マルタ共和国は、面積は316KM2東京23区の半分の大きさで、人口40万人程の小国です。イタリアのシチリア島の沖に在ります。年間の観光客は僅か120万人程度、日本人はその内僅か一万人程度で、日本では観光地としてはまだまだマイナーな国です。地中海貿易で繁栄したマルタは教会や料理そして綺麗な海があり、欧州連合の最南端の島国です。
「地中海のヘソ」と呼ばれるマルタ共和国は、小さな3つの有人島と2つの無人島から成り、ヨーロッパの各国のリゾート地として有名なんだそうです。
公用語はマルタ語と英語、地中海では珍しく英語で対応できます。第2次世界大戦後、英語も公用語に指定されました。マルタ語は65%は植民地化が長かったアラビア語が語源。残りの35%は他の宗主国の言葉が混合した合成語です。最後の宗主国は英国で1964年までの164年間統治下にありました。宗教はローマカトリックが主な宗教で、教会が300以上あります。
地中海マグロの水揚げ拠点であり、またマグロの養殖も盛んです。レストランではマグロのステーキなどを食べることができるのだそうです。「そういえばスーパーの鮮魚売り場で(地中海マグロ・産地マルタ)って見たことある。」という方も多いかもしれません。地中海の真ん中という地の利から新鮮な魚介類がふんだんに採れるそうです。
小型犬のマルチーズの発祥の地であり、マルチーズの名はマルタに由来するので犬が多いのではと思うのですが、ネコが多いのだそうです。やはり、新鮮な魚介類がふんだんに採れるからでしょうか。
マルタは乾燥した土地で淡水は限られ、飲み水はイタリアから輸入しています。畑の境界には防風対策としてサボテンがよく植えられています。このサボテンは7月頃に花が咲き、実をつけ、サボテンの実はそのまま食べたり、ジャムやリキュールにして食用にするそうです。
マルタには「シエスタ」が習慣としてあり、正午から16時頃まで多くの店がシャッターを降ろしてしまいます。銀行も営業時間は季節によって異なりますが、おおむね月~金曜日は8時半~12時半、土曜日は11時半まで、日曜日は休みとのこと。暑い国だからでしょうか。
マルタの歴史は相当古いのですが、その例として世界遺産のマルタの巨石神殿群があります。マルタの巨石神殿群はマルタ島内、ゴゾ島内で20世紀までに約30の巨石神殿が確認され、そのうち6神殿が世界遺産として登録された巨石建築物です。建造は紀元前4500年から前2000年頃だそうです。
紀元前1000年頃にはフェニキア人が渡ってきて支配者となり、紀元前400年頃にはカルタゴが支配し、その後ローマに支配されますが、その頃から既に地中海貿易で繁栄していたそうです。
870年にアラブ人の侵攻を受け、1127年にノルマン人が占拠するまでイスラム帝国の支配下にありました。地中海とスカンジナビア半島原住のノルマン人が結びつかない方もいるかもしれませんが、ノルマン人は、12世紀にはイタリア南部やシチリア島を支配してます。地中海に進出したノルマン人たちは、ローマ教皇の唱えた十字軍にも参加し、シリア北部の重要都市アンティオキア(アンティオケイア)を首都とするアンティオキア公国を建国しています。アンティオキア公国は十字軍が聖地に建設した十字軍国家のひとつです。
マルタはその後、1479年にスペインの支配下に置かれ、1530年には、1522年にロードス島を追われた聖ヨハネ騎士団(後のマルタ騎士団)の所領となりました。1565年にマルタ騎士団は、オスマン帝国からの攻撃を受けますが、およそ4ヶ月で撃退に成功しました。世界遺産でもある現在の首都バレッタは、この時のマルタ騎士団の団長ジャン・ド・ヴァレットの名前に因んでいるそうです。南欧風の町並みに無数の教会が点在する世界遺産の町並み。料理も日本人の口に合うと言いますから、一度訪ねて見たいものです。
因みに、サボテンのリキュールは、食後酒として炭酸水+レモンで割って飲むことが多いのだそうです。地中海の海の幸を堪能した後、古い町並みや地中海を見ながら、一杯。とても素敵だと思います。
1798年から1801年かけて起こったエジプト・シリア戦役(フランス軍がエジプト・シリアへ遠征した戦役)でナポレオン・ボナパルトによって占領され、その没落後はイギリス支配下に入ります。1964年、英連邦王国マルタ国としてイギリスから独立し、さらに1974年12月13日には、イギリス連邦内のマルタ共和国となりました。
2004年5月1日には欧州連合 (EU) に加盟しています。
マルタ共和国は東西冷戦の終結を告げる歴史的なマルタ会談の舞台としても知られています。1989年12月3日、当時のミハイル・ゴルバチョフソビエト連邦最高会議議長兼ソ連共産党書記長とジョージ・H・W・ブッシュ米国大統領がマルタで会談し、戦後44年間続いた冷戦の幕引きを世界にアピール、欧州新秩序づくりへ向けての一致協力をうたいました。東西冷戦が1945年のヤルタ会談から事実上始まり、マルタ会談で終結したことから、その意義については「ヤルタからマルタへ」という言葉で語られています。
地中海という場所柄、様々な勢力がマルタを勢力下に置きました。今では、とても穏やかな小さいリゾート地なのですが、その歴史は紛争の連続だったのかもしれません。この地の平穏がいつまで続くのかは判りませんが、長く続いて欲しいものです。
ルソーはその著作『エミール』の中で、「必要とあらばアイスランドの氷の中であろうと、マルタ島の焼けただれる岩壁の上であろうと、生き抜くことを彼に教えなければならない」と書いています。この地がいかに過酷な自然環境とみなされていたかがうかがえる記述です。そんな土地柄でも平和が続けば、人々が安心して暮らしていける。マルタの事を書き綴りながら、そんなことを思いました。
中東の地も過酷な自然環境なのですが、紛争が無くなり平和が続き、人々が安心して暮らしていける状況になれば、他の国に難民や移民として移り住みつつある人々も戻って来る気がします。
自分の住んでいた町、それがどんな町であっても何時かは帰りたい。紛争地域から避難した大人も、子供たちもそう思っているのではないかと思います。
子供たちが夢に出てくる自分の住んでいた町、その町に帰れる日が来ますように。
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