当寺の猫たちも寒い日はこたつに大集合です。
しかし、お互いにちょっとでも触れると、さわったのなんのと喧嘩になるので絶対に猫団子にはなりません。
そのため、一匹はこたつの側面、もう一匹はこたつの上という二階建て状態になります。
しかも、一匹は読みかけの新聞の上に陣取ってしまっています。
一度でいいから、こたつの側面に二匹が寄り添って猫団子になった姿を見てみたいものです。
このこたつは、人間よりも、猫が使っている時間の方が長く、ほとんど猫専用と化しています。
でも、ミミオ君は年末に膀胱炎になってしまったので、あの騒動を繰り返すことを考えると陣取られてもしかたないですね。
なにより、猫たちの安心して眠っている姿を見ると、どんなに忙しくても癒されますし。
また、最近のマイブームとして、おとなしく二匹が近距離で寝ている冬だけに行える右手で空、左手でミミオと同時に二匹を触ってそれぞれの猫のふかふかの感触を楽しむ同時おさわりを楽しんでいます。
冬限定の猫の楽しみ方です。
時々このような形の封筒が送られてきます。
ポストからこういう封筒が出てくると、「え~また、結婚式?それとも本葬?」と一瞬どきりとします。
そして、まず切手をチェックして慶事か、仏事かを判断。
今日のは切手に寿と書いてあるので、おめでたいことですね。
次に、宛名をチェック。
個人名が書かれているものならば、知り合いからの可能性大。
しかし、清運寺様と寺院名でくるものは、見知らぬところからの可能性ありです。
今回は清運寺宛です。
そして、差出人をチェック。差出人には○○山○○寺と記してあります。
「誰?知らないな」 全く知らないお寺からの入寺式のご案内です。
時々こういうのが来るんですよね。
特に本山とか日蓮聖人ゆかりの寺からが多いですね。
こういう大きな寺院からの招待状は全国の日蓮宗寺院に出しているんでしょうか。
招待状をもらっても、まったく知らないお寺なので、出席することも、お祝いを送ることもありません。
しかし、招待状をもらった人の中には、まったく面識がなくても、お祝いぐらい送る人もいるかもしれません。
お寺の場合は、知らなくても、名簿を見れば、実在するお寺かどうかはわかりますが、もしこれがお寺でない知らないところからの招待状ならば、怖いですよね。
冗談で、これって新種のオレオレ詐欺?と言ったりして。
もしかしたら、本当にこういう形のオレオレ詐欺も実在するかも知れません。
だとしたら、怖いですね。
すみれの花咲くころ・・・・・ 確か宝塚歌劇団の歌ですよね。
宝塚歌劇団といえば、山梨県出身の小林一三さんが創設したのですが、意外と知られていないのは残念なことです。
だからどうということはないのですが、気がついたら境内のすみれが満開になっていました。
このところ、忙しくて、満開になるまで気がつきませんでした。
先週から近隣寺院の葬儀にはじまって、会議や書類提出など、気がつくとあっという間に一週間が過ぎてしまっていました。
来週は雅楽の会の仲間の僧侶の入寺式で、篳篥を演奏することになっていますが、まったく練習できず、かなりピンチです。
本番の数日前に、龍笛と笙の方と音合わせをする予定ですが、それまでになんとか練習する時間を作らなくてはなりません。
今回は一管づつですから、失敗すると思いっきり目立ってしまいます。
しかも、本番前には、新国立劇場でオペラ「ラインの黄金」を観ることになっていますので、ほぼ丸一日つぶれてしまいます。(好きでいくのですから仕方ないですが)
こんな時は、一日が24時間ではなく、30時間ぐらいあったらいいのにと思ってしまいます。
この分では、気がついたら夏になっていたなんてことになるかも知れません。
<繁殖力旺盛であっという間に増えてしまいました。>
<一面のすみれ>
剪定した枝を水差しにしていたバラ、こちらも失敗しました。
芽が出て、葉が出たところまでは良かったのですが、つい液肥を少しやってしまい、ダメにしてしまいました。
園芸で失敗する場合、たいていがいじくりすぎなんですよね、私の場合。
やはり、セオリー通り、決められた時期に決められた作業にするのがよいようです。
一方、鉢植えのバラはしっかり芽吹いてきました。
境内のいろいろな植物の芽も一斉に動き出しています。
それだけでなく、雑草も一気に伸びてきました。これから彼岸までは墓地の草取りが日課となります。
通年に比べ1ヶ月位早い動きです。本日桜の開花予想がでましたが、甲府は3月25日の予定だそうです。
昔は、春彼岸には彼岸桜と決まっていましたが、ソメイヨシノが咲くのとほとんど一緒になってしまいました。
できれば、順々に咲いてくれると、長く楽しめるのですが。
3月の標語は「悪を止め 善に帰る それが 世界平和の本となる」です。
悪を止め、善に帰るとは簡単なようで難しいことです。
立場が違えば、善と悪も逆転してしまうということもありますし。
ただ、ここでいう善と悪とは立場を超えたもっと根源的なものを指しているのです。
世界平和となるとあまりにも目標が大きくて、ピンと来ないかも知れません。
でも、最初はほんの少しでもいいんです。
悪いことはやめ、善いことをする、一人一人が実践していけば、もっと世界平和に近付いていくことでしょう。
そうなることを願うばかりです。
そのためには、まず、自分自身が一日一善、一不悪。
がんばって実践してみましょう。
小さなことからコツコツと。