今回紹介する名句は後藤比奈夫氏の句集「喝采」2019年
嵐山映れる水に扇置く
後藤比奈夫氏は2020年に亡くなられている。
御年百二歳の時の唄である。
どうしても死を見つめての辞世の句と感じるのです。
軽舟氏の評では、「嵐山映れる水に」の「に」に味がある。茶席の山水画の前で居ずまいを正して、膝前にすっと扇を置いて掛け軸の山水を拝見する。あの呼吸を感じる。
こういうのを名人芸と呼ぶのだろうと評している。
しかし軽舟氏はなぜこの「扇置く」に「箸置くやうに」の句を連想・類想しなかったのだろうか。
金魚はこの句が何時詠まれたのかが気になった。
それは「箸置くやうに」の類想というか、影響を感じざるを得ないんです。
実は「箸置くやうに」は小川軽舟氏の句だ。
死ぬときは箸置くやうに草の花 (句集『呼鈴』2012年)
自分の唄の影響を隠して評しているとしか思えない。
なお、後藤氏は「嵐山」の句を夏の項に納められているという。
小川氏は「扇置く」を季語とする秋の句と詠みたいといいますが、
金魚は句集の夏の処に置いたのは、後藤氏の照れだと思います。
小川さんには、後藤さんの照れ隠しの気持ち、汲み取って下さいと言いたい。
秋の候に入れて、何かの際に秋の名句なんて書かれて、並べて掲載されたりしたら、恥ずかしいではないかと言う、後藤さんの苦笑いを連想するのは金魚だけでしょうか。
NHKラジオ文芸欄にて兼題「時計」で俳句を募集中です。
そこで一句、
掛け時計 音なく針無く 丸くなり
良いなと思ったら無季でした。
そこでお直しの一句
名月や 音針無くした 掛け時計 でどうでしょう。
もう一句
帰省子は 時計回りが 分からない
てな調子です。