わしやま

実験的に楽しく、まじめに書き込んでいるブログです!以上書き込み責任者:やましたじゅんいち

何がエッチスケベなの?

2011-08-11 22:00:00 | わしやま音楽祭Vol.14
お届けするのは


Naniwa Express「Inside Of You」

名前のとおり、関西で結成した日本のフュージョンバンド。

1980年当時は上方フュージョンともいわれ、ライブパフォーマンスで人気を獲得した。解散後、2002年より活動を再開、2003年には18年振りのアルバム『life of music』を、2004年には『THIS IS IT!』を発売している。



高鳴る僕の鼓動

2011-08-11 22:00:00 | わしやま音楽祭Vol.14
お届けするのは

Mr.Children「メインストリートに行こう」


この曲は1993年3枚目のアルバム「Versus」に収録されたナンバーで発売当時のライブでは盛り上げの一曲であった。

このアルバムタイトルは、異なるタイプの曲(奇数番号の曲は少し暗い曲、偶数番号の曲は明るい曲)が対(Versus)になるように交互に並べていることに由来、この曲は2曲目に収録されている。


オリコンチャートでは初登場3位で自身初のトップ3入りを果たし、累計売上は約80万枚を記録した。


本作発売後にライブツアー「'93 Versus Tour」を開催。このツアーで初めてコンサートパンフレットが作成・販売された。



今は8/20から始まる久々のスタジアムツアーを控えている・・・

ときめきのサマーナイト

2011-08-10 22:00:00 | わしやま音楽祭Vol.14
お届けするのは

坂上弘「時をかけるシンガー」

本日は坂上さんのお誕生日ということであっぷしました。

この曲は2009年メジャーデビューアルバム「千の風になる前に」に収録されたナンバーで、世界最高齢シンガーソングラッパーとして歌いこなしている。

概要として、

1940年、満州に渡り満州新京炭鉱株式会社に入社。会社のブラスバンド部や、街の交響合唱団で活動する。終戦後の1947年に上京。菊池滋弥、渡辺晋らをメンバーとするジャズバンドでトランペット奏者として活動を始める。当時日野皓正等の演奏指導も行っていた。

1957年9月に肺結核を患い音楽活動を停止し、1年入院した。1969年に妻を癌で亡くし、

1990年7月に交通事故を起こして1年半入院した。

1992年、根本敬主催の「ガロ脱特殊歌謡祭」で優勝。

1995年、自主制作でカセットテープ『交通地獄 / 恋しのアンジェラ』を発表。

2005年、インディーズアルバム『交通地獄そして卒業』を発表。尾崎豊『卒業』をカバー。
2009年、アルバム『千の風になる前に』で米寿としてメジャーデビュー。

そのメジャーアルバムのリリースに伴うコメントをよせた模様です。

本日90歳になります。

おやすみzzz

2011-08-10 22:00:00 | わしやま音楽祭Vol.14
お届けするのは

山下達郎「夏への扉」

本日は6年ぶりのアルバム「Ray Of Hope」をリリース、そのPRで1日東京FMの番組に生出演、今から「School Of Rock」に出演、こちらは最寄りのFM局で聴くことができ、10代のリスナーを中心とした内容の番組に出演というあり得ない状態でどんなことが起きるのか目が離せないものです。

この曲は、作詞吉田美奈子で、1980年5枚目アルバム「Ride On Time」に収録されたナンバー。

先行シングル「RIDE ON TIME」がカセットテープCMに起用され、オリコンチャート5位を記録するヒットとなり、「ニューミュージック」全盛と合い重なり、初のオリコンアルバムチャート1位を獲得、山下達郎の名を音楽界に見せ付け、多くのファンをつかみ、カセットテープ本体の価格低下に伴い、1980年代のドライブには山下達郎が常に流れている光景を見ることとなる・・・


そんな優香と同じ潜在能力の山下さんですが、


1960年代のアメリカンポップス・ロックに影響を受けた、良質な楽曲を制作し続けるミュージシャンである。

また、日本におけるアカペラ・ドゥーワップのオーソリティの一人であり、自分自身のヴォーカルを多重録音する“1人アカペラ”という手法を用いることでも知られている。

音楽作りに対して非常に厳格で、独自の製作姿勢から「職人」とも称される。

レコーディングの際には、ボーカル・バックコーラスはもちろん、編曲からギター、コンピューターの打ち込み、シンセサイザー、パーカッションまで1人で手掛けている。

すべての演奏を一人で行っている楽曲もあり、ギタープレイ、特に独特なタイム感の16ビートカッティングも得意とする。このような背景もあり、また自作と交互に妻である歌手、竹内まりやの作品もプロデュースしていることから、長い活動期間に比べて寡作となっている。

「本を出さない、アリーナで公演をしない、テレビに出ない」ことを公言している。

1990年から1998年まで、雑誌 『CUT』(ロッキングオン社)にて連載を行っており、連載終了時には渋谷陽一から書籍化を打診されたが、「こういうものは、記憶の片隅に残っていればいい。」としてそれを断っている。

また、日本武道館以上の規模の会場での公演を考えないことについては、日本武道館のような大会場の音響効果に疑問を持っていることと、末席からオペラグラスで見るような状態になるのは観客に失礼だからとしている。2010年10月31日に行なわれた「WARNER MUSIC JAPAN 40th. Anniversary ~100年 MUSIC FESTIVAL~」にて初めて武道館のステージに立ったが、後日自身のラジオにて、「あのパイプ椅子というのがどうしても駄目なんですね。武道館のあのスタンドのプラスティックの無機質さ、無機質性というか、あそこで3時間やったら本当に疲れます、お客さんが。だから、やっぱり駄目かなと思いました。」と答え、今後もアリーナクラスへのステージには立たない旨の発言をした。

一方、大阪のフェスティバルホールには思い入れが強く、同ホールの建て替えについて強く反対、建て替えのための閉鎖期限であった2008年12月には、同月だけで4回公演を同会場で開催した。東京では中野サンプラザを中心に公演を行っている。また、コンサートではコード接続型のマイクを使用している。

1970年代後半から、他のアーティストへの曲の提供を始めた山下は、シュガー・ベイブ時代のプロデューサーであった大瀧詠一のナイアガラ・レーベル初期の作品に、コーラスアレンジ及びストリングスアレンジで参加しており、特に『NIAGARA CALENDAR』で深く関わっている。また、KinKi Kidsのデビュー・シングル 『硝子の少年』など、ヒット曲を出している。

シュガー・ベイブ時代のプロデューサーで、今も交流が続いている大滝詠一同様、ポップスマニアであり、インディーレーベルから発売された楽曲、メジャーレーベルから発売されてもヒットしなかったマイナーな楽曲に造詣が深く、未だにCD化していない楽曲は、レコード屋を探し回ってオリジナルのレコード盤を買っている。

ソングライターマニアで、下述する『山下達郎のJACCS CARDサンデーソングブック』では、アーティスト別に特集を組む場合とソングライター別((例)キャロル・キング特集)で特集を組む場合がある。1980年代後半には、プラモデルも熱心な趣味のひとつであり、とりわけ第二次世界大戦時の爆撃機の模型を集中的に作っていたという。また、落語に造詣が深く、古今亭志ん生の芸風を好みとする、山下のラジオパーソナリティやステージでのMCの際の軽妙な語り口には、落語への興味の影響がみられる。


2011年11月から半年にかけて、全国64公演でコンサートを行う。

抱きしめてロビンソン

2011-08-09 22:00:00 | わしやま音楽祭Vol.14
お届けするのは

安室奈美恵「太陽のSEASON」


この曲は、EMI時代の1995年に前作「TRY ME 〜私を信じて〜」の大ヒットを受けて発売されたユーロビート路線第2弾。

VERONICA SALESの「SEASON」のカバー。同時期にKING & QUEENが「SEASON (LOVING NOW)」に改題してカバーしている。

「安室奈美恵」単独名義のシングルではあるが、CDの裏ジャケットにはスーパーモンキーズ(現・MAX)の写真とともに「安室奈美恵 with SUPER MONKEY'S」のクレジットが記されており、音楽番組ではバックダンサーとして共に出演していた。

その後はエイベックスに移籍し、プロデューサー小室哲哉のもとで、出す曲出す曲がチャートの上位に入るヒットとなり、若年層の女性を中心に彼女のルックスを真似る人が増え、「アムラー」旋風を起こすこととなる・・・

頂点を極めるも、人気絶頂での若年妊娠による結婚や離婚、肉親による不慮の事件という不幸ごとを乗り越え、30代の現在も女の中の女として第一線を走っている・・・

最近情報では37枚目のシングル「NAKED/Fight Together/Tempest」を7月末にリリース、25公演のツアー真っ最中である。

gooランキングで彼女の好きな曲ランキングの1位はもっともヒットした「CAN YOU CELEBRATE?」である。

あきらめちゃだめよ、もっともっとやりたいことしよう。

2011-08-09 22:00:00 | わしやま音楽祭Vol.14
お届けするのは

KARA「GOGOサマー!」(高音質)

KARA(カラ)とは、甘いメロディーという意味を持つ言葉。これに、ギリシャ語「CHARA(喜び)」を加えて、「KARAに音楽を通じて喜びを与えたい。」という気持ちが込められている。


この曲は2010年日本デビューして4枚目のシングルとして、2011年6月にリリースしたナンバーで、オリコンチャート2位を記録したナンバー。

メンバーは、

新垣結衣と同じ潜在能力のギュリ、

仲間由紀恵と同じ潜在能力のスンヨン、

瀧本美織と同じ潜在能力のニコル、

高島礼子と同じ潜在能力のハラ、

松下奈緒と同じ潜在能力のジヨン。


エピソードとして、

メンバーは、所属事務所所有の寮に全員で一緒に住んでいる。

KARAのファンを「カミリア」と呼ぶが、これは「Kamilia (KARA + Familia:家族)」という意味の造語である。




まるまるまるまるまる

2011-08-08 22:00:00 | わしやま音楽祭Vol.14
お届けするのは

プッチモニ「ちょこっとLOVE」

1999年シングル「LOVEマシーン」の大ヒットで全国区になったモーニング娘。のメンバーで結成した派生ユニット。

この曲は1999年師走前「LOVEマシーン」がオリコンチャートTOP20入りしている最中にリリースしたナンバーで、オリコンチャート1位を獲得し、年末に伴い、忘年会ネタでも評判ということで「LOVEマシーン」のまたもチャート上昇で、2曲TOP10入りしたことで話題になり、ミリオンヒットを記録し、自己最高のヒット曲となる。

スウェーデンのグループ・スマイルdkが、後に「Petit Love」の曲名でカヴァーしている。

オリコン調べでは2000年代1作目のミリオン達成シングル。(1990年代からの合算。2000年代にリリースされた作品に限定するとサザンオールスターズの「TSUNAMI」になる)
プッチモニはメンバーチェンジを2度行ったが、その都度そのメンバーでレコーディングを行い、3バージョンの「ちょこっとLOVE」が存在する。

アップしたのは結成当初のメンバー、保田圭、市井沙耶香、後藤真希。

現在はグループから抜け、それぞれの道へ巣立ってますが、保田、市井は舞台、TV、映画出演を行っているが、後藤は年内をもって芸能活動休止をするとのこと。「おつかれさまでした」

記憶にございましぇ~ん

2011-08-08 22:00:00 | わしやま音楽祭Vol.14
お届けするのは

ゆず「LOVE&PEACH」


神奈川県横浜市磯子区岡村出身の2人組で、トイズファクトリーの関連会社であるセーニャ・アンド・カンパニーに所属。


概略として、

ストリートミュージシャン出身で、路上時代は主に神奈川県横浜市中区伊勢佐木町の松坂屋前で路上ライブを行っていた。最初に路上に出たのは岩沢で、それを見た北川が音楽をしたいという想いを抑えきれず、バイト後「話があるから」と誘い出し、北川家のリビングで酒を飲みながら「一緒にやりたいんだけど」と告白。岩沢の返事はドキドキしている北川に比べてかなり軽くOKしたという。路上の最終日(1998年8月30日)は、台風直撃にもかかわらず、約7,500人が集まった。

2人の出会いは小学生の頃だが、クラスが違ったためあまり面識がなかったという。中学で初めて同じクラスになり、仲良くなり始める。中学時代にキャンディーズの「春一番」を初めて一緒に歌った。2人は別々の高校に進学したが、卒業後に中学時代の友達で4人組のバンド(北川がドラマー、岩沢がボーカル)を結成する(北川が入ったのは前のドラマーがやめてからだった)。しかし「残りの2人(ベース、ギター)と合わない」という理由から、先述のような経緯で2人でデュオを結成するに至った。

結成当初は「Light's」という名前だった(2人が吸っていたタバコの銘柄が、マイルドセブンライトだったことから)が、これを自分達に合っていない上にダサいと感じていた北川が、2人が当時一緒にやっていたバイト先の食事会で食べた柚子シャーベットから「ゆず」へと変更(因みにその時岩沢はバニラアイスを食べていたため、もしかしたら「ゆず」ではなく「バニラ」になっていたかもとよくネタにしている)。

音楽プロデューサーにJUN SKY WALKER(S)のベーシストである寺岡呼人を迎え、1997年『ゆずの素』でインディーズ・デビューする。翌年1998年1stシングル「夏色」、2ndシングル「少年」で立て続けにブレイク。1stフルアルバム『ゆず一家』は最終的に100万枚近い売上を記録した。フォーク復興の立役者として、新たなるフォークとして「ネオ・フォーク」と呼ばれるジャンルを確立した(本人らの自称は「平成の爽やかフォークデュオ」)。

2003年・2004年・2009年には「NHK紅白歌合戦」にも出場した。さらに、初のカウントダウンライブを横浜で行う。『栄光の架橋』がNHKの2004年アテネオリンピック放送の公式テーマソングに起用され、ゆずの知名度は更に高まった。2005年のベスト・アルバムの発売などを経て以降は、大物アーティストとの共演や各種イベントへの参加、メディアへの露出など、それまであまりなかったかたちでの活動もより積極的に行われるようになった。

ゆずのファンのことを「ゆずっこ」と呼ぶ(これは路上ライブ中に北川が勢いで言ってしまったためという)。公式ファンクラブ名は「ゆずの輪」である。ライブ前には演者と客・スタッフ・警備員含め全員で「ラジオ体操第一」を行い、アンコールのコール代わりにゆずの曲(「する~」「贈る詩」「サヨナラバス」「友達の唄」「虹」などが歌われた。最近は「贈る詩」が多い)を歌う(観客の誰かが歌い出し、いつしか大合唱)というのが定番となっている。また、日本では冬至の日に柚子湯に入る習慣があることから、それにちなんで、毎年12月22日には無料のライブを敢行している。この冬至の日ライブは、現在では珍しい録音録画完全OKのライブとなっている代わりに、ライブ会場は当日朝までシークレットとなっている。2010年は警備や場所の問題により、新たな試みとしてYoutubeによる配信(前日のゆずのオールナイトニッポンGOLD終了後のニッポン放送のスタジオで録画、2010年12月31日までの期間限定配信)で行った。

ライブではラッキィ池田などが考案の振り付けを会場全員で踊る「ダンスコーナー」のようなパートが設けられることが多く、「夏色」と並びライブのハイライトとなっている。

ほとんどの曲のアレンジはゆずとプロデューサー・寺岡呼人によるものであったが、2008年のアルバム『WONDERFUL WORLD』以降は外注のアレンジャー(蔦谷好位置など)が参加するようになり、アレンジに大きな変化が起きている。


この曲は2011年自身初の配信限定シングルで、フジテレビ「お台場合衆国2011〜ぼくらがNIPPON応援団!〜」テーマソング。


今まで出した中で、あまりにも面白い曲ということでアップしました。


一生一度の人生

2011-08-07 22:00:00 | わしやま音楽祭Vol.14
お届けするのは

小原乃梨子「のんきなのび太くん」

本日は彼女が2代目として25年間声優を務めた(1979年から2005年までテレビ朝日版「ドラえもん」において)のび太くんのお誕生日ということでアップしました。


のび太くんとは・・・

勉強は駄目、スポーツも駄目、何をやらせても冴えない少年。

物語は彼の不幸な将来を変えるために、未来の子孫であるセワシからドラえもんが送られたことから始まる。

以降、困りごとがあったり、トラブルに巻き込まれるとドラえもんに泣きつき、ひみつ道具に頼ろうとする。

それに応じて出したひみつ道具を応用することに関しては、時折天才的なひらめきを見せるが、結果的に失敗することが多々ある。

大長編シリーズおよび映画シリーズでは上に述べた欠点が希薄になり、しばしば勇敢な少年として描かれる。

このことは作品内でもスネ夫に、のび太は大長編だとかっこよくなるという旨のセリフを言わせている。


特技は睡眠、あやとり、ピーナツの投げ食い、鼻くそを丸めての射撃、漫画を読む。

何をやってもダメで、ジャイやスネにいじめられ、周りから叱られてばかりいながらも大人になって、学校一のヒロインしずちゃんと結婚するというめでたい男になっていくのだけど、そんな中、横山泰行著「のび太という生き方」があり、のび太の研究をまとめた内容で、今その本を読んでますが、


のび太は屈していても夢や希望は常に持っていて、ジャイやスネなどに馬鹿にされ力で押されても、あきらめない心は最強であるもの、性格が完全主義でなく、中途半端なもので、自分が楽しみにしている特技で自分なりの満足を得て、まさにのんびりしている魅力があるのではないでしょうか・・・

で、


「のび太という生き方」に対しての感想を紹介。


糸久拓見氏による感想を。(逗子開成中学・高等学校HPより)

 「ドラえもん」はマンガ世紀の最高傑作と言われ、海外でも人気の高い不朽の名作である。このマンガの主人公でダメなやつの代名詞にもなっているのび太について多くの読者は、成績が悪く、運動もまるで駄目、先生や母親に叱られることは日常茶飯事、友だちからはいじめられてばかり、しかし、ドラえもんのひみつ道具が彼に夢を運んでくる…と思っているかもしれない。だが、「のび太という男の子は、じつは想像以上に人生を上手に歩んでいる」と著者は言っている。僕も本書に出会うまで、「ドラえもん」について、小学生向けのマンガとしか思っていなかったし、無理に回を重ねている感があった。しかし、実は大部分のひみつ道具に、常に何らかのメッセージがあり、それらを総括して言うと、何が起ころうと自らの力で解決することが最も良い対処法であるということだ。本書を読んで作者の子供たちへのメッセージが「ドラえもん」の底流にあることを知り、目から鱗が落ちた。また、「ドラえもん」の内容は多様化しており、いじめや、不登校、自殺志願といった問題から、環境問題など、現代社会が抱えている問題を、その問題に対する価値あるメッセージと共に取り込んでいると著者は分析している。このように考えると、「ドラえもん」は非常に奥が深く、「所詮はマンガ」の一言では片付けられないように思う。のび太はひみつ道具の助けや自らが置かれた境遇により、潜在意識の中で眠っていた、優れた資質が現れた。言いかえれば、のび太の中で眠っていた原石がひみつ道具などにより磨かれていった結果、美しく輝く宝石となったのである。僕の中に眠る原石はまだ、宝石にはなっていないけれども、磨くことができるきっかけを可能なだけ掴みたいと思う。

 僕は心配症でマイナス方向に考えすぎだとよく言われる。これは自分でも感じていることで、例を挙げれば数限りないほどだ。また、自分に対する自信もなく、よく失敗してしまう。よく失敗する点は似ているが、僕とのび太との大きな違いは楽観的か悲観的かという点だと思う。のび太はあまり事態を深刻に受け止めることなく、何事に対しても、失敗を恐れずに比較的さらりと対応する。しかし、僕はと言うと、何事も深刻に受け止めすぎる傾向があり、失敗を恐れてなかなか行動に移ることができない。まず、夢を叶えるために、先の事をあまり深く考えず、今取りくんでいる事に全力を尽くし、失敗してしまったら再度チャレンジすればいいという考えを念頭に置いておきたいと思う。「ほかのものが目に入らないほどの集中力を持って目標に打ち込むことで、『くじけない心』は、さらに強さを増すことができる」と著者は言う。「くじけない心」は僕に決定的に足りないものである。しかし、今の僕には一心不乱になって打ち込むことができるものがないので、まずそれを探さなくてはならない。また、のび太はどんなに痛めつけられても、悪口や妬みよりも、「なにくそ」といった反発力の方ヘエネルギーを昇華させている。このように、悪口を口にせず、行動するためには、他人の素晴らしい面を素直に「いいな」と肯定する姿勢が必要で、そういう姿勢が、自分を成長させられるのである。しかし、「いいな」と肯定することはできても、悪口や妬みにエネルギーを使わないのは難しいと思う。これも心のゆとりが関係しているのだろう。本書を読み進めて、夢を叶えるための法則と今の自分との違いを知り、少々落ち込んでいる中で、ただ一つ一致しているものがあった。それは、「欲があまり無い」という点である。この一致は非常に嬉しく思えた。のび太の長所として代表的なものに、優しく何に対しても分け隔てなく接することができるというものがあり、そのような姿勢が楽しく暮らしながら夢を叶える基礎だと著者は言っている。つまり今も社会に根強く残っている差別や偏見を無くし、相手がどんなものであれ、優しく接しようということだ。これは個人がそれぞれ自覚しなくてはいけないと思う。また、藤子・F・不二雄が「ドラえもん」を描いていた頃よりも、大人も子供も忙しくなっているので、その分、ストレスが溜まりやすいと思う。それは少年犯罪の件数が増えていることからも分かる。日々、メディアを騒がせている少年犯罪の中には、両親や学校の先生に見離されたことが原因となっているように見受けられるものがある。親が子供を叱ることは、実は子供がまだ親に信用されており、見離されてはいないことの証なのだということを改めて感じた。

 ダメなやつの代名詞であるのび太から人生について学んだことは癪ではあるが、僕以外にものび太から色々と学ぶべき人々は沢山いると思う。やがて勝ち組となるであろうのび太の生き方を見ていると、大らかに、前向きに、自分を見失うことなく、淡々と生きていく事が大切だと思うし、親や友だち、ひいては社会に受け入れられているという実感もとても大切なことだと思った。また、のび太が夢を叶えることが出来た根本的な理由はドラえもんと出会ったからである。つまり、ドラえもんはロボットの形をした希望そのものであると言える。僕にロボットの形をしたドラえもんはいないけれども、心の中にドラえもんは存在する。希望を持ち続けることにより、心の輝きを失わずに、豊かな人生を送りたいと思う。

果たして大人になったのび太の顔は・・・



OR






どっちだろうか・・・?
そんなレッチリのアンソニーと同じ潜在能力の小原さんですが、

のび太をする前は、「タイムボカン」シリーズのドロンジョなど悪役お色気キャラ、「アルプスの少女ハイジ」のペーター、「未来少年コナン」の主人公コナン・・・という声優生活24年(テレ朝版「ドラえもん」放送開始した1979年基準で)というベテランで、

そんな面白いエピソードを。

『ヤッターマン』の収録中、当時掛け持ちしていた『ドラえもん』の収録スタジオと勘違いし、「ドラえもーん、じゃなかった、ボヤッキー」と言い間違ったことがある。

ところが、その部分はカットされず、そのままオンエアーされた。後のインタビューで小原は、「意外と面白かったのでそのまま使った」との事。(『ヤッターマン』及び一連の『タイムボカンシリーズ』では、台本よりアドリブ優先の考えが強かったことを裏付けるエピソードといえる)

26年間「のび太」を務めた後、

2005年、第14回日本映画批評家大賞で、大山のぶ代ら『ドラえもん』(テレビ朝日版)のオリジナルレギュラー陣4人とともに田山力哉賞を受賞。さらに2006年11月、第11回アニメーション神戸で、同じくオリジナルレギュラー陣4人とともに特別賞を受賞。2007年3月には東京国際アニメフェア2007で、同じくオリジナルレギュラー陣4人とともに第3回功労賞を受賞。

2007年3月3日、第1回声優アワード功労賞を受賞。

現在もキャリア56年、声優業をこなしている。

弘前へ・・・

2011-08-06 22:00:00 | わしやま音楽祭Vol.14
お届けするのは


ザ・スパイダース「エレクトリックおばあちゃん」

この曲は、1970年の12月に解散が決定したザ・スパイダースの、グループとしての最後のシングル。

詞・曲ともアメリカのポップ・デュオ、ジャン&ディーンJan&Deanの1964年のヒット曲、『パサディナのおばあちゃん The Little Old Lady From Pasadena』を下敷きに作られている。

赤いダッジで通りを猛スピードで走る老婦人の歌で、同曲のパサディナに対し、こちらは青森県の弘前市から来たおばあちゃんという設定である。歌詞にはハイジャック、シージャックといった言葉が盛り込まれ、この年に日本で発生したよど号ハイジャック事件や瀬戸内シージャック事件を連想させる作品となっている。

オリコンチャート67位を記録。

その後、作曲を手がけたかまやつひろし(ムッショかまやつ)が脱退し、そのままグループは解散。

ザ・スパイダースとしての再結成はこれまでに数回行われている。

1977年3月にNHKの歌番組『流行歌この10年』で、GS全盛期のオリジナルメンバー7人全員が参加し、『夕陽が泣いている』『バン・バン・バン』などを演奏。

1981年1月の「さよなら日劇ウエスタン・カーニバル」で、GS全盛期のオリジナルメンバー7人全員が参加して、往年のヒット曲や『アラウンド・アンド・アラウンド』『デイ・トリッパー』などを演奏。

1989年岡田美里との結婚披露宴でヒット曲を演奏した。

1995年8月、関口宏司会のTV番組『関口宏のびっくりトーク ハトがでますよ!』で堺正章が特集された際、番組の中でGS全盛期のオリジナルメンバー7人による「堺正章バースディパーティー」が企画され、全員で『あの時君は若かった』を演奏。

2000年、自殺した作曲家で元「ジャッキー吉川とブルーコメッツ」ボーカリストの井上大輔(当時は本名の井上忠夫で活動)の音楽葬で、ベースの加藤を除くオリジナルメンバー6人で再結成し、往年のヒット曲メドレーを演奏した。

ザ・スパイダースとしてではないが、1999年には堺正章、かまやつひろし、井上堯之の3人によるユニット「ソン・フィルトル」が結成され、紅白歌合戦に出場した。2008年には、テレビ特別番組ザッツ宴会テイメントで、田邊、加藤、大野以外のメンバーが出演し、「バン・バン・バン」「夕陽が泣いている」「フリフリ」「エレクトリックおばあちゃん」などを披露した。

堺正章が司会をするTBS系料理バラエティ『チューボーですよ!』には、かまやつひろしや、井上順がゲストとして出演する回も多く、『バン・バン・バン』などを披露したり、堺正章と井上順がそろって懐メロ番組に出演し、往年のヒット曲を歌う機会は何度もあった。

本日はメンバーのひとり堺正章さんが戸籍上お誕生日になるのでアップしましたが(実際は6月6日)、

そんな高橋みなみと同じ潜在能力のマチャアキですが、

趣味は番組の取材がきっかけとなったイタリア車で、イタリアのクラシックカーイベント、「ミッレミリア」や、その日本版である「ラ フェスタ ミッレミリア」に出場している。

クラシックカーイベントには、コレクションの中の、アルファ・ロメオ 1900 SS ザガートクーペ、フィアット 8V ザガートクーペなど、1950年代の稀少車で参加しているほか、知人のチシタリア 202(Cisitalia 202)のドライバーを務めたこともある。

デイリーユースにはマセラティ・クアトロポルテを愛用しており、運転は日常的に行っているようである。しかしながら若い頃から自動車好きというわけではなく、30歳近くまで自動車運転免許を持っておらず(多忙により免許を取る暇が無かったと後に述べている)、免許取得後もそれほど熱が入るわけでもなかったが、イタリアのミッレミリアをTV番組の取材で観戦した後から急激に没頭していく。免許を取得する試験の日、前もって注文しておいたメルセデス・ベンツSLを試験場に持ってきて、取得したその足で乗って帰ったというエピソードがある。

また、無類の麻雀好きとしても知られており、フジテレビ系不定期生番組『THEわれめDEポン』は歴代最多出場、通信対戦麻雀闘龍門の広告の一面にも登場した経歴を持つ。

アクション芸の習得が非常に早く、そのレベルも非常に高い。『西遊記』収録当時、通常ならば習得に3ヶ月ほどかかる棒芸をわずか1週間で習得したことなどが、『西遊記』DVD特典映像で語られている。2006年の香取慎吾が主役の『西遊記』で、最終回にゲストとして「お釈迦様」役で出演した時も、見事な棒さばきを披露している。また『新春かくし芸大会』で毎年のように高難易度のかくし芸を披露することから「Mr.かくし芸」の異名を得ていた。

名前がフジテレビの元アナウンサーの堺正幸と似ていることから、新聞のテレビ欄に本人の名前と誤植で記載されたことがあり、本人もネタにしていた。

オリエンタルラジオの藤森慎吾をかわいがっており、「一緒にドバイに行こう」と誘ったときもある。しかし、藤森が300万円の腕時計に水を掛けてしまい、壊されたこともある。

そんなマチャアキは「世界一受けたい授業」、「チューボーですよ!」の司会をこなし、芸能生活60年を迎える・・・



39度のとろけそうな日って・・・

2011-08-05 22:00:00 | わしやま音楽祭Vol.14
お届けするのは

センチメンタルバス「Sunny Day Sunday」

明日第93回全国高等学校野球選手権大会が開幕ということであっぷしました。


出場校一覧


北北海道代表 白樺学園(5年ぶり2回目)

南北海道代表 北海(3年ぶり35回目)

青森代表 光星学院(8年ぶり5回目)

岩手代表 花巻東(2年ぶり6回目)

宮城代表 古川工(春夏通じて初出場)

秋田代表 能代商(2年連続3回目)

山形代表 鶴岡東(30年ぶり3回目)

福島代表 聖光学院(5年連続8回目)

茨城代表 藤代(6年ぶり2回目)

栃木代表 作新学院(2年ぶり7回目)

群馬代表 高崎健康福祉大高崎(春夏通じて初出場)

埼玉代表 花咲徳栄(10年ぶり2回目)

千葉代表 習志野(10年ぶり8回目)

東東京代表 帝京(2年ぶり12回目)

西東京代表 日大三(2年ぶり14回目)

神奈川代表 横浜(3年ぶり14回目)

山梨代表 山梨学院大付(2年ぶり5回目)

新潟代表 日本文理(2年ぶり6回目)

富山代表 新湊(12年ぶり5回目)

石川代表 金沢(3年ぶり13回目)

福井代表 福井商(2年連続21回目)

長野代表 東京都市大塩尻(春夏通じて初出場)

静岡代表 静岡(8年ぶり22回目)

愛知代表 至学館(春夏通じて初出場)

岐阜代表 関商工(春夏通じて初出場)

三重代表 伊勢工(23年ぶり2回目)

滋賀代表 八幡商(5年ぶり7回目)

京都代表 龍谷大平安(2年ぶり31回目)

大阪代表
東大阪大柏原(春夏通じて初出場)

兵庫代表 東洋大姫路(5年ぶり12回目)

奈良代表 智弁学園(3年ぶり16回目)

和歌山代表 智弁和歌山(7年連続19回目)

鳥取代表 鳥取商(7年ぶり2回目)

島根代表 開星(2年連続8回目)

岡山代表 関西(5年ぶり8回目)

広島代表 如水館(2年ぶり7回目)

山口代表 柳井学園(春夏通じて初出場)

香川代表 英明(2年連続2回目)

徳島代表 徳島商(4年ぶり23回目)

愛媛代表 今治西(4年ぶり11回目)

高知代表 明徳義塾(2年連続13回目)

福岡代表 九州国際大付(2年ぶり4回目)

佐賀代表 唐津商(27年ぶり4回目)

長崎代表 海星(9年ぶり16回目)

熊本代表 専大玉名(春夏通じて初出場)

大分代表 明豊(2年ぶり4回目)

宮崎代表 日南学園(4年ぶり6回目)

鹿児島代表 神村学園(4年ぶり2回目)

沖縄代表 糸満(春夏通じて初出場)



これからの熱戦に目が離せないものです!





ちなみに、この曲は、

1999年、4枚目のシングルとしてリリース。

この曲の編曲は田原俊彦、小泉今日子、レピッシュ、米米CLUB、氷室京介、吉川晃司、布袋寅泰など手がけているホッピー神山が担当している。

大塚製薬「ポカリスエット」CMソングに使用された。

ジャケット写真は神奈川県立保土ヶ谷公園硬式野球場。

仮タイトルは「野球ぱんく」。

テレビアニメ『巨人の星』の効果音を大々的にサンプリングしていて、PVも野球応援をテーマにしている。

夏の高校野球にて各代表校の応援団の定番曲のひとつになっている。済美高等学校が特に有名。

音ゲーで使われることも多い。

オリコンチャート4位、年間39位と最大のヒット作品となった。

バンドの方は、自主レーベル「ひらつかレコード」を立ち上げ、自宅録音を中心に音楽活動をしていた鈴木秋則(Key)と鈴木が通っていた専門学校の同級生赤羽奈津代(Vo)によるユニットで、1998年「よわむしのぬけがら」でメジャーデビュー、4枚目のこの曲のヒットで知名度を上げ、TV音楽バラエティ「LOVE LOVEあいしてる」に出演、歌の場面で鈴木がキーボードをなぎ倒すパフォーマンスをして、レギュラー出演していたシンガーソングライターの吉田拓郎に怒られたりしつつも、あまりヒット曲を出すことなく、20世紀最後の2000年12月31日をもって解散。鈴木のほうは立ち上げたレーベル「ひらつかレコード」に戻り、スタジオ・ミュージシャン、作曲家、編曲家、エイベックス・アーティストアカデミーの講師など多彩な活動を行なっている。


気ままに生きても誰も文句は言わないよ

2011-08-04 22:00:00 | わしやま音楽祭Vol.14
お届けするのは

加藤清史郎「かつお節だよ人生は」

本日は加藤清史郎氏の誕生日ということであっぷしました。

この曲は2009年9月2日、NHK・みんなのうたで2009年夏に流れ、EMIから歌手デビュー。

この曲の作詞高田ひろお、作曲佐瀬寿一のコンビは、オリコンシングル歴代最高売り上げナンバー「およげ!たいやきくん」(子門真人)、「パタパタママ」(のこいのこ)など子供向けの楽曲を手がけている。

この曲はCD売上約2万枚、音楽配信と着ボイスの合計で13万ダウンロードに達している。

そんな緒方恵美(碇シンジも)と同じ潜在能力の加藤氏ですが、

プロ野球は熱烈な阪神ファンであることを明かし、特にお気に入りは昨年現役を引退した赤星憲広元外野手と金本知憲外野手だという。阪神ファンの理由について、加藤自身は2010年1月15日放送のTBSのバラエティー番組『ぴったんこカン・カン』で、祖母が大阪市の出身であるためとしている。ただし父親は鹿児島県の出身であり、「鹿児島にはプロ野球のチームがないから阪神を応援している」と公言している。

好きな女優は天地人でも共演した高島礼子。

好きな歌手はMr.Children、コブクロ、東方神起。

目標にしているのは嵐の櫻井翔で、将来は櫻井のようにニュースキャスターもやってみたいと話している。

彼は、映画「忍たま乱太郎」 (2011年)に主役乱太郎に出演、その後、アニメ映画「friends -フレンズ- もののけ島のナキ」(2011年)にて、コナキ 役(声の出演)を演じる。

本日10歳になりますが、人ひとり「大人」として見てあげましょう!

お嬢さん、マジで惚れちまったよ~

2011-08-03 22:00:00 | わしやま音楽祭Vol.14
お届けするのは

VAN HALEN「You Really Got Me」

アメリカのハードロックバンド。 「ジャンプ」などのヒット曲で知られる。また、リーダー兼ギタリストのエドワード・ヴァン・ヘイレンは、「ライトハンド奏法」を広く普及させたことで知られる。全米で5,650万枚、全世界で8,000万枚以上のアルバムセールスを記録している。

この曲は1978年記念すべきデビューシングルで、オリジナルはイギリスのロックバンド「キンクス」によるカバー曲で、当時の福岡北九州洋楽チャート(KBC今週の洋楽ベスト10より)では最高2位を記録ヒットとなった。

デビューアルバム「炎の導火線」に収録され、デビューから半年後に早々と来日公演を果たしている。

この曲のボーカルはデヴィッド・リー・ロスで、その後「オー・プリティ・ウーマン」(オリジナルはロイ・オービソン)、「JUMP」などヒット曲を出すも、ソロアルバムを出し、ヒットしたことが引き金となり、バンドを脱退、解散の危機に陥るも、新ボーカリストサミー・ヘイガーが加入し、新たなファンをつかみ、「Dreams」、「Can't Stop Lovin'You」などのヒット曲を出すも、サミーもレコーディングをめぐりリーダーのエディとの対立で脱退、3代目に一時的ボーカリストであるがゲイリー・シャローンが入ったりと、昨日紹介したレインボウ同様、ファンの間では好きなボーカルが分かれるバンドともいえよう。現在は初代ボーカリストだったデヴィッドが務めているが、長年ベースを担当していたマイケル・アンソニーが抜け、エディの息子ヴォルフガング(北乃きいの1日後に生まれている)が務めている。ちなみにマイケル・アンソニーはサミー・ヘイガーのバックバンドをしているとのこと。



・・・です、あれ~!どらえもぉ~ん?

2011-08-02 22:00:00 | わしやま音楽祭Vol.14
お届けするのは

Rainbow 「Death Alley Driver」

9月にはRainbowという女性グループが日本でデビューするとのことで注目されてますが、

ハードロックバンド「Rainbow」のことを忘れてはいないだろうか?


1975年ディープパープルを脱退したリッチー・ブラックモアが「ハードロック」を追求し結成したバンドで、初期は中世ヨーロッパ路線でヨーロッパ、日本で人気を確立するも、アメリカではいまひとつの状態で中期あたりで、アメリカを意識し、アメリカ受けの歌詞の路線になり、その主導権を握っているリッチーの音楽路線に対し、不満を持つメンバーがいたりし、脱退の激しいバンドでもあった。

バンドの鏡であるボーカルも再結成を含め4人代わっていて、レインボーの好きな人にとっては初期が好きという人、後期が好きという人様々である。

で、本日は後期レインボーの3代目ボーカリストだったジョー・リン・ターナーのお誕生日ということであっぷしました。

この曲は6枚目のアルバム「闇からの一撃-Straight Between the Eyes-」の一曲目に収録されているナンバーで、1981年のワールド・ツアー終了後にキーボードのドン・エイリーが脱退し、あらたなキーボードプレイヤーとしてオーディションで選ばれたデイブ・ローゼンサルが加入し制作されたアルバム。

カナダのモーリン・ハイツにあるレ・スタジオが使用され、同バンドとしては初めてデジタル録音が行われた。前作では途中参加のため作曲に関与しなかったジョー・リン・ターナーは、今回は全面的に作曲でも参加している。


リッチーのコメントによれば、原題である『Straight Between the Eyes』は、1967年ごろ、ジェフ・ベックがロンドンの酒場でリッチーと話していた時の発言が元になっている。この時の会話でジェフ・ベックは、ジミ・ヘンドリックスのプレイを「He hits you straight between the eyes!」と評した。


そんな雛形あきこと同じ潜在能力のターナーですが、1984年のバンド解散後、ソロシンガーとして1985年に初のソロ・アルバムにあたるパワー・ポップな曲を中心とした"Rescue You"を作成、元フォリナーのアラン・グリーンウッドが参加、ロイ・トーマス・ベイカーの制作でエレクトラからリリースされたが、ソロシンガーとしては未だ大きな成功を収めてはいない。

むしろブラックモアのフォロワーイングヴェイ・マルムスティーンのグループに参加するなどギタリストの為のヴォーカリストとしてのオファーが増えてくる。

元ナイト・レンジャーのジェフ・ワトソンの"MOTHERS ARMY"、ドイツのグループピンク・クリーム69のギタリストとのSUNSTORM、フィンランドのグループBRAZEN ABBOT、トルコのギタリストCem Köksalや日本のギタリスト梶山章のアルバムなど世界中で「元レインボー」の声は確実に重宝されている。

1990年には、イアン・ギランが一時グループを離れたディープ・パープルに加入しアルバム「スレイヴス・アンド・マスターズ(Slaves & Masters)」に参加したが、アルバム一枚で解雇されている。

近年はグレン・ヒューズとのコラボレーションの他、フィル・スーザン、カルロス・カヴァーゾらと新たなるグループBIG NOIZEを結成している。現在までに11枚のソロ・アルバムをリリースし、ギターリストのKarl Cochranと共作をするなどをしてアメリカ北東部を中心に音楽活動を行っている。

2008年11月、リッチー・ブラックモアの長男、ギタリストのユルゲン・ブラックモア、元レインボーのキーボードトニー・カレイ、ドラムのボビー・ロンディネリ、ベースのグレッグ・スミスと新バンド「オーヴァー・ザ・レインボー」(Over the Rainbow)を結成、現在の至って、本日還暦を迎える。

1984年レインボー日本武道館公演より。
余談。音楽をやる前は、英文学の先生だったそうです。

犬には・・・ん~・・・

2011-08-01 22:00:00 | わしやま音楽祭Vol.14
お届けするのは

太郎「古任三郎の歌」



本日は古畑任三郎を演じた田村正和さんのお誕生日ということで、古畑を振り返る形で取り上げてますが、

こちらでは、警部補古畑任三郎によって捕まった犯人を紹介します。

小石川ちなみ(こいしかわ ちなみ)(中森明菜)
少女コミック作家で、代表作は「カリマンタンの城」「アゼルバイジャンの夜は更けて」(小説版では「ジンバブエの夜は更けて」に変更となっている)。漫画家と呼ばれることを嫌い、コミック作家と呼ばれることを好む。愛犬は万五郎という名前のゴールデンレトリバー。生きることに消極的な女性だが、料理が得意など家庭的な側面も持っている。
古畑によって殺人を暴かれ、逮捕されたものの、古畑からは励ましの言葉を受けている。第2シーズンにて小清水潔の弁護によって無罪となる。以後も古畑と今泉とは交流が続いており、後にちなみが結婚した際、古畑は式に招待されている。その後、アトランタの住居へも招かれている。また、第42回にて大野もみじによく似た女性として古畑が彼女の半生を語った。

中村右近(なかむら うこん)(堺正章)
歌舞伎役者であり、彼は六代目にあたる。『なるほど!ザ・ワールド』をはじめ、テレビ出演もしている。

笹山アリ(ささやま アリ)(古手川祐子)
精神科医で笹山神経科クリニックの院長。

幡随院大(ばんずいん だい)(笑福亭鶴瓶)
推理作家。著書に鮫島警部ならぬ「鯨鳥(くじらとり)警部」を主人公としたシリーズがある。最新作は「虚栄の航跡」であるが、こうした小説のタイトルは適当に辞書を引いて単語を組み合わせているだけ。

米沢(よねざわ)八段(坂東八十助)
将棋棋士。合理主義者で、和服を合理的という理由で若い頃から愛用。

井口 薫(いぐち かおる)(木の実ナナ)
世界的なピアニスト。気が強く、痴漢を殴り倒し、半殺しにしたことがある。その時にもスタンガンを使っていた。

大宮十四郎(おおみや じゅうしろう)(小林稔侍)
時代劇の俳優。古畑とは、対峙する中である種の信頼関係で結ばれていたと考えており、彼を最初見た時、「こいつはいい時代劇俳優になる」と思ったらしい。

中川淳一(なかがわ じゅんいち)(鹿賀丈史)
天真楼(てんしんろう)病院の外科部長。三谷が脚本が務めたドラマ『振り返れば奴がいる』の登場人物である。

黒田 清(くろだ きよし)(石黒賢)
自称超能力者。事前にタネを仕込むいわゆる「インチキ超能力」を使い続けていた。ただ昔は超能力が本当に使えたらしく刑務所内では力が蘇ったと証言している。

佐古水茂雄(さこみず しげお)(小堺一機)
参議院議員・鵜野忠邦(森山周一郎)の秘書。自分も政治家として国会議員になることが念願で、鵜野から後継者指名されることを期待していた。

中浦たか子(なかうら たかこ)(桃井かおり)
歌手、ディスクジョッキー (DJ) 。愛称は、おたかさん。出演番組に、ラジオ東京(東京放送の前身である同名のラジオ局とは無関係)で深夜1時から4時に放送している、「中浦たか子のミッドナイトジャパン」がある。事件の後、古畑は何度か面会に来ている。「消えた古畑任三郎」の前に来ていることが分かっており、行方を眩ます前に会った最後の人物ということになる。刑務所では模範囚で通している。
「赤い洗面器の男」の小咄を最初にした人物。後に三谷が脚本が務める映画『ラヂオの時間』にも登場している。

小暮音次郎(こぐれ おとじろう)(菅原文太)
警視庁の刑事で階級は警視。今泉から「ウチの署の神様みたいな人」と言われる大ベテラン。荒っぽい口調で、ヘビースモーカー。現場の最前線で戦う銃のプロで、古畑とは対照的だが、集団行動が苦手でいつも単独行動という点は同じである。違法薬物密売ルートに詳しい。「消えた古畑任三郎」では唯一声だけの出演をした。モスバーガーのことを“モスラバーガー”と間違えていた。

二本松晋(にほんまつ しん)(陣内孝則)
数学者。傲慢で欲張りで自信家。天才数学者・野田茂男(田口浩正)とコンビを組むことによって数学界の最高峰と言われる賞を受賞する。だが、数学者としての才能は二流であり、実質的には口下手で無愛想な野田のスポークスマン的な役目を果たしているに過ぎない。饒舌で取材にも好意的なためマスコミ受けはいいが、数学者の間ではほぼ無視されている。英語を話せる。

小清水潔(おしみず きよし)(明石家さんま)
敏腕弁護士。今泉の大学時代の同期。猫アレルギーを持つ。小石川ちなみの弁護も担当しており、彼女を無罪にした。

宇佐美ヨリエ(うさみ ヨリエ)(沢口靖子)
プライオリ女子学院の生活指導教諭にして寮長。同学院の卒業生。学院の戒律を恐ろしいほど守り、それを生徒にも強要する「歩く規則」的人物。獄中でもそれは変わらなかった。戒律によって、嘘は絶対につかない。

乾研一郎(いぬい けんいちろう)(草刈正雄)
ミステリーマニアの医者。家庭あり。

林 功夫(はやし いさお)(木村拓哉)
天神大学の電子工学部の研究助手。古畑が唯一手を上げた犯人。刑務所では模範囚となっている。

佐々木高代(ささき たかしろ)(加藤治子)
脚本家。本名は佐々木久子。代表作に「冬の蚊取り線香」(主演:桃井かおり)がある。

千堂謙吉(せんどう けんきち)(唐沢寿明)
学習塾の経営者だが、クイズ番組「クイズ王」のチャンピオンとして有名になる。CM出演もしている。

春峯堂(しゅんぽうどう)のご主人(澤村藤十郎)
骨董商。本名は不明。温和で物静かな口調の裏側に残忍な性格を秘めており、また独特の審美眼を持つ。それ故に、古畑の推理を間違えさせた唯一の犯人。

南大門昌男(なんだいもん まさお)(山城新伍)
元著名なマジシャンで高級クラブ「ゴーストキャッスル」のオーナー。若い頃よりプレイボーイとしても有名。指の怪我(したがって、いつも手袋をしている)によってマジシャンを引退し、マジック・ショーを売り物(及び後身育成も兼ねた)にするクラブを開いた。

若林 仁(わかばやし ひとし)(風間杜夫)
雑誌編集者で文芸雑誌「月刊カドマツ」の編集長。シリーズ中で一番間抜けな犯人として描かれているが、自らはそれが不満で、自分もその気になってやればもっとできたはずだと獄中でぼやいていた。

のり子・ケンドール(鈴木保奈美)
ニューヨーク在住。作家ネルソン・ケンドールの未亡人。

二葉鳳翆(ふたば ほうよう)(山口智子)
今泉が自律神経失調症のリハビリで通っているフラワー・アレンジメント学校の主宰者。元々看護師をしていたが、送られてくる花に興味を持ち、転身。二葉流華道の家元・二葉鳳水(長内美那子)に師事していたが袂を分かち、踊りながら花を生けるという独自の流派を開いた。

SMAP(スマップ) (SMAP) 【中居正広・木村拓哉・稲垣吾郎・草剛・香取慎吾】
アイドルグループ。友情で結ばれた5人で、共に同じ孤児院出身であり幼い頃から一緒だった幼馴染同士。
中居正広 - 責任感が強いグループのリーダー。殺人に最も反対していた。バラエティー番組の司会もしている。事件後1人で責任を全部かぶろうとする。
木村拓哉 - 挑戦的で派手な性格。仲間との団結に重きを置く。殺人計画を立案し、実際の現場ではロープの固定など主要な作業を担当。刑事ドラマの主役も務めている。
稲垣吾郎 - マイペースな行動が多く、気分屋な性格。直接絞殺には参加せずタイムキーパーを担当。舞台俳優も務めている。
草剛 - 仲間思いの悩める青年。彼の叔父(通称‘丸いおじさん’)はかつてSMAPの五人を世話してくれていた。彼が脅されたことが事件の発端となる。当初は犯行に参加する予定は無く、アリバイ作りを担当していた(被害者が死ねば真っ先に容疑者になるため)。
香取慎吾 - お調子者のムードメーカーのようで、頭の回転は速い。エレベーターの天井のボルト外しを担当。

黒岩健吾(くろいわ けんご)(緒形拳)
監察医。研究室で、自作のタレに漬けたアタリメを石綿付きの金網の上に乗せてアルコールランプであぶり、ペトリ皿に盛り付けマヨネーズをトッピングし、それをつまみにビーカーで酒を飲むことを好む。助手は春木(栗田貫一)。
遺体を検案する際は直腸温を調べるべく、肛門から始めるのが常(死亡時刻を割り出せるため)。

気楽家雅楽(きらくや がらく)(市川染五郎)
新進気鋭の落語家。兄弟子は気楽家苦楽(モロ師岡)。師匠は気楽家有楽(梅野泰靖)。

由良一夫(ゆら かずお)(真田広之)
メディアプランナーで、一度に何件もの仕事を抱える超多忙な男。それ故、常に携帯電話を手に仕事仲間や仕事相手と話している。岩田大介都議会議員(佐渡稔)のブレーンも務める。

荒木嘉右衛門(あらき かえもん)(松村達雄)
雛形村の村長。村人からは“お館様”と呼ばれ崇められている。

金森晴子(かなもり はるこ)(大地真央)
歯科医師で金森歯科クリニックの院長。食べ物など何か口に物を入れた後は歯磨きせずにはいられない職業病の持ち主。SMAPのファン。
古畑に、「アクチノバシラス・アクチノミセテムコミタンス」なる歯周病菌について教えた。

安斎 亨(あんざい とおる)(津川雅彦)
古畑の小学時代の同級生。主に恋愛系の小説家。妻は二回り年下の香織(三浦理恵子)。小石川ちなみの愛犬だった万五郎を古畑から預かっていた。
古畑任三郎シリーズの中で、唯一事件が発生する前に古畑に察知された(拳銃を持っていたが、古畑がこの件で立件したかは不明)。

黒井川尚(くろいかわ なお)(市村正親)
甲陽フィルハーモニー交響楽団の指揮者。絶対音感を持っている。

小田嶋さくら(おだじま さくら)(田中美佐子)
女流囲碁棋士。テレビの囲碁番組を持っている。夫は囲碁棋士の小田嶋佐吉(小日向文世)。

堀井 岳(ほりい がく)(福山雅治)
化学研究所所員。かつての事故で下半身不随となっており、常に電動車椅子に乗っている。

臺 修三(うてな しゅうぞう)(玉置浩二)
西洋美術研究家。スマトラからの帰りの飛行機内で事件に巻き込まれる。妻はもえ子(もたいまさこ)。好物はキャビア。

日下光司(くさか こうじ)(江口洋介)
動物愛護団体SAZ(Save Animals of Zoo「動物園の動物を守ろう」)の過激派のリーダー。SAZに雇われただけに過ぎず動物愛護には関心がない。犠牲者(より厳密には死傷者)を出すことのない「経済的な犯罪」の遂行に心血を注ぎ、犯罪をゲームのように楽しむ。

黛竹千代(まゆずみ たけちよ)(松本幸四郎)
南米の某国に駐留する、日本の特命全権大使。部下や古畑からは「閣下」と呼ばれる。他国から軽視されてはならないという主張のもとで大使館を豪華に飾り立て、自らも豪勢な暮らしをしていた。犯行を暴かれた後、自室にてリボルバーで自殺を遂げる。古畑が自殺を許してしまった唯一の犯人であり、後の『ファイナル』でもこの件は古畑が落ち込んだ事が今泉の口から語られている。

堀部音弥(ほりべ おとや)(藤原竜也)
パン製造工場を経営する堀部家の次男。世間知らずな子供じみた性格である。2代目社長であり兄である堀部大吉(千葉哲也)のもとで専務という肩書を与えられているが、実際には会社の運営には携われなかった。父と兄の相次ぐ死で社長に就任。趣味はラジコンで、社員・古畑・今泉・西園寺と遊んだことがある。猟銃の暴発により絶命。

天馬恭介(てんま きょうすけ)(石坂浩二)
郷土資料館の館長。元小学校の教師で校長で、堀部兄弟の恩師。

イチロー(イチロー)
メジャーリーガー。向島の腹違いの弟。フェアプレイを好み、嘘をつくことを嫌う。

大野もみじ(おおの もみじ)(松嶋菜々子)
売れっ子の脚本家。一卵性双生児の双子で、妹かえでと共に「加賀美京子」という共同ペンネームで執筆している。
大野もみじ(松嶋菜々子) - 双子の姉。ファッションには疎く、内向的な人物。
大野かえで(松嶋菜々子) - 双子の妹。姉とは逆に、お洒落で社交的な人物。




この曲を作った猫爪太郎氏について紹介すると、

YouTubeで私がこの曲を気に入って触れたい趣旨のコメントを送ったら、こちらの方に彼からコメントをいただきましたので紹介します。

十代の頃から作詞作曲、ライブ活動をしてきました。
八年間ほど、音楽から離れていましたが、三年前から再び音楽活動をはじめました。ライブだけでなく、ボーカロイドによる人口音声での音楽作りなどもしています。
もともと創作そのものが大好きで、小説を書いて投稿したりもしています。マイナーな入選と入賞しかしていないので、投稿するさいの氏名は秘密にしておきます。(^_^;
「古畑任三郎の歌」は、あまりにこのドラマにのめり込んで、ふだんから物真似めいたことまでするようになり、ついには歌にまでしてしまいました。バラエティ番組が大好きでお笑い系も大好きなので、また古畑の歌のような歌ができたらいいなと思っています。
この歌を楽しんでいただけたら、とても幸せに思います。

猫爪太郎 拝