背寒日誌

2019年7月12日より再開。日々感じたこと、観たこと、読んだことなどについて気ままに書いていきます。

直木三十五の大衆文藝論

2009年01月02日 11時19分46秒 | 
 直木三十五の随筆集を読んでいる。昭和9年4月発行、中央公論社版の一巻本で、638頁。六章から成り、「人の事、自分の事」「文壇風土記」「武勇傳雑話」「吾が大衆文藝陣」「大阪を歩く」「秋色漫想」の中に面白そうなタイトルの随筆が60編ほど収められている。
 元旦から、この本のあちこちを読んでいるのだが、「吾が大衆文藝陣」の章を全部読む。昭和初期の大衆文藝作家たちに対する直木三十五の歯に衣を着せぬ論評が切れ味抜群である。直木の筆致は激越で、遠慮というものがこれっぽちもない。仲間の作家たちをばっさばっさと斬りまくっていく。
 「大衆小説を辻斬る」(昭和7年)という随筆では、吉川英治も林不忘も白井喬二も長谷川伸も形無しで、一刀両断に斬られている。
 たとえば、吉川英治の「燃える富士」は、「萬事安手の書き流し」「出鱈目で不自然」である。直木先生、初めは「一杯茶をすすり、一服煙草をつけて、膝を正して読み出した」のだが、1頁読んでうんざり、「続けて読んで行く元気がなくなってしまった」そうな。
 白井喬二の「盤獄の一生」などコケコケである。「なってない文章」「天下の悪文」「こんな物が堂々と『文藝』と銘を打って通用するのだから呆れる外はない。」
 私は「燃える富士」も「盤獄の一生」もまだ読んでいないので、何とも言いようがないが、直木三十五の気焔たるや、すさまじい。よくもまあ、これほど舌鋒鋭い文章が書けるものだと感心。正月早々、直木の毒気に当てられながらも、痛快な気分を感じて読んでいる。


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