します。日本の漢字はその音(おと)が、音訓の二本立てになっています。

むかしの日本にはなかった事象や概念は外来語として漢字の音のままで輸入して使っています。
これが漢語です。
わたしたちが「医学」「科学」「思想用語」などの分野で使っているのはほとんど漢語です。
幕末から明治初期には科学用語をそのまま輸入するだけではなく、新しい漢語をあみ出しました。
哲学・帰納・仮説などで、これらは中国語へ逆輸出されています。
辻や峠のように日本でつくられたオリジナル漢字を「国字」といいます。

かなの基は万葉仮名です。
日本語の固有名詞や助詞、助動詞にあてはまる漢字がなかったので、漢字の形はそのままに音だけを借りて日本語の発音を書いたのが万葉仮名です。
平がなは、公用ではなく私的な文章を書くのに万葉仮名の字形をさらにくずして使うようになった文字です。
平安時代には平がなで日本語を自由に書き表せるようになりましたが、この使い手は女性でした。
源氏物語のように世界に誇る文学が女性の手により生まれたのも偶然ではありません。
当時の男性は漢文を教養、学問としていました。
紀貫之が土佐日記の冒頭「おとこもすなる日記というものを、おんなもしてみむとてすなり」と書いたのはご存知のとおりです。
平がなで日記を書くので「作者はおんなよ」とうまいジョークです。
土佐日記はジョークの連発なので、読んでいないかたは一読をお薦めします。

片かなは、平安時代に漢文を訓読するためのメモとして、漢字の傍らに万葉仮名の一部分を小さく書き添えて訓を示したのが起源です。
ですから、おなじ音でも平がなの「あ」は「安」をくずし、片かなの「ア」は「阿」の部首がもととなっています。
平がな、片かなそれぞれの字源を調べてください。おもしろいですよ。

地元在住の当時中学生だった天才棋士が、報道陣に「望外」「僥倖」と語り話題になりました。
きっと幼い頃から相当量の読書をしているのでしょう。
使える語彙を増やすには読書がよいのは当然ですが、ことばを知るのは他にも機会があります。

たとえば、歌詞。
もうすぐ五月。童謡「鯉のぼり」
「鯉のぼり」はちがう二曲がありますが、古いほうの楽曲歌詞です。
『い~ら~かぁ~の波と、く~も~の波・・・』
最初に聴いてから『いらか』の意味がわかるまでずいぶん時間がかかりました。
意味もわからず歌っていたのを覚えています。

むかしの歌謡曲の歌詞も、その意味がわからずに聴いていました。
春日八郎さんが歌った「お富さん」。
『いきなくろべい、みこしのま~つに、あだなすがたのあらいがみ。しんだはずだよ、おとみさん。』
大人になって漢字で書かれた歌詞をみるとなるほどとわかったのですが、こどものころは歌だけを聴いてもいったい何を唄っているのかさっぱりわかりませんでした。
「粋な黒兵衛さんは、お神輿を待っているのか」と本気で想像していたくらいです。
わかっていたのは死んだはずだよ・だけでした。
ご存知のとおり、歌舞伎『与話情浮名横櫛』を題材にした歌謡曲です。
この他にも『病葉(わくらば)』という言葉を、三橋美智也さんが歌った「古城」の歌詞で知りました。
文字で病葉と書かれても読めないままだったでしょう。
歌だから、わくらば、と知りえたのです。

小椋佳さんや村下孝蔵さん、スピッツの正宗さんの歌にも美しい日本語がたくさん使われています。
ユーチューブで簡単に聞くことができますのでぜひどうぞ。
筆者のお薦めです。

楽しみながらゲーム感覚でことばを覚えましょう。
友達や親子でもできますよ。
ルールは簡単、ひとつのことばの類義語や言い換えを出し合いましょう。
例えば出題は「言う」とします。
話す・しゃべる・語る、などがありますね。
「伝える」はどうでしょう。
知らせる・告げる・言い広める・伝授する・・・
このほか少し難しくなりますが、対義語や同音語などでも遊べます。
同音語とは、時間を計る・水深を測る・目方を量る・企画を図る・詐欺を謀る・議会に諮る・などです。

漢字やことばにはなにかしらの由来や起源があります。
人間は理屈っぽく、意味を求める動物なのでここを探ると楽しいですよ。
漢字の主な部首は、それぞれ漢字につくもので、
左側は「へん」、右側は「つくり」、上部は「かんむり」、下部は「あし」、上から左下に垂れるのは「たれ」、左側から下部にかけては「にょう」、外側を囲むのは「かまえ」です。
三ズイは水を意味しています。ノの木と書くので禾(のぎ)ヘンです。

人間はモノ(特に生命体)を見つけると名前をつけずにはいられません。
これが固有名詞です。
固有名詞はそのかたちや由来や動きなどを基に名づけることが多いようです。
海や山、草原に出かけたとき、魚や木々や草花や鳥の名前と語源を調べると楽しいですよ。
瀬戸市に生息している天然記念物のサンショウウオは、山椒に似た香りを持つ種がいることで名づけられたそうです。

漢字やことばを覚えるほかに、正しい用語の使い方を知りましょう。
まずは、まちがって使われやすいことばの例です。
○「愛想を振りまく」は誤用、正しくは「愛嬌を振りまく」です。「愛想がいい」です。
○「あの職人は油がのってる」は誤用で「あの職人は脂がのってる」です。油は液体、脂は固体です。
○「長男・長女・次男の三人で一姫二太郎です」は誤用で、「一姫」は初めての子は女の子、次が男の子の順で生まれるのが理想的という意味です。「女の子一人と男の子二人」の意味ではありません。
○「肝に命じます」はまちがいで、正しくは「肝に銘じます」。
○「文句ばかりごねるな」は「ごてるな」が正しい。「ごねる」は死ぬ、くたばるの俗語でした。
○「彼女は気が置けないから疲れる」は誤用で、「気が置けない」とは気遣いをしないという意味です。疲れるのは「気が置ける人」です。
○感動したときは「琴線に触れる」、怒らせてしまったときは「逆鱗に触れる」。
○「口車を合わせる」は誤用、「口車は乗る」「合わせるのは口裏」。
○「取り付く暇もない」は誤用、正しくは「取り付く島もない」。
○「つつがなく葬儀は終わりました」は誤用。つつがとは空想の害虫のことで「つつがない」は病気や災いのない無病息災のこと。だから「つつがなく帰国しました」は良いが葬儀に使うのはふさわしくありません。
○運を天に任せるていちかばちかの賭けは、「乗るか反るか」ではなく「伸るか反るか」です。

誤用の例はたくさんありますが、ご紹介はこれくらいにしておきます。

ことばと使い方は時代とともに変化するものです。
大勢のひとが当り前に使うようになっているので、国語辞書にも載ったという事例は枚挙に遑がありません。
しかし嫌悪感を表す教養あるひとも多くいらっしゃいます。
小生のような品格の無い言葉遣いを避けるためにも、知識として学ばれた方がよろしいかと存じます。

まずは、「ら」ぬき言葉。
「見れる」は「ら」ぬき言葉です。正しくは「見られる」ですよ。
このようなご意見があります。とくにご年配の教養ある方々に「ら」ぬきは評判がよろしくないようです。
結論は、標準語では「見られる」しかダメ、共通語ではどちらもいいです。
どういうことでしょうか。
標準語の規定や成立ははっきりしません。江戸時代までは政治の中心地は京都だったので、ことばの基準も京ことばだったそうです。
しかし明治政府以降の政治の中心は東京に移ったので、関東地方のことばである東京語を標準としたようです。
共通語は1949年(昭和24年)に国立国語研究所の調査をもとに、東京語にちかいことばを全国どこでも通じることばとし「全国共通語」という用語を使ったことによります。

「ぜんぜん~」はその事柄を全面的に否定する意を表すことばだったのですが、近年は否定ではなく肯定を強調する意としても使われるようになりました。現代の国語辞書にも収録されています。わたしは「ぜんぜんだいじょうぶ」という使い方にはいまも抵抗感があります。

ことばを変化させる、あるいは造語を自分たちで楽しんで使うのは若者(中高校生)が多いようです。この現象を起こすのはいまに始まったわけではなく、わたしの青春期にもありました。
近年は「~い」が流行っているそうで、「うざい」「きもい」「むずい」などです。
わたしの若い頃には「エロい」が登場しました。
最近は「エモい」だそうです。
わたしは昨年にはじめて「エモい」という語とその意を知りました。
語源は英語のエモーション(emotion)だそうで、収録した国語辞書には「心に響く、感動的である」とあります。

敬語の使い方やことばの乱れを憂う意見はむかしからありましたが、わたしは昔の社会と現代社会の環境の違いから、憂いどころではすまされないのではないかと考えています。
そのわけはSNSの登場です。
ネット社会はバイラルメディアといわれ、ごく短時間にどれだけ多くの注目を集められるか、そのためのインパクトや話題性が重視されます。
LINEは少ない文字数で発信し、それでも情報を共有できる(つもり)になっているツールです。
何でも「エモい」で片付けて、発信者も受信者も理解しあえたかのようになっているのではないでしょうか。
しかもごく短時間で。

SNSは個人でも簡単に発信できるようになりましたが、「エモい」や「やばい」のようにことばの意味を拡大化させ、使用の汎用性が高まるほど、複雑な感情を他者に伝える力が衰退していくのではないでしょうか。
情報の発信も受信もますます個人的となり、社会構成の基礎的単位である家族内でさえコミュニケーションが希薄となっているのではないでしょうか。

乳児はことばを使えません。だから泣いたり、笑ったり、全身を使ってボディランゲージで訴えてきます。
子どもは成長とともに、訴えたいこと伝えたいことは複雑化していきます。
思春期に反抗的な態度をとるのは、親からの精神的自立ということもありますが、親に訴えたい伝えたいことなどコミュニケーションがうまくいかない苛立ちも要因なのではないかと思っています。
子どもも親もことばで伝えられないイライラは、やがて「暴力」というボディランゲージになってしまうのではないでしょうか。

わたしたちは「ことば」で思考します。
コンピューターのように2進法で演算しているのではありません。
ことばで考え、ことばで伝え、ことばを受け取ろうとします。
聾唖者のひとも手話ということばでコミュニケーションを図ります。

複雑化する社会だからこそ他者とコミュニケーションを図るためには、伝えたいことを伝えられるだけの語彙が必要です。
豊富な母語の語彙がないまま、いくら外国語を勉強してもグローバル社会で役立つコミュニケーション力を持てるはずがありません。

国語を勉強しましょう。というつもりはありません。
小学生以下の子どもがいらっしゃるかたは、子どもにことばのおもしろさを話してください。
子どもの好奇心に火がつけば、あとは子どもがもっているすごい能力を信じてください。

わたしはいまも「ことば帳」というノートを机上に置いてあります。
ネット、新聞、テレビ、本、歌詞、とにかく気になったことばはノートに書くようにしています。
漢字やことばを覚えるにはキーボードはダメです。
必ず手書きにしましょう。
わかっているつもりの漢字や用語でも、案外書けなかったりしますよ。

読了いただきありがとうございます。































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