わしやま

実験的に楽しく、まじめに書き込んでいるブログです!以上書き込み責任者:やましたじゅんいち

いつかきっと夢がある

2010-12-28 23:28:00 | わしやま音楽祭Vol.12
お届けするのは

ウルフルズ「明日があるさ」

本日はトータス松本さんのお誕生日ということと、今日で今年の仕事が終わった方への「おつかれさま」の意、そうでなくにぎやかになる年末年始の影で働いている方への応援の意をこめてあっぷしました。

この曲は2001年21枚目のシングルとして、前作『夢』から約2年ぶりのリリース。

坂本九の「明日があるさ」を2001年の社会情勢にあわせて歌詞を一部変えたほぼカバー曲。

同年、Re:Japanとのコラボレーションで再び『NHK紅白歌合戦』への出演を果たした。

「ガッツだぜ!!」「バンザイ 〜好きでよかった〜」のブレイク後、人気もしばらく落ち着いたウルフルズだったが、このシングルで再び人気を盛り返した。

初登場順位は5位だったが、徐々に人気を博し、その後5週連続で4位になるなど50万枚以上を売り上げた。実に「かわいいひと」以来、6作ぶりのオリコンTOP10入りと売上10万枚を記録した。

2010年現在、ウルフルズの最大ヒットシングルである。

2009年に無期限の活動停止に入りましたが、

その中で、高井麻巳子(元おニャン子クラブメンバーで現在秋元康の妻であり秋元康事務所監査役)と同じ生年月日であり同じ潜在能力であるトータスさんですが、ソロ活動に入り、本日は単独ライブ「ハイウェイマイウェイ」ツアーで大阪にいて、今はライブを終え、関係者らと酒を飲み交わしお誕生日祝いをし、べろんべろんになっているとことでしょう・・・


「おめでとうございます」

嵐を呼ぶ太陽な男(沢尻エリカはお釈迦様!第26回)

2010-12-28 23:25:00 | 沢尻エリカはお釈迦様!
2010年あと3日ほどになりました。

まずはこの曲から。


本日は、渡哲也さん同様、渡さんを弟のように慕い事務所(石原プロ)に誘った「嵐を呼ぶ男」石原裕次郎のお誕生日ということで、彼の人物像と潜在能力について触れていきます。

日本のアイドル、マルチタレントであり、俳優・歌手・声優・司会者・モデル、実業家として活動。石原軍団総帥、石原プロモーション元代表取締役社長兼会長。多摩川サケの会支持者。マスメディアからは昭和の太陽(一般的に日本人(中)で最も愛した(された)男)と称される。

1934年に神戸で生まれ、父親の仕事の関係で小樽、逗子と海のある街で育った彼であるが、

人物として。

デビューは髪型モデルとして知られている。

兄の影響により、ヨットにかける情熱は俳優活動よりも強かったともいわれる。

父が亡くなったショックから自暴自棄になり、家から金目の物を持ち出しては換金し、その金で銀座などへ繰り出す遊行三昧の日々を送っていた、そんな頃に水の江瀧子より「太陽の季節」の映画化を促されていた兄である石原慎太郎は弟を心配するあまり、「裕次郎って弟がいるんだけど、遊び人でどうしょうもない奴で…弟を出してくれるんなら」という条件を提示すると水の江はその条件を呑み、脇役ではあったが裕次郎は同作品で俳優デビュー。主演格に匹敵するダイナミックな存在感で注目されることとなる。裕次郎本人は「太陽の季節」への出演は至って遊び感覚で、迎えの車に乗り初めて日活撮影所へ降り立った時は素肌にヨットパーカーを羽織り、海水パンツにゴム草履履きといったそのいでたちに、その場に居合わせた宍戸錠と小林旭は「何だ!ありゃあ~!?」と仰天したという(TVでの小林旭談)

ハワイで過ごす芸能人の先駆けとなった人物でもある。


力道山と三橋美智也と彼の3人しか所有していなかったと言われるメルセデス・ベンツ 300SL(〈W198〉ガルウイングクーペ。シートは深紅。車体はシルバー)を所有していた他、ロールスロイス(シルバースピリット)やキャディラックなど複数の高級車を所有するカーマニアであった。

俳優業について、しばしば「男子一生の仕事にあらず」と語っていた。しかし彼には「人の悪口は絶対に口にするな、人にしてあげたことはすぐ忘れろ、人にして貰ったことは生涯(一生)忘れるな。」というポリシーがある。

困っていることがあると自ら率先して動くタイプであった。そのためもあって広い交友関係を楽しんだ人物で、(スポーツ界や政財界等を問わず)誰かに会った時は必ず、上下関係分け隔てなく挨拶のときは立ち上がり、握手をするという礼儀正しさでもよく知られていた。

食通で、懐石料理・カレーライス・ビフテキ、葉山コロッケなどを好み、和洋中問わず好物は多かった。また、料理好きでもあり、別荘やヨットハーバーでバーベキューや手弁当を楽しんだ。嫌いな物は鶏肉だったという。大病後は夫人の食事管理の下玄米のパンと野菜サラダのみの生活を送っていたという。また晩年には毎日30錠の薬を規則正しく服用し、食事制限(特に塩分制限6g、小さじ1杯)も実行したとも言われる。

性格として今で言う体育会系の気質があり、車の中や外、店の隅(外)・店内で運転手を待たせることや、自分の車の中に1人でも人が残ることを嫌っていたという。また人前で喰べたりすることも嫌っていた。

石原プロの炊き出しは彼が考案したものである。

チェーンスモーカーであり、また大病を患う前は、休暇中には朝食にビールを飲むほど(撮影所には、「ビールは酒ではない、水である」という名分で冷蔵庫が置かれていた)の酒豪であった。(事実赤坂東急ホテルのバーカウンター端の席で飲んで、その後飲食街に繰り出す事が多かった。)大動脈瘤手術後は身内のパーティではビールをコップ1杯程度にしていたといわれ、喫煙も控えていたが、甥の良純によるとハワイの別荘で夫人の目を盗んでの「お相伴」に付き合わされたという。

台詞覚えが悪いことで知られ、台本を開いた状態で机の中に置いて演技を行ったこともあるという。その代わり、NGを出すことはほとんどなかったともいわれる。

『紅白歌合戦』には「歌は素人」という理由で毎年辞退していたといわれている。

1965年には国粋会のピストル密輸事件に絡み家宅捜索を受け、後に銃刀法違反で有罪となる。

石原プロモーション所属の俳優達からはもちろん、『西部警察』で共演した三浦友和及び柴俊夫らからも『石原社長』と呼ばれていた。とくに石原プロが倒産の危機のときには家のない社員全員に家を建ててプレゼントとしたことがある。

国民栄誉賞はもちろん、出身地の兵庫県知事賞なども貰っていない。

夫人との間に子供がなかったため、甥の(兄・慎太郎の三男)石原宏高を養子にしたがっていたとも伝えられる。

宝酒造が製造する日本酒「松竹梅」の文字は彼の手によるものである。

まだまだ伝説はありますが、今生きていたなら、映画、TVドラマ、歌、アニメ声優でなく、舞台、お笑い系バラエティ番組に出て、大スターならではの心の広さで、才能の幅を広げていたのだと思います。

そんな嵐を呼ぶ男の潜在能力は、生年月日1934.12.28より

8・・・「直感・テレパシー・おしゃれ(家にある服だけで着こなせるさま)」、

4・・・「勇気・決断力」、

3・・・「ロマン・器用さ」で、

さまざまなジャンルにおいて、才能を発揮する力があり、家族・友達・関係者など大切にする人であり、どんなにどん底に
あったとしても、周囲の支えなど乗り越えたりし、そのありがたみを持って歩いている。

ラッキーカラーは「黄」。


石原裕次郎と同じ潜在能力仲間の有名人(点火法数字843)

倉里麻未(プリスタル所属のアイドル:視力が弱く、コンタクトレンズか眼鏡を常用としているため、グラビアでは意図的に眼鏡っ娘キャラで売り出すことも多い。最近はブログでは眼鏡をかけている所は多く見るが、仕事ではコンタクトを使用する方針でいくようだ。2006年からはアイドルユニット・ピュアリティーズのメンバーとして活躍。イラストが得意で、本人のDVD発売記念イベントで自分の描いたイラストをファンにプレゼントした事も。 趣味はカラオケ、卓球等。今は何をしてるのだろうか・・・連絡待ってます。。。)、豊田裕也(元俳優;愛称は『トヨ』。趣味 : スポーツ/映画鑑賞。特技 : バレーボール/野球。2010年9月29日付けの本人ブログにて、芸能界を引退することを発表した。引退の理由は、俳優の他に実現させたい夢があり悩んだ結果、その道に進むことにしたとのこと。なお、その夢については具体的には明言されていない。)、濱田崇裕(ジャニーズ事務所所属の俳優;兄弟は姉が2人と兄が1人。実家が農家であるため、特技はトラクターの運転。天然な性格である。関ジャニ∞の丸山隆平を尊敬している。中田大智とは、同期であり入所当初から一緒のグループで活動している相方的存在である。関西ジャニーズJr.内で、歌に定評のある中の一人である。ダンスも上手い。内博貴のコンサートをきっかけにギターを始め、Rockな仲間たちではギターを担当している。また、以前からアコースティック・ギターは弾くことができ、『関西ジュニア青春バス』で披露したこともあった。幼い頃にCMソングを歌ったことがあり、その際に作曲家の平尾昌晃から頂いたペンを現在も持っている。)、藤岡康太(JRAの騎手:父は栗東所属の調教師の藤岡健一、兄の藤岡佑介も騎手。趣味は音楽鑑賞。座右の銘は「向上心」。目標としているのはランフランコ・デットーリ騎手で、競馬学校時代の一番の思い出はサマーキャンプである。)、松山まみ(アートプロダクション所属のタレント;インドア派で、オフの日は家でごろごろするのが好き。もっぱらゲームをやったり、漫画を読んだりして過ごしている。憧れの存在は安室奈美恵で、将来的には歌の仕事もやりたいと度々発言している。 自分でも発言しているが普段からマイペースで自由気ままに行動するところがある。 デビュー当時に出演した番組『グラビアの美少女』では、東北訛り全開のトークがアイドルファンの間で注目を集めた。現在は上京からしばらく経ち、普段の喋り方は標準語になっている。5人兄弟の末っ子。子供の頃はお転婆で、近所の年下の男の子を都合よく使いっ放しにしていたという。また田舎育ちゆえ、虫などを殆ど怖がらない。逆に取材で「今度はカブトムシの幼虫の揚げたやつを食べてみたい」と発言するなど、大胆な神経の持ち主。今は何をしているのやら・・・連絡待ってます。。。)、ネヴェン・スボティッチ(セルビア、バニャ・ルカ出身のサッカー選手。ボルシア・ドルトムントに所属する。ポジションはDF。 セルビアとアメリカの国籍を所持しているがセルビア代表を選択している。空中戦に強くセットプレーから得点を記録することが多い。)、三輪麻未(オスカープロダクション所属のデルモ;趣味はラグビー観戦、ホットヨガ、資格は普通自動車運転免許、特技は整理整頓。3歳の時、子役デビュー。その後、2001年、ファッション雑誌ピチレモンの第4回専属モデルオーディションでグランプリを受賞し、ファッションページはもちろんの事肌が大変きれいな事より、ビューティープリンセス麻未と命名され、ピチレモンのモデルとして2001年~2006年まで毎月レギュラーで登場して人気を得た。 ピチレモン卒業後は、ファッション雑誌Popteenのレギュラーモデルとなり、Popteen登場からわずか3ヶ月で表紙を飾った。 2010年6月より、EDGE STYLEのレギュラーモデル。詳細はアメバブログにて)、谷ちあき(プロマージュ所属のデルモ。趣味:カラオケ 特技:バレーボール、料理、フラフープ 。好きな食べ物…チーズ料理。夢は世界のチーズを食べ歩くことらしい。嫌いな食べ物…ない。昔は食べられないものがいろいろとあったらしい。 大のディズニー好きで、特にティンカーベルが好きらしい。好きな色はピンク。自身の部屋も全て濃いピンクで統一されている。詳細はアメバブログにて)、藤森麻由(スタッフアップ所属のアイドル;趣味はプリクラ、カラオケ。特技はバレーボール、習字、お囃子太鼓叩き。詳細はアメバブログにて)、松永裕子(スターダストプロ所属の俳優;趣味は映画鑑賞、散歩、ソリティア。特技は短距離走、人の顔を覚えること。)、グレゴリー・メリマン(オーストラリアシドニー出身の男性フィギュアスケートアイスダンス選手;2007-2008年シーズン以来オーストリア選手権優勝3回。)、中村宝子(慶応大学陸上部所属の短距離選手;「子は宝」から「宝子」と名付けられた。)、小西美希(元クリエイティブビジョン所属のデルモ;生まれは鹿児島県だが、すぐに千葉に引っ越したため、プロフィール上では千葉出身を名乗っている。趣味は料理、テニス。特技は陸上競技。連絡待ってます・・・)、堂上静華(フィットワン所属のアイドル;左利きである。現在ブログ停止中状態で今は何をしているのだろうか・・・)、マイリン・ハウシュ(ドイツ出身の女性フィギュアスケート選手(ペア);2010年バンクーバーオリンピックドイツ代表。2009年オンドレイネペラメモリアル優勝)、辻井伸行(ピアニスト;2009年6月7日、アメリカで開催されたヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールで優勝した。中国人ピアニスト張昊辰と同時優勝の形。日本人として初の優勝で話題となり、彼が演奏した曲が収録した全CDアルバムがオリコンアルバムチャートでTOP100に入る現象が起き、7月13日に台東区民栄誉章受章した。海外での活動も行っており、カーネギーホール・ワイルリサイタルホールにてアメリカ・デビュー。ロシア(モスクワ音楽院大ホール)、チェコ、台湾などで演奏。生まれつき全盲でありながらピアノとともに人生を渡り歩き、1999年より今日までの活動をテレビ朝日が取材し続けており、その様子は『ニュースステーション』や『報道ステーション』などを通じて紹介された。2002年にパリで佐渡裕指揮、ラムルー管弦楽団との共演を果たし、14歳でフランス・デビューを飾った。現在は世界を復にかけコンサートツアー中。詳細はオフォシャルページにて。)、ヴィクトリア・ヘルゲソン(スウェーデン出身の女性フィギュアスケート選手(女子シングル);ISUグランプリシリーズ出場2回。スウェーデン選手権優勝4回(2006-2009年)。2009年エイゴンチャレンジ杯、2010年ノルディクス、2010年メラーノ杯優勝。)、木村文紀(埼玉西武ライオンズ所属の投手;最速150km/h超の直球が最大の武器。変化球はスライダーを軸にしており、他にフォーク・チェンジアップも投げる。)、武川アイ(アメニティ所属のシンガーソングライター;レーベルはエイバックス。父親はゴダイゴのタケカワユキヒデ。趣味 料理。あと恐竜好き。 長所 嫌なことは寝れば忘れる?的な。笑 。短所 細かい事は気にしない〜。ちょっと自慢できること 体力あります。最近ハマっているものは? ブログ!韓流ドラマ。あはっ。まず家に帰ってすることはなに? 手洗い。うがい。大切です。笑。 平均睡眠時間は? 6時間くらいかね~。口癖は? みたいな。とか、確かに。とか。。。 何フェチ? 匂い。声。座右の銘は? 明日は明日の風がふく…今はまだ解らん、悩むでない。だよね。集めてるものは? 私の音楽を好きだって言ってくれる人たち、集まればいいなぁ。Sですか?Mですか? Mです。○○なタイプです だいぶよくしゃべるタイプです。好きな食べ物は? 『ハリボー』のグミ。チョコもかなり好き。ライブん時は白米。 嫌いな食べ物は? 甘いしいたけ・・・あと!ピザのパイナップル許せません。笑。好きなスポーツは? バスケ。バレーボール。卓球。ボーリング。ダーツ。好きな男性タレントは? リチャード・ギア。好きな女性タレントは? アイドルみんな!笑。好きなアーティストは? Carole King 。好きなマンガは? ホイッスル!好きな雑誌は? ないかな~。好きな本 アルケミスト。好きな映画は?RWARS!!!!!!!!!! 好きなテレビ番組は? ドキュメンタリー系が好きですね 。好きな曲は? So Far Away, I'll Be There etc。好きなゲームは? マリオカート。 好きなブランドは? な~い 。好きな車は? スポーツカー的なのはいいよね。好きな場所は? 自分の部屋。ステージの上。 好きな動物は? 恐竜。好きな休日の過ごし方は? 作曲、それか運動。好きな色は? 赤。好きな言葉は? 全力。好きなタイプは? 好きなことを精一杯やってる人 。嫌いなタイプは? 心があんま広くない人)、重盛さと美(アヴィラ所属のタレント;滑舌が悪いことをネタにしている。『エンタの神様』ではこれを利用したネタを披露していた。
27歳無職の兄がいる。動物のモノマネが得意である。レパートリーはゾウや犬の鳴き声、盛りのついた猫など。『となりのトトロ』のメイのものまねができる。公称バストは82cmだが、11月20日放送分の『めちゃイケ』で行われた身体測定で、サバ読んでいたことを自ら告白した(実際はAカップとのこと)。家族そろって大の巨人ファン)、池田彩(ユニオンミュージックジャパンの歌手;特技はいっこく堂のモノマネ、。「ハートキャッチプリキュア!」OP曲を歌っています♪2010年大晦日キングラン アニソン紅白2010に登場します。エキサイトブログ、ツイッター配信中)、フェデリカ・ペレグリニ(イタリアの競泳選手;女子200mと400m自由形の世界記録保持者。ミラノ出身。身長178cm。体重68kg。新聞表記はペレグリニだがペレグリーニと呼ばれることもある。)、フルール・マクスウェル(ルクセンブルクデュドランジュ出身の女性フィギュアスケート選手)、金井美樹(俳優;高校時代は吹奏楽部に所属し、テナーサックス・アルトサックスを吹いていた。ピアノ、バイオリン、サックス等演奏できる。脚本家の井上由美子を尊敬している)、竜童(東京都出身のデルモ;国籍は日本とフランス。レプロエンタテインメント所属。趣味は服のリメイク。特技はギター、フランス語。)、ハン・スンヨン(KARAのメインボーカル;愛嬌を可愛く表現できるタイプ。しっかりしている。趣味は読書、映画鑑賞(アニメ)、電子製品収集。中学2年から高校1年半まで、アメリカのニューヨークとニュージャージーに留学。好きな日本の有名人は松本潤、戸田恵梨香、阿部寛。笑顔が安田美沙子に似ているといわれている。)、狩野舞子(セリエAパピア所属のバレーボール選手;母親・姉も、八王子実践高校のOGである。2009年5月21日放送の『ナインティナインのオールナイトニッポン』(ニッポン放送)で、リスナーから岡村隆史の彼女や結婚相手として狩野を推薦するハガキが届き、そこで岡村が狩野を気に入った事を受け、翌週5月28日の同番組では、狩野から岡村へのコメントが放送された。 Mr.Children、特に桜井和寿のファンであり、いつかはライブに行きたいと公言している。木村沙織とともに、徳井義実の「舞子は、俺の事が好きちゃうんか?」発言に、「勘違いでーす。」と返答している。そのあと、木村沙織が「いいの?かっこいいよ?」と聞かれると、「かっこいいけど・・・。変態なんだもん(笑)!」と答え木村と爆笑した。 )、藤井美菜(CATAMARAN所属の俳優;出生はアメリカサンディエゴ、現在は慶応大学生。趣味は読書。特技はピアノ。2010年12月27日本人ホームページより。遅ればせながら、我が家のクリスマス♪ 1人でいそいそと飾り付けをしましたよー☆小さい頃から、クリスマスツリーの飾り付けをするのが楽しみでしょうがなくて。我が家のクリスマスツリーには、紐がついているものならなんでもぶら下げてオッケー!な感じだったので、もはや薬局でもらったカバさんのおもちゃや、小さなぬいぐるみまで、クリスマスに関係なくても、色々たくさんぶら下げて、一貫性はありませんでした(笑)。だからこそ、よけいに楽しくて、思い出深いです。さて、私の2011年の仕事始めは、1月6日に行われる『美しい隣人』(フジテレビ系)の制作発表でございます~^^ドキドキー。)、ミハイル・クズネツォフ(ロシアチェリャビンスク出身の男性フィギュアスケート選手;2007年ISUジュニアグランプリファイナル2位。パートナーはエカテリーナ・シェレメティエワ、タチヤナ・ノヴィク。)、結城洋平(アミューズプレステージ所属の俳優)、・・・

次はダァー!な男を。

くりきんとん食べたいです。わたりです。

2010-12-28 23:24:00 | わしやま音楽祭Vol.12
お届けするのは

渡哲也「くちなしの花」

本日は渡哲也さんのお誕生日ということであっぷしました。

この曲は、1973年にリリースし、150万枚の大ヒットとなり、1974年のオリコン年間シングルチャートでは9位を記録している。

そんな、岩佐美咲と同じ潜在能力の渡さんは、2代目の石原プロ社長であり、舘ひろしら石原軍団所属俳優からは、社長と呼ばれている。

1964年に日活でデビュー、1971年日活がロマンポルノ路線に伴い退社、石原プロに入る入るわけであるが、

きっかけは渡が石原と誕生日が同じで、交友関係ができてから、石原から服や靴などの譲渡を受けるなど公私共に付き合いが深かったことに加え、日活時代から親しかった小林正彦が石原プロへ参加していたことだったという。色々と世話になった石原の窮地を救うため当時180万円(現在の価値で1000万円に相当)の全財産を持って石原の元へ赴き、「社員の皆さんのお茶代にでも使って下さい」と差し出したのは有名な話である(無論、石原は気持ちだけ受け取った、このエピソードはドラマ『弟』でも触れられている)。

青山学院大学時代は空手道部に在籍し、空手弐段。柔道初段。

日活デビュー当時、食堂で食事をしていた石原裕次郎に挨拶に行った際、他の俳優達と違って裕次郎はわざわざ立ち上がって握手し「石原裕次郎です。君が新人の渡君ですか、頑張って下さいね」と声を掛けられ渡自身が非常に感激したエピソードがあり、それが後の石原プロに入社する経緯にもなった。ベテランとして若手から挨拶を受ける立場となった現在においても、日活デビュー当時にわざわざ立ち上がって握手して声を掛けられた裕次郎と同様に接しており、『西部警察』での共演をきっかけに初対面した舘ひろしや、ドラマで共演したV6の岡田准一や滝沢秀明、世界のナベアツらはかつての渡同様に感激している。

日活の新人時代には、取材に来た記者の失礼な態度に激怒して記者に強烈なアッパーカットを見舞って気絶させた。後年、渡はこのことについて「若気の至りというか、恥ずかしい限りです」と語っている。

『大都会 PARTIII』撮影時、共演していた宮本刑事役の苅谷俊介の夫人が入院しており苅谷が金に困っているという話を聞き、撮影終了後に苅谷を呼び止め「お前怒るなよな。見舞いには花が相場なんだがあいにくないんでな。少ないけどこれ取っとけ」と言って金の入った封筒を渡した。苅谷は帰っていく渡の後ろ姿を涙でまともに見られなかったと、自身の著書『土と役者と考古学』で語っている。

『西部警察』で演じた大門圭介でサングラスをかけるきっかけになったのは、当時40歳で「40歳にもなってマシンガン持ってドンパチやる姿が恥ずかしいから」という理由であった。2004年放送の『西部警察スペシャル』では、殉職したはずの大門が課長として復活しているが、これを受けてのもの。2003年、『西部警察2003』の撮影中に石原プロ所属俳優が運転するスポーツカーが見物人に突っ込み5人が重軽傷を負う事故が発生した。それを受け、即全ての予定をキャンセルして、すぐさま背広姿で、被害者の入院先を訪れ、病室で靴を脱ぎ、土下座で謝罪した。このことは記者会見で自らカミングアウトした形で判明した。このとき、「私が土下座したことは話してもよいのでしょうか?」と同席した石原プロ専務の小林正彦や石原プロ関係者に尋ねる声がマイクに入っている。

趣味は「焚火」。火が上がるような焚き火ではなく、煙が一筋昇るくらいがよいとのこだわりがあり、たなびく煙の行方を眺めているのが好きだとのこと。

意外なようだが甘党で、ケーキやソフトクリームが大好物である(石原プロワールドでは「渡哲也のヘルシーソフトクリーム」なる商品が販売されている)。大方の甘党がそうであるように下戸で、飲めない酒を無理して飲んでいたことは有名。石原裕次郎の晩年にヤケ酒のような飲み方をしていたが、次第に人並みに飲めるようになったとの本人談もある。60を過ぎた最近はガン闘病以降、心境の変化もあってか酒量が減ったと語っているが、同年代で付き合いのあるみのもんたは逆に酒量を上げているため、渡が「少しは酒を控えろよ」と窘めたというエピソードも。しかし、当のみのはまったく無視して酒量を上げ続けている。また、タバコも昔は『西部警察』などのドラマの中でも吸っていたが、タバコもガン闘病以降は吸わなくなった模様。

歌手の長渕剛の熱烈なファンとして知られる。「プロ野球の清原選手以上の長渕ファン」とは本人の弁である。渡の入院中に長渕が見舞ったり、長渕のコンサートに渡が出向くなど、非常に親しい関係である。

『西部警察』などで渡が演じた役柄のイメージで性格が短気であるように誤解されがちだが、実際は温厚な人柄。石橋貴明が『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』のドッキリ企画で、石原プロに保管されている『西部警察』の特殊車両や渡の車を洗って「綺麗になっただろ?テツ」と言った際、舘の仕掛けにより渡が怒るシーンがあったが、渡は当初「そんなことで怒ることはできない」と困惑していたが、実際にはテーブルを蹴り「石橋ー!」と怒鳴り、石橋が見事に驚く結果になった(実際に石橋が渡に言った言葉は「いいジャケット着てるな、テツ」)。

出身地ともいえる淡路島が阪神淡路大震災で大きな被害を受けた時に、弟の恒彦と共に淡路や神戸を訪れ炊き出しを行い、被災者を勇気づけた。被災地に赴く前には、「お世話になった淡路島の人々に少しでも恩返しをしたいが、売名行為と取られたり、芸能人の自分が行くとマスコミを呼ぶことになり、かえって迷惑なのでは」と悩んでいたが、石原プロの小林専務の「売名行為と言う奴には言わせておけばいい。阪神淡路は渡さんだけでなく、裕次郎さんが育った土地なのだから、行くべきだ」との言葉に後押しされて駆けつけている。

近年松坂慶子と夫婦役で共演することが多い(『義経』、『熟年離婚』、『マグロ』)。また、徳重聡と親子役で共演することも多い(『弟』、『熟年離婚』、『夫婦(2006年2月)テレビ朝日系』、『マグロ』、『おいしいごはん』)。

西川きよしの歌「子供が三人おりますねん」で息子が渡に似ているという歌詞があるが、それを受けてかきよしの息子の忠志・弘志が二人揃って1996年の大河ドラマ『秀吉』で渡演じる織田信長の息子(忠志…織田信忠・弘志…織田信雄)を演じている。

2007年1月4日・1月5日放送のテレビ朝日系特別ドラマ『マグロ』で釣ったマグロは本人が釣り上げたものである(渡がマグロを釣り上げた話題はスポーツ紙の芸能面でも記事になった)。

新撰組の近藤勇、土方歳三を演じた俳優でもある。


ちなみに、くちなしとは、アカネ科クチナシ属の常緑低木。野生では森林の低木として出現するが、園芸用として栽培されることも多い。

様々な利用がある。

鑑賞用として、人家周辺に栽培されることが多い。ただし、クチナシを植えるとアリが来るといって敬遠する例もある。品種改良によりバラのような八重咲きの品種も作り出されている。

料理として、果実にはカロチノイドの一種・クロシン(Crocin)が含まれ、乾燥させた果実は古くから黄色の着色料として用いられた。また、発酵させることによって青色の着色料にもなる。これは繊維を染める他、食品にも用いられ、サツマイモや栗、和菓子、たくあんなどを黄色に染めるのに用いられる。また、大分県の郷土料理・黄飯の色づけにも用いられる。クロシンはサフランの色素の成分でもある。

薬用として、果実は山梔子(さんしし)と呼ばれ、日本薬局方にも収録された生薬の一つである。煎じて黄疸などに用いられる。黄連解毒湯、温清飲、五淋散などの漢方方剤に使われる。

渡さんの潜在能力点火法でのラッキーカラーは「黄」である。