クロアチアは、面積が5万6,594平方キロメートル(九州の約1.5倍)、人口は428.5万人(2012年:クロアチア政府統計局)東ヨーロッパ、バルカン半島に位置する共和制国家で首都はザグレブです。
クロアチアは美しいアドリア海とその沿岸の古い町並みが魅力の観光立国です。中世都市の世界遺産や豊かな自然など、実に多くの観光スポットを有します。また、ヨーロッパでも治安の良さで知られているのも魅力です。
1991年から95年にかけて、旧ユーゴスラビアからの独立戦争を経験したのですが、現在は治安も安定し、セルビア、ボスニア・ヘルツェゴビナ等近隣諸国との関係も良好なのだそうです。
2013年7月1日に欧州連合(EU)に28番目の加盟国として加盟しました。
クロアチア国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が6件、自然遺産が1件あります。
自然遺産のプリトヴィツェ湖群国立公園はボスニア・ヘルツェゴビナ国境に近く、大小16の湖と92の滝がエメラルドグリーンの幻想的な景観を作り出しており、1979年にユネスコの世界遺産に登録された。
また、文化遺産の代表とも言えるドブロブニクは「アドリア海の真珠」と呼ばれ、ジブリアニメの「紅の豚」の舞台となった街のモデルだとも言われています。
アドリア海に面した城塞都市で、ヨーロッパではもっとも美しい地中海都市のひとつとされており、1979年に世界遺産に登録されました。
街の歴史は古く、ローマ帝国時代またはそれ以前に溯るとされています。
飛び地であり、周囲をボスニア・ヘルツェゴビナに囲まれています。
旧ユーゴスラビアのこの地の歴史は複雑です。
879年にローマ教皇ヨハネス8世から独立国家として認められたのですが、15世紀にはオスマン帝国に征服された後、18世紀末までに、オーストリア・ハンガリーの支配下に入ります。
1918年に第一次世界大戦の敗北からオーストリア・ハンガリーが崩壊。オーストリア・ハンガリーから離脱したスロベニア人・クロアチア人・セルビア人国は、南スラブ民族による連邦国家の構成と言うセルビア王国の提案を受けて、セルブ=クロアート=スロヴェーン(セルビア・クロアチア・スロヴェニア)王国(1929年ユーゴスラビア王国のに改名)成立に参加します。
この連邦国家はセルビア人コントロール下にあるとクロアチア人側から不満が噴出したため、1939年にはこの不満を解消する目的で、クロアチア自治州となりました。
1941年ユーゴスラビアに侵攻したナチス・ドイツの支援により、クロアチア、ダルマチア、スラヴォニアとヴォイヴォディナ、ボスニア・ヘルツェゴヴィナの一部に跨るクロアチア独立国が成立しました。
その後、セルビア人勢力のチェトニックとの間で凄惨な戦闘が繰り返され、1945年に戦闘が終結するまでの4年の間に、強制収容所などで70万人のセルビア人が虐殺されたそうです。一方で、ほぼ同数のクロアチア人がセルビア人によって虐殺されたとも言われいてます。
第二次世界大戦後、以前のユーゴスラビアの枠組みの中で国家の再建が目指され、チトー大統領の巧みなバランス感覚と、カリスマ性によって多民族国家ユーゴスラビア社会主義連邦共和国は維持されましたが、1980年にチトーが死去するとそれまで押さえ込まれていた各民族の不満が噴出しはじめました。
1991年6月25日には、スロヴェニアと同日に独立を宣言しました。
でも、これが旧ユーゴスラビア地域の更なる悲劇の始まりでした。
クロアチア領内にも多く住むセルビア人は、クロアチアの独立に反対していました。この地域はクライナ・セルビア人自治区(→クライナ・セルビア人共和国)であり、セルビア人保護を目的に、ユーゴスラビア連邦軍がクロアチアに介入したのです。
これに対抗したクロアチア軍は、9月半ばにはユーゴスラビア軍との全面衝突クロアチア紛争へと進みます。その結果1995年に戦闘が終結するまでに大量の死者とセルビア人難民を生み出しました。
これはクロアチア軍がセルビア人自治区を襲撃し、迫害を避けるためにセルビア人はユーゴスラビア地域へ退避移住せざるを得ない状況に陥ったことによるそうです。
移住せざるを得なかったセルビア人は20万人以上と言われている。その地域をクロアチア人居住区として併合することにより民族浄化路線を完了させたのだそうです。
ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争も加えると、死者は20万人、難民・避難民は200万人とも言われ、第二次世界大戦後ヨーロッパで最悪の紛争と言われています。
カトリック教徒のクロアチア人、セルビア正教徒のセルビア人、ムスリム教徒のボシュニャク人はそれぞれの支配地域の拡大を試み、それぞれの支配地域から異民族を排除する目的で、虐殺や見せしめ的な暴行による追放を行う民族浄化を行ったのです。
人々は「人の命より大事なものがある。」と言って紛争を始め、「人の命より大事なものは無い。」と言って紛争を止めるのかも知れません。
旧ユーゴスラビア地域での死者は20万人。それだけ多くの死者が出て、初めて人々は「人の命より大事なものは無い。」という事に気づいたということなのでしょう。
地球上の多くの地域で、恒久の平和が続いたことは無かったと思います。
戦争・紛争だけでなく、日常生活の中でも人と人との間の争い事は絶えません。
おそらく、私達の心のどこかに戦いをしたいという本能が潜んでいるのでしょう。
でも、日常の争い事、紛争、戦争の中で「もうたくさんだ」という気持ちが生じる事は確かなのです。
恒久の平和は無いかも知れませんが、終わりの無い紛争も無いのです。
シリアを始めとする紛争地域で、子供達がそして大人たちも「もうたくさんだ」と思っているのでしょう。
戦いに参加している人々は「人の命より大事なものがある。」と言って戦いに参加しているのでしょう。でも、早く「人の命より大事なものは無い。」という気持ちになってもらえると良いのですが。
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