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ISIS chanとISIL kun(ムスリムの子供達)その49 ペルー

2016-05-22 17:18:06 | 日記

ペルーは、約129万平方キロメートル(日本の約3.4倍)、人口約3,115万人(2015年1月推定値,ペルー統計情報庁)、南アメリカ西部に位置する共和制国家です。

北にコロンビア、北西にエクアドル、東にブラジル、南東にボリビア、南にチリと国境を接し、西は太平洋に面し、首都はリマです。リマは、太平洋に面したコスタと呼ばれる乾燥大地に開けた大都市で、ペルーの人口の約3分の1が生活する政治・経済の中心地です。植民地時代に発展した都市です。

ペルーは紀元前から多くの古代文明が栄えており、16世紀までは当時の世界で最大級の帝国だったインカ帝国の中心地でした。当時の中心地クスコは11~12世紀頃に建設され、太陽神を崇拝するインカ帝国の都として栄えました。

ケチュア語で「ヘソ」を意味するこの都市には、帝国内のあらゆる地方から人々が集まっていました。

日本との外交関係設立は1873年で中南米で最も早いそうです。日本・ペルー関係は,第二次世界大戦期を除き常に良好に推移して来ました。

1899年ペルーへの集団移民が始まり、これは南米への集団移民としても最も古いものだそうです。フジモリ元大統領やその娘のケイコ・フジモリ大統領候補はその末裔です。

もっとも、1614年のリマ市人口調査では20人の日本人が居たと記録されていますから、江戸時代初期に既に日本人がペルーに住んでいたということになります。

当時の世界で最大級の帝国だったインカ帝国の中心地ですから世界遺産等の観光資源は豊富です。

一生に一度は訪れるべきといわれるマチュピチュ遺跡やナスカの地上絵はご存知の方が多いと思います。

マチュピチュ遺跡近くのマチュピチュ村の唯一の友好都市が福島県大玉村だそうで、こちらはマチュピチュ村の発展に尽くした方が大玉村出身だからだそうです。

ナスカの地上絵では山形大学の研究チームが新たな絵を発見しています。因みに正式にナスカ地域に立ち入りが許可されているのは山形大学の研究チームだけとのこと。

また、世界遺産の一つクスコはインカ時代の美しく精巧な石組みと、スペインのコロニアルな建築物が融合した独特な雰囲気が漂っています。

ペルーの国土は、砂漠が広がる沿岸部のコスタ(国土の約12%)、アンデス山脈が連なる高地のシエラ(国土の約28%)、アマゾン川流域のセルバ(国土の約60%)の三つの地形に分けられます。

ペルーの国土を南北にアンデス山脈が貫いており、アンデス山脈から多くの川が東西に流れています。西に流れる川はコスタの砂漠を潤しています。アマゾン川の源流もアンデス山脈のミスミ山にあり、アマゾン川はペルー最大の河川となっています。また、北部を流れるプトゥマヨ川はペルーとコロンビアの国境線を形成しています。

ペルーとボリビアの国境地帯のティティカカ湖は両国最大の湖です。

ペルーの文化はインカ帝国や、それ以前から続く前インカ期からのインディヘナの文化と、16世紀にペルーを征服したスペイン人の文化に根を持ち、その上にアフリカ系住民や近代になって移住してきたアジア系、ヨーロッパ系の諸民族の影響も受けています。

また、ペルーの料理は先住民族のインディヘナ、黒人、スペイン人、中国人、日本人、イタリア人などの多様な国民の影響を受けた独特な料理なのだそうで、フランス料理、中国料理、インド料理などと並ぶレベルに達しているという見解もあるのだそうです。

ペルーは「世界遺産と黄金の国」というのが観光のキャッチフレーズですが、多くの黄金が植民地時代にスペインより持ち出され、スペインの国力を高めました。

15世紀中ばから17世紀中ばまで続いた大航海時代、欧州の列強はこぞって南北アメリカ大陸に進出します。

16世紀になるとスペイン人の征服がインカ帝国の中心地クスコにも及び、インカ帝国は一瞬にして崩壊してしまいます。征服者たちは、太陽の象徴である黄金で彩られた神殿や宮殿を破壊し、金銀を手当たりしだい略奪してインカが築いた精巧な礎石の上にスペイン風の教会を建設して行きました。

インカ帝国の太陽神信仰は否定され、キリスト教化が推し進められて行きました。

ペルーの民族は先住民45%,混血37%,欧州系15%,その他3%、主な言語はスペイン語、国民の大多数はカトリック教というのはその結果です。

スペインによるインカ帝国への侵略、それは表向きの理由はキリスト教の布教ということだったのだと思います。

それゆえ、キリスト教から見れば異教徒の信仰の中心である黄金で彩られた神殿や宮殿を破壊しインカが築いた精巧な礎石の上にスペイン風の教会を建設して行ったのでしょう。

でも、真の目的は金銀を手当たりしだい略奪することでした。

人間はどんな技術でも戦争に使う武器にしてしまいます。でもその技術は本来人々を豊かにするために生まれた技術でした。

そして、本来人の心を救うべき宗教さえも、侵略の口実としてきたのだと思います。

宗教は人の心を映す鏡なのかも知れません。救いを求める人には救いを、侵略の口実を求める人には侵略の口実を与えてくれるのでしょう。

その昔のアララト山の麓や、紛争勃発前のボスニア・ヘルツェゴビナで異教徒が交わりながら暮らしていた折、きっと人々は幸せだったのだと思います。

幸せでなければ、異教徒攻撃する口実を宗教に求めていた、そんな気がします。

ISの残虐な行為やシリアやイラクで宗派間の対立を止めるには、人々が幸せになることだと思います。

そんなことは、本当はみんなが、分かっているはずなのですが。

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ISIS chanとISIL kun(ムスリムの子供達)その48 アルメニア

2016-05-05 18:34:47 | 日記

アルメニアは、2万9,800平方キロメートル(日本の約13分の1。旧ソ連邦の中で最小)、人口300万人(2015年:国連人口基金)、黒海とカスピ海の間にある内陸国で、西にトルコ、北にジョージア(グルジア)、東にアゼルバイジャン、南にイランと国境を接しています。1991年にソビエト連邦から独立しました。

平地はまれで、国土の90%が標高1000〜3000メートルの高地であり、3000m級の山岳も珍しくありません。

国内最大の平地のアララト盆地にある首都のエレバンは、世界最古の都市の1つで、アララト山を見上げる位置にあります。

国の中央部にセヴァン湖があります。大規模な湖としては世界で最も高地(海抜約1900m)にあるものの一つで、この湖の水はソ連時代には灌漑に大量使用されたため、水量が大幅に減ってしまい、1949年に1360km2だった面積が、2005年には940km2となってしまったそうです。

宗教は主としてキリスト教(東方諸教会系のアルメニア教会)です。アルメニアは、国家として、また民族としても、世界で最初に公式にキリスト教を受容した国で、301年にキリスト教が国教となりました。

世界遺産は3つ。何れもキリスト教の関連建築・遺跡です。

その一つ、4世紀初めアルメニア正教の本山として建てられたエチミアジン大聖堂は、世界最古の教会なのだそうです。

また、ゲハルト修道院はアザート渓谷の険しい絶壁上にある修道院です。ゲハルトは「槍」の意で、キリストの磔に使われたと伝えられている聖槍が発見されたことから命名されたといわれています。

その他、991年に創建されたハフパット修道院とサナヒン修道院が世界遺産に登録されています。

隣国であるトルコ及びアゼルバイジャンとは対立関係にありますが、ロシアとの関係が強固で、ジョージアとも良好な関係を維持しています。

トルコとアゼルバイジャンは主にムスリム教スンニ派、ロシアとジョージアはキリスト教正教徒なので宗教上の対立が影を落としているようにも見えますが、ムスリム教シーア派のイランとは良好な関係を維持しているところを見ると、トルコ及びアゼルバイジャンとは対立関係にある原因はそればかりではなさそうです。

現在トルコ領内にあるアララト山は古くからアルメニア人の多く居住してきた地域(大アルメニア)の中心にあたり、アルメニア民族のシンボルです。アルメニアからも良く見えるのだそうです。

旧約聖書にでてくるノアの箱舟が大洪水の後、流れ着いたとされています。標高5,137mの主峰は公式には大アララト山、主峰の東南にあたる標高3,896mの頂上を小アララト山と呼びます。尚、トルコ語ではアール山と呼んでいます。

オスマン帝国がこの地域を支配した時代まではアララト山の麓にはクルド人やトルコ人と入り混じりながらも数百万人のアルメニア人が暮らしてきましたが、オスマン帝国末期、とくに第一次世界大戦中の強制移住によりトルコ領内からはほとんどアルメニア人はいなくなってしまいました。

このとき、相当の数のアルメニア人の人命が失われ、アルメニア人ジェノサイド(アルメニア人虐殺)として国際的非難を浴びましたが、トルコ政府はジェノサイドの事実を否認しており、長らく論争となっています。

この地は、古代文明の時代から大国の狭間で揺れ動いていました。

紀元前6世紀頃には国際的な商業活動を盛んに行っていたと言われ、紀元前1世紀にアルメニア高原を中心に大アルメニア王国を築き繁栄したのですが、ローマ帝国とペルシア帝国の間で翻弄され、両国の緩衝地帯として時に属州となることもありました。

1世紀頃にはキリスト教の布教が行われ、紀元301年には世界で初めてキリスト教を国教としました。

その後ペルシアの支配下に入り、更にアラブの侵攻を受けますが、9世紀半ばにはバグラト朝が興り独立を回復します。

しかしバグラト朝も長くは続かず、イラン、イラク、トルクメニスタンを中心に存在したイスラム王朝であるセルジューク朝、モンゴル帝国の継承政権のひとつで、中央アジアからイランにかけての地域を支配したイスラム王朝であるティムール朝などの侵入が相次いだため国土は荒廃します。

このため10世紀に多くのアルメニア人が故国を捨てることになりました。

1636年にアルメニアはオスマン帝国とサファヴィー朝ペルシアに分割統治されました。

1826年に始まった第二次ロシア・ペルシア戦争の講和条約・トルコマンチャーイ条約(1828年)によってペルシア領アルメニアはロシア領となります。

ロシア領のアルメニアではロシア革命後に民族主義者によりアルメニア第一共和国が樹立されるのですが、赤軍の侵攻により崩壊し、1920年にアルメニア社会主義ソビエト共和国が成立し、ソ連の一員となります。

1988年にアゼルバイジャン共和国にあるナゴルノ・カラバフ自治州でアルメニアに帰属替えを求めるアルメニア人の運動が起り、これに反発したアゼルバイジャン人との緊張の中で衝突が起り、両国の本格的な民族紛争(ナゴルノ・カラバフ紛争)に発展しました。

1991年8月19日にソ連で起こった保守派のクーデターの失敗によりソ連が崩壊したのを受け、同年9月にアルメニア共和国は独立を宣言します。1991年12月21日、独立国家共同体(CIS)に加盟、同年12月31日付でソ連邦は解体・消滅した結果、アルメニアは独立国家となりました。

カラバフを巡るアゼルバイジャン人との紛争は現在も続いています。この地はムスリムとキリスト教がせめぎあっている地に見えます。

でも、仲良くかどうかは判りませんが、クルド人やトルコ人やアルメニア人がアララト山の麓で入り混じって暮らしていた時代はあったのです。

民族間の争いは、宗教の対立ではなく、その時々の大国の都合により、起こってしまった様に思えるのです。

今のシリア内戦が中々収束しないのも、大国や周辺諸国の都合によるのかも知れません。

大国や周辺諸国に都合の良い紛争の収束が、シリアの人々の幸せにつながるのかどうかは判りません。

でも、紛争が長引けば、命落とす人が増えていくだけだということは確かです。

そして、子供たちに、笑顔が戻ることもないのだと思います。

早くシリアの地で、子供たちに、笑顔が戻りますように。

このブログの画像はisis_chanプロジェクトに参加されているイラストレーターの方々からお借りしています。isis_chanプロジェクトの目的は、ISが発信する残酷な画像のインターネットでのヒット率を低下させることだそうです。isis_chanプロジェクトにはガイドラインがあり、ムスリムと彼らの信仰の尊重、暴力的・性的表現・政治的主張の禁止等々決められています。私のプログは極力このガイドラインに沿って書いているつもりですが、抵触していると思われたら、それは私の文章力の無さから来るものだと思います。

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