デンマークは、約4.3万平方キロメートル(九州とほぼ同じ)、約570万人(2016年デンマーク統計局)(兵庫県とほぼ同じ)、首都はコペンハーゲン、バルト海と北海に挟まれたユトランド半島とその周辺の多くの島々からなる北欧の立憲君主制国家です。もっとも、この数字には自治権を有するグリーンランドとフェロー諸島は入っていません。
グリーンランドはご存知の方が多いと思います。面積217万平方キロメートル、人口56,749人(2013年)、大部分が北極圏に属し、全島の約80%以上は氷床と万年雪に覆われています。巨大なフィヨルドが多く、氷の厚さは3,000m以上に達する所もあります。居住区は沿岸部に限られ、住民の大部分はカラーリット(グリーンランドに住むイヌイット)です。
フェロー諸島は馴染みがないかも知れません。面積1,398平方キロメートル(沖縄県とほぼ同じ)、人口48,222人(2014年)、イギリスの北方、アイスランドとノルウェーの中間付近に浮かぶ島々です。
第二次世界大戦中はデンマーク本土とは分断され、イギリスの占領下にありました。
デンマーク本国だけでは九州程の小国なのですが、グリーンランドとフェロー諸島を加えると広い国土を持った国です。
これは、デンマークがスウェーデン、ノルウェーを支配下にしたカルマル同盟を築き大国として存在した名残です。
デンマークは、アンデルセン童話でおなじみのハンス・クリスチャン・アンデルセンの母国で、首都のコペンハーゲンには人魚姫の像があります。シンガポールのマーライオン、ベルギー・ブリュッセルの小便小僧と共に、「世界三大がっかり」のひとつだそうです。
「世界三大がっかり」とは、世界的に有名で観光客が多い割には、期待を裏切るとされる場所のことで、旅行者の間で自然に語られるようになった言葉です。
まあ、ある意味では一見の価値有りということなのかと思います。
2016年版の国連の「世界幸福度報告書」では、デンマークはトップです。2位はスイスで日本は53位ですが、東南アジアではタイが33位であるのに対し、ブータンは84位ラオスが102位です。健康、富、教育などから順位を決めるのですが、必ずしも国民の満足度を示しているランキングでは無い気もします。
高福祉高負担国家であり、高齢者福祉や児童福祉が充実しており、国民の所得格差が世界で最も小さい世界最高水準の福祉国家であることから、トップとなったようです。
因みに、上位の国には北欧の国々が並んでいます。
現在のデンマークを含む北欧地域にはヴァイキングとして知られるノルマン人が8世紀から11世紀にかけて住んでいました。この時期デンマークはユトランド半島を基盤にして、スウェーデン南部まで影響力を持っており、11世紀初頭にはイングランドも支配していたのです。
14世紀後半には、デンマーク、スウェーデン、ノルウェーを支配下にしたカルマル同盟が結成され、その盟主として北欧に君臨していました。
しかしながら、1520年のストックホルムの血浴を契機に、1523年にスウェーデンがカルマル同盟を脱し独立、スウェーデンとの300年にわたる抗争が始まりました。
ストックホルムの血浴とはデンマーク王クリスチャン2世が1520年に行なったスウェーデン人に対する処刑ないし粛清です。
スウェーデンの独立を巡る内戦は、1435年頃から始まり、事の発端となったのは、当時カルマル同盟を築き、北欧全土を勢力下に置いていたデンマーク王国に対するスウェーデン人の反乱です。スウェーデンの独立を巡る内戦は、1435年頃から始まり、スウェーデン側は1520年9月7日反乱罪で処断しない事を条件に降伏しました。
クリスチャン2世は反乱の罪を赦すという声明を発し、スウェーデン側の貴族、僧侶、都市の自由市民の有力者たちを晩餐会に招きました。彼等はクリスチャン2世の言葉を信じて投降したものの、全員がストックホルムの王宮に入城すると、大扉は閉じられ、招かれた客は総て捕らえられました。クリスチャンは最初から独立派の罪を許すつもりなどなく、これを機に独立派を根絶やしにする事でスウェーデン独立運動の息の根を止めようと画策していたのです。
翌11月8日、形ばかりの裁判によって、彼等は死刑の判決を下され、その日の内に、スウェーデンの有力者たちは次々に処刑されました。その犠牲者の数は、100名を超え、ストックホルムの大広場は大量の血の海に染まることになったそうです。
この事件はスウェーデンの人々を団結させる事となりました。「ストックホルムの血浴」で父を殺された若年の騎士グスタフ・ヴァーサは、北部スウェーデンに逃れその地で反乱軍を組織、独立派の新指導者としてスウェーデン独立戦争を戦い抜きスウェーデンを独立に導きました。この若き騎士が後のスウェーデン王グスタフ1世です。
スウェーデン独立後、プロテスタントであるクリスチャン3世が国王となり、宗教改革が進むきっかけとなった伯爵戦争(1534年~1536年)が起こります。
その後デンマークでは戦乱が続きます。スウェーデンとの間に北方七年戦争(1563年~1570年)、カルマル戦争(1611年~1613年)が勃発、1626年にはドイツ三十年戦争に参戦し、三十年戦争中の局地戦であるトルステンソン戦争(1643年〜1645年)ではスウェーデンとの戦いで敗北し、デンマークは小国へと転落しました。
17世紀初頭のスウェーデン・ロシア帝国間の大北方戦争においては、最終的に勝利したロシア側として参戦したのですが、スウェーデンに敗れ、敗戦国扱いをされた。大北方戦争に敗れたスウェーデンと共に、デンマークも同様に北欧の没落を体験しました。
近代に至りナポレオン戦争においても、フランスと同盟を結んでいたため、敗北、1814年のキール条約によって、長年支配してきたノルウェーをスウェーデンに奪われました(ただノルウェー領であったアイスランドやグリーンランドなどはデンマーク領として残されました)。417年間続いたカルマル同盟はここに解消を告げたのです。
第一次世界大戦では中立を維持しましたが、第二次世界大戦ではナチス・ドイツに占領されてしまいます。
デンマーク議会は2016年1月26日、警察が難民申請者の所持品を検査し、現金や所持品が1万クローネ(約17万2千円)を超える場合、超過分を没収し、難民の食費や住居費に使えるようにする法案を賛成多数で可決しました。
デンマークは「世界1幸せな国」という仮面を外して、イスラム系移民や難民に対して「最も冷たい国」という本性をさらけ出しましたのかも知れません。
「デンマークはこんなに難民に意地悪な国なんだよ。」「思いやりのかけらもない国ですよ。」と世界中に知らせて、シリアやアフガニスタンから難民が来ないようにする狙いが込められているとも言われています。
「ユダヤ人らから金や貴重品を取り上げたナチスと同じだ。」という国際的な批判を浴びている政策です。
難民申請者の財産を没収する措置は実はスイスやドイツの南部バーデン・ビュルテンベルク州とバイエルン州でも導入されているそうです。
また、デンマーク・ユトランド半島北東部にある人口6万人のラナースの議会は、伝統の食材である豚肉を使ったミートボールやローストポークなどの料理を、公営の保育園、幼稚園などの昼食メニューとして提供することを定めました。
イスラム教徒を標的にするための口実だと非難されていますが、議案の賛同者は、「豚肉のような伝統的デンマーク食を提供することは、国民としての自己認識を維持するのに必要不可欠とし、信条や宗教に反し誰かに無理やり食べさせることを目的としたのではない。」と主張しているのだそうです。
因みにデンマークの人口は約565万人、スウェーデンは約972万人です。14年10月から15年9月にかけて新たにあった難民認定申請件数はそれぞれ1万3340件と9万4100件と大きな開きがあります。
デンマーク議会の議長は「極右」と非難されることもあるデンマーク国民党の前党首ピア・ケアスゴー女史です。彼女は「国民の多くが心の奥底で思っていることを分かりやすい言葉ではっきり表現する」ことをモットーに移民規制の強化を求める発言を続けているそうです。
2005年にデンマークの新聞が、40人の著名なデンマーク人漫画家に、預言者マホメットを描くよう依頼し、12人がこれに応え、作品は9月30日に発表されました。このプロジェクトは、挑発を意図的に狙ったものでした。
同紙の文化編集員フレミング・ローズによると、イスラム教とイスラム教徒に関する「デンマーク世論の自己検閲の限界を実験する」ことが狙いだったと言います。さらに彼は「宗教的でない社会においては、イスラム教徒は、あざ笑われ、冷笑され、滑稽にみられてしまうという事実に耐えなければならない。」と言ったそうです。
これは、民主的な世論が、いかにして全体主義的観点に降伏するかという一例だとする、漫画論争をひき起こしました。
その論争の中で、当時デンマーク国民党党首であったケアスゴー女史は、「自分たちの宗教的信条を、言論の自由より大切と見なすのだから、彼らは売国奴だ。」と、イスラム教徒を非難しました。また、「イスラム世界は文明化しているとは見なせない。」と宣言し「文明というのは、たった一つしか存在せず、それは我々の文明だ」と主張したのだそうです。
そんなケアスゴー女史は、2016年3月11日に広島市中区の平和記念公園を初めて訪れ、原爆資料館を見学するなどし、原爆慰霊碑に花をささげた後、「原爆投下を歴史として知ってはいたが、訪問して悲しみを実感できた。二度と繰り返さないため、ヒロシマを忘れてはいけないと母国で伝えたい。」と述べたといいます。
デンマークの難民に対して行っている政策は、ひどいものだと思う人も居るかも知れません。でも、ほとんど難民を受け入れていない日本に住む人々が非難できるものでは無いのだと思います。
むしろ、日本に住む人々の心の奥底には、ラナース議会やその賛同者やケアスゴー女史と同じように、自分たちと異なった人々を拒絶する気持ちが潜んでいるのかも知れません。
少し前に日本でも難民を嘲笑するイラストがネット上に流れたことがあります。
それは難民の少女を描いたイラストで、背景にこんな言葉が書かれていました。
「安全に暮らしたい。清潔な暮らしを送りたい。おいしいものが食べたい。おしゃれがしたい。贅沢がしたい。何の苦労もなく生きたいように生きていたい。
他人の金で。
そうだ難民しよう!」
このイラストは、きっと日本に住む人々の心を映す鏡だったのだと思います。
このイラストに対し、「そうだ援助しよう!」というイラストもネット上に流れました。
でも、それは「難民を受け入れなくてもできることはある。」ということのようでした。
私には、そんな人々を非難する資格はありません。
東南アジアや南アジアの都市を旅行していると、物乞いにあう事があります。
少しのお金を与えた後で、「働いたらいいのに。」と心のどこかで思っている自分にふと気づいて、「私も難民のイラストを書いた人々と同類だ。」と思い、情けない気持ちになることが多いのです。
でも、私の与えた少しのお金で「おいしいものを食べてくれたらうれしいな。」と思ったりもします。
おいしいものを食べたら、少し幸せな気持ちになりますから。
人々が幸せであれば、人々が他人に優しくなり、平和が長く続くのだと思います。
シリアなどの中東地域の紛争が終わったら、「安全に暮らしたい。清潔な暮らしを送りたい。おいしいものが食べたい。おしゃれがしたい。」という子供達の夢が実現しますように。
そして、人々が幸せになり、平和が長く続きますように。
このブログの画像はisis_chanプロジェクトに参加されているイラストレーターの方々からお借りしています。isis_chanプロジェクトの目的は、ISが発信する残酷な画像のインターネットでのヒット率を低下させることだそうです。isis_chanプロジェクトにはガイドラインがあり、ムスリムと彼らの信仰の尊重、暴力的・性的表現・政治的主張の禁止等々決められています。私のプログは極力このガイドラインに沿って書いているつもりですが、抵触していると思われたら、それは私の文章力の無さから来るものだと思います。
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