マレー蘭印紀行という本をご存知でしょうか。金子光晴という作家が1940年に書いた紀行文で、その多くの部分がマレーシアについてです。
金子光晴は、1928年から1932年にかけて中国、ヨーロッパ、東南アジアを放浪した人で、いわば戦前のバックパッカーとも言えるのですが、マレー蘭印紀行はその放浪の内、マレー半島、シンガポール、今のインドネシアでの見聞きしたことに基づいて書かれたものです。この本を読んで、紀行作家になった人も居るようです。
ただ、放浪から10年も経って書いたのはなぜなのか。きな臭くなって来ている世界を見ながら、もう一度東南アジアを旅してみたいと思っていたからかもしれません。
マレー蘭印紀行の多くの部分をマレー半島での放浪についての記載が占めています。金子光晴は戦争に向かう予感の中で、もう一度彼の地に行きたいと切に思っていたのではないでしょうか。
マレーシアは、治安も安定しており、物価も安く、インフラも整っており、人々も穏やか、加えて親日的ということで、リタイアした人たちのロングステイ先として人気の国です。
観光地としても、ビーチリゾートのランカウイ、イギリス植民地であったペナン、フランシスコ・ザビエルも経由した旧ポルトガル植民地のマラッカ等々見所満載です。これらの観光地はマレー半島側にあるのですが、マレーシアの国土の半分強はボルネオ島北部あります。
そのボルネオ島の中心地がクチン、別名「猫の町」です。町の中心に猫の銅像が有ったり、市役所に猫の博物館があったりと、猫好きにはたまらない町なのですが、実際に生きている猫が多い様にも見えません。
一説には、ヒンドゥー語の「コーチン=港」がなまって「クチン」になり、マレー語で「クチン=猫」なので、「猫の町」になったようです。
それで、猫の銅像まで建ててしまうのですから、この町の人はこの町の事を誇りに思い、とても愛しているのかも知れません。
マレーシアは、面積が約33万平方KMで人口が約30百万人、ムスリムのマレー系が6割、華僑2割、インド系1割の多民族国家です。
以外と知られていないのは、立憲君主制であることと、国王は13州の内9州にいるスルターン(首長)による互選で選出される、世界でも珍しい政治形態ということです。
1981年首相に就任したマハティール首相は「ルック・イースト」を標語にし、欧米ではなく日本を手本にすべきと訴え、国の経済発展に貢献しました。この辺りも親日的な人が多い一因かも知れません。
そんなマレーシアの政策の一つに「ブミプトラ(地元民)」があります。マレー系住民優先という政策です。マイノリティー保護とは間逆の政策なのですが、放って置けば国の経済・政治の中枢まで華僑系に占められてしまうと言う危機感から、推進されている政策です。
欧米的な価値観からすると、とんでもない政策の様にも見え批判の対象にもなっていますが、それぞれの国にはそれぞれの国の事情があるのではないでしょうか。少なくとも、今のマレーシアはうまく行っているように見えます。
多民族、多宗教、多宗派が暮らしている地域で皆が仲良く暮らしていける最適な方法。それは地域毎に異なっているのかもしれません。
ちょうど仲の良い兄弟姉妹の関係の有り方が、それぞれ違うという様なものかも知れません。
北アフリカ・中東の紛争地域でも、そんな関係の最適な回答が早く見つかりますように。
このプログの画像はisis_chanプロジェクトに参加されているイラストレーターの方々からお借りしています。isis_chanプロジェクトの目的は、ISが発信する残酷な画像のインターネットでのヒット率を低下させることだそうです。isis_chanプロジェクトにはガイドラインがあり、ムスリムと彼らの信仰の尊重、暴力的・性的表現・政治的主張の禁止等々決められています。私のプログは極力このガイドラインに沿って書いているつもりですが、抵触していると思われたら、それは私の文章力の無さから来るものだと思います。
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