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ISIS chanとISIL kun(ムスリムの子供達)その58フィンランド

2016-09-25 16:59:02 | 日記

フィンランドは、面積が33.8万平方キロメートル、人口約549万人(2016年4月末時点)、名目GDPが2,996億ドル(2015年、IMF)ですから、日本よりやや小さいくらいの地域に北海道と同じぐらいの人が住み、経済規模も北海道とほぼ同じと考えるとわかりやすいかもしれません。

首都はヘルシンキで、西はスウェーデン、北はノルウェー、東はロシアと国境を接しています。

フィンランドは北欧の高福祉国です。教育制度がしっかりしており、学力世界一ともいわれています。Linux開発者のリーナス・トーバルズの出身国だというのもうなずけます。また、携帯電話で一時期は世界シェアトップであったノキア(NOKIA)もこの国の企業です。

フィンランドの航空会社であるフィン・エアの宣伝では、「日本に一番近いヨーロッパへのゲートウェイ」と宣伝していますが、中継地としてでなく実際に訪れてみたい国です。

政府観光局公式サイトでは「ムーミンとサンタさんの故郷へ‎行こう。」などと書かれています。ムーミンシリーズの作者トーベ・ヤンソンは1914年8月9日生まれで、2014年に生誕100周年を迎えています。

ムーミンワールドはひとつの島(カイロ島)がまるまるムーミンのテーマパークとなっている場所で、サンタクロース村はいつでもサンタクロースに会える村、いずれも人気の観光地です。

フィンランドを描いた絵画では東山魁夷の「白夜光」が有名です。美術の教科書に載っていることが多いですし、国立近代美術館に所蔵されていますから、ご覧になったことの有る方も多いと思います。

東山魁夷は1962年の4月から7月までに北欧を旅行し、そのときの思い出をいくつかの絵にしています。

その中の一枚が「白夜光」です。沈まぬ太陽の中で、光り輝く湖水と吸い込まれてしまうような深い森が見事に描かれています。

フィンランドを題材としたもう一枚の絵が「二つの月」ですが、こちらは個人所蔵ということで、実際に見る機会は余りありません。

また、北部のラップランドではオーロラ見ることができます。

フィンランドの伝説によれば、「キツネが北極圏の丘を走るとき、尻尾が雪原に触れ、それが火花となって巻き上がり、夜空に光となって表れる。」と伝えられており、フィンランド語のレヴォントゥレット(revontulet)は、この伝説から生まれた言葉で「狐火」という意味だそうです。

クラッシック音楽が好きな人はジャン・シベリウスを思い出す人もいるかもしれません。

代表曲の交響詩フィンランディアは3部構成で、フィンランドの深い森を表現したような荘厳な序奏で始まり、中間部では闘争がイメージされ「フィンランディア賛歌」とも名づけられた旋律を中心に展開されます。最後には勝利を思い起こさせるように曲が終わります。

演奏時間が7分から8分弱というところから、アマチュア・オーケストラの定番曲となっています。

フィンランディアは愛国的な感情を呼び覚ますとされ、当時支配を受けていたロシア当局の弾圧を受け、別名で演奏されたこともあるそうです。

フィンランドはスウェーデン・ロシアという2つの大国に翻弄された歴史です。

1世紀頃フィンランド人がこの地に定住します。

1323年にはスウェーデン・ロシア間の国境確定しフィンランドは、スウェーデンの一部となりました。この時代のフィンランドはスウェーデン=フィンランドと呼称されており、スウェーデンによる大国時代を形成していました。

その後、1700年~1721年の大北方戦争の結果、フィンランドの一部がロシア帝国に割譲されます。

1803年~1815年のナポレオン戦争では一時期敗戦国となりかけたスウェーデンは1809年にフィンランドの地をロシアへ割譲し、フィンランドの地はロシア領となります。

1917年にはロシア革命の混乱に乗じてロシアより独立、フィンランド共和国成立するのですが、1939年対ソ戦争(冬戦争)、1941年~1944年対ソ戦争(継続戦争)、1944年~1945年対独戦争(ラップランド戦争)と国土防衛のための戦争が続きました。

フィンランドを含む北欧諸国が高福祉国家であり、平和国家であるのは、大北方戦争以降の混乱に対する反省なのだと思います。

今、フィンランドでも中東からの難民が増加し問題となっています。

フィンランドの若者たちの一部が「オーディンの戦士たち」という団体を立ち上げました。

そのグループのフェイスブックには「白人種のフィンランドのために戦う愛国団体である。」と書かれており、「イスラム主義の侵入者」が犯罪を招いているとして、「移民お断り」などのスローガンを手にデモを行っているそうです。

大半のフィンランド人はこのグループに否定的なのだそうです。

ヘルシンキでは、反移民デモに唾を吐いた28歳の男性が暴行を加えられ、一週間後に死亡する事件が発生しました。これに対し、人種差別や暴力的な極右過激派に抗議するデモが行われ、約1万5千人が参加したそうです。

彼らはシリアを含む中東の紛争地域の凄惨な状況を理解しているのだと思います。それは、大北方戦争から始まったフィンランドの戦乱と抑圧の歴史と二重写しになっているのかも知れません。

ムーミンの国ですから、フィンランドの人々は本当はやさしい心を持った人々なのだと思います。

きっとラップランドの寒い暗い冬を過ごす中で、そんな性格が育まれていったような気がします。

私も、中東の紛争地域で何が起きているのか、関心を持って行こうと思います。

シリアを含む中東の紛争地域の凄惨な状況が、インターネットのニュースで報道されない日は無いのですから。

シリアの子供たちに笑顔が戻った時に、「本当に良かったね。」って思えるために。

このブログの画像はisis_chanプロジェクトに参加されているイラストレーターの方々からお借りしています。isis_chanプロジェクトの目的は、ISが発信する残酷な画像のインターネットでのヒット率を低下させることだそうです。isis_chanプロジェクトにはガイドラインがあり、ムスリムと彼らの信仰の尊重、暴力的・性的表現・政治的主張の禁止等々決められています。私のプログは極力このガイドラインに沿って書いているつもりですが、抵触していると思われたら、それは私の文章力の無さから来るものだと思います。

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ISIS chanとISIL kun(ムスリムの子供達)その57ナイジェリア

2016-09-11 17:55:06 | 日記

ナイジェリアは、923,773平方キロメートル(日本の約2.5倍)、1億8,200万人(2015年,世銀)、西アフリカに位置する連邦制共和国です。首都はアブジャで1991年12月にラゴスより遷都されました。

西はベナン、北はニジェール、北東はチャド、東はカメルーンとそれぞれ国境を接しています。ニジェールとナイジェリアは本来同じ地域を指すのですが、ニジェールはフランス領、ナイジェリアはイギリス領で別々に独立したため、現在のように別の国を指すこととなったそうです。

南は大西洋のギニア湾に面しています。この海岸にはポルトガル人、イギリス人たちが、南北アメリカ大陸へ奴隷を送るために多くの港を建設し、奴隷海岸と呼ばれていました。

ナイジェリアはアフリカ屈指の経済大国であり、アフリカ経済の4分の1を占める規模を持つのだそうです。BRICs諸国に次いで21世紀有数の経済大国に成長する高い潜在性があるとした11箇国の総称であるNEXT11の一員です。因みに、NEXT11とはイラン、インドネシア、エジプト、トルコ、パキスタン、バングラデシュ、フィリピン、ベトナム、メキシコ、大韓民国そしてナイジェリアの国々を指します。

ただ、ナイジェリアの一人当たりのGDPは2,640米ドルであり、世界平均のおよそ3割弱の水準で、貧富の差も大きく、国民の大多数が貧困に苦しんでいるのだそうです。

国家歳入の約7割,総輸出額の約8割を原油に依存しており、欧米諸国とは活発な経済関係を維持しているものの,昨今のシェールガス革命によって,特に対米輸出が減少傾向にあります。2014年から歳入の大部分を占める原油価格の下落が続いているため、経済的にも厳しい状況が続いています。

ナイジェリアの学校教育の水準は比較的高く、また電子機器やプログラミングなどに関する教育も盛んですが、高度な教育を受けた多くの若者たちが失業状態にあるのだそうです。

各国からの経済援助も行われており、日本の援助額は40.13百万ドル(2013年)で第5位だそうです。

タレントのボビー・オロゴンの祖国で、最近では、高須クリニックの高須克弥院長がサッカー・ナイジェリア代表チームに、支援金とボーナスとして計39万ドルを寄付したことをご存知の方もいるかと思います。

ナイジェリアの地には紀元前5世紀から2世紀にかけて、国土の中央部のジョス高原において土偶で知られる初期鉄器文化であるノク文化が繁栄しました。その後いくつかの文明、王朝が栄えたのですが、1472年にポルトガル人がラゴスを建設し、奴隷貿易の拠点とした時から植民地化が始まりました。

1886年にはイギリス政府は王立ニジェール会社に特権を与え、ナイジェリア一帯の支配を開始しました。

第二次世界大戦前から独立への動きはあったのですが、第二次大戦後ナショナリズムが高まり、1954年自治領となりました。それと引き換えのように、1956年イギリス資本の石油メジャーであるシェルが原油採掘を開始しています。

1960年、第一次大戦後旧ドイツ帝国植民地でイギリスの信託統治領となっていた西カメルーンの北部を編入して、それぞれが広範な自治権を有する北部州・西部州・東部州の3地域の連邦制国家として、完全独立を果たします。

独立時は、イギリス女王を国家元首として頂く英連邦王国でしたが、1963年に連邦共和国憲法を制定し、大統領制に移行しました。それと同時に、西部州から中西部州を分割し、全4地域になっています。しかし、議会では3地域の代表が激しく対立しあい、人口の多い北部優位は動かず、それが東部との対立を深め、内政は混迷を深めていきました。

そして、1967年ビアフラ戦争が起こります。

ナイジェリアのイボ族を主体とした東部州がビアフラ共和国として分離・独立を宣言したことにより起こった戦争でビアフラが包囲され食料・物資の供給が遮断されたため、飢餓が国際的な問題となりました。

厳しい飢餓と、栄養不足から来る病気、北部州における虐殺により、少なくとも150万人を超えるイボ族が死亡したそうです。

ナイジェリアには北部のイスラム教徒主体のハウサ族、西部のイスラム/キリスト教混合のヨルバ族、東部のキリスト教主体のイボ族の三大部族が、その他の多くの少数民族ともに存在していました。

イギリス植民地時代には、イボ族は比較的教育レベルが高く、下級の官吏や軍人を多く輩出し、また商才もあり「黒いユダヤ人」と呼ばれていたようです。

1960年にナイジェリア連邦として独立後は、東部に原油が発見され、イボ族地域は工業化が進み他地域との経済格差は広がっていました。北部のハウサ族はヨルバ族の一部と連携し、連邦を支配しようとしました。

これに対し1966年、軍のイボ族主体の中堅将校が、クーデターを起こし、北部系の政治家、高級軍人を殺害する事件が起こります。その後、ハウサ族・ヨルバ族とイボ族の対立は激化し、東部州は1967年5月30日ビアフラ共和国として独立を宣言し、内戦が始まったのですす。

ナイジェリア側の援助国はイギリス・ソ連(当時)・フランス・中国・アメリカとアラブの主だった国々、ビアフラ側の援助国はフランス・南アフリカとアフリカのキリスト教諸国とバチカンでした。大まかに見ると国連安保理常任理事国とムスリム諸国がナイジェリア側、キリスト教諸国がビアフラ共和国側を援助していました。

フランスがどちらも援助していたのは、となりのニジェールがフランスの影響下にあったため、保険をかける意味で両者を援助していたのだといわれています。

1968年に入ると、連邦軍がビアフラを包囲し、食料、物資の供給を遮断したため、ビアフラは飢餓に苦しむことになりました。

各国の記者がさかんに報道したため、赤十字などの支援は行われたのですが、早期決着を目指す連邦側が、それらの救援も妨害するようになったため、ビアフラの飢餓は危機的な状況に陥ります。

紛争の早期決着を目指し救援も妨害する、それは現在のシリアだけでなく様々の紛争の中で見られた行為でした。人を殺しあうという狂気の中で、人々の理性が崩壊してしまっていたのではないでしょうか。

1970年1月9日、ビアフラは降伏し、そのまま崩壊に向かいました。

極端な報復や虐殺は行われず、国民和解の方針が採られました。

しかし、少なくとも150万人以上の人間が、飢餓、病気、戦闘によって死亡したとされ、当時、各国の新聞に掲載された「骨と皮にやせ細っているが、お腹だけが異様に膨らんでいる子供達」の姿は世界中に衝撃を与えたのです。

ナイジェリアはボコ・ハラム結成の地です。2015年3月にISに忠誠を誓ったボコ・ハラムは、2002年にナイジェリア北部のマイドゥグリで結成されました。

正式な名称を日本語に訳すと「宣教及びジハードを手にしたスンニ派イスラム教徒としてふさわしき者たち」となるそうです。因みに、ボコは現地の言葉で「西洋式の非イスラム教育」を意味し、ハラムはアラビア語で「罪」を意味します。ボコ・ハラムで「西洋の教育は罪」という意味になります。

前身組織は、1990年代中頃に設立されたイスラム教の学習グループだそうですから、発足経緯はアフガニスタンのタリバンに近いものだったのでしょう。

ボコ・ハラムは西洋式教育だけでなく西洋文明、現代科学、さらには異教徒だけでなく、過激思想を受け入れないムスリムも攻撃対象としており、ナイジェリア国内のモスクに対してもテロを引き起しています。

2014年2月、ナイジェリア北東部のボルノ州のキリスト教徒が多く住む村がボコ・ハラムに襲撃され、100人以上が犠牲となりました。2014年4月には、ボルノ州の学生寮を襲撃し女子生徒240人が拉致したナイジェリア生徒拉致事件が起こります。女子生徒の多くは未だに解放されていません。

ボコ・ハラムは1万人に及ぶ少年たちを拉致し少年兵として訓練しているのだそうです。カンボジアのポル・ポト軍でもそうでしたが、少年兵は人殺しをためらわないのだそうです。

戦場カメラマンだった故鴨志田譲の妻で漫画家の西原理恵子は、夫から聞いた話をこう綴っています。

「亡くなった夫は、戦場カメラマンでした。戦場で銃を突きつけられたことが何度もあったけど、一番怖かったのは、少年兵だって。大人は残酷な兵士にもなるけど、家に帰ったらやさしいお父さんにもなる。愛することや大事なものを知ってるから。でも、少年兵は物事の重大さが分からず、簡単に人を殺しちゃうんだって。生前にそう言っていました。子どもってそういう生き物。「子どもなのになぜ?」って思うかもしれないけど、戦場の理屈だと、そうなんだって。」

《いじめられている君へ》西原理恵子 朝日新聞デジタル より抜粋

http://www.asahi.com/special/ijime/TKY201208040635.html

ナイジェリアには様々な問題があります。その原因は、ポルトガル人、イギリス人たちが、南北アメリカ大陸へ奴隷を送るために多くの港を建設し、ナイジェリア海岸が奴隷海岸と呼ばれていた頃に遡るのだと思います。

植民地時代のキリスト教の拡大と民族の分割統治、さらに石油の発見と経済格差の拡大も民族間の対立を深めました。ボコ・ハラム結成の遠因もそこに在るのかも知れません。

ビアフラ戦争取材のBBC特派員としてナイジェリア入りしたフォーサイスはビアフラに同調、ビアフラと同じイボ人が居住する赤道ギニアをビアフラ人の安息の地とするため1972年に、処女作『ジャッカルの日』の印税収入を用いて傭兵を雇いマシアス・ンゲマ政権転覆を謀りましたが、スペインで傭兵隊長が逮捕され失敗しています。第3作『戦争の犬たち』はこの経験を活かして執筆されたと言われています。

フォーサイス自身はよかれと思ってやったことなのでしょうが、良い結果は生まなかったようです。

困った人を助ける、それはとても難しいものかも知れません。

でも、困った人を助ける、それはそんなに難しいものではないかも知れません。

これまでにも震災にあった地域や貧しい子供たちなどに、数々の寄付を行ってきた高須院長は、サッカー・ナイジェリア代表チームを支援した理由として

「シュバイツァーもマザーテレサもシステム的には無駄と知りつつ奉仕したんだよ。目の前に困っている人がいたらためらわずすぐに助けるのが人の道だと思うんだ」

とツィートしています。

バングラディシュのコックス・バザールに住むアラカン族の人々を支援している紀行作家の下川裕治は、その著書の中で

「僕はアラカン族が好きだから助けているんだ、そんなわがままなおじさんなんだよ。」

と書いています。

私は、私のために、私のできることをする。それが人助けにつながったらいいな。

そんなことのような気がします。

シリアの人々の状況は、悪化する一方だとニュースで伝えられています。

空爆で怪我をし、放心状態で見つめる子供や、酸素吸入をしている子供たち。

子供たちの体の傷は癒えても、心の傷か癒えなければ、いつの日か彼らは少年兵になってしまうのかも知れませんし、拉致され少年兵として訓練されてしまうのかも知れません。

私には何もできないのですが、ブログを書いていこうと思います。

何の役にも立たないかも知れませんが、私のために、私が彼らのことを忘れないために。

このブログの画像はisis_chanプロジェクトに参加されているイラストレーターの方々からお借りしています。isis_chanプロジェクトの目的は、ISが発信する残酷な画像のインターネットでのヒット率を低下させることだそうです。isis_chanプロジェクトにはガイドラインがあり、ムスリムと彼らの信仰の尊重、暴力的・性的表現・政治的主張の禁止等々決められています。私のプログは極力このガイドラインに沿って書いているつもりですが、抵触していると思われたら、それは私の文章力の無さから来るものだと思います。

もしisis_chanプロジェクトに興味を持たれたら、こちらをクリックして見てください。

<公式ホームページ>

http://isischan.web.fc2.com

<公式ツイッター>

https://twitter.com/isisvipper

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https://daichkr.hatelabo.jp/antenna/960729927021214413

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