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isis_chanとisil_kun(ムスリムの子供達)その16 フィリピン

2015-06-28 18:33:41 | 日記

ハロハロってご存知の方も多いかと思います。フィリピンのカキ氷なのですが、コンデンスミルクの他に果物、豆や芋、アイスクリーム、タピオカなど多種多様な材料が入っています。

ハロハロはタガログ語で「まぜこぜにする」という意味です。明治末期に日本のかき氷が伝わり、現地風に進化したものという説もあります。

フィリピンには多様な民族がおり、それぞれが固有の文化を持っており、その上、イスラム、スペイン、アメリカ等色々な文化の影響を受けています。フィリピンの文化は「ハロハロ=まぜこぜ」の文化です

フィリピンといえば、バナナを始めとしたフルーツの一大産地というイメージがあるかと思います。バナナ・パイナップル・マンゴー等々スーパーの食品売り場ではフィリピン産のフルーツが並んで居ます。ちなみにバナナはβカロチンを多く含み、ドール社が機能性食品として申請したそうです。

 

フィリピンは面積が30万km2、人口は92百万人の大小合わせて7000余り島からなる国です。広大な領海には豊富な海の幸があり、セブ島の美しい海は日本人にも人気です。

14世紀にイスラム教が広まった後、スペイン植民地時代、アメリカの植民地となり、第二次世界大戦の日本の統治時代を経て1946年に独立しました。第二次世界大戦では110万人のフィリピン人が犠牲になったそうです。

スラム街の悲惨な状況がテレビで流れていたり、ミンダナオ島南部ではムスリム過激派が居たりと治安が良くないイメージがありますが、最近はずいぶん落ち着いて来たようです。

むしろ、スプラトリー諸島(南沙諸島)での中国との軋轢の方が問題かも知れません。

公用語はフィリピン語(1930年代に作られたタガログ語に基づいた新たな国語)と英語です。英語が公用語であるところから、その語学力を生かしメイド等として海外に出稼ぎに行く人も多く、海外からの送金がフィリピン経済を支えていた時期もありました。最近ではコールセンターが数多く置かれ、また、格安の語学留学先としても人気があるようです。

 

第二次世界大戦の犠牲、また日本人との混血児問題等から日本人に対し恨みを持っていても良いように思うのですが、フィリピンの人々は日本人に対しフレンドリーです。「恨みは忘れた。いつまでも覚えてられない。」ということなのだそうです。

フィリピンもそうなのですが、タイをはじめとする東南アジアの国々の人たちは怒りを継続するのが苦手だとも言います。暑い中、いつまでも怒っていられないということなのでしょうか。

過去よりも現在、それを大切にする人たちなのかも知れません。

40年に渡ったモロ・ムスリム開放戦線とも2014年和解し、2016年にはミンダナオ地域に自治政府を発足させるようです。もっとも、もう一方のモロ民族解放戦線は反発しているようですが。

人類の歴史は紛争の連続でしたから、恒久の平和は望めないのかもしれません。どこの地域でも平和で豊かな時代は存在していました。その平和で豊かな時代がほんの数十年だとしても、長い戦乱の時代に勝ること幾万倍に値するのではないでしょうか。

ISの支配地域で少年兵が銃を持っている写真を目にすることがあります。そんな写真見たくない、そう思います。

ISの支配地域で、その他の紛争地域でも少年達が武器を持たなくても良い時代が来ますように。そしてその時代が長く続きますように。

このプログの画像はisis_chanプロジェクトに参加されているイラストレーターの方々からお借りしています。isis_chanプロジェクトの目的は、ISが発信する残酷な画像のインターネットでのヒット率を低下させることだそうです。isis_chanプロジェクトにはガイドラインがあり、ムスリムと彼らの信仰の尊重、暴力的・性的表現・政治的主張の禁止等々決められています。私のプログは極力このガイドラインに沿って書いているつもりですが、抵触していると思われたら、それは私の文章力の無さから来るものだと思います。

もしisis_chanプロジェクトに興味を持たれたら、こちらをクリックして見てください。

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isis_chanとisil_kun(ムスリムの子供達)その15 ギリシャ

2015-06-21 16:49:27 | 日記

ギリシャは面積が131,940km2、人口は11百万人ですので、中国・四国地方と同じくらい人々がその倍の面積の地域に暮らしていると言ったところです。

近年経済状態が良くなくEU各国に経済支援を求めていますが、旧東欧諸国は一人当たりのGDPがギリシャより低いので、ギリシャへの支援に異を唱えることもあるようです。

古代から地中海一帯で貿易を展開してきた歴史があるせいか、有名なオナシス家を始め、海運王の大金持ちが多く、その点からも経済支援を求める前にやることがあるのではないかという気もします。

なんと言っても、アクロポリスに代表される遺跡群、風光明媚なエーゲ海と観光資源に事欠きませんから、それだけでも恵まれているだろうにと旧東欧諸国の人々は思ってしまうようです。

ギリシャ、スペイン、イタリア、モロッコが共同申請をした地中海式ダイエット(食習慣、ライフスタイル)は、2010年、ユネスコの無形文化遺産に登録されています。

ミネラルやビタミンを豊富に含むオリーブオイルをふんだんに使い、野菜や魚介類を多く摂取する地中海沿岸の食生活が、心臓病や糖尿病などのリスクを減らしていると世界的に注目され始めました。

ギリシャの料理はその他の国々ほどこってりした味付けでもなく、基本的に旬の新鮮な食材の良さをシンプルに引き出す料理も多いので、日本人の口に合うという人もいます。

ギリシャの食堂は「タベルナ」と言います。ムサカ(ジャガイモとひき肉の重ね焼きみたいなもの)などの家庭料理が食べられます。

家庭料理もよいのですが、エーゲ海の幸も堪能したいところです。フィッシュタベルナ(海鮮食堂)では、ウニや生の貝も食べられるのですが、心配な人はアヒノマカロナーダ(ウニのスパゲッティ)あたりが安心かもしれません。

魚のグリルやフライも、美味しいです。もっとも疲れてくると、魚のグリルを見て「ああ、醤油があったら」とか、フライを見て「ウスターソースで食べたらもっとうまいかも」と思ったりしますが。

ちなみに、ギリシャにはたくさん猫が居ます。特にミコノス島はネコだらけです。魚が沢山取れるせいでしょうか。

 やはり、食事にはワイン。ギリシャは世界で最も古いワイン生産国のひとつです。数千年前の古代の頃からブドウを栽培し、ワインを愛飲してきました。

フィッシュタベルナで美味しい海の幸とともにキリッと冷えた白ワインなんていいかも知れません。

ワイン以外では、「ウゾー」という酒が有名です。10種類以上のハーブとスパイスを漬け込んだ蒸留酒で、水などで割ると白濁するのが特徴です。

飲み易いのですが、アルコール度数が38%と高いこともあり、飲みすぎると翌日後悔することが多い気がします。

 古代のギリシャはアテナイ、コリントス、テーバイなどの多数のポリス(都市国家)が並び立っており、言語・文化・宗教などを通じた緩やかな集合体でした。

今のEUに近い存在だったのかもしれません。その後、東ローマ帝国、オスマン帝国などの支配経て1829年に独立しました。

第二次世界大戦ではナチス・ドイツおよびイタリア、ブルガリアの侵攻にあい、ギリシャ本土はドイツ・イタリア・ブルガリア3国による分割占領状態におかれました。

なお、今の経済危機の打開のため、ドイツに対し占領に対する賠償を求めましたが門前払いになったようです。

戦後はキプロスを巡ってトルコとの対立したり、軍事独裁政権になったりとか色々あったのですが、戦後から軍事独裁政権の崩壊まで、非常に高い経済成長率を誇り「ギリシャの奇跡」とも呼ばれ、1981年にはEUの加盟国となりました。

 今のギリシャには、経済危機の他にもうひとつ移民・難民問題が重く圧し掛かっています。

何百万人ものギリシャ人がアメリカ、オーストラリア、カナダ、イギリス、ドイツへ移住、各地でギリシャ移民らは成功を収めた一方、ギリシャ本国では、中東・アフリカの難民の問題が深刻化しています。

その背景にはダブリン II とも呼ばれるEUの理事会規則があります。

欧州諸国間で難民の庇護申請を一ヶ国に限定することを定めた条約で、最初に到着したすべての庇護希望者の扱いをその国に義務付けるものです。

ギリシャやイタリアは中東・アフリカの難民のEU諸国への入り口でもあり、この規則のために多くの庇護申請者がヨーロッパ中からギリシャやイタリアに送り返され、ギリシャやイタリアはその負担を一手に引き受けることを余儀なくされているのだそうです。

EU各国は既に移民が10%を超えている国が殆どであり、これ以上の移民・難民は受け入れ難いということなのでしょう。

これ以上の移民・難民は受け入れ難いということであれば、移民・難民が出ないようにするしかないのですが、いつになったらその様な世界になるのでしょう。

中東や北アフリカの子供達が難民にならなくとも良い時代が来ますように。

このプログの画像はisis_chanプロジェクトに参加されているイラストレーターの方々からお借りしています。isis_chanプロジェクトの目的は、ISが発信する残酷な画像のインターネットでのヒット率を低下させることだそうです。isis_chanプロジェクトにはガイドラインがあり、ムスリムと彼らの信仰の尊重、暴力的・性的表現・政治的主張の禁止等々決められています。私のプログは極力このガイドラインに沿って書いているつもりですが、抵触していると思われたら、それは私の文章力の無さから来るものだと思います。

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isis_chanとisil_kun(ムスリムの子供達)その14 バングラディシュ

2015-06-14 11:56:50 | 日記

バングラディシュは北海道の2倍ほどの面積(14.4万km2)に1億6千万人が暮らす、人口密度の高い国です。国旗は緑地に赤い丸、日本の日の丸に範を取ったそうです。

アジアの最貧国とも言われていましたが、近年は労働力の豊富さ、アジア最低水準の労働コストの低廉さから日本企業の進出も結構あり、現地の雇用に貢献しているようです。

宗教はムスリム教が9割、ヒンドゥー教が1割、その他が1%ですが、一部の地域では、仏教が信仰されています。

 観光地のイメージが浮かばないバングラディシュですが、南西部のミャンマー国境近くにコックスバザールという場所があります。バングラデシュでは数少ない観光地の一つです。コックスバザールは、世界最長の天然の砂浜を持つ海岸線で、その長さは125kmにもなります。知名度の低さと交通インフラの問題から、まだまだ、世界的な観光地とはなっていないようです。

 コックスバザールとお隣のミャンマー・ラカイン州は、もともとアラカン王国という王国でした。それが、歴史の流れの中で、バングラディシュとミャンマーに分断されたそうです。この地域に仏教徒のラカイン族とムスリム教徒のロヒンギャ族が暮らしています。ラカイン族はアラカン族ともヤカイン族とも呼ばれています。

アラカン王国を形成していた人々が代々継承してきた農地が、英領時代に奪われ、ベンガル系ムスリム教徒の労働移民(ロヒンギャ族)にあてがわれたとも言います。日本軍の進軍によって英領行政が破綻すると、ミャンマーはロヒンギャの迫害と追放を開始したそうです。

ミャンマーでは1982年の市民権法でロヒンギャは正式に非国民であるとし、国籍が剥奪されました。一方、ムスリムが国教のバングラディシュでは、仏教徒のラカイン族はいわば居ない民族として扱われていたようです。

 紀行作家の下川裕治とその仲間がコックスバザールでラカイン族を援助するNPOを運営しています。NPOを運営するに至った経緯は、彼の著書「新・アジア赤貧旅行」の中の「援助のプロになれない旅人」に書かれていますが、要は彼の友人がこの地で死んだことがきっかけです。

下川はNPOに賛同してくれる人を増やすため、知人達をこの地に連れて行き、その中に4人の大学生がいました。

コックスバザールとその周辺にはロンギヒャ族もいます。ロヒンギャ族を見て大学生達が、ラカイン族よりもロヒンギャ族の方が援助を必要としているのではないかと指摘します。

でも、下川は、「ラカイン族の人たちが好きだから、僕は援助に係わっているにすぎないんだ。僕はそういう手前勝手なおじさんだよ。」と、心の中で思うのです。

「その人たちより先に助けるべき人がいる。」と言う意見も良く耳にしますが、「助けたい人を助ける。」それでも良いのではないのでしょうか。

 時々、シリア難民の子供たちが笑顔で写っている写真を目にします。そんな写真が沢山見れたらいいなと思いながら、ブログを書いています。

シリア難民以外にも世界には悲惨な目に合っている子供たちは沢山おり、その子供たちのことはどうなんだと思われるかも知れませんが、私はこの地域の子供たちが、笑顔で写っている写真が見たいから、ブログを書いています。

ブログを書いてどうなるわけではないのですが、読んでくれた何人かが、この地域の悲惨な状況にある子供達のことを思い出してくれたら良いと考えています。

この地域の子供たちが、笑顔で写っている写真を沢山見れますように。

 このプログの画像はisis_chanプロジェクトに参加されているイラストレーターの方々からお借りしています。isis_chanプロジェクトの目的は、ISが発信する残酷な画像のインターネットでのヒット率を低下させることだそうです。isis_chanプロジェクトにはガイドラインがあり、ムスリムと彼らの信仰の尊重、暴力的・性的表現・政治的主張の禁止等々決められています。私のプログは極力このガイドラインに沿って書いているつもりですが、抵触していると思われたら、それは私の文章力の無さから来るものだと思います。

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isis_chanとisil_kun(ムスリムの子供達)その13 シンガポール

2015-06-06 22:28:26 | 日記

シンガポールといえば、どんなイメージでしょう。アジア有数の金融街、日本から手軽に行ける人気の観光地で、音楽の好きな人ならディック・リー、本の好きな人なら村上 龍の「ラッフルズホテル」を思いだすのかも知れません。観光地としては4日~5日で過不足なく楽しめ、日本からも遠くないことから人気のようです。

リピーターを獲得するために2008年に世界最大の観覧車「シンガポール・フライヤー」、2010年に「ユニバーサル・スタジオ・シンガポール」と巨大カジノリゾート施設「マリーナベイ・サンズ」、2012年に「ガーデンズバイザベイ」、と観光客向けの施設も次々にオープンしています。ロンドン、パリ、バンコクに次いで、世界で4番目に外国人旅行者が多く訪れる都市なのだそうです。

ただ、シンガポールのシンボルとも言える「マーライオン」は、デンマーク・コペンハーゲンの「人魚姫の像」、ベルギー・ブリュッセルの「小便小僧」と共に世界三大がっかり(観光客をがっかりさせる観光名所)に数えられるそうです。まあ、それはそれで一見の価値があるかも知れません。

シンガポールの食事はシンガポール独自のものは無く、中国・東南アジア・インドを中心とした世界の料理が比較リースーナブルに食べられることが魅力なのでしょう。

屋台村の屋外複合施設であるホーカーセンター(ホーカーズ)、中国・東南アジア・インドの料理がリーズナブルな価格で食べられ味もまあまあです。良くガイドブックなどでは海南鶏飯(海南チキンライス)がお勧めとして書いてありますが、これはタイのカオマンカイ(カウマンカイ)と同じものです。東南アジアの華僑が住む国々で広く食べられている料理です。

シンガポール発祥の料理が無いのかと言うと、そんなことはなく、フィッシュヘッドカレーはシンガポールのインド人街が発祥とも言われています。大型の魚の頭部を煮込んで作ったカレーで、そもそも、貧しいインド人が魚の解体後の余り物を活用しカレーにしたものだそうです。

また、シンガポール・スリングはシンガポール発祥のカクテルでラッフルズ・ホテルのロングバーが発祥。スピリッツ(ドライ・ジン、チェリー・ブランデー)とジュース(パイナップルジュース・ライムジュース)をシェイクしソーダ水で割ったものです。1915年にバーテンダーでニャン・トン・ブーンの手によって誕生したのですが、甘すぎてあまり人気が無かったそうです。一時期ロングバーのメニューから消えていたのですが、1970年代に現代人の味覚に合うようにレシピを変更し、今ではホテルの名物カクテルになっています。ロングバーで飲むのも良いのですが、南の国のプールサイドで飲むと納得の味です。

 シンガポールは人口5,410,000人、面積2710km2の小国で、1819年、ジョホール王国からの許可を得て、イギリス東インド会社の交易所としてトーマス・ラッフルズにより設立されました。英国植民地、日本の占領を経て、1963年に英国からの独立、マレーシアと結合したのですが、2年後、シンガポールは全会一致の議会制定法により、マレーシアから追放されました。

住民は、華人(中華系)が76.7%、マレー系が14%、インド系(印僑)が7.9%、その他が1.4%、華人、マレー系、インド系からなる複合民族国家です。共生しながらもそれぞれ異なるコミュニティーを形成しています。宗教も多彩で、仏教、道教、キリスト教、ヒンドゥー教の他、イスラム教は、主にマレー系住民により信仰され、全人口の約14%の信者を占めます。多彩な民族、多彩な宗教、軋轢も多々あるようですがそれでもこの海洋小国は微妙なバランスのもと繁栄しています。

初代首相のリー・クワンユーは首相就任以降、長期にわたり権威主義的政治体制、いわゆる「開発独裁」を体現し、独裁政権下ながらシンガポールの経済的繁栄を実現しました。

そのリー・クワンユーがフィリピンを訪問した折、「私にフィリピンを任せてくれたら、フィリピンを10年でシンガポールにして見せる。」と発言し、それに対し、フィリピンのとある国会議員は「私にシンガポールを任せてくれたら、シンガポールを10年でフィリピンにして見せる。」と言ったとか。

誰もが認める成功者であるシンガポール。でも、本当にそれでシンガポールの国民は幸せなのですか、というフィリピンからの問いかけではないでしょうか。シンガポールとフィリピン、それぞれの国にはそれぞれの国に合ったやり方があるのでしょう。

今日の中東の国々の混乱は、それぞれの国に合ったやり方を取れなかったことが一因なのかも知れません。どうすればその国の人々が、その国の子供達が幸せになるのか、方法は様々ではないのでしょうか。

私達は手助けをすることは出来ても、幸せになる方法を決めるのはその国の人々自身なのでしょう。早くその方法が実現し、子供達が幸せになりますように。

このプログの画像はisis_chanプロジェクトに参加されているイラストレーターの方々からお借りしています。isis_chanプロジェクトの目的は、ISが発信する残酷な画像のインターネットでのヒット率を低下させることだそうです。isis_chanプロジェクトにはガイドラインがあり、ムスリムと彼らの信仰の尊重、暴力的・性的表現・政治的主張の禁止等々決められています。私のプログは極力このガイドラインに沿って書いているつもりですが、抵触していると思われたら、それは私の文章力の無さから来るものだと思います。

もしisis_chanプロジェクトに興味を持たれたら、こちらをクリックして見てください。

<公式ホームページ>

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