朝焼けの轍(わだち)

“ことば”で、アナタの心に愛と、希望と、勇気と、笑顔を届ける“透明な風”の詩(うた)。

いま、きみに伝えたいこと

2005-12-11 19:55:46 | 詩人(Utabito)
僕は、自分の行方に向かいながらも、
僕の掌のなかにある「無限の力」を、
どうやって生かそうかを考えていた。
それゆえに、目の前にいる人たちに、
あるいは、会ったことのない人たちに、
出しうる力を、注ぎ続けてきた。

それは、「愛」という力であり、
それは、「知恵」という力であり、
あるときは、そよ風のように やわらかく、
あるときは、嵐のように、きびしく、
いつのときも、その人が、どうすれば幸せになるか、
そのために、自分はどうすればいいか、
そのことだけを、考えていた。

その歩みが定まりだすときには、
思い切って、進みださなければいけないことがある。
僕は、「ある人」の繁栄を、支える道を選んだ。
そのために、僕の中に含まれている「誠意」を、
「愛」にかえ、「知恵」にかえ、
充分に、尽くすことにした。

そして、その歩みを進めることを通して、
僕の行くべき道を、繁栄させる決意を固めた。

そして、いま、芽生えはじめた、
「大切な人」との縁を、育んでいくことにした。
愛すべき人は、彼方の空にはいなかった。
愛すべき人は、目の前で、自然すぎるほどに、
微笑みながら、僕を見つめていた。

この街に来たことは、自分の夢を育むためであったけれど、
それは、同時に、この「大切な人」と出逢い、
彼女を愛し、彼女を生かし、
そして、彼女と共に、歩むことでもあった。

僕は、この、無限なる力を、
もっと、もっと、発揮していこうと思う。
それゆえに、この「轍」で出逢った人たちに対しては、
これまでのように、頻繁に
会いに行くこともできなくなるかもしれない。

だけど、僕は、信じている。
僕の「力」を、大切にしてくれる人にとっては、
今日の日が、「さびしさ」のはじまりではなく、
「新たなつながり」のはじまりとなることを。


これからも、これまでと同様に、
いや、これまで以上に、
僕は、僕の「働き」を、繁栄させていく。
あなたが、僕の声が聞きたくなったら、
いつでも、ここに来てほしい・・・
      


これから、あなたと僕は、
ますます、交流が深まるかもしれない。
(むしろ、僕は、そのことを願っている)
あるいは、これが、最後になるかもしれない。
(そうならないことを願ってるけど)

いずれにしても、
いま、僕が、あなたに伝えておきたいこと。
それを、聴いてほしい。

                

愛の人類たちよ
いつも 愛の空に 守られて
愛の空気に 満たされて
愛の光に 生かされている
その事実を 忘れないでいてほしい

愛を求める人たちよ
あなたが 願う 愛の日は
いま あなたの 掌中にある
愛の海に 浮きながら
うるおいを求める 哀しさを
心のなかから 捨て去って
いま ある その愛を
みずからの 幸せと知りながら
あなたも 愛の うるおいとなれ

愛を感じる人たちよ
いま その幸せを 感じながら
みずからの 愛の行方を
決して 見失わないでいてほしい
あなたが 感じる その愛は
いったい 誰を 満たすのか?
そのことを 常に
自分に 問うてほしい

自分のための 愛ならば
その愛は やがて 涸れ果てて
愛の負債を 抱えこみ
あの 寒さにふるえる 冬の日を
ふたたび 過ごしてしまうだろう

他人のための 愛ならば
その愛は やがて 増幅し
愛の豊富の 日々となり
寒さにふるえる 人たちを
あたためる 太陽となるだろう

愛の人類たちよ
さびしさという名の その重荷を
いま この場所に 置き去って
愛の旅を はじめよう

さびしさゆえに 背を丸め
さびしさゆえに 時を遊ぶ
出逢いを求めて さまよって
満たされたい 思いのもとに
居心地のよい 場をさがす

芽生えた その つながりに
あなたは 何を 与えるだろう?
あなたは 何を 尽くせるだろう?

愛の人類たちよ
いま 目の前にいる その人を
あなたの愛で 包みこめ
いま 目の前にいる その人こそ
あなたが 幸せにすべき人

その人を 愛さずに
飢えた瞳で さまよって
幻想のうちに 着飾って
妄想のうちに 傷つけて
健気に咲く 愛の花を
枯らすことのないように

愛する幸せを 得たならば
もっと 自分を 高めてゆけ
愛は その歩みのうちに
より多くの 愛の力を
要することになるからだ

自分が 満たされたいために
他人を 動かしてはならない
他人を 満たしていくことが
自分を 満たすという日々を
重ねていくことに 徹してほしい

愛の人類たちよ
その愛が ひとりの人を超えて
あなたの街を 満たすように
あなたの国を 満たすように
あなたの星を 満たすように
あなたの時代を 満たすように
そして 歴史のなかに
無名の 愛の人として
生きつづけてほしい
充分に 生ききった証を
あなたの魂に 刻みこんでほしい


                

≪お知らせ≫
埼玉に来て、最後にして最大の課題でありました「職業」の問題が、
ようやく、解決しました。
今の時点では、「多忙」になることはないのですが、
僕にとっては、「執筆」という、大切な仕事があり、
もう少し、本腰を入れていきたいので、
しばらく、この『朝焼けの轍』は、不定期更新になります。
『カルディアの翼』に関しては、これまでと同様に、
更新を重ねていきます。

お世話になった皆さんとは、
これからも、つながりが続けばいいと願っています。
メールや、『カルディアの翼』を通して、
ぜひとも、お声を聞かせてください。
カルディアの翼   http://blog.so-net.ne.jp/kardia777/
メール   “seita777”の後に“@mail.goo.ne.jp”

それは・・・“真っ白”な想いです

2005-12-03 11:17:27 | 日常(Tsuredure)
♪恋をするつもりなんて
これっぽっちもないときに
限って恋がやってくる・・・♪

(『モンタージュ』 by 槇原敬之)

空気が冷たくなってくると、あたたかさが欲しくなる。
暖房、鍋物、熱燗、お風呂・・・。
体から汗を、ほとばしらせてみると、
さすがに、気持ちも、すっきりする。

だけど、どんなに食べても、どんなに飲んでも、
どんなに点火しても、どんなに浸かっても、
なにか足りない!・・・と、感じることがある。

そう・・・それは・・・
「身近にいる“大切な人”」の存在

あんまり、ここでは、“恋”の話をしない僕だけど、
決して、“恋”がキライな訳じゃない。
いつも、熱いっ!話をしているけれど、
僕だって、人の子、親父の子。
ついでに言えば、お袋の子。
素敵な女性を見れば、恋をする。
惚れられたら、大事にする。

近年では、「いんたーねっと」などというものにも手を出して、
さらには、「ぶろぐ」なんていうのもやってみて、
色々な出逢いも、重ねてきた。

僕は、どうも、キーボードを叩いていると、
“感性”とか“悟性”といったものが動き出して、
なにやら、“ロマンティック”なことも話し出すこともある。
それが、いろんなところで、人の目に触れて、
時には、気に入られることもあるらしい。

(もう、時効だからいいかな?)
数年前、ある掲示板を通して、
僕は、700Km向こうに住む女性と知り合った。
最初は、「友達」だったけれど、
いつしか、「恋人」のようなものになり、
やがて、「伴侶」気分にまで進展した。

そうなれば、
御簾の向こうに隠れているのも申し訳なくなって、
僕は、彼女に会いに行こうと決めた。
会って、本当に、互いに魅力を感じ合えるのならば、
その時にこそ、“恋”と認定しよう・・・と思って。

ところが、アクシデントが起きて、
(というか、僕の“天使”に注意されて)
“御対面”はキャンセルすることになった。
当然、相手の女性は、激怒した。
(怒るのなら、僕の“天使”に言ってくれ!)

その後、“天使”に懇々と諭されて、
僕の「恋(のようなもの)」は、幕を下ろした。

それ以来、僕は、ネットで恋をしていない。
いや・・・
本気で相手に入れあげるようなことは、していない!

こうした、webを通してでの交流は、
“心”“心”は、ふれ合えるけれど、
やはり、ここは、“物質の世界(次元)”だから、
不本意な現実というものとも付き合っていかなければいけない。

あるいは、そんな現実のなかに住んでいるから、
時には、“妄想”というものも起きてくる。
誰も、“心”のままに語るから、
優しい言葉を受けると、
「あの人は、自分のことを好きなんだ!」
・・・そのように思い込んで、
自分ひとりで、恋心を燃やしてしまうことがある。

「玄関の向こうの世界とも付き合っていこう!」

僕は思う。
「恋愛は、忘れた頃にやってくる」
男女の出会いなんていうものは、
いわば、“犬のしっぽ”のようなものだ。
犬は、自分のしっぽを追いかけても、
絶対に、くわえることができない。
だけど、追いかけるのはやめて、前に進めば、
しっぽは、後ろからついてくる。

同じように、「恋がしたい!」と思っているうちは、
なかなか、思うような恋ができない。
だけど、恋することさえも忘れて、
前向きに人生を歩いて、
魅力ある自分づくりを続けていれば、
いつしか、追いかけられるようになるのだ。

前述の女性も、
僕が、なにも考えなくなった頃に現われた。
だけど・・・たぶん・・・
僕が、自分づくりを忘れて、思い入れてしまったから、
運命が遠ざかったのだろう。

“詩人”は、時々、孤独を感じる。
もしかしたら、孤独だからこそ、詩が生み出せるのかもしれない。
だけど、(全員とは言わないけれど)過去の時代に生きて、
現代にも継がれているような名作を遺した偉人たちの傍には、
いつも支える“誰か”が存在した。
作業中には孤独であっても、
一人の生活人に戻ったときには、
やはり、支え手がいたほうがいい。

“天使”は言う。
それは、僕に対してだけではない(と思う)。
すべての、“恋に悩む”人たちに対して・・・

すべての単身者よ
すばらしい恋と共にあれ
しかれども
恋に支配されてはならない
恋を支配せよ

ゆえにこそ
恋に従属を受けるがごとくに
魅力ある あなたであれ
あらゆる恋が 慕い求めてくるがごとき
輝かしき あなたであれ

無欲にして 希望をかなえよ
心が 白きものであればこそ
恋の彩りが 冴え渡るのだ

あなたの未来に
寄り添いの時が あるように!


ロマンティックな季節となりました。
今年、誰かと共に、
“聖なる時”を 迎えられますように。

              

『カルディアの翼』
順調に更新してます。
訪問してね!

大きな袋のなかに・・・

2005-12-01 23:05:04 | 日常(Tsuredure)
明日、友達の誕生日なので、グリーティングカードを送ったんだ。
そして、無事に「送信予約」したら・・・

「サンタさんにお願い」

・・・というのが出たので、こっそりと・・・お願いをしておいたよ。


    .*..☆  誠大 さんの
            『お願い』を お預かりしたぞ  ☆..*.

                           サンタより

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
★ 誠大 さんがサンタさんに送ったお願い
───────────────────────────────────
 
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


 .:*..☆:..:...:☆..* 誰のお願いを叶えようかのぅ *..☆:...:..:☆..*:.


        クリスマス明けの日(2005年12月26日)に、

      サンタさんが、叶えてくれる『お願い』を2つ発表します。

      『サンタさんにお願い』キャンペーンページに見に来てね!
       http://www.ynot.co.jp/site/ynot/campaign/xmas/


     ★.: 。・:*:・`☆、。・:*:・`★   .。・:*:・`☆、。・:*:・`
   ・**** 。
   .**☆**・.   Merry Christmas for you ...from  サンタ
   ********
     ■ 。・:*:・`☆、。・:*:・`★   .。・:*:・`☆、。・:*:・`



      かないますよーに!



タイトルを書いて思い出したけど・・・
コブクロ・・・紅白出演おめでとう!
和田アキ子が「白組」で、ゴリエが「赤組」

轍の行方(2)~嗚呼、詠うことは・・・

2005-12-01 00:17:07 | 日常(Tsuredure)
ふと考えてみました──
「僕にとって、このBlogは、何を意味するのだろうか?」

かつて、僕は、『詩』関係のBlogを運営していました。
そこでは、本文中に、自分の「日常の言葉」を描くことはしませんでした。
もちろん、描く舞台は、僕の過去であったり、現在であったり、未来であった訳ですが、それは、「現実の僕」を客観的に描く、「文芸家としての僕」の作品だったからです。
そして、コメントのなかで、少しだけ、僕の実像というものをちらつかせていました。

だけど、時々、こらえきれないほどの“寂しさ”が、僕を襲うことがありました。
おそらく、「素顔の自分」というものが、読み手からすれば、相当に美化されているだろうと感じられたからなのです。
そして、僕は、“日常”の自分を表現する舞台を設けました。
それが、この『朝焼けの轍』という舞台なのです。

だけど、時は、無情でした。
開始してから早々に、僕の生活は、急に忙しさを増していったのです。
その結果、複数のBlogを運営していくことは、無理を生じることになりました。
結果的に、この『朝焼けの轍』一本に絞って、ここで、私生活も、詩の作品も、一緒に公開することになったのです。

そして、生活パターンも落ち着き、新しい地に移住したことを機に、新たに、詩のBlog『カルディアの翼』を始動させました。
ここでは、以前のように、完全に『詩人』としての自分を発揮しています。

あれから1ヶ月あまり。
おかげさまで、“翼”は、日に日に、広がりを見せています。
だけど、何事も、“立ち上げ”の時期には、エネルギーを費やすのは事実です。
僕は、『カルディアの翼』を通してのフィールドの開拓のために、かなりの神経を使ってきました。

そして、僕は、足元を確かめてみました。
いつの間にか、僕は、この『朝焼けの轍』でも、“詩人”の自分で振舞っていたことに気づきました。
それは、まるで、スーツを着たまま、家でストレッチをする、ビジネスマンのように・・・
それは、まるで、化粧を落とさないまま、家でくつろぐ、スチュワーデスのように・・・

話が飛躍しすぎです

先日、いつものように、お世話になっている「gooブロ仲間」のBlogを訪問したとき、(時間があったので)過去ログを読んでいると、「みんな、日常のありのままのことを書いているなぁ・・・。もしも、何かの機会に、じかに会うことになっても、何の違和感もなく接するのだろうなぁ・・・」と思いました。

さらに、ある人から、こういう言葉を受けました──
「あなたがどんどん成長していくことは嬉しい。だけど、“寂しく”感じてる。このまま、どこかへ行ってしまうのではないかと思って・・・」
僕は、この言葉に、ハッとさせられました。
“寂しさ”の交差する展開・・・!
これじゃぁ、まるで、紋付はかまを着て、ベッドに入る旦那さんのようだ・・・
意味不明です

そういうわけで、自分自身の限界を取り払うためには、“再構築”が必要だ!と思ったしだいです。

僕にとって、『カルディアの翼』というのは、「文芸家・誠大の、展示ギャラリー」なんですね。
実際には収入があろうと、なかろうと、「自分の職業は、詩人なんだ!」と思いました。

だから、僕は、あらためて言うのです──
『カルディアの翼』を通して、僕の“仕事”を知ってください」
「そして、『朝焼けの轍』を通して、僕の“日常”を知ってください」


そう思ったとき、体の力が抜け、ようやく、朝陽が見えてきました。
皆さん、毎日、仕事や家事で忙しいことと思います。
さらに、毎日、記事投稿や、Blog訪問で忙しいことと思います。
だけど、「僕のふたつのBlogを通して、これからもお付き合いしていただければうれしいです」

ところで、以前、meeさんから「12月1日に私に何かメッセージあったら、いただけないですか~♪」という注文があったので、納品させていただきます。
meeさんも、みんなも、見に来てね♪

(UPした時間は11月30日ですが、公開したのは12月1日になってからです)