「戦国時代の橋」を再現 史跡公園・菅谷館跡にまた新名所
県が六千万円を投入、さる五十年(1975)から史跡公園整備を進めている比企郡嵐山町の菅谷館跡に、同事業の“目玉”となる「戦国時代の橋」がこのほど架けられ、中世の歴史のメッカにまた一つ新しい名所が誕生した。
菅谷館は、鎌倉時代に畠山重忠が築いた居館。その後、戦国時代に造りかえられたといわれており、現在は本郭(くるわ)を中心に二の郭、三の郭、西の郭、南の郭跡が扇状に残っている。それぞれの郭は、土塁と空堀で防備されているが、古記録などを総合すると、戦国時代には、この空堀に連絡橋が架けられていた。
県立歴史資料館では、昨年(1980)十月、西の郭と三の郭で発掘調査を実施。この結果、木橋は、三の郭の出入り口になっていたもので、手前には幅九メートルの門があり、ここは盛り土されて西の郭より約一メートル高くなっていた-などが確認された。また、空堀から木橋の橋脚を立てたと考えられる「石積み」が発見されたため、これを基にして、絵巻物全集などの資料、静岡県沼津市の山中城に復元されている中世の橋を参考にして、“戦国時代の橋”を再現した。
このほど完成した木橋は工費八百万円。ヒノキの丸太棒を敷いた長さ二十一メートル、幅二・四メートルの橋で、高さ一・一メートルの手すりが取り付けられている。これは再現できなかったが、戦国時代には、敵が侵入するのを防ぐために、橋は三の郭から引っぱって取り払えるようになっていた。
『読売新聞』1981年(昭和56)4月10日
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