背寒日誌

2019年7月12日より再開。日々感じたこと、観たこと、読んだことなどについて気ままに書いていきます。

「親子という病」(読書日誌4月24日)

2012年04月24日 10時16分32秒 | 
 このところ、老人問題とか精神分析についての本をよく読んでいる。
 
 「親子という病」を三分の二ほど読む。講談社現代新書で、著者は香山リカ。売れっ子の精神分析学者のようだ。一ヶ月ほど前に文庫本で同じ著者の「サイコな愛に気をつけて――深層心理の恋愛学」を読んだが、なかなか面白かった。若い人向けの精神分析のマニュアル本で、視点が良く、説得力もあると感じた。
 日本人の学者が書いた心理学とか精神分析学の本は、だいたいどれもが物知り顔で、自分が学んだ学問を金科玉条的に振り回すので、好感が持てない。偉そうにああだこうだと人間の解釈をされると、そういうあなたはどうなんですかと言いたい気分になってくる。私は文学部を出た人間だが、学生の頃から心理学とか精神分析学とかを胡散臭いと思ってきたところがあって、いまだに信用できない。理屈っぽい宗教のように感じでしまうのだ。また、戦後の新進の心理学者たちは、社会心理学者も含め、行間からエリート意識が見え隠れして、どうも鼻持ちならない印象を受ける。
 それはともかく、売れ子の精神分析学者の香山リカさんは、あまり偉そうに書かないところが良い。また自己反省的で、上から目線ではなく、弱い自分を素直にさらけ出して書いているので、好感が持てる。
 「親子という病」という本は、タイトルの通り、現代の親子関係が精神病最大の温床であるといった前提で書かれている。そして、著者自身が女性であるため、スポットはとくに母親と娘との関係にあてられている。母親と息子の関係も書かれているが、分量的に少ないし、娘との関係とどう違うのかという論点はあいまいだ。
 著者が一番関心を持っているのは、母親に支配される娘の心理である。「支配―被支配」という図式で、母親と娘の関係を語るのはどうかと思うが、要するに、自分の思い通りに娘を育てようとする母親に、多少抵抗することはあっても主として従い、依存しながら生きてきた娘が成人後に精神的におかしくなってしまう症例が上げられ、それを元に現代の親子関係を論じているのがこの本の骨子だといえる。
 母性愛、母親の無償の愛といったものに著者は疑問を抱き、母性愛は一種の神話なのではないかと言う。母性愛神話に振り回されてはならないし、またそれがマスコミ的、政治的に利用されている風潮には注意すべきだと言う。
 ここからは私の感想。
 母性愛とか「愛」とかいうのは、概念、理念、理想であって、ごちゃごちゃ入り混じった人間の現実の感情を抽象したものにすぎない。心理学で言うコンプレックスとは複合的な深層心理であって、母性愛、嫉妬、支配欲、独占欲、劣等感、憧憬などいろいろな要素が溶け合っている深い井戸みたいなもの。つまり、渾然一体の状態が現実の姿で、人間の行為は、そうした深層心理に起因して生じることが多いというわけだ。だから、人間の行為というのはもともと不可解なもので、他人にも分らないし、自分ですら分らない。行為という結果しか目に見えないのだ。しかし、人間というのは臆病で不安をいつも抱えているのか、分析したり解釈したりして、人間の行為を理解しようと努める。理屈をつけて理解した気になれば、それで不安が解消するからだ。
 たとえば、中学生の男の子が父親を殺したとする。(この本の中でも紹介されているが、将棋指しの森安秀光九段が息子に刺殺された事件は今でも記憶に生々しい。とくにあの頃、森安九段はユニークな棋士で大変印象的だったので私のような将棋ファンにはショッキングだった。)
 心理学者に限らず、いろいろな人がこの親子の関係を分析したり解釈したりして、こういう理由があって、殺害したと結論づける。それで、一般の人も、ある程度納得して、安心したり用心したりして、事件を片付けることができるのだ。しかし、実際にはこの父親殺しは不可解なままなのである。
 
 もう一冊、「ひとりっ子の深層心理がわかる本」(KAWADE夢新書)を半分ほど読む。この本は、「ひとりっ子」の既成観念を取り除こうという意図をもって書かれている。著者の田村正晨(まさあき)氏は心理学者で大学の先生だが、論点に広がりがなく、ひとりっ子擁護論に終始しているので、今のところあまり面白くない。
 私自身は二人兄弟の弟だが、私の周りにはひとりっ子が多い。家内と娘はひとりっ子である。それで読んでみようと思い、購入したのだが、期待はずれのようだ。




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