朝焼けの轍(わだち)

“ことば”で、アナタの心に愛と、希望と、勇気と、笑顔を届ける“透明な風”の詩(うた)。

Part2:翼よ!あれが街の灯だ・・・ぼくをよみがえらせた瞬間

2005-08-16 11:17:35 | 旅(Journey)
(つづき)

こうして、僕の計画は進みだしたんだ。
13日~14日に“用事”を果たして、その後で、行きたい所に観光に行く・・・と。

その時にふと思い出したのが、東京から来ていたササピー君の出向が12日で終了すること。
色々とお世話にもなったし、後半の数週間は、特に話題も盛り上がっていたし、このままバイバイするのはサビシイ。

ちょうど、旅先の途中で、彼の住む横浜を通るので、「じゃあ、12日の夜に出発して、家まで送っていこうか?」ということになったんだ。
今から思うと、すべては計算したように物事が進んできたんだよね。

彼も、7月末で出向が終わる予定だったのに、8月中旬まで延期になったんだけど、そこに僕は、「彼を通して投げかけられている“僕の課題”ってなんだろう?」と思うようになったんだ。
そんなことを思い始めたとたんに、仕事の帰りに一緒に食事や買い物に行くことも増えたし、昼休みも、一緒に食事するようになった。

そんな頃、苺さんのblogの記事に、東京のお店のことが出ていて、僕はそこに反応してしまったんだよね。
いつも、blog仲間の記事に反応する時にしては珍しく、過剰に・・・。

それは、僕も自分の記事に書いたぐらいだから、よっぽど潜在意識に引っかかったのかもしれないね。
正直言って、僕は、都会に威圧感を感じていたんだ。
ニッポン第二の都市・大阪に生まれ育ったものの、しだいに、都会感覚が薄れていくことを、ある時には自然の成り行きと思いながら、ある時には進歩の危機と思いながら、栃木という海の中を泳いでいたんだ。
(・・・ォィォィ、栃木には海はないぞ~!って

ササピーは、某地方から上京し、今、東京という街をすごく愛しているのを感じたんだ。
彼を見ながら、「そういう生き方も“横浜アリーナと思いつつも、栃木の枠の中で“横浜ベイNKホール”と思っていたんだ。

だけど、僕の運命は、確実に旅を始めていたんだね。

12日夜。
僕は、新4号線経由で車を走らせたんだ。
ササピーは、助手席でナビしてくれた。
街並みは、強い雨。
まるで、それは、大きな別れを象徴するように・・・。

さよなら
昨日までの ぼく
さよなら
今日までの ぼく

友よ
きみは
ぼくが ぼくらしくなるために
ぼくが 歩みだすために
いざなってくれた 希望の使者

ぼくは 旅をはじめるよ!


車は、茨城県に入った。
その時に、僕は気がついた。
「栃木を脱出したのは、実に一年ぶりじゃー
去年の8月22日にアーティストの友達が作品を出品する「あるセレモニー」に参加するために、東京に行ったきり、僕は、栃木県を出たことがなかったんだ。

たかが茨城県に入っただけなのに、僕の頭は超・パニック状態になってしまったんだ。
そして、埼玉県突入!

僕は、愛車に叫んでしまった・・・
翼よ!
あれが 街の色だ
眠っていた 魂が
忘れていた 感覚が
激しい 衝撃を受ける

翼よ!
あれが 街の風だ
止まっていた 理想が
あきらめていた 夢が
奇跡の 甦りを見せる


やがて、外環~環八~R246を通って、横浜へ。
横浜も、僕らが着いたとたんに大雨になった。

その頃、ちょうど、ササピーの彼女が仕事帰りで駅に着いたというので、彼女も乗せて、ササピーのマンションの前まで送ったんだ。
彼女と再会したササピーの表情は、もう、すっかり、都会人だった。

ふたたびR246に出るまでの道を、ササピーはバイクで先導してくれたんだ。
僕の車と、ササピーのバイクの間に、一台の軽自動車が割り込んだんだ。
そして、そのまま、ササピーは側道へと左折した。
僕は、R246を直進した。
・・・まるで、映画のような展開

友よ
きみは つかの間の時を経て
きみらしい 日常へと 帰った

そして
ぼくは つかの間の時を経て
ぼくらしい 日常へと 旅立つ


8月12日 22:30。
夜を明かすために車を停めた、某温泉ランド。
お湯に浸かりながら、僕は汗と一緒に涙を流した。
それは、ササピーにめったに会えなくなるからじゃなかった。
しがみついていたにせものの僕自身を洗い流すことへの“最後のためらい”だったんだ。

ササピーが、あの“ぼっちゃん”のように見えた。
そう、夜が明けたら逢いに行く、あの“ぼっちゃん”に・・・。

“僕の課題”が見えてきた。
そして・・・

・・・(つづく)

Part1:翼よ!あれが街の灯だ・・・ぼくを目覚めさせた瞬間

2005-08-16 09:30:01 | 旅(Journey)
「旅に出よう!」
僕の中で、うずくものがあったんだ。
ただ、目的地は決まっていたけれど、予定では9月中旬に行くつもりだったんだ。

なにかを さがしていた
それは 目に見える 外の景色じゃなかった
外の景色を 通してはみるものの
さがしているものは
“ぼく” そのものかもしれない


旅を思い立った頃から、僕の心のなかに、ひとつのメッセージのようなものが浮かんでいたんだ。
「一人の人とのつながりが、ひとつの“課題”を秘めている」

たとえば、むちゃくちゃに好きな人がいたとしたら、その人を通して愛するという“課題”が投げかけられるんだよね。
今までに発揮していたの力が鍛えられるんだ。
「そんな甘いものじゃだめだ!」
「そんな浮ついたものだったら、相手に愛が伝わらない!」
こうして、その人を通して、自分が成長できるんだよね。

たとえば、すっごくイヤな人がいたとしたら、その人を通して自分を振り返るという“課題”が投げかけられるんだよね。
向かい合っている相手の、イヤな部分が目につくということは、自分のなかにも、同じようなイヤな部分があるってことなんだ。
職場や学校、家庭で、「なんで、こんなイヤなヤツと顔を合わせなきゃいけないんだ」と思うところに、「自分にも、同じような部分があるかもしれない」と思って、自分を振り返ってみるんだ。
そして、似たようなところがあれば、変えていけばいいんだ。
そうすれば、不思議なことに、相手も変わってくるんだよね。
僕は、そういうこと、けっこう経験してるんだ。

結局、他人の存在自体が、すばらしいプレゼントになる!と思ったんだ。

職場で、色々な人を見るにつれ、その人の思考形態や行動形態からは、気づかされることが多かったんだ。
そして、そういうところに対して、いい影響を与えられない自分の無力さを感じていたんだ。

そんなことを考えているうちに、このお盆期間中に、その旅を決行する・・・ということを思い立つようになったんだ。

・・・(つづく)