わしやま

実験的に楽しく、まじめに書き込んでいるブログです!以上書き込み責任者:やましたじゅんいち

如雲玲音その1

2010-12-08 22:59:00 | 沢尻エリカはお釈迦様!
「沢尻エリカはお釈迦様!!」第25回、

アップしたのは

1974年アルバム「心の壁、愛の橋」に収録されている、

John Lennon 「果てしなき愛(Bless You)」


本日は、ジョン・レノンの命日ということで、彼について取り上げていきます。

今年は生誕70年と没後30年という節目の年となりましたが、

彼の残した音楽性、行動は取り上げたい一身であり、「わしやま音楽祭」では、ジョン・レノンの功績を潜在能力と照らしながら追って見たいと思います。

その1として「日本との関わり」について。

1966年ビートルズとしての初来日以降、1969年日本人オノ・ヨーコと結婚を機に頻繁に来日した。アルバム『ジョンの魂』発表直後の1971年1月13日から21日に来日した際、同作品への俳句の影響を示唆し、日本語で「しぶいアルバム」と表現している。 また、この来日時にジョンは、ヨーコと共に歌舞伎隅田川を観劇し、感涙したという。その際に、歌舞伎役者中村歌右衛門の楽屋を訪れたことが縁となり、ジョンは1975年に行われた歌右衛門の英国公演を支援している。

1977年から1979年には、ヨーコ、ショーンと毎年来日し、東京や京都、小野家の別荘がある軽井沢で夏を過ごした(合計約9ヶ月)。軽井沢では万平ホテルの旧館2階にも宿泊し、ホテル内の記念館にはジョンのサインを始め、欲しがったといわれるピアノなどが収められている。

日本人の知己としては、ビートルズ来日時に共にインタビューを受けた加山雄三、ニューヨークのジョン夫妻の下で過ごした時期のある横尾忠則、来日時に食事を共にした内田裕也・樹木希林夫妻、シンコーミュージック(当時)の星加ルミ子らが挙げられる。また、音楽評論家の湯川れい子とジョン夫妻の交流は広く知られ、1980年12月5日にも、FM東京のラジオインタビューを受けている。 写真家の篠山紀信は、アルバム『ダブル・ファンタジー』、『ミルク・アンド・ハニー』のカバー写真を撮影している。

日本での売り上げで、シングルでは「マザー」と「イマジン」、「スターティングオーバー」、「ラブ」が上位を占める。アルバムは「イマジン」の他もオリコン総合チャートで「ジョンの魂」が5位、「マインド・ゲームズ」が6位、「ダブル・ファンタジー」が2位(単日では1位)、「ミルク・アンド・ハニー」が3位と洋楽アーティストの中でも有数の人気を誇っている。シングルとアルバムの合計で、オリコン誌では210万枚以上に達している。


彼の生年月日(1940.10.9)から潜在能力とラッキーカラーを出した結果、

点火法数字「516」、

5・・・「理性・オアシス(人を寄せ付ける力)、理屈持っている」、

1・・・「信念・トップ意識」、

6・・・「知性・責任・時間数字に強い」

自分の価値観、人生観を持っていて、自分の考えをしっかり持っていて、行動を起こすと社会的影響や共感でカリスマ性の強い人であり、人とは違った発想を持っていたりし個性の強い性格の反面、人と違うことで消極的になったり、仲間はずれにされ、落ち込んだりしやすいところもある。

人としては発想として面白い人である・・・

ラッキーカラーは

「緑

です。


ジョン・レノンと同じ潜在能力仲間の有名人(点火法数字516)

ジョデル・フェルランド(オーストリア、フランス、イギリスの血を引くカナダの俳優:2歳のときにTVコマーシャルでデビュー。4歳のときに出演したテレビ映画"Mermaid”でエミー賞に最年少でノミネートされた。テリー・ギリアム監督作品『ローズ・イン・タイドランド』(2005)で主役を演じ、この映画の撮影中に10歳の誕生日を迎えた。人気テレビゲームの映画化である『サイレントヒル』にも出演している。ジョニー・デップのファン。)、立石晴香(ファッションデルモ、俳優;特技はバレーボール。小学校の頃やっていて、県大会に何回も出場するような強豪バレーチームの一員だった。趣味は読書、映画鑑賞、高校野球鑑賞、音楽鑑賞。 得意な科目は英語。苦手な教科は数学。好きなブランドはINGNI、SPIGA。2010年2月27日・3月13日、神戸コレクション 2010 SPRING/SUMMER 神戸公演・東京公演に出演。 3月13日の東京公演で神戸コレクション準グランプリと発表される]。毎週公式サイトで発表される人気ランキングでは、8週連続1位の座を獲得していた。)、山田みなみ(ファッションデルモ:尊敬する人は両親。趣味は読書、音楽鑑賞、ぬいぐるみ集め。マイペースな性格。好きな色はピンク色。好きなテレビ番組はお笑い番組全般。好きな歌手は中川翔子、GReeeeN。好きな俳優は深田恭子、堀北真希。好きなお笑い芸人はジョイマン、山本高広。好きな科目は家庭科。苦手な科目は英語。好きな食べ物はイチゴ、サクランボ、キムチ。好きな小説はケータイ小説全般。好きな小説家は神永学。好きな言葉は『ピンチはチャンス』。好きな男性芸能人は城田優。カチューシャ(ヘアバンド)を40個持っている。)、渡辺悠(浜田省吾「初恋」のPVなどに出演した俳優)、矢神久美(SKB48メンバー;キャッチフレーズは現在、「にゃは〜ん。わくわくーみん! きらめくーみん! きっと明日も、にゃはっぴー。くーみんこと矢神久美です」。好きなアニメは、『BLEACH』、『NARUTO -ナルト-』、『涼宮ハルヒの憂鬱』、『黒執事』、『デュラララ!!』、『らき☆すた』。母親が小学1年時バレエ、新体操のどちらかを習わそうとするもヒップホップダンス教室に間違えて申し込みそのまま習うことになってしまった。 好きなスポーツは見るのはバスケットボール、やるならバドミントン。 よく忘れ物をする。コンビニの袋にiPodを入れてそのまま袋を捨ててしまった。)、聖菜(アイスリボン所属のプロレスラー;得意技はフロント・ネックロック、スイングDDT、ダイビングフットスタンプ、スープレックスはるか )、カン・ジヨン(韓国の女性グループKARAのメンバー;サブボーカル、家族構成:両親、姉2人 。趣味はジムトレーニング、映画鑑賞。好きな日本の有名人は松本潤、中島美嘉。Twitterにてkangjiyongで登場してます。)、粕谷雄太(青ニプロ所属の声優;事務所の先輩である森田成一とは仲が良く、事務所に届いた聖闘士聖衣神話シリーズを分け合ったりして二人でコレクションして楽しんでいるという。森田の分の殆どを粕谷が分け与えて貰っているという。ただ、ジェミニ・サガと星矢だけは残しておけと森田より厳命されているとのことである。)、笠井健太(鹿島アントラーズ所属のDF;高校時代はスピードが武器のフォワードだったが、パウリスタFC入団後は俊足と運動量を買われディフェンダーに転向。右サイドバックを主戦場としている。GK以外ならどこのポジションでもこなせるポリバレントな能力の持ち主で、フィジカルにも定評がある。 人物・エピソードとして、サッカーをはじめたのはサッカー選手だった父親の影響だと語っている。笠井の父親は静岡県リーグで15年に渡ってプレーした経験がある。ポルトガル語が堪能で、パウリスタ時代には「ブラジル人以上にポルトガル語を流ちょうに話す日本人」と地元紙で報じられた。)、枡田絵里奈(TBSアナウンサー;神奈川県出身。身長は163cm。2008年にTBSテレビに入社。普通自動車運転免許・漢字検定2級・英語検定2級・ニュース時事能力検定3級・スキー検定3級の資格を持つ。母親がピアノの先生ということもあり、ソルフェージュ能力がある。絶対音感の持ち主。小学生の頃は、男子にまじりサッカーをしていた。ヘディングが得意であだ名は「ヘディングの女王」だった。後藤真希とは中学時代に共通の友人とともに渋谷センター街に遊びに行ったことがあり、この時撮影したプリクラは2人とも今でも持っているという。学生時代には大手芸能プロ、スターダストプロモーションに所属してタレント活動をしていた。成城大学在学中は証券会社のイメージキャラクターを務める傍ら、株式投資のブログを書いていた経験がある。またこの頃に、放送局のアナウンサーを目指すようになり、TBSアナウンススクールに通っていた。その時の同期が加藤綾子(フジテレビ)、相内優香(テレビ東京)であり、枡田・加藤・相内の3人は学生時代から仲が良い。学生時代に続いて、TBS入社1年目に『アナCAN』の企画でファッション雑誌「Ray」の記事に同期アナウンサーと共に登場した。その後も「CanCam」「with」など、女性ファッション雑誌に登場することが多い。『おじゃる丸』のファンで、ラジオ『エキサイトベースボールマネージャーズ』の自己紹介でおじゃる丸と電ボの物真似を披露した。『うたばん』に出演した際、漢字に弱い中居正広が「枡田」を「びんた」と呼び間違え、その呼び名が定着していった。2010年6月25日未明に日本テレビで放送された2010 FIFAワールドカップ「日本×デンマーク」の試合中継でTBS局内からの生中継が行われ、先輩の青木裕子アナとともに日本テレビの番組への出演を果たしている。)、鈴江彬(千葉ロッテマリーンズ所属の投手;ストレートの最速は151km/h。恵まれた体格を利用した球威のある球と抜群のコントロールが売り。)、本間智恵(テレビ朝日アナウンサー;東京都出身。身長165cm 。慶應義塾大学環境情報学部卒業。大学時代は演劇サークル、及びアカペラサークルに所属。なお、アカペラサークルの先輩に歌手のゴスペラーズ北山陽一、一青窈 がいる。趣味:演劇やミュージカルを観ること、音楽を聴くこと、映画を観ること、絵を描くこと。特技:演劇やミュージカルをやること(笑)もうその機会はまずありませんが…スポーツ:冬にスキーに行くくらいで、あまり運動する習慣がありません!過去に、新体操や水泳を習っていたことはあります…。座右の銘;「僕の前に 道はない 僕の後ろに 道は出来る」by高村光太郎。長所:明るいところ。短所:どんくさいところ。くよくよするところ。でもすぐ立ち直ることの方が多いです。好きな映画:「ザ・マジェスティック」、「ラブ・アクチュアリー」など。たくさんあります!好きな本:薄井ゆうじさんの「星の感触」)、菊池光将(川崎フロンターレ所属のMF,DF;182センチの身長とジャンプ力を生かした打点の高いヘディングが特徴。ヘディングの強さではJの中では有数の能力を有していると評される。ただし、足元の技術、攻撃参加には課題を残す。)、橘慶太(ヒップホップダンスユニット・w-inds.のメンバー。芸能事務所はヴィジョンファクトリー。福岡県福岡市中央区出身。ファッションモデル橘美緒は実妹。イメージカラーは赤で、ライブ時のマイクテープは黄色である。スポーツではサッカーを趣味としている。音楽関連会社の主催するサッカー大会において自身の率いるチームが2008年、2009年度の二大会連続優勝を飾った。Jリーグクラブでは清水エスパルスの熱心なサポーターであり同クラブの岡崎慎司太田宏介などは友人である。詳細はTwitter、アメーバブログ「道標」にて。)、永里源気(アピスパ福岡所属のMF:趣味はゴルフ、F1、ボウリング、WCCF)、シマシマ(ホリプロコム所属のタレント;調理師免許を持っていることを生かすような形で、白の調理師の制服に帽子を衣装とし、時々鍋、お玉などの調理器具を持って出演することもある。様々な状況、シチュエーションを調理方法、レシピ、工程に置き換え、それを早口でまくしたてて説明するという芸を主としている。特技;卓球)、小宮山慎二(阪神タイガースの捕手;神奈川県厚木市出身。横浜隼人高校では捕球から二塁までの送球が1.9秒を切る強肩を武器に注目され、2003年のプロ野球ドラフト会議で阪神タイガースから5巡目指名を受けて入団。横浜隼人高校出身者初のプロ野球選手となった)、野水伊織(プロダクションエース所属の声優;日本漢字能力検定 準二級。特技:作詞。作曲。国語。漢字。文章書き。お菓子作り。趣味:脚本や小説、俳句を書く事。歌う事。読書。ゲーム。天然石を使った小物やアクセサリー作り。ご当地キティ集め;特にキモキャラキティ。2010年2月11日に開催された、野水伊織初ソロイベント「凛子のおとしもの〜野水伊織ナイト〜」定員の2倍以上150人以上のファンが集まりイベントの行われたゲーマーズ本店の8階から1階までの階段、そして外まで抽選をするための行列ができた。推定100人弱のファンは抽選に落ち入れなかった。その後、自身の2月12日のブログに感謝の気持ちと入れなかった方への優しいフォローをしている)、小峠篤司(大阪プロレス所属のプロレスラー;得意技;ドラッグスター;飛びつき十字固め、デジャブ、コルバタ式DDT、コルバタをしてからのDDT、マグザム、飛びつき式のダイヤモンド・カッター、トルニージョ 、横に捻りを加えながらのプランチャ、不知火・改、ムーンサルトプレス、トペコンヒーロ 、レッグラリアット 、 獲得タイトルとして、
大阪プロレスタッグ王座(第24代王者、パートナーは原田大輔)、UWA世界6人タッグ王座(パートナーは原田大輔、タコヤキーダー)、趣味 お寺巡り 、長所 スピード・ジャンプ、短所 パワー・体型、ちょっと自慢できること ロープワーク(リングを走ること) 、口癖は? まぁええけど… 、Sですか?Mですか? 両方 、○○なタイプです 無気力、好きな食べ物は? おかんのグラタン 、嫌いな食べ物は? つぶあん、好きなスポーツは? プロレス・サッカー、好きなマンガは? 猿ロック、好きな雑誌は? 週間プロレス、好きな映画は? プラトニック・セックス 、好きな曲は? MINMI、好きなゲームは? 龍が如く、好きな動物は? 犬 、好きな色は? ピンク、宝くじがあたったら? 堅実に貯金する、最近一番感動したことは? 大阪プロレスのタッグチャンピオンになれた)、斉藤綾(東京俳優生活協同組合所属の声優;青山学院大学卒。第一種高等学校教諭(国語科)免許所持。詳細はTwitter、アメバブログにて。)、万波奈穂(囲碁女流棋士;日本棋院東京本院所属。大枝雄介九段門下。同じく囲碁棋士の万波佳奈は実姉。姉とともにテレビ・雑誌などの媒体に登場する機会が多く、人気が高い棋士の一人である)、ローラン・コシールニー(フランス出身のサッカー選手でイングランドリーグアーセナル所属のDF)、松井謙弥(セレッソ大阪所属のGK;身体能力を生かしたハイボールへの強さと、広い守備範囲が取り柄。判断力の良さにも定評がある。課題としては、年代別代表でのライバル西川周作;サンフレッチェ広島、に比べ、キック力及び精度に欠けること、DFへのコーチングの声が通らないことが挙げられる。)、久米勇紀(福岡ソフトバンクホークス所属の投手;プレースタイルとして右サイドハンドから投げ込むMAX148km/hの速球とスライダーが武器。シンカー・カーブも用いるほか、サイドスローとしては珍しく稀ではあるがフォークも投げる。投球フォームを辻武史に水鉄砲に例えられた。本人は、これをアダ名として使ってほしいようだが定着していない。先述のように大学時代から投手を始めたという珍しい経歴を持ち、野手経験の長さからフィールディングが上手い。また、牽制やクイックも得意。座右の銘は「野球は戦争」。還暦を迎えた後に古書店のオヤジになることが将来の夢。趣味は音楽鑑賞(ザ50回転ズ)。ほかにはサッカー、スノーボード。とにかくビールが大好きでビール党だったがプロに入り焼酎を好むようになる。私服は古着を愛好している。
あだ名は「久米ちゃん」「くめっち」。好きな女性のタイプは長谷川京子とのこと。)、上木彩矢(エイベックス所属の歌手;趣味 ギャンブル(笑)、長所 我慢強い 、短所 キレやすい 、ちょっと自慢できること ないなぁ…、最近ハマっているものは? ネイル 、まず家に帰ってすることはなに? パジャマに着替える 、口癖は? マジやべぇ!!!、何フェチ? 匂いフェチ、座右の銘は? あんまないんだけど… 、集めてるものは? カチューシャ、Sですか?Mですか? SでありMである、好きな食べ物は? 辛いもの、嫌いな食べ物は? 甘いもの、好きなスポーツは? 走ること、好きな男性タレントは? いないんだなぁ…、好きな女性タレントは? ベッキーさん、好きなアーティストは? いっぱいいる、好きなマンガは? いろいろ読んでるんだけどなぁ…、好きな本 ないっ!!!、好きな映画は? バックトゥーザフューチャーは好き、好きなテレビ番組は? ディズニーチャンネル 、好きな曲は? Mr.BIG/GreenTintedSixtiesMind、好きなゲームは? 428、好きなブランドは? ヒステリックグラマー 、好きな動物は? 犬、猫…毛があるものだったら全部好き!!!、好きな休日の過ごし方は? 出前でピザを頼んで食べて寝る。のが最高!!! 、好きな色は? ピンク、黒、白、好きな言葉は? よしっ!!!、好きなタイプは? 元気な人、嫌いなタイプは? 元気がない人、一つだけ願いが叶うとしたら? 宝クジが当たってほしい!!!、何をしている時が幸せ? 音楽制作をしている時、尊敬する人は? 親、前世はなんだと思う? 前世はヒョウであってほしい… 、世界最後の日、あなたは何をしていますか? ライヴをしていたい!!!、あなたにとっての必需品はなに? メガネ。経歴として4歳の頃よりピアノを始め、中学時代からバンド活動を始める。2002年にプロダクションにスカウトされる。高等学校在学中にモデル活動と平行して歌謡教室に通いレッスンを重ねる。高校では同じ事務所の相武紗季、石川佳奈、上野なつひとは同級生であった。2003年にフォーライフレコードから「Breath」でデビュー。2004年3月に発売されたアルバム「W.H.Y?」を最後に、売れない時代が続いた。その後2004年よりビーイングに所属し、大阪を拠点にした音楽を開始する。2005年のインディーズデビューを経て、2006年にメジャーデビュー。B'zのカバー曲として話題になり、オリコン最高位9位を記録した「ピエロ」などの楽曲で知られる。デビューに至った経緯は、上木が15歳ぐらいの頃、家族とお台場を歩いていた時にオーディション会場のスタッフに「ちょっと1曲どうですか?」と誘われたことに起因する。翌日、所属事務所の社長から「すぐ東京に出て来てください」と電話がかかってきたという。なお、この時に歌唱した楽曲は小柳ゆきの「be alive」。ZARD、倉木麻衣、かつての大黒摩季に代表されるように、メディアへの露出を極力抑える傾向のあるビーイングに所属していたアーティストとしては、テレビ番組をはじめとしたメディアに出演する機会が多い。音楽番組以外にも、『ロンドンハーツ』(テレビ朝日、2007年5月)、『カートゥンKAT-TUN』(日本テレビ、2007年10月)などのバラエティ番組にも出演したことがある。また、歌手活動以外にもファッション雑誌「KERA」の表紙を務めるなど、活動は多方面に渡る。2009年7月には音楽活動の拠点を東京に移すため、GIZA studioとの契約を終了。直後のエイベックス主催の野外ライブa-nationに初出演して、同時にエイベックスへ移籍することを発表した。ミュージックステーションに初出演した時、自己紹介で名前の読みに関して「あややじゃありません」と説明した。 )、松田翔太(研音所属の俳優;身長181cm、体重61kg。俳優松田優作と女優松田美由紀との間に次男として生まれる。兄の松田龍平も俳優であり、伯母は女優の熊谷真実、義姉はモデルの太田莉菜;兄の妻。姪がいる。2005年スペシャルドラマ『ヤンキー母校に帰る~旅立ちの時 不良少年の夢』で俳優デビュー。同年、少女漫画原作のドラマ『花より男子』の西門総二郎役で人気を得る。 2006年には映画『陽気なギャングが地球を回す』で映画デビュー。2007年ドラマ『LIAR GAME』で注目を集め同年、映画『ワルボロ』で初主演。2008年『篤姫』で14代将軍徳川家茂役でNHK大河ドラマ初出演。現在はソフトバンクCMで犬白戸次郎の父親役をしている。兄が「新世紀エヴァンゲリオン」が好きなら、彼は好きを超え「ヲタ」のはず・・・ )つづく・・・  

幻想の日々

2010-12-08 22:57:00 | わしやま音楽祭Vol.12
お届けするのは

The Doors「Strange Days」

本日は、ボーカルでバンドの作詩のほとんどを手がけたジム・モリスンの誕生日ということでアップしました。

この曲は1967年2枚目のアルバム「まぼろしの世界」に収録されたもので、マンザレクのオルガンが曲全体に響き渡るなかを、ジムが淡々と歌い上げる曲。

この年の1月に発売されたデビュー作「ハートに火をつけて」の成功によって、バンドは自信を持ってレコーディングにのぞむことができ、より強く彼らの世界が表現されている。このアルバムに収められた曲は、華やかな曲は少ないものの、実験精神に富みながらも、アルバム全体の統一感が保たれている。またアルバムの写真は、曲芸師の一団が街を練り歩くというもので、他のドアーズのアルバムがメンバーの写真なのに対して、異彩を放っている。



その淡々と歌う彼ですが、
1943年、ジェームズ・ダグラス・モリソンはアメリカ海軍の軍人であり、後に提督となるジョージ・スティーヴン・モリソンとクララ・クラーク・モリソン夫妻の息子としてフロリダ州メルボルンで生まれた。

一家は父の職業柄、転居を重ねジムはそのためか家に閉じこもって読書にふけることが多くなった。高校卒業後フロリダ州立大学に入学するが、哲学や詩にのめり込み、1964年の1月に家族の反対を押し切りUCLAの映画学科に編入する(同級生にフランシス・フォード・コッポラがいる)。 UCLAで彼はレイ・マンザレクに出会い、彼に自作の詩を読んで聞かせた。マンザレクは彼の詩に惹かれ、バンドを組むことにする。ジムはレイと彼の兄リック、メディテーションセンターで出会ったジョン・デンスモアと共にデモ・レコードを録音する。リックがバンドを辞め、同じメディテーションセンターの仲間だったロビー・クリーガーが参加してザ・ドアーズのラインナップが完成した。

バンド名はウィリアム・ブレークの詩「忘れがたい幻想」から取られたオルダス・ハックスレーの「知覚の扉(The Doors of Perception)」が元となっている。

彼は自らを「ミスター・モジョ・ライジン(Mr. Mojo Risin)」としたが、これは「ジム・モリソン(Jim Morrison)」のアナグラムである。それは彼の参加した最後のアルバムに収録されている「L.A.ウーマン」のリフレインに用いられた。さらに彼は「トカゲの王(The Lizard King)」と呼ばれた。これはアルバム『太陽を待ちながら』の中に現れる彼の有名な叙事詩「ザ・セレブレーション・オブ・ザ・リザード」から来ており、それは1990年代にミュージカルとして上演された。

ドアーズの結成前からモリソンは様々なドラッグを服用し、多量の飲酒で様々などんちゃん騒ぎに耽った。時にはレコーディング時も酔っぱらい、その様子は多数録音された。「ファイヴ・トゥ・ワン」の中では彼のしゃっくりが聞かれる。また、ジミ・ヘンドリックスとのセッションでも酔っぱらった様子が録音されている。

1969年3月、マイアミでのコンサートで彼はズボンを下げ自慰行為を見せたと言うことで逮捕される。モリソンの逮捕と共に、バンドは反社会的存在のレッテルを貼られ、ライブ活動は縮小していった。1970年12月12日のニューオーリンズでのステージを最後にモリソンはライブ活動を停止した。彼は著作に専念するため1971年3月にパリへ移り住んだ。


モリソンの墓ジム・モリソンは1971年7月3日にパリのアパートでバスタブの中で死体として発見された。多くのファンおよび伝記作家が死因を薬の過剰服用や、アメリカ政府による暗殺の可能性を推測した。モリソンの死はブライアン・ジョーンズ、ジャニス・ジョプリン、ジミ・ヘンドリックスに続く悲劇だった(偶然にも彼らは同じ27歳で死亡しており、ロック界におけるひとつのジンクスとなっている。20数年後にニルヴァーナのカート・コバーンも同じ年齢で自殺している)。

死因は公式には心臓発作と発表された。彼はパリの東にあるペール・ラシェーズ墓地に埋葬されているが、訪れるファンの落書きやゴミが問題とされ、新しい別の場所に再埋葬される可能性が示された。

幾人かのファンは彼の死はスポットライトから逃れるための偽装だと信じている。陰謀を主張するものは、彼のガールフレンド、パメラ・カーソンが「彼は非常に疲れていて、病院で休んでいる」と新聞に語ったことを指摘する。実際に死体が埋葬されるのを見たのはごく少数で、またモリソンは「死」に先立つ数ヶ月前からバンドのメンバーによく「アフリカへの逃亡」を冗談めかして話していた。デンスモアがモリソンの墓に初めて訪れたとき、彼は「(遺体が入るには)墓が短すぎないか?」と話したと言われている。

ジムは厳格で保守的な両親によって育てられたが、両親の教育とは徹底的に異なった価値観での作品表現を行った。

モリソンによれば、彼の生活での最も重要な出来事は1947年のニューメキシコ州への家族旅行中でのことであった。彼は以下のように語っている。

「僕が発見した最初の死だった...僕と母と父、そして祖母に祖父は夜明けに砂漠を通っていた。インディアン達の乗ったトラックが別の車か何かと衝突して、彼らはハイウェイ中にまき散らされ、血を流して死んでいた。僕は単なる子供だった。だから、父と祖父が事故を確かめに行ったけれど、僕は車の中にとどまっていなければならなかった。僕は何も見なかった。僕が見たのは奇妙な赤ペンキとまわりに寝転がっている人たちだった。でも僕は彼らが僕同様に何が起きたのか分かっていないのを理解した。それは僕が初めて味わった恐怖だった...そして僕はその瞬間思った。死んだインディアン達の魂は - たぶん彼らの内一つか二つ - ちょうどそこらを走り回り、幻覚のように奇妙な行動をし、僕の魂に入り込んだ。そして僕はスポンジのようにそこに座ってそれを吸い取る準備が出来ていたんだ。」 ・・・

1991年映画「ドアーズ」(オリバー・ストーン監督)の最初のシーンは上記のような衝撃的なもので、その出来事や家庭環境で彼を文学的サイケデリックに導かせ、天才的発揮し、1960年代後半に起きた音楽的革命でその先端を走るも、薬物による奇行などでお騒がせになったりとするも、27歳で他界したことが残念であるが、ロックを確立した歴史には刻まれ、彼の魂は今も繁栄している・・・彼の作詞能力はボブ・ディラン相当の能力ほどで「ノーベル文学賞」級だとも言われる・・・

で、彼の生年月日から潜在能力とラッキーカラーは、点火法数字「821」、ラッキーカラー;赤。

そのことについてはカテゴリー「わしやま音楽祭Vol.10」内の「8月21日パンクな出来事」と「夏の叫び」参照。


ジム・モリスンと同じ潜在能力仲間の有名人(点火法数字821の方々)

西村知美(山口県出身で芸能界に入る前地元の雑木林で「かぐや姫」を見たことがあるタレント;愛称は「知美ちゃん」「トロリン」。チャームポイントは顎の先まで伸びる長い舌。また麺をすする事が出来ない為、口の中でスパゲッティやそばを長い舌で巻きつけながら食べる。この独特な食べ方は長女もできるが、人前ではあまりしないように言い聞かせているという。因みに長女は麺類をすする事ができる。芸能活動を始めるまでは、何かというと赤面する事から「トマトちゃん」、暗い事から「ネクラちゃん」とまで言われていたという。酒井法子とは、高校の同級生である(星の金貨シリーズで共演)。また映画監督の庵野秀明は中学校の先輩に当たる。1997年に結婚した元CHA-CHAの西尾拓美ともども、左利きである(だが、2008年3月13日TBS系で放送された『うたばん』の企画「家事検定」に出演した時には、右手で答えを書いていた)。アニメ・漫画全般に造詣が深く、「アニメージュ」でコラム「あにめってらぶりー」を担当していた。アニメ・漫画好きを公言して活動する女性タレントの先駆け的存在であり、中川翔子ら後輩にも影響を与えている。特に好きな作品は『うる星やつら』で、デビュー前に「読者脚本コンテスト」に応募したほど。(20名ほどの候補作に残り、雑誌に名前も掲載された。応募脚本はエッセイ本『夢幻童子』に収録) 関連番組にも何度か出演している。『セクシーコマンドー外伝 すごいよ!!マサルさん』に関しては、各部屋に全冊置かれており、アニメ化に際して、題字を担当した。資格コレクターとしても知られ、手話検定2級・中級手話インストラクター・おもちゃコンサルタント・ベジタブル&フルーツマイスター・タイ古式マッサージ・重機オペレーターなどの資格を保持(詳細は公式サイトを参照)。本人は資格取得の理由として自己啓発が好きなことに加え、大学に進学できなかったコンプレックスがあると語っている。また、試験がある資格はなるべく避けて、講義に参加するだけで取る事が出来る資格を調べて取るようにしている。普段から裏声で話している。一度だけ『さんまのからくりTV』で地声(顔に似合わずかなり低い)を披露したことがある。ウンナンの気分は上々。では地声を探しているとも語っていた。西尾氏との間にできた子を出産し、その報告会見でお父さんとお母さんどちらに似ているかの質問で、「自分の子を含め全ての赤ちゃんがガッツ石松似」ととんでもない回答をした。)、ROCK-Tee(ヒップホップユニットEAST ENDのメンバーでDJを担当。FUNKY GRAMMAR UNIT所属。東京都新宿区出身。血液型はO型。1990年、GAKU-MC、YOGGYと共にEAST END結成。1995年2月、方向性の違いによりEAST ENDを脱退。同年秋、原宿にショップ「CRIB」をオープンする。かつては、RIP SLYMEのPES、KICK THE CAN CREWのKREVAがバイトととして在籍していた。2003年、EAST ENDに復帰し再始動。 EAST ENDに所属する以前には、「DEF BEAT CREW」というグループに在籍していた。元RHYMESTERのDr.LOOPERとLR STEREOとして活動もしている)、和久井映見(アルファーエージェンシー所属の俳優;1988年高校生時代に東京ディズニーランドでスカウトされ芸能界デビュー、その後TVドラマ、映画、音楽活動と順調に活躍、実生活では1995年萩原聖人と結婚、一児もうけるが2003年離婚、親権は本人が持っている。1991年映画「息子」で日本アカデミー賞新人俳優賞、助演女優賞、同年「息子」、「就職戦線異状なし」でキネマ旬報助演女優賞、日刊スポーツ映画大賞助演女優賞、1993年「虹の橋」で日本アカデミー賞主演女優賞)、セイン・カミュ(父親はアルジェリア人の血を引くフランス系アメリカ人で、母はイギリス人である。大叔父(母の父の弟)はノーベル文学賞受賞作家のアルベール・カミュの血を引く日本語が達者な外国人タレント。数か国に滞在した経験があるが、日本の滞在期間が最も長いため流暢に日本語を話し、幼少期に観たアニメなど日本のテレビ番組にも詳しい。『クイズダービー』の復刻版に出演した際には、司会の大橋巨泉から「ひっどい(凄く)日本語うまいね。山形弁じゃないね(ダニエル・カールのこと)。ケント・ギルバートとかよりまだ上手いね」と驚いた様子で評された。『森田一義アワー 笑っていいとも!』のクイズコーナーに1外国人として出演した際に、アニメなどに関するマニアックな知識を披露したことで注目され、同コーナーのレギュラーとなった。2002年に日本人女性と結婚。2003年2月に長男が誕生し、2005年12月に次男が誕生。2008年12月に長女が誕生して3児の父親になった。かつてはR&Aプロモーションに所属していたが、その後過去番組出演ギャラをめぐり同社と対立し脱退。現在では友人たちとともに立ち上げたイクリプス・プロダクションに所属している。R&Aプロモーションからの脱退後はメディアへの露出が減少したが、公演や営業などで地道に活動を続けている。趣味はギザ十集めである。また、ウミガメのペンダントを愛用している。スキューバーダイビングの免許を持っている。『ぐるぐるナインティナイン』の1コーナー「グルメチキンレース・ゴチになります! 4」では、1シーズン通して一度も最下位になっていない。しかし、その後コーナーを卒業したため、第5シーズンからは参加していない。『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』に出演している「今夜が山田」(デビット・ホセイン:イラン人)は、セインの元マネージャーである。父親が丹波哲郎と知り合いだったことから、シンガポールに滞在していた10歳当時に『Gメン75』にエキストラ出演したことがある。)、渡辺満里奈(SMAエンターテイメント所属のタレント。夫はネプチューン名倉潤;血液型はB型。本名である満里奈という名前は、ヨット好きだった父がマリーナからとって命名したという。1984年のミス・セブンティーンコンテストに応募し、東京地区予選にてCBSソニーにスカウトされる。その後、1986年3月に『夕やけニャンニャン』のオーディション「ザ・スカウト アイドルを探せ」に参加。月曜日の登場時から存在感を示し、金曜日には高得点(120点。合格は100点以上)で合格を果たした。その際、とんねるずに「おニャン子はお前のものだ!!持ってけ!!」とまで言わしめたそれほどまでの高評価だったが、後に本人曰く[いつ?][どこ?]、この合格以前にいくつものオーディションで落選していた、とのこと。そしておニャン子クラブ会員番号36番としてデビュー。デビュー早々より人気を得て、中期から後期にかけてのおニャン子クラブの主力メンバーとなった。また、とんねるず(と秋元康)にかわいがられ、彼らの妹分的な位置づけとなった。おニャン子クラブ時代は同じ渡辺姓の渡辺美奈代とともに「W渡辺」「ワタナベズ」と呼ばれた。おニャン子クラブ在籍中の1986年10月に発売されたソロデビュー曲「深呼吸して」は、当時のオリコン初登場1位最年少記録(15歳11ヶ月)であり、2001年3月27日、当時モーニング娘だった後藤真希のデビュー曲「愛のバカやろう」(15歳6ヶ月)まで、約15年間この記録は破られなかった。おニャン子クラブ解散後も歌手としてアイドル番組やバラエティーなどに出演。当初はアイドルとして、事務所の意向に沿った衣装や楽曲で出演していたが、途中から独自の路線で曲や衣装なども変わっていき、渋谷系の代表格であったフリッパーズ・ギターの楽曲を歌うなど、他のアイドルとはまったく別の方向性で歌手活動を展開する。その後、とんねるずと秋元康の縁から『とんねるずのみなさんのおかげです』にレギュラー出演、お笑いの資質も見出され芸歴に幅が拡がり、後の司会業をはじめとする様々な番組の出演への道が開けた。その頃(1989年頃)から本人の意向により、おニャン子メンバーであったことを積極的に表に出さないようにもなる。その後、バラエティ番組において、タモリ、ビートたけし、みのもんた、とんねるず、古舘伊知郎といった強烈な個性の持ち主たちと堂々と渡り合う。2000年代からはファッション、旅行、健康など彼女の趣味・経験による書籍を多く出版している。特に台湾通として知られており、台湾政府観光局のイメージキャラクターにも選ばれた。また、現在はピラティス・メソッド(これに関しても著書『ピラティス道』を上梓、後にDVDも発売)の実践でシャープな体型を維持している。2005年4月5日、テレビ朝日の番組『銭形金太郎』で、共演している名倉との結婚を発表した。2005年5月5日に婚姻届を提出し、10月23日に東京プリンスホテルにて披露宴を行った。結婚、出産後は、2008年から雑誌『LEE』における手芸に関する連載、2009年よりオーガニック綿を用いた子供服中心のブランド「gris-gris」の立ち上げなどの活動も行っている。 またホメオパシーにも傾倒するようになっており、ホメオパシージャパンの由井寅子の講演に参加するなどしている。現在2児の母親である。)、村上睦子(元女子日本代表のバスケットボール選手;現在姓は岩屋。星城高等学校卒業後、1989年にシャンソンVマジックに入団。身長165cmと小柄ながら多くの試合に出場、ポイントガードとして活躍し、シャンソンのWリーグ10連覇に貢献。新人賞、MVP、ベスト5など多数受賞。1996年のアトランタオリンピックに日本代表として出場。2000年に引退。)、的山哲也(元近鉄→オリックス→ソフトバンクのプロ野球選手;現在は福岡ソフトバンクホークス1軍バッテリーコーチ。打撃成績は芳しくないが、豊富な経験に裏打ちされたリードと盗塁阻止率は常にトップクラスという球界屈指の強肩が特徴の典型的な守備型捕手であった。打撃については近鉄時代、当時監督の梨田昌孝(現在日本ハムファイターズ監督)が「アイツのバットには芯がない」と発言した事があり、ファンやマスコミからも「(打率が)自らの身長(あるいは体重)との勝負」、「どこかの市外局番か?(1割を切った時の打率の表示が市外局番の番号のように見える、との趣旨)」、「ヒットが出るんなら左(打ち)でやってもいい(的山は右打者)」という冗談で揶揄され、本人も「1試合2安打はレアです」と言う程で、実際に優れていると言える程の打撃成績を残した事がない。しかし、選球眼は健在で印象に残る本塁打を放つこともあり、その意外性が特徴とも言える打撃は「ビックリ箱」と称される。 人物として野球を始めた小学生時代から捕手を務めていたが、ある日の試合で正捕手の目にゴミが入ったことから交代した結果、正捕手より上手いと絶賛された。正捕手はその後、野球を辞めてしまったという。 通訳が必要無い位英会話が堪能のため、近鉄時代からパウエルやケビン・バーン、オリックスでもトム・デイビー、ランス・カーターなどの外国人投手とバッテリーを組むことが多かった。ホークス移籍後も、パウエルの初登板の際にバッテリーを組んだ。 生まれつき右耳に難聴の既往がある。ほとんど聞こえないが、健常な左耳で音を聞き取る訓練を積み現在に至る。しかし、他者が何か言っても聞こえないことがあり、監督やコーチが声で指示しても聞き逃したり、打者に無視されたと誤解されて乱闘になったこともあった。現役で一番印象に残っている投手は赤堀元之。「真っすぐも、スライダーも、口では説明するのは難しいんですけど、本当に素晴らしかった。だからあれだけ何度もセーブ王を取れるんだと思いましたね」と語っている。)、吉田篤史(元ロッテ→阪神のプロ野球選手;現在は横浜ベイスターズ投手コーチ;出生地は東京都豊島区。小学校時代に新潟市に移住した。日本文理高校卒業後、ヤマハに入社。2年目の1990年には都市対抗野球大会で優勝に貢献、胴上げ投手となり、橋戸賞、若獅子賞を獲得した。翌1991年もチームを都市対抗本大会に導く活躍が認められ、複数のプロ球団から注目を集めた。同年オフ、ドラフト1位でロッテの指名を受け、プロ入りした。尚、吉田の1位指名は、新潟県出身・在住且つ新潟県内の高校出身者としては史上初のことだった。)、藤井猛(将棋棋士;現在九段で西村一義九段門下。「猛」という名前はボクシング元世界チャンピオンの藤猛から来ている。棋風として従来から四間飛車を得意戦法としていたが、革新的な四間飛車戦法である「藤井システム」の創始者でもある。自玉の囲いを省略して序盤から攻撃的な布陣を敷き、居飛車穴熊や左美濃を攻略するこの戦法は、将棋界の振り飛車戦法に革命をもたらすのみならず、将棋の序盤戦略そのものに大きな影響を与えた。このことが評価され、1996年度将棋大賞の升田幸三賞を受賞した。終盤、大胆に大駒を切り、露骨に相手玉に喰らい付く棋風から「ガジガジ流」というニックネームがついている。また居飛車穴熊や左美濃に対して先攻することを主体としているため、居飛車感覚の振り飛車ともいわれる。四間飛車の使い手である自らを鰻屋に例え「こちとら鰻しか出さない鰻屋だからファミレス(オールラウンダー)の鰻に負けるわけにはいかない」と語ったことがある。ところが2007年2月5日の北浜健介との対局でとうとう「ゴキゲン中飛車」を指し、若手棋士たちを驚愕(失望?)させた。本人は勝又清和のインタビューに「もう鰻屋だけじゃやってけない。これからは多角経営ですよ」とコメント、そして翌年の2008年からは研究会や公式戦で居飛車の矢倉を多く指すようになった。さらにその後、将棋世界2009年9月号の中で「僕はもう(藤井システムからは)引退しました」と、藤井システムを捨てたと取れる発言をしている。2008年の中頃から居飛車の矢倉を指すようになり、周囲を驚かせた。本人は将棋世界2008年12月号の中で「そろそろ、色々指してみようと思ったが、相振り飛車の経験が一番生きやすい戦型が矢倉だった。」と答えている。従来の矢倉とは異なる、早囲いから先行を目指そうとする積極的な指し回しは、その年度に森内俊之や佐藤康光も対局で採用するなど、早くも他の有力棋士に影響を与えた。2009年3月に「囲碁・将棋ジャーナル」に出演した際には「今年度は新しいことに挑戦できたという点で満足できる1年であった」との旨を語った。 好きな食べ物はうどん。嫌いな食べ物は納豆と梅干し。筋違い角戦法に対しては90%勝てると公言している。1998年、谷川浩司との竜王戦を戦ったのは、NHK将棋講座で藤井システムの講座の講師を務めた直後のことである。番組中、アシスタントの高橋和からエールを受けた。さらに、当時「囲碁・将棋ジャーナル」に出演した際には、司会者であり藤井と同門(西村門下)の山田久美から、カニの絵が描かれた扇子が贈呈された(谷川はカニが苦手(食物アレルギー)であることから)。 21期竜王戦では「絶品チーズバーガー」や「かっぱ寿司」などユニークな発言が話題になった。 2005年前後から、終盤での逆転で負けることが多くなった。2006年のA級順位戦対羽生戦では、途中まで必勝と言われた将棋を悪手の連発でまさかの大逆転負けを喫した。その終局時において、藤井は台上の駒を文字通り盤の上に投げて投了の意を示した。藤井自身、この敗局を生涯最悪の逆転負けであるとの旨を語っている。)、INORAN(LUNA SEAのG;本名:井上清信。神奈川県秦野市出身。神奈川県立大秦野高等学校出身。身長170cm。左利き。愛称は イノ。他に先生などで呼ばれることもある。自らのファンクラブ「NO NAME?(ノー・ネーム)」を持つ。中学時代にJと出会い、LUNA SEAの原型となるLUNACYを結成し、活動をスタートさせた(LUNA SEAのメンバーSUGIZOも同じ中学校に通っていたが、学年が異なっており(SUGIZOが1歳年長)、また、マンモス校だったために気付かなかったという)。中学時代に憧れだったギタリストは瀧川一郎で、デビュー後には交流もうまれた。LUNA SEA時代はリズムギターを主に担当。作曲も手がけ、カップリングの曲にINORAN原曲のものが多い。クリーンなアルペジオに定評がある。左利きであるが、ギターを弾き始めた当時、左利き用のギターは少なく、値段も高かったため、右手でギターを弾き始めた。後にMonophonicにて、左利き用のギターを使用してみたがまったく弾けなかったと語っている。 LUNA SEA時代には一曲だけギターソロを披露しており、音源化されていない「もう死んだ振りさせない」(この当時はLUNACY)という曲である。車はフェラーリを好み、F1好きでもある。1998年日本GPのスペシャルゲストとして招かれたことがあり、観戦のために海外まで足を伸ばすことも多い。ヘビースモーカーである。 2009年頃ESPとの契約を解消したためシグネチャ・モデルのレスポールを持つことが無くなり、以降ストラト弾きギタリストになった。 )、・・・つづく