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isis_chanとisil_kun(ムスリムの子供達)その12 チュニジア

2015-05-30 15:36:22 | 日記

チュニジアは西にアルジェリア、南東にリビアと国境を接しています。北と東は地中海に面し対岸はイタリアです。首都チュニスの旧市街のメディナは世界遺産にも登録されており、迷路のように入り組んだ細い路地に商店などが並んでいます。面積16万3610km2(日本の約5分の2)人口約11百万人の小国です。この国から始まったともいえる民主化運動「アラブの春(ジャスミン革命)」は、当初西欧諸国から歓迎されました。

チュニジアは現在国民の98%がムスリム教徒ですがムスリム諸国のなかでは比較的穏健な国であり、中東と西洋のパイプ役を果たしているそうです。観光地としても発達し、アフリカの国の中では良好な経済状態であり、多くの国際企業の誘致に成功しました。女性の社会進出が著しく、アラブ世界で最も女性の地位が高い国なのだそうです。

そんなチュニジアですが、美味しいワインの産地であることを知っている人は少ないかも知れません。チュニジアワインと聞いて美味しいワインと判っている人はかなりのワイン通です。

ワインの原型は紀元前3千年頃、古代オリエント人が野生のぶどうの汁を自然発酵させて飲んでいたものです。同じ頃地中海沿岸で活躍していた海洋民族フェニキア人がヨーロッパに伝えました。フェニキア人が各地に築いた植民都市のなかでも繁栄を誇っていたのがカルタゴ、今のチュニジアでした。チュニジアのぶどう栽培とワイン造りの歴史は古代にまでさかのぼります。

温暖な気候によって、農業と樹木栽培を発展させたカルタゴから、その後ローマへとワイン造りが伝えられました。チュニジアは歴史あるワイン産地なのです。7世紀にはイスラム教徒のアラブ人が東方から侵入しイスラム世界に編入され、一時期ワイン造りも途絶えたようですが、1881年からフランスの植民地となり古代から伝わるワイン造りが息を吹き返しました。ワイン以外にもいちじくの蒸留酒(ブッハ・オアシス)など個性的な酒が有ります。ムスリムなのにと思うかもしれませんが、世俗的なムスリムということなのでしょう。

尚、お酒が飲めない人にはマツの実入りのミントティーがお勧めなんだそうです。もっとも私は飲んだことはありませんが。

カルタゴについて書かれた本としては、塩野七生の「ハンニバル戦記 ローマ人の物語」などが有名ですが、もう一つ、森本哲郎の「ある通商国家の興亡―カルタゴの遺書」は考えさせられる本です。1993年のこの本の発売当時は、日本はバブル景気の絶頂期でしたが、「カルタゴ=日本、ローマ=アメリカ」になぞらえ、日本の行く末を案ずる人々も多かったようです。

カルタゴは、貿易競争でギリシアや当時の絶対的な超大国ローマを負かし、地中海貿易を独占して大いに栄えた通商国家でした。働くこと以外に何の楽しみも、文化も持たないと、ギリシア、ローマなどの周辺の国から気味悪がられていたようです。ローマとの三次にわたる戦争(ポエニ戦争)の末に、紀元前146年に徹底的に滅ぼされました。陥落時に15万人の市民が虐殺しされ、5万人が奴隷にされたと言います。カルタゴが再び復活することがないように、港は焼かれ町は破壊され、カルタゴの土地には、雑草一本すら生えることを許さないという意味で、塩がまかれたそうです。

このカルタゴ陥落の際に、ローマの政治家・軍人であるスキピオ・アエミリアヌスは、カルタゴの運命を自国ローマの未来を重ねたといわれています。

チュニジアは「アラブの春」以降も若者の失業率は高く、貧困や失業が若者を戦場へと駆り立て、「イスラム国」の外国人戦闘員その最大の供給国になっているのだそうです。イスラム国との関係は定かでは有りませんが、先だって起こった博物館での観光客襲撃事件は世界に衝撃を与えると共に、この国の観光産業にも影響を与えているようです。

第三次ポエニ戦争の結末に限らず、様々な戦乱の中で残虐な行為は行なわれて来ました。それは、現在進行形の出来事です。

戦乱は人々の心を蝕み、残虐な行為を平然と行えるように変えてしまうのでしょうか。戦乱の中で「いやなもの」を沢山見てしまったから、それが普通の行為と思えるようになるのかも知れません。

紛争地域の子供達が、そして、そうでない地域の子供達も「いやなもの」を見ずに済む世界になりますように。

このプログの画像はisis_chanプロジェクトに参加されているイラストレーターの方々からお借りしています。isis_chanプロジェクトの目的は、ISが発信する残酷な画像のインターネットでのヒット率を低下させることだそうです。isis_chanプロジェクトにはガイドラインがあり、ムスリムと彼らの信仰の尊重、暴力的・性的表現・政治的主張の禁止等々決められています。私のプログは極力このガイドラインに沿って書いているつもりですが、抵触していると思われたら、それは私の文章力の無さから来るものだと思います。

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isis_chanとisil_kun(ムスリムの子供達)その11 エジプト

2015-05-23 20:06:05 | 日記

エジプトと言ったら遺跡の宝庫、ピラミッド、スフィンクス、アブ・シンベル神殿など見所満載です。そんな遺跡の一つにフィラエ神殿があります。

フィラエ神殿はエジプト南部、アスワン近郊にあり、中心となるのがイシス女神を祀るイシス神殿で、現存する神殿はプトレマイオス朝時代に建設されその後ローマ時代にわたって増築が行われてきたものだそうです。イシス神殿は550年に東ローマ帝国のユスティニアヌス1世によりフィラエ神殿は閉鎖され、閉鎖後は、4つのキリスト教会として再利用されました。

アスワン・ダムの建設により、半水没状態でしたが上流のアスワン・ハイ・ダムの建設を機にユネスコにより1980年、フィラエ島からアギルキア島に移築、保存されることとなりました。1979年にユネスコの世界遺産「アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群」の一部として登録されています。

イシス (Isis) は、エジプト神話の女神。イシスはギリシア語であり、古代エジプトではアセトと呼ばれていたそうです。豊かなナイルの土壌を表す豊饒の女神です。

エジプトの面積は約100万1450km2(日本の約2.6倍)、人口は8254万人(2013年1月現在)で若者が非常に多いとのことですが、経済が低迷しているため、若者の失業が深刻な問題となっているそうです。

中東有数の軍事大国であり、イスラエルと軍事的に対抗できる数少ないアラブ国家。アフリカでは屈指の経済規模でありBRICsの次に経済発展が期待できると言われているNEXT11の一国にも数えられています。しかし、スエズ運河収入と観光産業収入に依存するところが大きく、政情に左右されやすいのが難点とのこと。

国土の大半はサハラ砂漠で、夏には日中の気温は40℃を超え、50℃になることもありますが、冬の平均気温は下エジプトで13~14℃、上エジプトで16℃程度で結構肌寒い時期もあります。降雨はわずかに地中海岸にあるにすぎませんが、「エジプトはナイルの賜物」という古代ギリシアの歴史家ヘロドトスの言葉通り、人々はナイル川に寄り添うように生きています。

古代の遺跡を眺めながら。

エジプトはムスリムが国教ですが、キリスト教徒(コプト教)も10%程居ます。リビアでエジプト人のキリスト教徒がISに殺害された際、エジプトではムスリムの人たちが「あなた達の悲しみは、私達の悲しみ」と書いたプラカードを持って行進したそうです。エジプト国内ではムスリムの人達とキリスト教徒の人達は仲が悪くないと言います。

エジプトの長い歴史と比べたら、ムスリムもキリスト教も生まれたのはつい最近のこと。そんなことも影響しているのかも知れません。

エジプトに限らず、観光地の近くでは、子供たちが笑顔でみやげ物を売っていることがあります。相手が子供ですから、断ったり値切ったりすることも出来ず、「卑怯だ」などと思いつつもみやげ物を買ってしまったりもします。

エジプトだけでなく、シリアのパルミラ遺跡、イラクのハトラ遺跡など北アフリカから中東は遺跡の宝庫です。

そんな遺跡の周辺で、笑顔で観光客に高値でみやげ物を売って、お父さんの所にかけて行き「売れたよ!」って

うれしそうに言っている子供たちの姿が見られる日が来ますように。

このプログの画像はisis_chanプロジェクトに参加されているイラストレーターの方々からお借りしています。isis_chanプロジェクトの目的は、ISが発信する残酷な画像のインターネットでのヒット率を低下させることだそうです。isis_chanプロジェクトにはガイドラインがあり、ムスリムと彼らの信仰の尊重、暴力的・性的表現・政治的主張の禁止等々決められています。私のプログは極力このガイドラインに沿って書いているつもりですが、抵触していると思われたら、それは私の文章力の無さから来るものだと思います。

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isis_chanとisil_kun(ムスリムの子供達)その10 ロシア

2015-05-16 20:56:36 | 日記

ロシアは人口は143百万人、17百万平方キロメータの世界1の面積を持つ大国です。その広大な国土から豊富な天然資源を産出する資源大国でもあります。ロシヤとは「ルーシ」もしくは「ルーシヤ」のギリシア語訳、ルーシとはキエフ大公国のリューリク朝を立てた北欧のヴァイキング(ルーシ族)に由来するという説が有力です。軍事面でも宇宙開発面でもアメリカに肩を並べる程の技術を持っており、クリミア半島の件もあり欧米諸国から非難をされていますが、プーチン大統領の元、完全に居直っているようにしか見えないのはさすがです。

世界金融危機が表面化した2007年頃から、ロシアの経済を牽引していた新興財閥が打撃を受け、没落の危機に瀕するようになりました。ロシアは、世界金融危機で最も経済に打撃を受けた国だと言われています。その後、豊富な天然資源を糧に経済が立て直った様に見えたのですが、ここの所の原油安でまた経済状況が芳しくないようです。経済については完全に二度寝状態なのかも知れません。

日露関係史は大黒屋光太夫がエカチェリーナ2世に謁見したことにより、アダム・ラクスマンが日本に派遣されたことが実質的な始まりだそうです。この辺りは映画にもなった井上靖による長編小説『おろしや国酔夢譚』に詳しく書かれています。まあ、小説の常として多少脚色されてはいますが。

北方領土の件もあり、日本国内で評判がいいとは思えないのですが、小泉元首相とプーチン大統領とは親密な仲で、2003年5月の日露首脳会談では、当時の首相であった小泉純一郎から犬好きのプーチンに犬語翻訳機「バウリンガル」を贈られています。また、安部首相とプーチン大統領とは相性が良いとも言われます。プーチン大統領自体も柔道のレニングラード市大会でも優勝したこともあり、親日家として知られています。

ロシアの料理ではボルシチが有名です。甜菜の一種であるテーブルビートで色でけられた独特の赤みと、炒めた具材の旨みが溶け込んだとてもおいしいスープで体の真まで温まります。寒い国ならではの料理で、世界3大スープの一つと言われています。もっとも、世界三大スーブと言っても、ブイヤベースとフカヒレは鉄板なのですが、残りの一つはボルシチとトムヤムクンがお好みで選択出来るのがご愛嬌。

ロシアはロシア正教の国として知られており、キリスト教の国とも思われていますが、ムスリムの人々も居り、現在全人口の6%程度と言われています。ただ、ムスリムの人口増加率は、ロシア人のものよりも高いため、21世紀半ばには、ロシアの人口の3分の1がムスリムになるという推計も存在するそうです。ちなみに、ロシア第2の都市サンクトペテルブルクには大きなモスクがあります。ソビエト連邦崩壊後に発足したCIS独立国家共同体の国々では、カザフスタン、ウズベキスタン、タジキスタン、キルギス、アゼルバイジャン、トルクメニスタンがムスリムの国です。

ロシアの中では、ムスリムの自治国であるチェチェン独立紛争が泥沼化しています。プーチン大統領は強力な治安維持活動(チェチェン側から見れば弾圧)で対応していますが、テロ(チェチェン側から見れば抵抗)が止まる気配は有りません。

テロ(抵抗)があるから治安維持活動(弾圧)を行う、治安維持活動(弾圧)があるからテロ(抵抗)を行う、負の連鎖は続いているようです。

ムスリムの子供達が大人になる頃には、この負の連鎖が断ち切れていますように。

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isis_chanとisil_kun(ムスリムの子供達)その9 イラン

2015-05-09 20:27:46 | 日記

中東では、ISもさることながら、シーア派とスンナ派の対立も問題を複雑化しているようです。

シーア派とスンナ派は、ムスリム教の開祖であるムハンマド・イブン=アブドゥッラーフの後継者をムハンマドの血族に限るのか、限らないかの対立から分かれたと言われています。血族に限ると考えたのがシーア派なのだそうです。その他にも色々違いがあるようですが、迷宮に入ってしまいますのでこの辺で。

シーア派はスンニ派と比べて穏健派だと見なされる傾向にあるとの主張もありますが、何を持って穏健派と看做すのかは微妙です。ちなみに、インドネシアはスンニ派ですが、シーア派にくらべて過激派であるとも思えません。

シーア派の代表的な国と言えばイランです。

「イラン」とは「アーリア人の国」を意味するそうです。西洋では古代よりファールス州の古名「パールス」にちなみ「ペルシア」と呼んでいたようです。ファールスという州名は、古代にはペルセポリスおよびその支配地域をパールサと表していたものが、中世にはパールスとなり「ペルシア」となった様です。

イランは面積が約164万平方キロメートル(日本の約4.4倍)人口は約8千万人、中東地域では大国です。平地は少なく、岩山が多い印象です。大部分のイラン人はムスリムであり、その90%がシーア派、9%がスンナ派です。

イランの歴史時代は紀元前3000年ころ原エラム時代にはじまります。紀元前550年には、古代オリエント世界の広大な領域を統治するペルシア帝国が建国されましたが、アレクサンドロス大王率いるギリシャ遠征軍によって紀元前330年に滅ぼされました。7世紀に入ると、東ローマ帝国との紛争やメソポタミアの大洪水による国力低下を経て、ムスリムの国となりました。その後、様々な変遷を経て現在に至りますが、中世では先進的な国として君臨していたようです。

歴史のある国ですから、イランのUNESCO世界遺産登録物件は17件に達します。ペルセポリスは世界史や地理の教科書でも必ず出てくるかと思います。

そんなイランも結構、親日的な国なのだそうです。そのきっかけとなったのは、1953年、日章丸事件とのことです。

イランは第二次世界大戦後独立していたものの当時世界最大と推測されていた石油資源はイギリス資本の元、イラン国庫にも、国民にも利潤が回らない状況だったそうです。その中で、イランは1951年に石油の国有化を宣言。反発したイギリスは、中東に軍艦を派遣し、石油買付に来たタンカーの撃沈を国際社会に表明する事態となりました。

イラン国民の貧窮と日本の経済発展の足かせを憂慮した出光興産の出光佐三社長は、経済制裁に国際法上の正当性は無いと判断し、極秘裏に日章丸(タンカー・同名の船としては二代目)を派遣する事を決意しました。

日章丸は1953年3月23日9時神戸港を極秘裏に出港し、航路も偽装してイギリス海軍から隠れる形で4月10日イランに到着、4月15日急ぎ石油を積んだ日章丸は、国際世論が注目する中、イランのアーバーダーン港を出港、機雷群や海上封鎖を突破して5月9日9時に川崎港に到着しました。その事件が、石油の自由な貿易が始まるきっかけとなったそうです。

このあたりは、ベストセラーとなった百田尚樹の「海賊とよばれた男」に詳しく書かれています。

イランと言えば、在日イラン人のことを思い出す人も多いかと思います。

最盛期の1993年には4万人程のイラン人が日本に居たそうです。現在では4千人程になり、ずいぶん減ったようですが、活躍しているハーフの方も沢山いらっしゃいます。歌手のMay J.は、父親は関西出身の日本人、母親はイラン系ですし、プロ野球選手のダルビッシュ有はイラン人の父と日本人の母との間に生まれたそうです。

歴史のある地には美男美女が多いという説がありますが、その説を彷彿とさせると思うのは私だけでしょうか。

日本という国は、意外とムスリム諸国からの信頼は厚いと言います。それは、シーア派であってもスンナ派であっても同じようです。それは今迄、日本の先人が築いて来た遺産なのかも知れません。

今の中東や北アフリカで起こっていることを、折に触れ心配する。私はあなた達の事を気にしていますよって言うメッセージの発信。それも大事なことではないでしょうか。

この国が、ムスリムの子供達にも「日本って良い国だと思うよ。」って、言ってもらえる国であり続けられますように。

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isis_chanとisil_kun(ムスリムの子供達)その8 スペイン

2015-05-02 20:55:26 | 日記

スペインは、言わずと知れた人気の観光地です。ゴヤ、ビカソ、ダリ等多くの画家を排出し、ガウディが設計した世界遺産のサグラダ・ファミリア(聖家族贖罪教会)は一度は見てみたい場所です。

レコンキスタ(国土回復運動718年-1492年)以前はムスリム教が多数派を占める地域も有ったのですが、現在では94%がカトリックです。

温暖な気候から、日本人からもリタイア後の移住先としても注目されましたが、日本から遠いところがネックとなったようです。

地中海をはさんだ飛び地にセウタ、メリリャがありモロッコと国境を接しています。アフリカからの移民はこの地を経由しスペインに入国した後、ヨーロッパ各地に散っていくことが多いようです。

移民たちはヨーロッパに渡った後、スペイン南部の海岸で地中海対岸の故郷を偲び、涙を流すことも有ったのかも知れません。

アルハンブラの思い出というギター独奏曲をご存知でしょうか。スペインの作曲家フランシスコ・タレガによる名曲です。モチーフとなったアルハンブラ宮殿はスペイン南部のアンダルシア州のグラナダにあります。

アルハンブラ宮殿はスペイン屈指の世界遺産で、世界中から観光客が訪れる名所ですが、元はイスラム教徒の宮殿です。9世紀末アラブ人が農民の反乱軍からの防御壁として築づいたものが拡張され宮殿となったものです。

1492年、カソリックのレコンキスタによってグラナダが陥落し、アルハンブラ宮殿もキリスト教徒の手に渡りました。モスクは教会に変えられ、礼拝堂や修道院が建築されました。

現在のスペインはカトリック教国なのですが、レコンキスタの過程で、それまでのイスラム的な文化は払拭されました。もっともカトリック協会側から見ると浄化ということなのですが。

でも、現実にはスペインをスペインたらしめる数多くの文化がイスラムにその多くを負っているようです。

スペインを訪れるムスリム教徒達は、このアルハンブラを他の誰にもまして特別な気持ちで見ているようです。彼らにとってアルハンブラはムスリム=スベイン(アル=アンダルス)の象徴であり、ムスリムの支配と信仰がくだかれてもなおスペインに残った輝かしい遺産なのだそうです。

教会がモスクとなり世界遺産となったトルコのアヤ・ソフィア。ムスリムの宮殿が教会となり世界遺産となったアルハンブラ宮殿。いずれも魅力的な場所です。

ムスリム教とキリスト教がせめぎ合ったスペインとトルコがとても素敵な国なのは、やはり長い年月の中で異文化が融合して昇華しているという魅力なのでしょう。

宗教が違っても、宗派が違っても、一緒になれば素敵なことが出来る。そんな事を子供達が信じることの出来る世界でありますように。

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