瀬戸市民言論広場

明るい未来社会をみんなで考えるために瀬戸市民言論広場を開設しました。

敷衍

2018年03月05日 | お知らせ
たとえ私的なブログでも書かないと決めてきたことがあります。
一、首長行政のことは書くが職員のことは書かない。
二、議会のことは書くが議員のことは書かない。
三、主観的な意見は書かない。

言論は法令や統計、事例など、極めて客観的合理性を論拠に行うべし。
決め付け、主観は避けるべし。

しかしあえて主観を書くことにしました。

「これはあなたの意見に過ぎない。」
とのご批判は甘んじてお受けする覚悟です。

一般の市民が市役所庁舎に用向きで行かれても、恐らく気付かれることはないでしょう。
いつもと変らぬ応対で、いつもと変らぬ業務をこなす職員たちです。
そう、何も変ってはいないし、何が起こっているというのか。
気付かないのは当然です。
ご自分の用向きで訪れただけですから。

本稿は筆者がこの眼で見てきた瀬戸市役所(行政)の問題です。
それは見えないし、聞こえないし、触れません。
が、筆者の確信です。


伊藤市長は当選して間もなく、第6次総合計画の策定を1年後倒しにしてとにかく市民の声を聞くのだと突然職員に指示しました。
市内小学校区を単位に「輪談会」という市民との会合を設けました。
「輪談会」はときの情報課が名づけました。
予想より市民は集まらず、中学校区に拡大して半ば無理やりの会合でした。

このときすでに市長は二つの思い違いを犯していました。

リーダーである首長がやみくもに市民の意見を聴取してはいけません。
なぜならそのような会合は「陳情、要望」の場になってしまうのが自明で、しかも最高責任者である市長に直接申し立てたのだから、いつか叶うかもしれないと市民は期待するからです。
首長が市民に意見を聞くのは、あくまで自らの政策に対してです。
伊藤市長は「聞くこと第1」だけで自らの政策を示しませんでした。
もうひとつは、瀬戸市行政は基本構想を「最高位」とする条例に基づき事業計画を策定し政策、事務事業を展開しているからです。

突然発せられた市長の指示により、総合計画に空白が生じました。
「それがどうした?」と思われるかたもいるでしょうが、行政は合理性、整合性、継続性、無謬性で動いています。
基本構想の空白年度が生じてしまったので、行政執行部は急遽「中期事業計画」を法的根拠に事業を策定して予算を組み立てたのです。
「輪談会」に何人の市民が集ったかよりも、執行部にとって事業の継続や合理的論拠のほうがはるかに重要だったのです。


そのとき出てきた政策が「ブランディング」「シティプロモーション」です。
十分な協議もないまま、いわば生煮え状態で所管組織が作られました。
担当職員は先に事業ありきで仕事をしていかなくてはなりません。

さらに市長は図書館について、まるで市民の要望が叶えられるかのような発言をしました。
瀬戸市はもしも新しい図書館を建設するならこういう構想ですよ。と平成23年にまとめてあったにもかかわらず。

パルティせとは、構造上、図書の重みに耐えられませんし現在も国に建築費を返済中です。
完済するまでに建物の使用目的を変更すれば、国から全額返済を求められます。
産業技術研究施設だった瀬戸サイトも市の所有物件ではないにも関らず、まるで図書館として利用できるかのような発言を繰り返したのです。

新しい図書館建設に夢と希望を抱いた市民も多いことでしょう。

さらに突然市長から指示されたのは「男女共同参画社会」です。
全国自治体でこれに手を挙げたのは数箇所だけです。

庁舎4階大会議室で華々しく「キックオフ」が開催されました。

男女共同参画は大きな政治課題ですが、果たして地方自治体が重要政策として取り上げる課題でしょうか。
男女共同は全国1700自治体共通であり、国が扱う課題でしょう。

筆者はこれら事業の内容を問題視しているのではありません。
庁内コンセンサスなしのトップダウンで決められていったことが問題ではないかと考えています。

民主制度での政策は、表れた内容よりも意見の集約、合意形成の経過がどうだったのかが重要です。
専制君主制や独裁政治下ではコンセンサスやプロセスは無視されます。

選挙での投票という政治参画でその権能を負託された政治家は独裁権力を持ったわけではありません。
二元代表制の自治体行政における首長は、人事権、予算編成権、執行権など強力な権限を有するがゆえに、行政内でのコンセンサスとプロセスを軽んじてはいけないのです。

時々「若き改革市長誕生!」などとセンセーショナルに報道された自治体がその後うまくいかなくなるのも、首長がコンセンサスとプロセスを無視して急激に変革しようとしたのが原因とされる事例が多々あります。

ブランディングもシティプロモーションも男女共同参画も、空き家対策もそして日本遺産「六古窯」が産業政策となってしまったのも、十分な庁内コンセンサスが無いまま政策事務事業として市民に示されました。

政策は、まず企画担当から企画会議に発せられ議論されます。そして政策会議にボトムアップされ、改正点などを再び企画会議に降ろし、再検討の議論を経て、また政策会議にアップされ、という「プロセス」を経て、市民・議会に示されるという「手順」が何より重要なのですが、現市長はかなり恣意性が強い行政運営をしているようです。

ブランディングやシティプロモーション、男女共同参画等を担当している幹部や職員は、自分たちが「練り上げてきた事業」ではない、コンセンサスなく出された事業を所管させられているのが瀬戸市行政の現状です。

コンセンサスを軽視しトップダウンで表れた事業なので、その事業成果目的(アウトカム)は不明瞭のまま事業は「キャンペーン化」せざるを得ないこととなっているのです。

のぼり旗やカンバッチ、ポスターなど、これらはすべて「あるべき目的」を達成するためのツールでありキャンペーン、PRです。
キャンペーンそれ自体を目的化するのなら、それは代理店やエージェントの仕事であって自治体がすることではありません。

法定受託事務や健康福祉などの事業はその最終目的を設定するのは困難です。
子育てや介護、街の美観などはその最終目的を数値化できません。
だからKPI(パフォーマンスという指標)を設定します。
数値化できない事務事業も行っている点が、民間企業と自治体との大きな違いです。

しかし政策事務事業、産業政策は違います。
ある一定期間を経て目指すべきKGI(ゴール)を指標として設定できます。本来はそうしなければならないのです。

なぜか? 産業事務事業の最終目的は「歳入確保」にあるからです。

一部の議員は誤解しているようですが、自治体が企業誘致を目的化することはあり得ません。
企業誘致も歳入確保の手段に過ぎないからです。
議論するべきは、その企業誘致活動は採算が取れるのか?という観点です。単純に企業誘致を推進することが望ましいとするのは手段と目的が転倒しています。

ブランディングもシティプロモーションも、「産業」だとする日本遺産もKGIを設定しなければならないし、市長はそれを担当部署に指示して市民に説明するのが政治責任なのですが、いまだ「ゴール」は示されていません。
日本遺産はあくまでも文化として進められてきたのに、6市市長会で突然「産業政策だ」と化しました。

どこをどうすれば日本遺産が産業政策と成りえるのか、これもまた生煮え状態で所管が決まりました。

広報されているのは「キャンペーンとPR」だけです。
当然です。
意見集約して合意形成を図っていくというプロセスを経ていないのですから。

これらの素因はコンセンサスを取らず、プロセスを無視し、トップダウンで行政組織を動かそうとしている市長にあると断ぜざるを得ません。

さらにコンセンサスとプロセスを軽視した行政運営は別の問題をも発生させます。

企画会議や政策会議でコンセンサスを取れば、担当部署ではない職員も企画の意図や事業目的を共有できます。
加えて瀬戸市は首長が行政統制するために必要な「行政評価表」はありません。

どの事業はどこの部署でいつ、誰が担当し、企画意図や目的、進捗状況を表にして共有化するに有用なツールであり、首長はこれを元に事業のプライオリティを指示し予算編成に活かされます。
行政評価表は市民に公開され、議会議員はそれを決算審査などに利用します。

ここでも一部の議員は誤解されているようですが、行政評価や事務事業評価は首長と執行部が使うために作成され、それが市民に公開されるのであって、議会のために作られる資料ではありません。

法が議会に提出を義務付けているのは「決算に係る主要な事業の成果」です。

コンセンサスを軽視しプロセスを無視し行政評価表もない。この職場環境で移動が発令されています。
二年連続300人以上の移動が行われました。

来年度から組織を再編成して事務が行われます。
直轄組織は一昨年12月定例会での事件撤回後、庁内に設けられた事務改善委員会(全20回)のなんと18回目の会議で市長が言い出しました。
これまた突然のトップダウンです。
もし政策理念があってのことならば、委員会設置直後に提案するべきだったし、自らの理念を市民に説明し必要性を説いていただかねばなりません。

首長は最大の喧伝手段を持っています。
記者会見や広報せと、ラジオにケーブルTV。
政策に自らの理念があるのなら、あらゆるツールを駆使して市民に説明しなければいけません。
そしてそれができるのは市長ただひとりなのです。

役所の中は移動のためのダンボールが山積みです。
今回の組織改編に2800万円の税が使われます。

伊藤市長は「役所は決定に時間がかかる。遅い。」と市井で言われたようです。

どうやら思い違いをされているようです。

市民から強い要望がある課題解決のための政策、事業ならスピード感を持って実行するのも頷けますが、見てきたようにコンセンサスとプロセスを軽んじてまで急を要する事業などありません。

職員は首長政治家が指示した仕事を着実にこなしていこうとします。
たとえコンセンサスを無視した事業であってもです。

瀬戸市の職員移動は、転勤どころか「転職にちかい」と揶揄されるのも頷けます。

このことは職員の生産性低下を招きます。
当り前です。
業務引継ぎにどれほどの時間と労力を要するのかを考えれば容易く理解できます。

納税者市民は行政の顧客ではありません。むしろ「株主」に近いでしょう。
職員の生産性低下は株主にとって明らかにマイナスです。
最高責任者は首長です。


冒頭お断りしたように本稿は筆者の確信している「主観」です。

職員は決して胸の内を市民に明かしたりはしません。
市長からみて「犯人」などいませんのでご安心を。

しかし「一斑をもって、全豹を推す」のとおり、定点で観測している筆者には判ります。

筆者が最初に政治家と直に接したのは19歳のときでした。

その後、宰相はじめ国会議員や地方議員、自治体首長などおそらく100人は下らないほど政治家と会ってきましたが、政治家を好き嫌いで評価したことは一人としていません。

その政治姿勢、手腕、能力、そしてなにより人格で評価してきましたし、今も変らないと自負しております。

政治家として最も重要なことは、と問われれば、
それは「義理と人情です」と答えることにしています。
政治・行政は生身の人間が行う作為だからです。

そういうわけで、現市長も好き嫌いで評価したことはございません。

リーダーがやってはいけないこと。
責任を部下に転嫁するような言動。
権限を使ってトップダウンすることが効果的と決め付けること
そして、部下のモチベーションを下げてしまうこと。

残念ながら伊藤市政に該当することばかりでしょう。

絆がないから「絆がぁ~」といい、繋がりがないので「繋がりっ」と訴えます。
きっと聞く気などないので「聞くこと第1」とおっしゃったのでしょう。


今回も読了いただきありがとうございます。







































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