時は永禄3年5月19日(西暦1560年6月12日)
「2万5千といわれる大軍を率いて尾張に侵攻した駿河の戦国大名である今川義元・今川氏真親子に対し、尾張の大名・織田信長が少数の軍勢で本陣を強襲し、今川義元を討ち取って今川軍を退却させた、日本三大奇襲(日本三大夜戦)に数えられる日本の歴史上有名な戦いである。」
wikipedeiaより
いわゆる『織田信長』が台頭することとなった戦である。
そんな桶狭間の戦いを信長様自身が再現するという。しかも当時と同じルートを辿って、だ。
それだけではない。名古屋おもてなし武将隊の陣笠隊四名を連れての出陣だと言うのだ。
我ら家臣、これだけでもテンションあがるというのに、さらにものすごい情報が信長様自身からもたらされた。
「馬に乗る」というのである。
ずーっと言いたくて、言いたくて我慢していたという情報とは
『信長様自身が馬に乗って出陣する』
ということだったのだ。
行かねばなるまい。そりゃあ行かねばなるまいよ!!!
ということで早朝5時過ぎ。in 清洲城。
まだ空は暗く、隣にいる人の顔さえよく見えないような暗闇。それでも既に相当数の人が集まっていた。
始発組も合流しはじめ、徐々に人が増えていく。
誰もが信長様の勇姿を一目見ようと、暗く、寒い時を、いまか、いまかと待つ。
第一部は6:20~6:45。
周囲がバタつきはじめた6時半頃。河村市長の第一声が響く。
演武で使われている曲が流れ出し、陣笠隊・一之助さんとなつさんが清洲城から飛び出してきた。
二人が説明を終え、はけていくそばから信長様が清洲城の中から現れた。
その姿に思わず息を呑む。写真を撮ることを忘れてしまった。
丸根砦からの伝令を聞き、打って出ることを指示する信長様。
その後、敦盛を舞い。
湯漬けを食し、馬を引けと言い・・・。
馬に乗った信長様の姿を観たときの、この心の衝撃をわかっていただけるだろうか。
そして撮れてなかったときの悔しさ、わかっていただけるだろうか・・・。
どうして自分の眼はカメラじゃないんだ!どうして保存できないんだ!!とつくづく思いましたよね...
清洲城から外に出て熱田神宮に向かうのかと思っていたら。
外に出て出陣の儀をやると。しかもフォトセッションがあると。記者だけかと思ったら一般でもよいと。
うぎゃー!となりながらも、その場所にいたものすごい人の数に押され、右往左往。
とりあえずなんとか位置を取るものの、何度も場所を移動させられたり、後ろも前も人がいて動くこともままならず。
押されながら移動したはいいけれど、基本一般人は立ったままですからして後ろに人がいても関係ない。
動かされて着いたところは目の前にどどーんと人が。
あまりに見えなくて泣きそうになりながら見えない見えない言ってたら、隣の人が気の毒に思ったようで、ここからどうぞと。本当に嬉しかった。ありがとうございます。
とはいえその方の場所を取るわけにもいかないので、一瞬だけビデオカメラをかざさせてもらい、すぐにひっこめました。その間15秒。
そこで撮れてたのはこんな。
これ見て初めて、どうなってたのかを知りましたよね(^_^;
そしてまた移動。現地では右に寄れだの、いや左だ、だの、言葉が飛び交っておりました。
どっちにしても人が多くて、簡単には移動ができなかったでする...
唯一Myカメラで撮れてたのはこれ。
あとは動画カメラでのショット。
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