背寒日誌

2019年7月12日より再開。日々感じたこと、観たこと、読んだことなどについて気ままに書いていきます。

時代劇とチャンバラ

2012年10月06日 19時56分49秒 | 日本映画
 映画がまだ活動写真と呼ばれていた頃、時代劇は旧劇と言われていた。
 旧劇は、新劇に対する言葉で、明治時代に西欧の翻訳劇が移植されて近代劇運動が起った時、これを新劇と言った。その頃は「赤毛物」とも呼ばれた。役者が西洋人のように毛を赤く(金髪、栗毛に)染めて、洋服を着て芝居をやったからだ。従来、芝居の出し物には、「時代物」と「世話物」があって、それに「赤毛物」が加わった。
 明治時代までは庶民の生活は江戸時代とそれほど変わらなかったので、今の言葉で言うと、時代物が時代劇、世話物が現代劇、赤毛物が西洋劇だった。昭和の初めごろから庶民の生活も西洋化していき、いわゆる「まげ物」(男がちょんまげをして登場する芝居)と「ザンギリ物」(男がザンギリ頭つまり短髪で登場する芝居)の過渡期を経て、「時代物」と「世話物」が時代劇、「現代物」が現代劇になった。その頃、旧劇と新劇と呼ばれていた。映画もその区分にならった。
 
 ところで、「劇」という言葉自体、江戸時代にはなかった。劇はドラマの訳語で、演劇も明治以降に出来た新しい用語にちがいない。昔は芝居と言った。今でも「芝居を見に行く」と言い、「劇を見に行く」とはあまり言わない。言葉の使い方として馴染んでいないのだ。「カツドウを見に行く」は「映画を見に行く」にすっかり変わって、今では何の違和感もないのに対し、「劇を見に行く」はなぜか変だ。それはもともと劇がドラマの訳語で、ドラマは見に行くものではないからであろう。
 考えてみると、「劇」というのも面白い言葉である。元来「はげしい」という意味で、その意味では、現在は「劇薬」という言葉くらいしか残っていない。「劇」は「激」の字に置き換わってしまった。たとえば、劇痛、劇務、劇震は、激痛、激務、激震と書くのが今では普通だ。
 それから、「芝居」というのも面白い言葉だ。芝生に居ることが元の意味だったらしいが、昔は能楽でも歌舞伎でも野原で見たのだろう。芝居小屋が出来たのは江戸時代からなのだろう。劇場は明治以降だ。

 時代劇の旧称の「旧劇」というのは、自らを卑下しているようで冴えない言葉だった。新劇に対して「古い芝居」を指し、新し物好きな日本人、西洋かぶれの日本人が見下しているような感じがあった。だからだろう、新劇という言葉はずっと使われたのに、旧劇の方は廃れてしまった。
 そこで、時代劇という言葉がはやり始めた。昭和10年代からであろう。この言葉は、「時代物」と「新劇」の合成語だと思うが、内容的には「世話物」も含んでいる。時代劇は、男はちょんまげ、女は日本髪で、どちらも着物を着て出てくる映画または芝居の総称である。歌舞伎の時代物の時代背景は鎌倉から室町時代がほとんどだが、時代劇の多くは江戸時代である。歌舞伎では「世話物」は江戸時代なので、時代劇は、ある意味では「世話物」とも言えるだろう。
 
 さて、時代劇にはチャンバラがつきものである。ただし、そうでないものもある。これを「チャンバラのないまげ物」と呼ぶ。時代劇の「世話物」であるが、時代劇の主流ではない。たとえば、近松の心中物や周五郎の小説を映画化したものの多くがそうだ。が、映画の場合、戦前も戦後も時代劇と言えば、チャンバラが魅力の中心で、クライマックスはチャンバラだった。時代劇俳優も旧劇時代からチャンバラがうまくなくなければスターになれなかった。阪妻、大河内、嵐寛(アラカン)、月形、千恵蔵みんなそうだ。林長二郎(のちの長谷川一夫)だけがチャンバラより美貌で売り、時代劇に女性ファンを増やしたが、それでもチャンバラを重視した。
 チャンバラは通俗的な言い方だが、正しくは「立ち回り」(「立廻り」とも書く)あるいは「剣戟」である。「殺陣(たて)」とも言う。要するに、言葉のさす中身は同じで、登場人物が刀(あるいは槍)で戦うアクションのことだ。
 時代劇では、チャンバラはいわばカタルシスの役割を果していた。カタルシスというのは難しい言葉で「魂の浄化」を意味するが、簡単に言えば「ウサ晴らし」、あるいは、欲求不満の解消である。鬱積していた心のしこりを解きほぐし、心の中の膿や毒素を吐き出すことだ。
 われわれは毎日の生活の中で、嫌なこと、嫌なヤツに囲まれ、それを我慢しなくてはならない。本当は、嫌なことは放り投げ、嫌なヤツはぶん殴ったり、抹殺したいと思っている。現実にはそれが出来ないので、日頃のウサが溜まってくる。それを晴らすにはいろいろなやり方やはけ口があるが、チャンバラにはその役割があった。過去形で書かなくてはならないのが残念だが、時代劇全盛期が終って、ヤクザ映画になっても、ラストの殴りこみにはそれと同じ効果があった。あれもカタルシスだった。映画が衰退してしまった現在、現代人はカタルシスを何に求めているのだろうか。テレビに求めるのは無理だ。
 時代劇にはチャンバラシーンが途中にも二度三度とあって、最後はすさまじいチャンバラがあって悪いやつらを叩き斬って終る。主人公が襲い掛かってくる相手をバッタバッタと斬り倒すシーンがあるのが常道である。そうでないとスカッとしないし、観客が満足しなかったからだ。時代劇は、主人公一人に対し多勢を相手にするチャンバラがほとんどで、ラストが一対一の対決で終るにしても、その前に何人か斬り倒してからというのが多かった。
 戦前のチャンバラ映画は、この10年ほどの間にたくさん見たが、ストーリーや映画の作り方は稚拙なものが目立つが、チャンバラは凄まじく、目を瞠るものが多い。必死でやっているといった迫力がじかに伝わってくるのだ。画面は小さく、無声映画にもかかわらず、である。阪妻も大河内も嵐寛もなりふりかまわず、倒れては起き上がり、起き上がってはまた倒れるといった立ち回りで、決して格好の良いといったチャンバラではない。大勢の捕り手や悪漢に取り巻かれた時など、特にそうだ。剣の腕が立つといったイメージではない。気迫と執念で相手に立ち向かうといった感じなのだ。その点ではむしろ、戦後の東映や大映の時代劇のチャンバラの方が型にはまっていて、格好をつけすぎている分、生ぬるい印象を受ける。内田吐夢の『宮本武蔵』の「一乗寺の決闘」の立ち回りは評価が高いが、昭和初期の大河内の『長恨』や阪妻の『雄呂血』の立ち回りはそれに勝るとも劣らないものだと思う。
 
 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿