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【日本100名城】別名:秀吉&家康ツアー(1)

2011年05月11日 00時25分55秒 | 100名城

さて今日からは少しずつ遡っていろいろ書いていこうかと。

わたくし、何も名古屋おもてなし武将隊をおっかけているばかりじゃありません(笑)
もともと武将隊に遭遇したのも、日本100名城の旅の一環で名古屋城に行ったからなんですよ。
今じゃ100名城どころか名古屋城一辺倒のような気がするのは“気のせい”ということで(^^;

日本100名城を巡る旅、今回はオフ旅行も兼ねて静岡へ。
はからずとも1日目は豊臣秀吉ツアー、2日目は徳川家康ツアー、となりました(笑)

<1日目・豊臣秀吉ツアー> 石垣山城→小田原城→山中城

秀吉に楯突く最後の邪魔者は後北条氏でした。
当時、北条氏は小田原城を拠点にしており、その小田原城を攻めるために突貫工事で作ったとされる一夜城、それが『石垣山城』です。↓


↓現在の石垣山城はこんな感じ。


現在地から二の丸へ。ここで井戸曲輪へ向かうはずが、二の丸の素晴らしさについ見惚れて、そのまま物見台→本丸と進んでしまいました(^^;)↓


↓本丸から見た二の丸


天守台はあまりに狭かったので感動少。軽く見渡した後、天守台から西曲輪へ急な石垣段を降ります。
でもってそこから二の丸を通り展望台へと向かえばいいのに、南曲輪の石垣段に惹かれ、つい降りていってしまうw

↓上から見るとそうでもないけど


↓下から見ると石段がガタガタ


結局見逃した井戸曲輪を見るために、もう一度登り直し(笑) 高低差がないからそれほど苦でもなかったけど。

まずは展望台へ。本来ここから小田原城が見えるはずが・・・見えない(T_T)
設置されている望遠鏡で見ても、どこに小田原城があるのか、さ~っぱりわからず。
結局帰りに半分ほど降ったあたりで、ようやく小田原城を発見。シンプルすぎてわからんかった~。
名古屋城みたいにシャチホコとかあったらわかるのにw

↓石垣山城下山途中の道から小田原城を望む(望遠で撮影)


ぼやきながらメインスポット井戸曲輪へ。
石垣山城は石垣はもちろんのこと、この井戸曲輪が見所だそうなのです。なのでドキ・ワクしながら行きました。

↓井戸曲輪


↓そういうわけね(=淀君化粧井戸)


たしかに見ごたえはあったほうだと思います。写真で見るとどうしても平坦な感じに映っちゃうけど、かなりの深さだし、近くまで見に寄れるし。

・・・そういうもんか。

※ちなみに石垣山城は100名城ではありません。あしからず。

石垣山城を堪能した後は、小田原城へ。
先に到着していた友達と合流し、まずは100名城スタンプを押印。いくつめだっけ?

↓小田原城


↓北条の家紋入り時計。時計といえば、岡崎城には徳川の家紋入り時計がありますね。

北条は結構好きな武将なので、見所ポイントもあるはずなんですが…。
時間がないのですぐ山中城へ(笑)
だって今回のメインは山中城だったんですもん

↓その山中城


山中城は北条氏が秀吉の攻撃に備えて作った城とされてます。城というと石垣を想像しがちですが、ここ山中城は石垣ではなく壕や畝でできた城。城というより広くて大きな砦ですね。
整備しているとはいえ、ほぼ現存のまま復元しているので見ごたえがある。
・・・はずだった(-_-;

整備しすぎちゃって、畝堀や障子堀よりも、周囲に植えられている木々(=盆栽だよ、あれは盆栽だー!)が邪魔なこと邪魔なこと
「史跡公園化」を目指しているせいで、せっかくの障子堀や畝堀が映えないの。
史跡公園って随所にあるけど、山中城ほど“もったいない”って思ったところはなかったなあ。

真田信之の居城「松代城」とかもかなり手入れされてるけど、風情があってよかった。

↓こんな感じ。盆栽っぽいでしょ?



期待が強かっただけに、なんか裏切られた感があったなぁ。
全体的に“キレイすぎる”城跡でした、まる。

↓最後に名物“かんずり団子”を食しました(^-^)



特に石垣山城を周ってるとき、「このとき家康様はどうしてたんだろうなあ」とか「清正様も駆けつけてたんだっけか?」とか、ついつい名古屋おもてなし武将隊のメンツで考えてしまうのでありました
もう開き直るしかないw

(2)へ続く♪



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