背寒日誌

2019年7月12日より再開。日々感じたこと、観たこと、読んだことなどについて気ままに書いていきます。

作家の書いた作家論(その1)

2013年04月08日 00時47分14秒 | 
 最近読んだ岩波文庫で、広津和郎の「同時代の作家たち」が大変面白かった。作家の書いた作家論の中でも出色のものではないかと思った。作家論と言っても、その作家との思い出話を中心に書いているだけなのだが、それぞれの作家のイメージが彷彿として浮かび上がり、広津自身のその作家への愛着と愛惜が滲み出て、読んでいてとても心地が良く、文章も簡潔でうまいなと感服した。
 取り上げた作家との付き合いの長さや深さはまちまちで、宇野浩二のように若い頃から親友のような人もいれば、島村抱月のように早稲田大学の先生として何度か講義に出ただけで死んでしまった作家もいる。ほかに芥川龍之介、近松秋江、田山花袋、菊池寛、葛西善蔵、直木三十五、三上於菟吉、牧野信一、正宗白鳥、志賀直哉たち先輩、同輩、後輩さまざまである。
 相当深い入りした付き合いで、かなり凄惨なことを日常的な事件のようにさらりと書いているのは、宇野浩二との思い出である。宇野の頭がおかしくなり、広津が世話して精神病院に入れるまでの経緯なのだが、そこにもう一人の親友芥川龍之介が出て来て、芥川が自殺する前の様子も描いている。本書の中でも最も長い文章で90ページほどある力作である。
 宇野浩二との話はもう一編あり、これは宇野の文壇デビュー作「蔵の中」の成立事情を書いた小品である。昔私は宇野浩二の初期の作品を好んで読んでいた頃があり、「蔵の中」は大変面白かった記憶がある。それが、今頃になって、この小説のモデルが実は作家の近松秋江だったことを知った。この小説は、もともと広津が新潮社の編集者から聞いた話を宇野に書くよう薦めたことがきっかけだったというのだ。
 その近松秋江との思い出を書いた「手帳」という文章は、秋江という人の風変わりさをスケッチした佳作である。「手帳」という題名は、最後の話のオチでもあり、これがなかなか良い。
 「正宗白鳥と珈琲」もさりげない筆致で、白鳥の気難しさの中に潜む人なつっこさを描いた逸品だった。 もう一つ、「志賀直哉と古赤絵」も、骨董を介しての志賀との付き合いの中に志賀の人柄がよく描かれていて、好感を覚える。
 広津和郎のこれらの文章は、その作家と触れ合った当時からずいぶん時を経て、戦後になって書かれたものが多い。随想というより、広津自身は小説として書いたという。
 私は、広津和郎の書いた小説をまったく読んでいなかったので、先日、これも岩波文庫で「神経病時代」と「若き日」の二作が入っている本を買い、今「神経病時代」を読んでいる。この小説は、広津の文壇デビュー作であるが、独白小説でだらだらと当てもなく書いているので詰まらない。
 それと、ついでに宇野浩二の書いた作家論を読み始めたのだが、広津和郎の前掲書と比べると退屈で、宇野浩二は小説の方がずっと面白いのではないかと感じている。宇野の作家論は評論のように書いて、内容を詰まらなくしているように思う。それに対し、広津の作家論は小説のように書いて、作家を生き生きと描いているから、面白く感じるにちがいない。



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