Rum_sekiのお勧め

Rum_sekiが見たり聞いたり調べたり。

ISIS chanとISIL kun(ムスリムの子供達)その54 メキシコ

2016-07-31 15:53:51 | 日記

メキシコは、196万平方キロメートル(日本の約5倍)、約1億2,701万人(2015年国連)、北にアメリカ合衆国と、南東にグアテマラ、ベリーズと国境を接し、西は太平洋、東はメキシコ湾とカリブ海に面しており、首都はメキシコシティ、公用語はスペイン語です。

スペイン語圏においては最も人口の多い国だそうです。

メキシコという国名は、アステカの言語ナワトル語で、「メシトリの地」という意味だそうです。メシトリ(別名ウィツィロポチトリ)は、アステカ族の守護神です。太陽と戦いと狩猟の神で、アステカで最も信仰されていました。この神の名に、場所を表す接尾語「コ」をつけて、この地における国家の独立と繁栄に対する願いを込めてつけられました。

メキシコの民族は欧州系(スペイン系等)と先住民の混血(60%),先住民(30%),欧州系(スペイン系等)(9%),その他(1%)、国民の約9割がカトリック教徒です。

19世紀末には榎本移民団によるメキシコへの移住が始まり、第二次世界大戦後まで続きました。移民者の数は総計10,000人余りに達し、その子孫約2万名が現在でも日系メキシコ人としてメキシコの各地に住んでいます。

因みに、1613年(慶長18年)に仙台藩主伊達政宗の命を受けた支倉常長は、ローマ教皇に謁見すべくメキシコ、スペインを経由しイタリアのローマに向かいました。歴史の教科書の中では慶長遣欧使節として出ていますから、覚えている人もいるかも知れません。

この地は、紀元前1300年頃、メキシコ湾岸を中心にオルメカ文明が興り、紀元前2世紀から6世紀までテオティワカン文明、また、アステカ文明が15世紀から1521年まで栄えました。

その遺跡群と、スペインのメキシコ侵略によるアステカ文明滅亡後に作られたスペイン風の宗教建築などが、世界遺産に登録されています。

平均的には非常に温暖な気候で、沿岸部には世界的に有名なビーチリゾートがたくさんあります。東部・カリブ海沿岸ではカンクンなど、太平洋沿岸の西南部ではアカプルコやイスタパなど、西端にあり太平洋に面する細長いバハカリフォルニア半島のカボ・サンルーカスやラパスなどがこれに該当し、世界中から観光客を引きつけています。

因みに、アメリカ合衆国のテキサスやカリフォルニアは以前メキシコでした。

現在のテキサスにアメリカ合衆国人の入植を認めると、1835年にはアングロサクソン系入植者が反乱を起こし、1836年にテキサス共和国として独立しました。

その後、アメリカ合衆国が1845年にテキサスを併合すると、1846年にはテキサスを巡りアメリカ合衆国と米墨戦争が起こりましたが、メキシコはメキシコシティを占領されて1848年に敗北しました。その結果、テキサスのみならずカリフォルニアなどリオ・ブラーボ川以北の領土がアメリカ合衆国となったのです。

これが、いわゆるメキシコ割譲地です。

アメリカとメキシコの間に壮大な壁を作るという話もありますが、テキサス、カリフォルニアをメキシコから奪っておいて、壁を作るとはよく言えたものだと思います。

もっとも、この地はスペイン人がアステカ人などから奪った土地ですから、奪った土地を奪われるということなので何とも言いようがありませんが。

首都のメキシコシティはメキシコ最大の都市であり、都市圏人口は約二千万人、メキシコのみならずラテンアメリカの経済の中心地の一つです。

メキシコシティは、もとはアステカ王国の首都であった「テノチティトラン」です。ここは、アステカ人がやって来るまでテスココ湖が広がるのみでした。13世紀末にメキシコ盆地にやってきたアステカ人は、神託に従い、テスココ湖の湖上で干拓を行い、1325年に島を作り上げるとそこに都を築きました。アステカ帝国の拡大に伴いテノチティトランも巨大になり、最盛期には人口は20万人から30万人を数えたそうです。

都市から対岸には何本かの土手道が築かれ、中央部にはピラミッドの築かれた壮麗な都市となりました。テスココ湖は塩分を含んでいましたが、南東部には湧水があったため南東部は汽水域となっていた。そこで南北の土手道で湖水を遮断することで東部を淡水域化し、テノチティトラン周辺の農業用水とし、また、飲料水は西部の丘より石造りの水道橋で供給されていました。

15世紀以降、テスココ湖やその周辺では沼地の表面の厚い水草層を切り取り、敷物のように積み重ねてつくった浮島の上に湖底の泥を盛り上げ、農地が多く作られました。この農法は肥沃な泥と豊富な水が得られることから非常に収量が高く、アステカの国力を支える重要な要素となったそうです。

アステカ帝国は技術水準も高く、豊かな国だったようです。

1519年にスペイン人のエルナン・コルテスのメキシコ征服によりテノチティトランは破壊され、その上に現在のスペイン風の都市が築かれました。

メキシコシティの中心街のソカロ周辺は、アステカ王国時代のテノチティトランの都の中心部とほぼ同じ位置にあり、カテドラル(大聖堂)と国立宮殿(大統領官邸)の中間の位置からテノチティトランの中央神殿が発掘され、野外博物館となっています。この一帯は「メキシコシティ歴史地区とソチミルコ」として世界遺産に登録されています。

スペイン人はアステカ帝国の神殿を破壊し、その上に大聖堂と宮殿を建てたのです。

スペインは金銀財宝を略奪し徹底的にテノチティトランを破壊しつくして、遺構の上に植民地ヌエバ・エスパーニャの首都(メキシコシティ)を建設しました。

アステカ帝国の人口は征服前約1100万人であったと推測されていますが、1600年の人口調査では、先住民の人口は100万程度になっていました。スペイン人は暴虐の限りを尽くした上に、疫病により免疫のない先住民は短期間のうちに激減したそうです。

メキシコのGDPは11,443億ドル(2015年)であり、世界15位で韓国とほぼ同じ経済規模、ラテンアメリカではブラジルに次いで2位です。一人当りGDP(名目)は9,009ドル(2015年)で世界平均を若干上回ります。

カリブ海沿岸地域を中心にして油田が多く、大きな外貨獲得源になっています。

銀の埋蔵量については、現在でも世界第2位であり、16~19世紀初期までの銀の埋蔵量は世界の生産量の半分を占めました。銀の他には銅の埋蔵量世界第3位、鉛と亜鉛は第6位、モリブデンは第8位、金が第11位であり、世界有数の生産量を誇っています。

また、20世紀前半より工業化が進んでおり、自動車や製鉄、家電製品の生産などが盛んで日系企業の進出も自動車工業を中心に増えています。アグアスカリエンテスを中心としたメキシコ中央高原都市に200社以上が部品工場や大規模倉庫などを建設中で、日本からの投資の90%近くがこの地域に集中しており一大進出ラッシュとなっています。

とりわけアグアスカリエンテスは、1966年から日産の工場が進出した事もあり、大規模な新工場が出来つつあります。この地はアメリカの平均よりも犯罪発生件数が少なく、真夜中にも多くの飲食店が開いており、日本人の家庭には人気の移動先になって来ているそうです。

メキシコの最大の課題は,米国への不法移民,麻薬及び麻薬と関連した治安問題の解決です。

特に麻薬及び麻薬と関連した治安問題は「メキシコ麻薬戦争」とも呼ばれ、麻薬組織同士の縄張り争い、および麻薬密売の取締を推進するメキシコ政府と麻薬組織との間で進行中の武力紛争で、2006年から2011年までのおよそ5年間に麻薬組織による犯罪や抗争に巻き込まれるなどして4万7515人が殺害されたそうです。

麻薬戦争は今でも進行中だそうです。

今年の1月2日には、麻薬組織など犯罪組織の撲滅をうたい就任したばかりの女性市長が、5人の武装集団に襲われ、家族もろとも射殺されました。

麻薬組織は殺すだけで済むものを、四肢を切断し、首を切り、車や物、時に動物の上に載せてみたり、歩道橋につるしたり、反麻薬組織運動の女性の腹を割いて内臓を出すといった残虐な行為を行います。

もっとも、マフィアはどこも残虐であり、残虐な犯罪はメキシコだけの話ではありません。さらに戦争の残虐さはどの地域も同じです。

違う点といえば、メキシコの麻薬組織は遺体や殺害状況をネットで頻繁に流しているそうです。恐怖による支配を目指しているのかもしれません。

ISに通じるものがあるようにも思えます。

ノーベル文学賞を受けたメキシコの詩人、オクタビオ・パスは「メキシコ人は死を軽視する。それは、死は生の結末ではなく、円環のように生と死が交互にやってくる。また生の中に死が入り込んでもいる。死は生の映し鏡であり、生がむなしいからこそ、死もまたむなしい。」と考えているそうです。

「なぜ、そうなのか。それは、メキシコ人は、ぼんやりとでも、自分の中に消しがたい「しみ」を隠しているからだ。自分自身を全面的に肯定できない傷、暗さを抱えている。

それは、大多数の先住民が少数のスペイン人に犯され、隷属させられ「メキシコ人」を名乗らざるを得なかった運命から来ている。自分たちのアイデンティティーは「犯された女の子供たち」であり、恨む相手も敵も自分たちの中にいる。だから、楽天的にあっけらかんとは自己肯定できない。」とパスは続けます。

「死は生の結末ではなく、円環のように生と死が交互にやって来る。」それは仏教の輪廻転生と同じ思想なのかも知れません。

上座仏教の信仰の厚いタイでは、死体を扱った雑誌がよく読まれているそうです。

「死体はただの物」そんな風に考えているのかも知れません。

でも、殆どのメキシコ人も、タイ人も、残虐な行為は行いません。

では、残虐な行為を行うのは、自分の中に消しがたい「しみ」を隠しているからなのでしょうか。

自分の中の消しがたい「しみ」、それは多かれ少なかれ皆が持っている物なのかも知れません。

自分の中の消しがたい「しみ」が大きくなった時、そして、自分の心をコントロールする力が弱まった時、他人を傷つけてしまうのではないではないでしょうか。

それは、日本の社会でもイジメやヘイト・スピーチだけでなく、残虐な犯罪として現れるのかも知れません。

消しがたい「しみ」を大きくしない、自分の心をコントロールする力を弱めない、その為にも幸せに暮らせたら良いのでは、

そんな気がします。

ISの信奉者となり、人を傷つけてしまう人々、それは、消しがたい「しみ」が大きくなってしまったか、自分の心をコントロールする力が弱まってしまった人々なのではないかと思います。

中東地域の子供たちの消しがたい「しみ」が、これ以上大きくなりませんように。

幸せに暮らせる日々が早く来ますように。

このブログの画像はisis_chanプロジェクトに参加されているイラストレーターの方々からお借りしています。isis_chanプロジェクトの目的は、ISが発信する残酷な画像のインターネットでのヒット率を低下させることだそうです。isis_chanプロジェクトにはガイドラインがあり、ムスリムと彼らの信仰の尊重、暴力的・性的表現・政治的主張の禁止等々決められています。私のプログは極力このガイドラインに沿って書いているつもりですが、抵触していると思われたら、それは私の文章力の無さから来るものだと思います。

もしisis_chanプロジェクトに興味を持たれたら、こちらをクリックして見てください。

<公式ホームページ>

http://isischan.web.fc2.com

<公式ツイッター>

https://twitter.com/isisvipper

<新着コンテンツの紹介>

https://daichkr.hatelabo.jp/antenna/960729927021214413

<英語版コンテンツ>

isis-chan2chan.tumblr.com

<DTM(UTAU・MMD)ライブラリー>

http://isis.is-mine.net/

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿