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投句のすすめ2

2024-04-02 | 日記
上記画像につき著作権上の問題がありましたら、削除します。
一応フリー画像から頂きました。


俳句の勉強をやり直して、ビックリ。
「一むらの竹の春ある山家かな」 高浜虚子
この句の季節はいつなのでしょうか?
春とありますから春ですよね。普通そう思いますよね。
ところが、この句は秋なのだそうです。
嘘でしょう。春と書いてありますよね。
なのに秋なのだそうです。
竹は落葉の季節に枝葉ともども青々としているので「竹の春」なのだそうです。
しっかり自然を観察しての季語なのです。
このような季語を「はすかいの季語」というそうですが、こんなの
知りませんでした。
再勉強というか、やり直したおかげで分かりました。
正岡子規の言う見たままの写生と言いながら、別の意味もちゃんと含んでいることもあるのです。
ちなみに上記の高浜虚子の句は山里のわびしい家にも幸福(春)があるのだという事を詠んだ句だそうです。
これは春という言葉の語感だそうです。
秋の季語でありながら、春という言葉を使って幸福感を詠んでいるのだそうです。
ええ、ええ、本当なのという解説ですよね。
知りませんでした。
もちろん、逆もあります。
「竹の秋」は秋という文字を使いながら、「春」の季語です。

そこで一句。

 「ランドセル手足が付いた竹の秋」

 ランドセルを背負った子供を後ろから見ると、手足しか見えないのです。
そんな子を見ながら、我が身は人生の秋になっているという感じなのですが、
そんなふうに詠めますかね。

4月3日上記句を修正。

「ランドセル手足が付いた」ではランドセルを物としてみてます。
ランドセルを見つめるのが竹ならば、ランドセルは植物。
なので

「ランドセル手足を生やす竹の秋」

の方が良いように思えます。

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