Senboうそ本当

広東省恵州市→宮崎県に転居。
話題は波乗り、流木、温泉、里山、農耕、
撮影、中国語、タクシー乗務、アルトサックス。

2003年SARS感染の北京滞在記(その5)

2021年07月31日 | 2003年 北京再訪

2003年の4月に私が北京に1か月間滞在、写真撮影を行った時の話です。と言っても、今回は記事も写真もその当時HPで公開済み。その後非公開となったままでしたが、いろんな意味で読みごたえがある。新たにコメントを追記した状態で復活させます。たっぷりあるので8回に分けます。

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北京で実感した労働意識

 底辺の人々からは愚直と言えるほどの“勤勉さ”や、何でもありの競争社会を生き抜く“タクマしさ”を感じました。特に目についたのは若い女性の仕事ぶりです。この国に労働基準法は無いのでしょうか?食堂にしても理髪店にしても定休日が無く、従って店員に休日はありません。(いや、彼らも交代で休みを貰っているはず~とのご指摘を受けました)胡同に暮らす人の中でも、かつて人民解放軍で活躍した軍人の子息にある人たちはまた違います。ちょっとした管理職にありついて「半年働いたら残りの半年は遊んで暮らす」だとか「麻雀が一番の収入源」なんて話もありました。(このあたりの言い回しは、お決まりの冗談だそうで信憑性は低いそうです)そのどこまでが本当の話かは分かりませんが、共産社会特有の“おっとり”とした空気を感じます。日本では勤務中にボーッとしてるとすかさず “給料ドロボウ” 呼ばわりですが、旅館の従業員の仕事ぶりを見る限りでは “必要最低限の職務” だけこなして、あとは客の目も気にせず遊びほうけていられます。

 食堂や商店には規模に似合わず店員がたくさん居ますが、あまり積極的に仕事をしてる風には見えません。そういう仕事はたいてい地方の貧しい農村から出稼ぎに来た娘がやっているらしく。何でもかんでも人件費が安い~わけではなくて “頭数を揃えるだけなら安く労働力を確保できる” という事なんだと思います。

 

日本人が消えた?

 SARSの被害を恐れ、ゴールデンウィーク以前にすでに多くの日本人が北京から緊急帰国していきました。留学生に関しては4月25日前後で大学が休校状態に入るとまっ先に女性陣が母国に呼び戻され、留学生寮の閉鎖にともない男性陣も帰国していきました。留学生が後に中国へ再入国するためには、本来 “一時帰国の手続き” が必要なのですが、その後の中国政府の発表で “就学を証明するものがあれば再入国可能” という特例措置が取られました。5月に入って、北京の街中で日本人を見かけることはまずありませんでした。友達の中国人が勤めている日系の建設設備会社では、日本人スタッフ全員が帰国してしまったそうです。まさか北京にいた日本人全部が帰国したとは思えませんが、のんきに出歩いているのは僕だけだったのかも知れません。

 そう言えば、一人だけ日本人を見かけました。王府井で撮影クルーを引き連れて取材していたテレビ東京の若いディレクター。近寄ってこちらから声を掛ましたが “他人との接触を極力避けたい” そんな冷たい対応しか返ってきませんでした。マスクを掛けて警戒する彼の目が印象的でした。いくら僕が汚い恰好してたといっても、あれは過剰に反応し過ぎだと思うな。

 

胡同の袋小路

 築100年にもなる石造りの家屋が今も現役で残されている下町。トイレは未だに公衆トイレを利用している。お風呂も見あたらなかった。鄭さんの部屋はワンルームだが、部屋の隅っこに1m四方をセメントで固めた湯舟があって、そこに水を溜めて入浴するのだそうだ。街頭で散髪を引き受ける張さんの部屋はさらにひと回り狭く、そこに叔母さん家族と一緒に暮らしていた。ちょっと慣れてくると胡同の中にある路地を横切ることを覚えてくるが、それでもたびたび袋小路に迷い込むことがあった。どこも道幅は狭く、自家用車が1台通るのがせいいっぱい。さらにその奥は長家がジグザグにつながっているという感じで、人がすれ違うのがやっとの狭い通路に続く。こうした袋小路は20世帯前後の “コミュニティー” を自然形成している。

 現在求職活動中という鄭さんは、毎晩のように隣人とバーベキューだとか麻雀、将棋を楽しんでいた。そこに老若男女の壁は無い。日本の学校でいじめや校内暴力が後を絶たないのは、こうした環境を切り捨てて家庭を孤立させてしまったからだろうか。僕は胡同での濃厚なご近所付き合いが羨ましいと思った。

 これら北京中心部にある胡同は約1年後に取り壊しが計画されている。住人たちは郊外に新たに建設される高層マンションへ立ち退かなければならない。広くて清潔で快適な住環境を手にすることができたとしても、なんだか寂しい。

 

携帯電話

 王府井のあちこちで携帯電話を扱うショップを目にしました。おみやげ屋さんにも携帯電話用にデザインされたかわいいフォルダーやストラップなどがたくさん並んでいます。アレ?と思ったのは携帯電話のサイズが、日本で使われているものに比べコンパクトだったこと。約1/2の大きさで、だからと言って機能的には何の問題もないように思います。カメラ機能だとかムービー対応についてはまだ商品化されてないようですが、それが世界のスタンダードになるかどうかは疑問です。

 日本もかつてそうであったように、通信事業は国営企業が担っているようです。毎日うんざりするほど携帯電話や通信サービスの広告を浴びせられる日本と違ってごくたまに屋外広告を見かける程度、テレビCMでは一度も見かけませんでした。日本ではあいかわらず “携帯電話” と “キャッシング” のテレビCMばかりが元気ですが、これって何か変だと思いませんか?

 

 

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