河川改修前の粕川
ここは、嵐山町大字広野字上郷地内より粕川右岸の嵐山町大字杉山への通称大正新道に架かる大正橋上より改修前の粕川下流を望むスナップ写真です。
両岸には、見る通りの葦・茅等茫茫とした草原で両岸の草が川の中に垂れ込み、川水をせき止め少しの大雨降り時など、川水が氾濫し両岸端の水田耕地は水浸しとなり、田植直後の草苗は流され秋の稔り時は、稲は押し倒され稲穂が水浸しとなり豊作を夢みた秋の取り入れも水泡となった事は、しばしばでした。
遠方にのぞめるは関越高速自動車道で粕川にかかる鉄道です・文明開化の井音を夜も昼も、ゴウゴウと立てています。
これは前項改修前の粕川が一変して近代的粕川に様替りした姿です。矢張り大正新道大正橋より下流をのぞみ、広々とした耕地の中に一條の人工河川の竣工にてここより下流は、浜水に見舞われる心配がなく、両岸の稲作者も安堵の胸をなぜ下ろしていることでしょう。
ちなみにこの地点の左岸には第二堰と申す電動式井堰が設けられ水田等の灌漑には自動給水が出来る仕組みになっています。
はるか前方は高速道の鉄橋です。
大塚基氏編『粕川のほとり』(1989年)41頁~43頁
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