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ISIS chanとISIL kun(ムスリムの子供達)その45 クロアチア

2016-03-27 16:22:04 | 日記

クロアチアは、面積が5万6,594平方キロメートル(九州の約1.5倍)、人口は428.5万人(2012年:クロアチア政府統計局)東ヨーロッパ、バルカン半島に位置する共和制国家で首都はザグレブです。

クロアチアは美しいアドリア海とその沿岸の古い町並みが魅力の観光立国です。中世都市の世界遺産や豊かな自然など、実に多くの観光スポットを有します。また、ヨーロッパでも治安の良さで知られているのも魅力です。

1991年から95年にかけて、旧ユーゴスラビアからの独立戦争を経験したのですが、現在は治安も安定し、セルビア、ボスニア・ヘルツェゴビナ等近隣諸国との関係も良好なのだそうです。

2013年7月1日に欧州連合(EU)に28番目の加盟国として加盟しました。

クロアチア国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が6件、自然遺産が1件あります。

自然遺産のプリトヴィツェ湖群国立公園はボスニア・ヘルツェゴビナ国境に近く、大小16の湖と92の滝がエメラルドグリーンの幻想的な景観を作り出しており、1979年にユネスコの世界遺産に登録された。

また、文化遺産の代表とも言えるドブロブニクは「アドリア海の真珠」と呼ばれ、ジブリアニメの「紅の豚」の舞台となった街のモデルだとも言われています。

アドリア海に面した城塞都市で、ヨーロッパではもっとも美しい地中海都市のひとつとされており、1979年に世界遺産に登録されました。

街の歴史は古く、ローマ帝国時代またはそれ以前に溯るとされています。

飛び地であり、周囲をボスニア・ヘルツェゴビナに囲まれています。

 

旧ユーゴスラビアのこの地の歴史は複雑です。

879年にローマ教皇ヨハネス8世から独立国家として認められたのですが、15世紀にはオスマン帝国に征服された後、18世紀末までに、オーストリア・ハンガリーの支配下に入ります。

1918年に第一次世界大戦の敗北からオーストリア・ハンガリーが崩壊。オーストリア・ハンガリーから離脱したスロベニア人・クロアチア人・セルビア人国は、南スラブ民族による連邦国家の構成と言うセルビア王国の提案を受けて、セルブ=クロアート=スロヴェーン(セルビア・クロアチア・スロヴェニア)王国(1929年ユーゴスラビア王国のに改名)成立に参加します。

この連邦国家はセルビア人コントロール下にあるとクロアチア人側から不満が噴出したため、1939年にはこの不満を解消する目的で、クロアチア自治州となりました。

1941年ユーゴスラビアに侵攻したナチス・ドイツの支援により、クロアチア、ダルマチア、スラヴォニアとヴォイヴォディナ、ボスニア・ヘルツェゴヴィナの一部に跨るクロアチア独立国が成立しました。

その後、セルビア人勢力のチェトニックとの間で凄惨な戦闘が繰り返され、1945年に戦闘が終結するまでの4年の間に、強制収容所などで70万人のセルビア人が虐殺されたそうです。一方で、ほぼ同数のクロアチア人がセルビア人によって虐殺されたとも言われいてます。

第二次世界大戦後、以前のユーゴスラビアの枠組みの中で国家の再建が目指され、チトー大統領の巧みなバランス感覚と、カリスマ性によって多民族国家ユーゴスラビア社会主義連邦共和国は維持されましたが、1980年にチトーが死去するとそれまで押さえ込まれていた各民族の不満が噴出しはじめました。

1991年6月25日には、スロヴェニアと同日に独立を宣言しました。

でも、これが旧ユーゴスラビア地域の更なる悲劇の始まりでした。

 

クロアチア領内にも多く住むセルビア人は、クロアチアの独立に反対していました。この地域はクライナ・セルビア人自治区(→クライナ・セルビア人共和国)であり、セルビア人保護を目的に、ユーゴスラビア連邦軍がクロアチアに介入したのです。

これに対抗したクロアチア軍は、9月半ばにはユーゴスラビア軍との全面衝突クロアチア紛争へと進みます。その結果1995年に戦闘が終結するまでに大量の死者とセルビア人難民を生み出しました。

これはクロアチア軍がセルビア人自治区を襲撃し、迫害を避けるためにセルビア人はユーゴスラビア地域へ退避移住せざるを得ない状況に陥ったことによるそうです。

移住せざるを得なかったセルビア人は20万人以上と言われている。その地域をクロアチア人居住区として併合することにより民族浄化路線を完了させたのだそうです。

ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争も加えると、死者は20万人、難民・避難民は200万人とも言われ、第二次世界大戦後ヨーロッパで最悪の紛争と言われています。

カトリック教徒のクロアチア人、セルビア正教徒のセルビア人、ムスリム教徒のボシュニャク人はそれぞれの支配地域の拡大を試み、それぞれの支配地域から異民族を排除する目的で、虐殺や見せしめ的な暴行による追放を行う民族浄化を行ったのです。

 

人々は「人の命より大事なものがある。」と言って紛争を始め、「人の命より大事なものは無い。」と言って紛争を止めるのかも知れません。

旧ユーゴスラビア地域での死者は20万人。それだけ多くの死者が出て、初めて人々は「人の命より大事なものは無い。」という事に気づいたということなのでしょう。

地球上の多くの地域で、恒久の平和が続いたことは無かったと思います。

戦争・紛争だけでなく、日常生活の中でも人と人との間の争い事は絶えません。

おそらく、私達の心のどこかに戦いをしたいという本能が潜んでいるのでしょう。

でも、日常の争い事、紛争、戦争の中で「もうたくさんだ」という気持ちが生じる事は確かなのです。

恒久の平和は無いかも知れませんが、終わりの無い紛争も無いのです。

シリアを始めとする紛争地域で、子供達がそして大人たちも「もうたくさんだ」と思っているのでしょう。

戦いに参加している人々は「人の命より大事なものがある。」と言って戦いに参加しているのでしょう。でも、早く「人の命より大事なものは無い。」という気持ちになってもらえると良いのですが。

 

このブログの画像はisis_chanプロジェクトに参加されているイラストレーターの方々からお借りしています。isis_chanプロジェクトの目的は、ISが発信する残酷な画像のインターネットでのヒット率を低下させることだそうです。isis_chanプロジェクトにはガイドラインがあり、ムスリムと彼らの信仰の尊重、暴力的・性的表現・政治的主張の禁止等々決められています。私のプログは極力このガイドラインに沿って書いているつもりですが、抵触していると思われたら、それは私の文章力の無さから来るものだと思います。

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ISIS chanとISIL kun(ムスリムの子供達)その44 ブータン

2016-03-13 12:25:06 | 日記

ブータンは、面積が約38,394平方キロメートル(九州とほぼ同じ)、人口は約76.5万人(2014年)ヒマラヤ山脈の東端にある仏教王国で、北は中国、東西南はインドと国境を接する小国です。

ジグミ・ケサル国王陛下とジツェン・ペマ王妃陛下が2013年11月15日~20日,国賓として訪日され、東北の被災地を慰問に回られたことを覚えてらっしゃる方もいらっしゃるかと思います。

国王陛下、王妃陛下はかなりの美男・美女でした。

ブータンは「最後の秘境」、「シャングリラ」と評され、国土のほとんどを覆う山岳地帯には、手つかずの大自然が残されており、ブータンを訪れる人々を楽しませてくれます。旅行者にとっては手つかずの自然・文化を楽しめる、タイム・スリップのような旅ができる国です。

国土の72パーセントを森が被い、素朴な環境には、絶滅の危機に瀕した動植物が生息しています。

また、近隣の仏教文化圏が近年のグローバリゼーションの中でその文化的特徴を失いつつあるのに比べ、ブータンには今もなお中世の雰囲気を感じさせるオリジナルな仏教文化を色濃く残しています。

この神聖な土地は、大乗仏教のヴァジュラ・ヤーナ派(金剛乗)最後の砦であり、その宗教はブータン人のアイデンティティの真髄となっています。

 

ブータン政府は、ブータンでの旅行者に1日当たりの公定料金を設けています。一人の場合240ドル~290ドルで、国税US$65、手数料(利権料を含む)、宿泊費、食事代、ガイド費用、国内移動費用、トレッキングツアーのキャンプ設備、運搬代を含みます。

ハイシーズンには全て込みで一日辺り約32,770円($1=113円として)、この国の一人当たりのGDPは2,665ドル(2013年)ですので、それと比較すると正直高いと思います。

「最後の秘境、シャングリラを訪れたい人の足元を見ているな。」と思いますが、文化・自然保護の観点からハイエンドに特化した観光政策を進めているためなのだそうです。

フォーシーズンズなどの高級ホテルの誘致に成功した一方、外国人観光客の入国は無制限ではなく、ブータンへの旅行は、旅行会社を通じて申し込む必要があります。

バックパッカーの入国は原則として不可能だと言われています。「貧乏旅行者は来てくれるな、風紀・治安が乱れる。」ということなのかも知れません。

一日32,770円となると、行くのに二の足を踏んでしまいますが、そうは言っても行って見たい国です。

この国を有名にした国民総幸福量(GNH)という指標は、先代ブータン国王が1976年、国民総生産(GNP)よりも大切な国家理念として提唱した、「経済成長も重要だが、それは自然環境や伝統文化、家族や友人、地域の連携との調和がとれたものでなければならない。」とする考え方です。

外国人観光客の入国を制限するのはその政策に沿ったものかもしれません。

尚、グループ割引、長期滞在割引などもあるようです。

 

ブータンの政治は、ジェ・ケンポが宗教界の長を、デジが政治・行政の長を務めるというチョエン制度(政教分離制度)が、1907年に世襲王政が成立するまで約300年間維持されました。

19世紀末に至り東部トンサ郡の豪族ウゲン・ワンチュクが支配的郡長として台頭し,1907年,同ウゲン・ワンチュクがラマ僧や住民に推され初代の世襲藩王に就任,現王国の基礎を確立しました。

1952年に即位した第3代国王は,農奴解放,教育の普及などの制度改革を行い,近代化政策を開始しましたが,1964年,地方豪族間の争いに起因する当時の首相暗殺や,その後に任命された首相による宮廷革命の企み発覚を契機に,首相職が廃止され,国王親政となりました。

1972年に16歳で即位した第4代国王は,第3代国王が敷いた近代化,民主化路線を継承・発展させ,王政から立憲君主制への移行準備を主導します。

2006年12月,第4代国王の退位により,現国王(第5代目)が王位を継承、2007年12月及び2008年の総選挙を経て,2008年4月に民主的に選出されたティンレイ政権が誕生し,5月には国会が召集され,7月に憲法が施行し,王政から議会制民主主義を基本とする立憲君主制に移行した。2008年11月に,現国王の戴冠式が行われました。

2008年に憲法が公布され、民選首相が選出されるなど立憲君主制に移行した。国会は国王不信任決議の権限を持ち、国王65歳定年制が採用されています。

国王の定年制はあまり聞いたことがないかと思います。

 

ブータンは「幸せの国」と言われています。

働く人の9割が農民で、国の大半が自給自足に近い暮らしを行なっています。

決して豊かな生活を送っているわけでは有りません。

人々は民族衣装を身にまとい、伝統建築の家屋に住みます。今も、伝統的な生活を続けています。

お金持ちも居るのかも知れませんが、目立ちません。貧民街もありませんし、物乞いも居ません。

もっとも最近は近代化するにつれ、他の国々同様、若者による薬物乱用等が大きな問題になってきているのだそうです。

「経済成長も重要だが、それは自然環境や伝統文化、家族や友人、地域の連携との調和がとれたものでなければならない。」と言う奥底には「それぞれの家庭が幸福であることが重要だ。」という考え方が有るのだと思います。

それぞれの家庭が幸福であること、それは経済的に豊かである必要はないのだと思います。

先祖代々住んでいた村で、民族衣装を身にまとい、伝統建築の家屋に住み、家族みんなと穏やかに伝統的な生活をする。素敵なことだと思います。

紛争地域でも争いが終わり、その地域の国民総幸福量(GNH)が増加していけば、平和な時期が長く続くのかもしれません。

そうなれば、子供たちが笑顔で居られる時間が長くなるのかもしれません。

中東の紛争地域も、いつかはそんな地域になりますように。

 

このブログの画像はisis_chanプロジェクトに参加されているイラストレーターの方々からお借りしています。isis_chanプロジェクトの目的は、ISが発信する残酷な画像のインターネットでのヒット率を低下させることだそうです。isis_chanプロジェクトにはガイドラインがあり、ムスリムと彼らの信仰の尊重、暴力的・性的表現・政治的主張の禁止等々決められています。私のプログは極力このガイドラインに沿って書いているつもりですが、抵触していると思われたら、それは私の文章力の無さから来るものだと思います。

もしisis_chanプロジェクトに興味を持たれたら、こちらをクリックして見てください。

<公式ホームページ>

http://isischan.web.fc2.com

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