Senboうそ本当

広東省恵州市→宮崎県に転居。
話題は波乗り、流木、温泉、里山、農耕、
撮影、中国語、タクシー乗務、アルトサックス。

神武天皇伝説と城山公園(都城歴史資料館と狭野神社)

2021年11月25日 | 宮崎の観光情報

こんな素敵な場所なのに、あんまり人気がない、それが城山公園です。ゆったり広い敷地内に「都城歴史資料館(1989に開館)」と「狭野(さの)神社」があります。

駐車場から歩いてすぐのところにこの大手門がありますが、これはあくまでもレプリカ。かつての建築様式がどんな感じだったかは不明。私がここを知った経緯は、たまたまエアコン洗浄の現場がこの近くにあったので、時間調整のため駐車場に車を停めてトイレも借りて...だったわけですが、この先にどんな空間が広がっているのかずっと気になってた(当時はコロナの関係で資料館は閉館)

11月21日の午前。念願かなってこの門をくぐることができたわけです。天気は晴天。ちょうど紅葉のタイミングだったので石組みの階段をゆっくり上っていく時に目にした景色が最高でした。11月の肌寒い空気、静けさ、木漏れ日、はらはらと散る枯れ葉。

「都城」は永和(えいわ)元年(1375)、北郷義久の築城。残念ながら1615年の一国一城令により廃城。←というのが公式な解説ですが、実はもっと古い歴史があることが都城歴史資料館の展示内容で知ることができます。

※城域の総面積は約25ha。本丸を中心に、扇を開くように11の曲輪(くるわ)が展開する「群郭式城郭」。
※群郭式城郭:空堀で隔てられ、ほぼ同じ標高の曲輪が林立している南九州特有の築城様式。

 

そして「狭野神社」には神武天皇の伝説が語り継がれてます。「神武が軍備を養うために、この都島(みやこじま)の地を宮居とし、後に宮崎の宮に向われたと伝わる」。←ちょっと解説が必要ですね。そもそも狭野神社の元祖が西諸県郡の高原(たかはる)町にあります。神武の幼名は狭野尊(サノノミコト)。皇族の幼名は生まれ育った地名を付ける慣習があったのでここが出生地というわけ。宮崎の地理と照らし合わせると高原町~都城~美々津(東征へと船出した港)という経路が浮かび上がる。神武が都城に滞在したという伝承は信憑性が高い。

※経済圏として現在の都城市はたかが知れてますが、歴史を遡れば宮崎市なんか比べ物にならない(宮崎市には畑しかない?)存在感がありました。北九州エリアからも鹿児島からもアクセスが良かったこと、広大な盆地で畑作に都合がよかったなどがその理由。

 

せっかく都城まで来たので、帰りは三股町にある牧之原古墳群にも立ち寄りました。広大な畑の片隅、牛小屋と養豚場が目印。関連情報のリンクを貼っておきます。
  ↓
髪長媛像・牧之原古墳第一号
カリバ旅行記  2020-12-19

 

 

 

 

 


コメントを投稿