今年は選挙の年です。
すでに終わった愛知県知事選挙はじめ、4月7日投開票予定の県議会議員選挙、4月21日投開票予定の瀬戸市長、市議会議員選挙。
夏には参議院議員選挙も予定されています。
永田町スズメのあいだでは衆参同日選挙になるかも・・とささやかれているようです。
あなたは児童生徒(わが子)から「どうして選挙をするの」「なぜ投票に行かなくちゃいけないの」と聞かれたら、どのようにお答えになりますか。
「それはね、国民の義務だからよ」と答えた方、残念ながら違います。
日本国民の三大義務は教育・勤労・納税。
選挙投票の義務はありません。
日本は任意投票制です。
瀬戸市民の投票率は近年どの選挙でも60%に達していません。
しかし世界には投票を義務付けている国がたくさんあります。
特に罰則が厳しいのは、ベルギー・スイス・ルクセンブルグ・キプロス・オーストラリア・フィジー・ウルグアイなどで、罰金が科せられます。シンガポールは棄権すると選挙人名簿から抹消されてしまいます。
32カ国が義務投票制を採用しています。
話を戻して、「どうして選挙をするのでしょうか」
簡略していうと、国民が選挙を通じて意思決定した統治者と議員に、統治する権力を負託するためです。
統治するための権力を一人の人間、一つの政党だけで行うのが独裁政治です。
巨大で複雑化し多様な価値観や要望が出てくる現代社会では、全国民が集ったり投票で賛否を決定するよりも、ある意味専門家である政治家に権力を委ねようというのが間接民主制です。
それでは民主主義は素晴らしい制度なのでしょうか。
英国政治家ウィンストン・チャーチルは、
"It has been said that democracy is the worst form of government expect all the others that have been tried."
『民主主義は最悪の政治形態らしい、ただしこれまでに試されたいかなる政治形態も別にすればの話だが』と述べたのは有名です。
民主主義は制度としては素晴らしいが、運用はとても難しいと言えます。
専門的な知識を有しない国民が主権者であり、有権者が選挙で投票する政治参画によって「国民の意思」が決まる仕組みです。
国民を市民と置き換えれば地方自治体の政治を表します。
運用の具体的な問題点を考えてみましょう。
2004年に公開された「東京原発」という映画に、『なぜ、そう思うの』と問われると『昨日テレビで言ってたから』と口癖に返答する都庁職員が登場します。
昔と比べ、テレビや新聞など従来のマスメディアから情報は取らないという人は若者層を中心に増えています。
しかし、マスメディアから発せられる情報を信頼しているという日本人は、諸外国と比べて今も高い割合だと言われています。
テレビ番組で紹介された商品や商店は売り上げが増加する傾向があるそうで、『昨日テレビで言ってたから』はパロディで済まされません。
商売に対する影響力なら深刻に考えることもないでしょうが、政治の話となれば軽くスルーはできません。
テレビ番組で(局側がニュース番組だとしても)問題視するのは、キャスター(コメンテイター)が『国民の声は』と発言することです。どのような取材に基づいて「国民の声」としているのでしょう。
しかも「その声」とやらはキャスター(コメンテイター)の政治思想、あるいは制作会社の意図など、相当なバイアスが掛かっていると受け取れる『国民の声』です。
報道関係者は「国民の代表」ではありません。
報道関係会社の社員です。つまりサラリーマンです。
フリーランスのジャーナリストもいますが、ほとんど記者クラブには属せません。
私たちは報道関係者を「私たちの代表」と負託した覚えはありません。
そして何度も繰り返されることでやがて『国民の声』は刷り込まれていき、「そうだ国民みんなはそう思っているんだ」「わたしもそう思っていたんだ」という人が現れます。
さらに強く影響を受けると同調する意見(声)には快感を、同調しない意見には不和音を聞いたような不快感さえ感じるようになってしまいます。
今からおよそ100年前テレビは無かった時代に、米国のウォルター・リップマンは「人は見てから定義しない。定義してから見る」とし、人々が事実と思い込んでいるものは、実は特定のパターンにしたがって構成されている。あらかじめ持っている「ステレオタイプ」という、モノを見る目の習慣の型に、外界の現状を流し込んでいる。
マスメディアによりある種の固定観念のもとに作り上げた「擬似環境」という意識を土台にして物事を見ている。と警告しました。
現在も通用する分析です。
ご興味のあるかたは、岩波文庫「世論」上下巻を。
瀬戸では『ゲナゲナ話』というそうですが、「あることないこと」ならまだしも「ないことないこと」まで、さも真実のように語られることがあります。
「どこでだれから聞いたのですか」と問うと、大抵「みんなそう言ってる」という答が返ってきます。
当ブログで何度も書きましたし、言論広場HPの応援メッセージで児玉先生が言っているように、大事なのは「議論すること」です。
議論する力量で「まちづくり」が進捗していきます。
議論する力量で「政治家」は育っていきます。なぜか?
常に勉強し職責を果たしていないと当選できなくなるからです。
先日、数人で会食する機会がありました。
知人から地域のこと、議会のこと、行政のことを話し合いたいからと御誘いいただき、それなら堅苦しくしないで会食しながら気楽に語り合いましょうと提案しました。
そこでの会話から・・
(Aさん)市議会議員は連区の代表じゃないって聞くけど、やっぱり地域のことは身近なひとじゃないと・・。
(私)身近なひとを選んじゃだめではないけど、市内全体のことも考えてもらうように・・。
(B子さん)政治家は育てなきゃっていうけど、どうやって育てるのかわかんないです。
(私)議会傍聴ができればいいけれど皆さん忙しいですよね。議会は平日の午前から夕方にやっているんだから、現役世代が傍聴するのは難しいです。だけど瀬戸市議会はユーチューブで見られます。ご自分が投票した議員だけでもいいので、一般質問や委員会での発言をチェックしてください。そして議員個人や仲間の議員と議会報告会を開くように言ってください。そこに参加して「あの質問(発言)をした意図はなんですか」「それでそのあとどうなったんですか」と尋ねてください。それだけで議員には随分な刺激になりますよ・・。
(B子さん)そうかぁ、関心もって見てるんですよってプレッシャーかければいいんだぁ!(笑)
(私)そうです。政治家はどうすれば投票してもらえるかを何より第一に考えてますから。
(Cさん)第一に考えてるのは、まちや地域のことじゃないんですよねぇ(笑)
(私)政治家はこう言います。だって落選したらできなくなっちゃうじゃないですかぁ
(みんな)笑う・・・
市民のみなさんで話し合う(議論する)ことはとても大切です。
「輿論と世論」という本があります。
佐藤卓己氏著、新潮選書から出版されています。
この本には、
輿論(よろん)と世論(せろん)の意味は本来異なっていました。
輿論は正確な知識や情報をもとにして、議論と吟味(言論)を経て練り上げられるものであり、世論はたぶんに情緒的な感覚であります。
明治の知識人や言論界は『輿論は天下の公論、世論は外道である』と両者を的確に使い分けていた。
このように書かれています。
佐藤氏はふたつの概念は違うのに、世論を輿論として扱われて政治を動かしてしまうことを問題視したのです。
個人として持っていた「世論」が「輿論」に昇華されていきます。
このために必要なのが「議論すること」です。
うちの連区にはこのひと(議員)しかいないからよぉ~。
知ってるひと(議員)だしなぁ~。
チャーチルが懸念した民主主義の運用は、有権者の投票判断の源(理由)にあります。
3月定例会が市議会議員選挙前最後の議会です。
ひとりでも多くの市民が、ユーチューブをご覧になってから投票する立候補者をお決めになるように願っています。
現職議員以外の立候補者は印刷物や演説会などに注目してください。
首長、県議については別の稿で考えます。
民主制度は面倒だし、時間もかかるし、難しくて楽しくないことです。
しかし「まちを良くする」には他に術はありません。
あなたの議論力こそ「まちづくり」の原動力となります。
任せっぱなしで文句だけ言っても、まちは良くなりません。
今回も読了いただきありがとうございます。
次回は「政治家の特性」を考えます。
すでに終わった愛知県知事選挙はじめ、4月7日投開票予定の県議会議員選挙、4月21日投開票予定の瀬戸市長、市議会議員選挙。
夏には参議院議員選挙も予定されています。
永田町スズメのあいだでは衆参同日選挙になるかも・・とささやかれているようです。
あなたは児童生徒(わが子)から「どうして選挙をするの」「なぜ投票に行かなくちゃいけないの」と聞かれたら、どのようにお答えになりますか。
「それはね、国民の義務だからよ」と答えた方、残念ながら違います。
日本国民の三大義務は教育・勤労・納税。
選挙投票の義務はありません。
日本は任意投票制です。
瀬戸市民の投票率は近年どの選挙でも60%に達していません。
しかし世界には投票を義務付けている国がたくさんあります。
特に罰則が厳しいのは、ベルギー・スイス・ルクセンブルグ・キプロス・オーストラリア・フィジー・ウルグアイなどで、罰金が科せられます。シンガポールは棄権すると選挙人名簿から抹消されてしまいます。
32カ国が義務投票制を採用しています。
話を戻して、「どうして選挙をするのでしょうか」
簡略していうと、国民が選挙を通じて意思決定した統治者と議員に、統治する権力を負託するためです。
統治するための権力を一人の人間、一つの政党だけで行うのが独裁政治です。
巨大で複雑化し多様な価値観や要望が出てくる現代社会では、全国民が集ったり投票で賛否を決定するよりも、ある意味専門家である政治家に権力を委ねようというのが間接民主制です。
それでは民主主義は素晴らしい制度なのでしょうか。
英国政治家ウィンストン・チャーチルは、
"It has been said that democracy is the worst form of government expect all the others that have been tried."
『民主主義は最悪の政治形態らしい、ただしこれまでに試されたいかなる政治形態も別にすればの話だが』と述べたのは有名です。
民主主義は制度としては素晴らしいが、運用はとても難しいと言えます。
専門的な知識を有しない国民が主権者であり、有権者が選挙で投票する政治参画によって「国民の意思」が決まる仕組みです。
国民を市民と置き換えれば地方自治体の政治を表します。
運用の具体的な問題点を考えてみましょう。
2004年に公開された「東京原発」という映画に、『なぜ、そう思うの』と問われると『昨日テレビで言ってたから』と口癖に返答する都庁職員が登場します。
昔と比べ、テレビや新聞など従来のマスメディアから情報は取らないという人は若者層を中心に増えています。
しかし、マスメディアから発せられる情報を信頼しているという日本人は、諸外国と比べて今も高い割合だと言われています。
テレビ番組で紹介された商品や商店は売り上げが増加する傾向があるそうで、『昨日テレビで言ってたから』はパロディで済まされません。
商売に対する影響力なら深刻に考えることもないでしょうが、政治の話となれば軽くスルーはできません。
テレビ番組で(局側がニュース番組だとしても)問題視するのは、キャスター(コメンテイター)が『国民の声は』と発言することです。どのような取材に基づいて「国民の声」としているのでしょう。
しかも「その声」とやらはキャスター(コメンテイター)の政治思想、あるいは制作会社の意図など、相当なバイアスが掛かっていると受け取れる『国民の声』です。
報道関係者は「国民の代表」ではありません。
報道関係会社の社員です。つまりサラリーマンです。
フリーランスのジャーナリストもいますが、ほとんど記者クラブには属せません。
私たちは報道関係者を「私たちの代表」と負託した覚えはありません。
そして何度も繰り返されることでやがて『国民の声』は刷り込まれていき、「そうだ国民みんなはそう思っているんだ」「わたしもそう思っていたんだ」という人が現れます。
さらに強く影響を受けると同調する意見(声)には快感を、同調しない意見には不和音を聞いたような不快感さえ感じるようになってしまいます。
今からおよそ100年前テレビは無かった時代に、米国のウォルター・リップマンは「人は見てから定義しない。定義してから見る」とし、人々が事実と思い込んでいるものは、実は特定のパターンにしたがって構成されている。あらかじめ持っている「ステレオタイプ」という、モノを見る目の習慣の型に、外界の現状を流し込んでいる。
マスメディアによりある種の固定観念のもとに作り上げた「擬似環境」という意識を土台にして物事を見ている。と警告しました。
現在も通用する分析です。
ご興味のあるかたは、岩波文庫「世論」上下巻を。
瀬戸では『ゲナゲナ話』というそうですが、「あることないこと」ならまだしも「ないことないこと」まで、さも真実のように語られることがあります。
「どこでだれから聞いたのですか」と問うと、大抵「みんなそう言ってる」という答が返ってきます。
当ブログで何度も書きましたし、言論広場HPの応援メッセージで児玉先生が言っているように、大事なのは「議論すること」です。
議論する力量で「まちづくり」が進捗していきます。
議論する力量で「政治家」は育っていきます。なぜか?
常に勉強し職責を果たしていないと当選できなくなるからです。
先日、数人で会食する機会がありました。
知人から地域のこと、議会のこと、行政のことを話し合いたいからと御誘いいただき、それなら堅苦しくしないで会食しながら気楽に語り合いましょうと提案しました。
そこでの会話から・・
(Aさん)市議会議員は連区の代表じゃないって聞くけど、やっぱり地域のことは身近なひとじゃないと・・。
(私)身近なひとを選んじゃだめではないけど、市内全体のことも考えてもらうように・・。
(B子さん)政治家は育てなきゃっていうけど、どうやって育てるのかわかんないです。
(私)議会傍聴ができればいいけれど皆さん忙しいですよね。議会は平日の午前から夕方にやっているんだから、現役世代が傍聴するのは難しいです。だけど瀬戸市議会はユーチューブで見られます。ご自分が投票した議員だけでもいいので、一般質問や委員会での発言をチェックしてください。そして議員個人や仲間の議員と議会報告会を開くように言ってください。そこに参加して「あの質問(発言)をした意図はなんですか」「それでそのあとどうなったんですか」と尋ねてください。それだけで議員には随分な刺激になりますよ・・。
(B子さん)そうかぁ、関心もって見てるんですよってプレッシャーかければいいんだぁ!(笑)
(私)そうです。政治家はどうすれば投票してもらえるかを何より第一に考えてますから。
(Cさん)第一に考えてるのは、まちや地域のことじゃないんですよねぇ(笑)
(私)政治家はこう言います。だって落選したらできなくなっちゃうじゃないですかぁ
(みんな)笑う・・・
市民のみなさんで話し合う(議論する)ことはとても大切です。
「輿論と世論」という本があります。
佐藤卓己氏著、新潮選書から出版されています。
この本には、
輿論(よろん)と世論(せろん)の意味は本来異なっていました。
輿論は正確な知識や情報をもとにして、議論と吟味(言論)を経て練り上げられるものであり、世論はたぶんに情緒的な感覚であります。
明治の知識人や言論界は『輿論は天下の公論、世論は外道である』と両者を的確に使い分けていた。
このように書かれています。
佐藤氏はふたつの概念は違うのに、世論を輿論として扱われて政治を動かしてしまうことを問題視したのです。
個人として持っていた「世論」が「輿論」に昇華されていきます。
このために必要なのが「議論すること」です。
うちの連区にはこのひと(議員)しかいないからよぉ~。
知ってるひと(議員)だしなぁ~。
チャーチルが懸念した民主主義の運用は、有権者の投票判断の源(理由)にあります。
3月定例会が市議会議員選挙前最後の議会です。
ひとりでも多くの市民が、ユーチューブをご覧になってから投票する立候補者をお決めになるように願っています。
現職議員以外の立候補者は印刷物や演説会などに注目してください。
首長、県議については別の稿で考えます。
民主制度は面倒だし、時間もかかるし、難しくて楽しくないことです。
しかし「まちを良くする」には他に術はありません。
あなたの議論力こそ「まちづくり」の原動力となります。
任せっぱなしで文句だけ言っても、まちは良くなりません。
今回も読了いただきありがとうございます。
次回は「政治家の特性」を考えます。