朝焼けの轍(わだち)

“ことば”で、アナタの心に愛と、希望と、勇気と、笑顔を届ける“透明な風”の詩(うた)。

「寒いのよ」・・・今の僕ならば?

2005-11-19 01:04:51 | 懐想(Kaisou)
風が少し 冷たい夜は 羽のまくらに
ひとつ ふたつ 涙の花を 咲かせて眠る
夢の中の舗道は いつか雪にうもれて
寒いのよ 寒いのよ 愛されたいの

(『愛されたいの』 by 松田聖子)


もう、20年以上たつのですね。
当時、僕は、“聖子ちゃん”のことがけっこう好きでした。
今では、貫禄たっぷりですが、この頃の聖子ちゃんは・・・今の“SAYAKAちゃん”ぐらいの年齢だったと思います。
この曲は、リリースされた数年後に出た「B面コレクション」のアルバムで、よく聴いてました。

でも、20代半ばになった頃・・・
この“愛されたい”という言葉に、やたら引っかかっていたように思います。

誰だって “愛されたい”のは当然のこと
だけど “愛されたい”ばかりでは 悲しい・・・


当時の僕は、こう思ったものでした。
「もしも、世界人類、すべてが『愛を求める』ことばかりを願ったら、この地球は、どんな星になるだろうか?」
それは、おそろしいことです。
それは、田んぼのなかにいる、“ヒル”のような世の中になることでしょう。
みんなが、「欲しい!」「欲しい!」と、喚いているのですから。
そして、実際に、“人の生き血”ならぬ“人の愛情”を吸い取ろうとしているのですから。

「『愛を求める』よりは、『愛を与える』方がいい!」
やはり、“愛”は、供給する人がいて、はじめて与えられるものだと思うのです。
そして、“愛”を与えた人は、“与えた喜び”が与えられるものだと思うのです。

こんなことを話せば、このように答える人がいるでしょう。
「自分は、愛を与えているよ。そんなこと、当然のことじゃないか!

そういう風に、胸を張って言える人は多いでしょう。
でも、みんながみんな、それで、本当に“与える喜び”を感じてるかどうかが問題だと思うのです。

「では、その“愛”は、本当に純粋でしょうか?」

他人の関心を惹こうとしたり、格好をつけたりする・・・いわゆる“見返り”ですね。
これがある分、“喜び”も減じられるものだと思うのです。

だからといって、僕が20代半ばから、人に誇れるような“与える喜び”を味わえるような生き方をしてきたかといえば、決してそうではなかったのです。
むしろ、潜在的に“見返り”ばかり求めていたように思います。
当時、付き合っていた女性も、そんな僕のことで、ずいぶん悩んだようです。

でも、こんなことを考えているうちに、最近では、少しは、“与える喜び”も感じられるようになったかなと思います。

僕の“詩的Blog”『カルディアの翼』でも、日に日に、僕の“ことば”に心を響かせてくれる人が増えてきています。
もちろん、作品を編む者として、これほど嬉しいことはないですが、「さあ、オレの作品に感動しろ!」なんていう気持ちは、全然ないですね。
「ぼくの綴る“ことば”から、何か、得られるものがあれば、それでいい」と思っていたら、“感動”してくれる人が続出しています。

「欲しい」 「欲しい」と思ううちは
決して 得ることができない
むしろ 自分として
せいいっぱいの心を こめていたら
いつの間にか 得ていた
それも 予想を はるかに超えた量を!


・・・で、もし今、“聖子ちゃん”のようなかわいい女性に、冒頭の歌詞のように歌われたら、どういう風に対応するかを考えてみました。
たぶん、こう言うでしょう。
「じゃあ、今夜は、僕が側にいてあげる」
そして、夜を過ごしながら、心をほぐしてあげて、暖かい明日を歩んでいけるように支えてあげることでしょう。

このメッセージが、「愛が欲しくて、欲しくて、たまらん!」人にとって、何らかの参考になれば嬉しいです。





ここのところ、時間的にも余裕があり、皆さんのところにも訪問しやすかったのですが、そろそろ、本格的に、“今後の展開”に取り掛かることになりました。
でも、これまでお付き合いくださった皆さんとの交流は、今後も大切にしていきたいので、できるだけ訪問をしていく予定です。
しかし、時間的に厳しいときは、ここにコメント下さった方のところへの訪問が優先となると思います。
申し訳ございませんが、ご理解いただきたいと願います。

青春懐想(4)~いくつもの“祭り”をかさねて

2005-10-24 19:57:57 | 懐想(Kaisou)
(今日の♪・・・『祭りのあと』by 吉田拓郎)

  ♪祭りのあとの淋しさが いやでもやってくるのなら
   祭りのあとの淋しさは たとえば 女でまぎらわし
   もう帰ろう もう帰ってしまおう
   寝静まった街を抜けて・・・♪


先週の土曜日、
使わない家具や電化品を友人に引き取ってもらった後で、
栃木の旧居のカギを返した。

僕にしてみれば、
埼玉の新居での生活が始まっていることだし、
埼玉での“これから”を築いていくことに気持ちを向けていたので、
旧居に関しては、引きずることはなかった。

だけど、
やっぱり、少しせつなさを感じたかな?

心の空間を 漂っていた
いくつもの 出来事たち・・・

降りていく
降りていく
記憶の大地へと

刻まれていく
刻まれていく
想い出の石版へと


それは、まさに、
“祭りのあと”を感じさせた。

車に流していたメロディーは、
なんとなく、郷愁を誘っていた。

「もう帰ろう」・・・
僕は、どこに帰ろうとしてるのか。
それは・・・
過去にとらわれない“白紙のスタート・ポイント”

  ♪人を怨(うら)むも恥ずかしく 人をほめるも恥ずかしく
   なんのために憎むのか なんの怨みで憎むのか
   もう眠ろう もう眠ってしまおう
   臥待月(ふしまちづき)の出るまでは・・・♪


いいことばかりではなかった。
それは、当然のことだ。
表情の奥に隠していた“思い”。
自分だけが知っている“思い”。
“懐想色”(かいそういろ)に褪せていく姿を
僕は、眺めていた。

なにもかもが きらめいていた
こうして
きらめきとして 見ることができたことを
うれしく思う

すべては 報われた

いまは まだ
その多くは 種子にすぎない
だけど これからの日々が
光を受けて 光をまとい
光をつくり 光を放つ
そのなかで
すべてが 花咲いていく

そう 確信している


  ♪日々を慰安が吹き荒れて 帰ってゆける場所がない
   日々を慰安が吹きぬけて 死んでしまうに早すぎる
   もう笑おう もう笑ってしまおう
   昨日の夢は 冗談だったんだと・・・♪


「ぼくには、執(とら)われるべきものはない!」
そう思った。
それは、強がりなんかじゃない!
それは、格好つけているわけじゃない!

確かに わずかな不安はある
だけど
(とら)われて 立ち止まったり
(とら)われて 引き返したりするほど
ぼくは 生命(いのち)を ムダづかいするつもりはない

生かされているのならば
生きる姿で 応えよう!


  ♪祭りのあとの淋しさは 死んだ女にくれてやろう
   祭りのあとの淋しさは 死んだ男にくれてやろう
   もう怨むまい もう怨むのはよそう
   今宵の酒に 酔いしれて♪


大きな荷物を運び終えた後も、
細々とした荷物を運ぶために、
僕は、新居と旧居を往復していた。
思ったよりも面倒なことだった。
そして、雑然とした旧居で、
片づかないことに、うんざりしたこともあった。

でも、からっぽになった部屋たちを見て、
言いようのないぐらい、さっぱりとした気持ちになれた。

今度は、運び込まれて、雑然とした新居。
それも、整理する気力が湧いてきた。

新しい“祭り”が いま はじまる!

一人の時に泣かないで・・・僕のメロディーが乗り越える力になれば!

2005-09-29 00:18:20 | 懐想(Kaisou)
♪上を向いて歩こう
涙が こぼれないように
思い出す 春の日
一人ぼっちの夜・・・♪

(『上を向いて歩こう』 by 坂本九)


先月、テレビで『坂本九物語』というドラマを放映していた。
僕は、なぜか気になって、DVDに録画しておいた。
(ちなみに、主役の九さんを演じた“TOKIO山口”のファンという訳ではない)
こういう場合、録りっぱなしにしておいて、ぜんぜん観ないことが多いけれど、この番組は、何回かに分けて観た。
遅まきながら、一昨日、ようやく最後まで観た。

僕は、九さんの世代ではないけれど、この曲は小さい頃から耳にすることも多かった。

♪上を向いて歩こう
にじんだ星を かぞえて
思い出す 夏の日
一人ぼっちの夜・・・♪


こんな風に、「一人ぼっち」を感じたことがあっただろうか?

「一人ぼっちの夜」を思い出してみる。

大阪港の汽笛を聴きながら 過ごした夜
栃木の星空を眺めながら 過ごした夜
あるいは
旅先で 揺られながら 鉄路をたどった夜
かよわない心のままで 眠りについた夜
ときめきを抑えながら 太陽を待った夜・・・

まだまだ 僕は
悲しい“一人ぼっち”を 知らない
いや これからも
“一人ぼっち”は 穏やかなはずだ

それは “希望”という相棒が
いつも 傍にいるから・・・


だけど、
地方から単身で、都会に出てきた人たち、
悲しい別離を経て、傷の癒えてない人たち、
この曲に慰め、励まされた人は、数多いと聞く。

♪幸せは 雲の上に
幸せは 空の上に

上を向いて歩こう
涙が こぼれないように
泣きながら 歩く
一人ぼっちの夜・・・♪


このblogを見てくれる“あなた”へ。

もしも 一人ぼっちに涙しているのなら
僕の名前を 呼んでほしい
たとえば 深い夜の間にも
たとえば 暁のまどろみの間にも
たとえば 陽が昇る昼の間にも
僕は “想い”で 詠(うた)うから


    


ところで、坂本九さんといえば、20年前の飛行機事故で“星”になられたことは、多くの人も知っていることだろう。
僕にとっても、あの事故は、忘れられない衝撃を含んでいた。

あの事故が起きた日の翌日から、僕は、北海道に旅行に行くことになっていた。
荷物もまとめ、あとは朝が来るのを待つだけだった。

・・・いや、もう一つあった。
ちょうど、あの日。
友達とカナダに旅行に行っていた母さんが、帰国する予定になっていた。
母さんの元気な顔を見てから、入れ替わりで旅立つことになっていたのだ。
本当ならば、空港まで迎えに行ってあげたかったけれど、翌日からのこともあって、家で待っていた。

夕方、親戚の伯母さんから電話があった。
「誠大ちゃん・・・お母さんは、どの便の飛行機で帰ってくるの?」
「羽田発の123便・・・」
その時、テレビをつけた兄貴が、驚いた表情をしていた。

夏の夕暮れに、心拍数が上がるばかりだった。
僕は、兄貴と、これからのことを考えることもできず、テレビの画面を眺め続けていた。

結局、母さんたちは、123便に乗っていなかったことが判明した。
カナダの空港で、同行の友達の荷物が出てくるのが遅れて、123便に間に合わなかったということだった。

だから、この事故が起きた日が来るたび、僕は、あの頃を思い出さずにはいられなかった。
予定通りに123便に乗っていたら、僕の運命も変わっていただろう。
ある意味で、母さんが無事であったことはありがたいことだったけれど、母さんたちが乗れなくて、キャンセル待ちで乗った人たちのことを思えば・・・あるいは、この便に乗っていた坂本九さんをはじめとした乗客の方々のことを思えば、胸が痛むことには変わりがない。

ドラマを観て、あらためて、九さんの遺族の悲しみの深さを感じた。
だけど、今、それぞれの道をひたすらに歩いていることには頼もしく感じる。

離別
死別 生き別れ・・・
さまざまな別れは あるだろう
だけど 時間の国に生きている 僕達は
この “時間”というものの力に 導かれて
その悲しみを 乗り越えていける

そう
乗り越えていけるんだ
そう
乗り越えていかなくちゃいけないんだ

上を向いて歩いていけば
希望の太陽と 語り合える
希望の太陽が 導いてくれる

信じることだ!
明るい心が まぶしい明日を 呼び寄せることを

青春懐想(3)~振り返るのは今日限り!

2005-09-22 01:14:53 | 懐想(Kaisou)
ずっと、ずっと、信じ続けるものだと思っていた。
ずっと、ずっと、信じ続ける以外は考えられなかった。
だからこそ、僕は、この人生を、
その道に託すことにした。
生命の力、すべてをかけて、
その道に進みはじめた。

だけど、大事なものを、見失っていた。
なぜ、その道へ進むのか?
・・・それは、自分のプライド?
・・・それは、自分だけの満足?
・・・それは、体面を保つため?

人を、幸せにしたいと願っていた、
その「愛」の想いは、
その道に、満ちあふれているだろうか?

僕の中で、疑問符が生まれ始めた。
そして、その道の、“本線”に入る直前の分岐点で、
僕は、あえて、人生のウインカーを出した。

信じ続けるべきものを捨てることは、
自分の生命をも捨てることと同じだと思っていた。
だから、生きていく希望を、完全に失ってしまった。

自暴自棄になりかけた僕の傍で、一晩中、泣いてくれた人がいた。
その人は、僕に、“祈り”という名の翼をくれた。

目が覚めて、僕は、なぜか、自由を感じた。
そして、年齢相応の人生を、
それだけでなく、今までに避けていた人生を楽しんだ。

その時に、この曲に出逢った。
『大阪行きは何番ホーム』 by 吉田拓郎
リリースされて、数年後のことだった。
僕にとっては、新鮮な感覚があった。

♪19の頃だったと思うけど
 うちを出ることに夢をたくして
 ひとりきりでくらしてみようと
 希望に満ちていたときがあった・・・♪


一人暮らしには、高校時代から憧れがあった。
あたたかい家庭のなかで、あたたかく過ごしてきたけれど、
あたたかさに慣れきって、
あたたかさのなかにいることに危機感を感じていたのだ。

だけど、そのチャンスには恵まれなかった。
いつも、土壇場になって、立ち止まる僕だったのだ。

だけど、この曲の世界に浸るとき、
僕は、精神的に“うちを出ていた”ように思う。

やがて気がついた。
僕が捨てたものは、朽ちていく運命にあったものだったのだ。
そして、僕は手に入れた。
永遠に続き、無限に続く道を。

♪愛をむさぼる気持ちのまま
 一人の女との生活がはじまり
 幸せという仮の住まいに
 子どもの泣き声まで加わっていた・・・♪


自由を感じ、僕は旅を始めた。
その“無限”の道の途中で、
僕もまた、一人の女と出逢った。
そして、彼女との生活をはじめた。
そして、子どもの泣き声も加わった。

♪外の景色がかわっていく中で
 人とのかかわりがわずらわしくなり
 一人の男であったはずだと
 真実をかくしたまま旅に出た・・・♪


やがて僕は、その生活を捨てた。
愛しい子どもとの別れはつらかったけれど、
その生活のなかで、僕の列車は動き始めた。
その結果、彼女の存在は、縛りのように感じ始めた。

ふたたび、自由を手に入れた。
“無限”にはさらに近づいていけるようになった。
ただ、過去という荷物に、時々、憑かれることもあるけれど。

そして、この曲との出逢いから8年後、
僕は、ひとりきりの生活を始めることになる。

あれから、さらに時は過ぎていった。
今でも僕は、道に迷うこともある。
安易な方向に傾きそうになるとき、自分に問いかける・・・

♪家を捨てたんじゃなかったのか
 家を捨てたんじゃなかったのか・・・♪


周りの人たちが、
“伴侶”という安住の地。
“子ども”という安住の地。
“マイホーム”という安住の地・・・
これらを、次々と手に入れていくのを眺めながら、
僕も、“安住の地”にたどり着くことを願っていた。

だけど、僕の中に潜む、遊牧民的な魂のカタチは、
また、僕に問いかける・・・

♪家を捨てたんじゃなかったのか
 家を捨てたんじゃなかったのか・・・♪


♪今 東京駅に立ち尽くす僕は
 長すぎる人生の繰り返しと同じ
 大阪行きの電車は何番ホーム
 繰り返し 繰り返し 旅に出ている♪


『大阪行きは何番ホーム』・・・
僕にとって“大阪”は、“ふりだし”だ。
だから、僕が「大阪行き」のホームを探すことは、自分の挑戦に対して降参することになると言い聞かせてきた。

旅に出て、“栃木”という地方にたどりついて4年。
これまでの僕は、“大阪”に背を向けることによって、自分の過ぎ去った日々から抜け出そうとしていたのだ。

時は今、僕に、「さらに生まれ変われ!」と命じてくる。
大きくうなずく僕の中で、躊躇する僕がいる。
そんな僕に、僕は言い聞かせる。

♪家を捨てたんじゃなかったのか
 家を捨てたんじゃなかったのか・・・♪


まだまだ、僕に“安住”は訪れない。
だけど、わかっている。

この旅の先に、“安住の人”がいる。
この旅の先に、“安住の地”がある。
いずれにせよ、歩みださなければ、めぐり逢えない!


あの、悲しい夜から15年が過ぎた。
“ずっと、ずっと、信じ続けるもの”は手に入れた。
生命の力、すべてをかけて、託すべき道も手に入れた。
そこには、人を、幸せにしたいと願っていた「愛」の想いが満ちている。

さあ、歩みだそう!

窓の外の“小さな生命たち”の歌声を伴奏にしながら・・・

2005-09-09 00:21:15 | 懐想(Kaisou)
♪もう 風も少し向きを変えた 9月の午後
コテージに 一人きりで
街に帰った 君を想っているよ・・・♪

(『夏の行方』 by 稲垣潤一)


稲垣潤一”きみは知ってるかな?
サッカー選手じゃないよ
そう・・・『夏のクラクション』で有名なミュージシャンだよね。

ぼくは、この『夏の行方』が大好きなんだよ。
大学の頃、よく聴いていたなぁ。
いつか、『懐想列車』で取り上げたいと思っていたけど、今はお休み中なので、ここで取り上げたって訳なんだ。

♪テラスのラタンのテーブルあたりに 白い手紙
ペーパーナイフ 使わないで
君の心を そっと開けば Good bye・・・♪

(『夏の行方』 by 稲垣潤一)


なんか、せつないなぁ。

そうなんだ・・・
いつの間にか、9月になっていたんだ。
だから、せつないんだよね。

♪流されて 流されて 僕のところへ
せつないね あなたの白い肌
あゝ はやく 9月になれば
I Love You・・・♪

(『I LOVE YOU』 by オフコース)


オフコースも、中学生の頃からよく聴いていた。
熱烈なファンだったって訳じゃないけど、最初はなんとなく・・・
しだいに、胸にしみわたる~ってな感じへと。

♪振り返らないで 今 君はすてきだよ Woo...
僕のゆくところへ あなたを連れてゆくよ
手を離さないで・・・♪

(『YES-YES-YES』 by オフコース)


そうなんだ・・・
せつない季節だけど、せつなくなっていられない!
今年の、ぼくは色々としなくちゃいけないことが多すぎる。
せつなさも振り切って、突き進まなきゃいけないんだ

そうなんだ・・・

そうなんだ・・・


そうなんだ・・・?

そうなんだ
きっとここから 愛なんだ
はじめることが 愛なんだ
傷つくこと怖れちゃ
だめ だめ だめ だめだよ BABY・・・♪

(『愛なんだ』 by V6)

このオチが言いたくて、ずいぶん引っ張ってみた。


・・・そんな訳で、blog上で鼻歌メドレーしてしまったぼくだけど、
「秋のはじめ・・・アナタが今、歌ってみたくなる“秋の歌”は?」

P.S.
このblogを開設して、まだまだ3ヶ月ぐらいだけど、ずいぶんたくさんのブロ友が増えました・・・本当に感謝です
そこで、いつも来てくださる皆さんのblogを「ブックマーク」に加えさせていただきました。
取り急ぎ更新したので、紹介文は今後も変わる可能性あり

難局なら、心のなかで少しだけふざけてみようか?

2005-08-31 20:17:07 | 懐想(Kaisou)
関西出身者でなくても、知ってる人は多いと思うけど、マクドナルドのことを関西人は「マクド」と呼ぶ。
数週間前、まだササピーが宇都宮にいた頃、彼はナマで「マクド」というのを聞いて感動していたっけ。(ちなみに、発したのは僕じゃない)
僕自身、関西にいる時は、なにも抵抗がなかったけど、やっぱり、関東に越してきてからは「マック」のほうがしっくりくるようになった。
関東にはマックが合う!

「マクド」といえば、♪槇原敬之のアルバム『UNDERWEAR』♪に入っている『PENGUIN』という曲を思い出すんだ。

♪急スピードで追い越していった
真っ黒い車が消えてく・・・♪

僕は最初、この部分をマクドに車が消えてく・・・」と思ってたんだ。

「さすがマッキー。どんなに気取っても、“関西出身”の影は消せないね」

のちに真実が判明した時には、複雑なものがあったりした。

ちなみにこの曲のサビの部分は、こういう歌詞なんだ。
♪誰も許してくれないなら
一緒に逃げようって 泣いたよね
南極なら 君と僕とペンギン
悪くないねって ちょっとだけ笑ったよね・・・♪

この部分は、わかりながら難局なら 君と僕とペンギン・・・」って感じで、何かに行き詰った時のテーマソングにしてるんだ。
思いつめる気持ちも薄らぐよね。

・・・ま、相変わらずバカな話をしてきたけど、この曲は、僕にとっても好きな曲で、マッキーのナンバーでも“BEST-10”に入るくらいだよ。
曲調は、『世界に一つだけの花』に似てるかな?

♪もう君にも 見せることもないし この道も 二人じゃ通らない
話もして キスもしたけど 出会わなかった二人・・・♪

「この人こそ、“運命の人”!」と思っても、長い目で見てみればそぐわなくなることもある。
結局のところ、花を咲かせることができずに散らしてしまうことになる。
そんなこと、けっこうあったなぁ。
優しくされると、ついつい優しさで応えてみる。
傷ついていると、ついつい癒してあげたくなる。
だけど、限界を感じてしまって、ついつい立ち止まってしまう。
通り過ぎた後の、その人の涙にも、ついつい目を伏せてしまう。
・・・そんな僕だった。

♪今でも時々 思い出しては
連れ出さなくてよかった事も
愛していたのも ホントだったと笑ってる・・・♪

その人を幸せにする人は、僕じゃなかったんだ。
僕は、なにかのきっかけに過ぎなかったんだ。
ほら。その人の涙が、クリスタルのようにきらめいた。
そして、その光に気がついて、“誰か”が連れて行った。

♪誰も許してくれなかった 理由はまだ解らないけど
たぶん 君と僕とじゃ行けない場所が
二人の行かなきゃいけない場所・・・♪
woo...

僕は、ここの歌詞が好きなんだ。
この歌詞にふれるたびに、過ぎ去ったことを引きずる気持ちも吹っ切れるんだ。
そして、“行かなきゃいけない場所”の同行者を探すために立ち上がれるんだ。

・・・とまぁ、茶化したネタから、せつないモードの話に展開したけど。

今日、みんなに聞かせてほしいことは、今日、僕がお話した「マクド」のように、
「“とんでもない勘違いをして歌詞を覚えていた”という歌を教えてクダサイ!」

針路を見失うな!そこにこそ“心の楽園”はある。

2005-08-23 19:07:27 | 懐想(Kaisou)
昨日は一日中、眠くて眠くて、仕方なかったんです。
家に帰っても、晩飯を用意しようと鍋に火をかけたけど、眠い~ッ!・・・そればっかりでした。
・・・で、いつもよりも1時間ぐらい早く布団の中に入って、夢の中でしまくってました。

先週の「旅日記」や、あちらこちらで書いたことですが、実は今、大きな転換点に立っているような気がするんです。
口に出してしまえば簡単なことだと思うけど、口に出してしまえば混乱して、向かうべき方向に行けないように思うので、あえて心の内にしまっているのです。

でも、行くべき時には行かなければ!と思っています。
このblogにコメしてくださる人の大半は、記事でしか僕のことを知らないので「あっ、そう」で済むかもしれませんが、日頃から接している人にとっては、ビックリ~ッってことになるので、予告はここまで・・・

≪今日のBGM♪『愛は勝つ』 by KAN≫
  ♪心配ないからね 君の想いが
   誰かにとどく 明日がきっとある
   どんなに困難で くじけそうでも
   信じることを 決してやめないで・・・


僕がまだ、今よりも多少は“未来の可能性”に満ちていた頃、この曲に出逢った訳なんだ。
その後、色々とあって、流されたりしながらも、やっぱり、“夢”は捨てる訳にはいくものかということで、自分から流れを変えてきたりもしたんだ。
その結果、今にたどり着いた訳だけど、「漫然」というのは恐ろしいもので、知らぬ間に僕の中に侵入してきて、僕を蝕んで来たような気がする。

  ♪傷つけ 傷ついて
   愛する切なさに すこしつかれても
   Oh・・・ もう一度夢見よう
   愛されるよろこびを 知っているのなら・・・


このままじゃぁいけない!
“夢”を見なくなったら、枯れ始めるんだ!
“夢”のない子供は、墓場に向かう老人と同じ。
“夢”のある大人は、楽園に向かう子供と同じ。

ぼくは、やっぱり、楽園を目指していきたい!

  ♪夜空に流星を みつけるたびに
   願いをたくし ぼくらはやってきた・・・


ぼくら、一人ひとりがもっている“夢”って、そんなに即興で生まれたものじゃないと思うんだ。
長い時間をかけて、心の大地に種をまいて、育ててきたものなんだ。
だから、“あきらめ”という毒素で、かんたんに枯らしていいものじゃないはずだと思う。

  ♪求めて うばわれて 与えて うらぎられ
   愛は育つもの
   Oh・・・ 遠ければ遠いほど
   勝ちとるよろこびは きっと大きいだろう・・・


“夢”って、ていねいに、ていねいに育てていけば、きっと素晴らしい実を結ぶはずだ。
時には、無駄な枝を生やすかもしれないし、雑草が生えるかもしれない。
そんなときは、上手に剪定すればいいんだ。
葉がちぎれるかもしれないし、せっかく咲かせた花を、もぎ取られるかもしれない。
だけど、心をこめ続けていれば、また生えてくる。
その花、その葉は、前のものよりも美しく、大きいはずだ。

  ♪心配ないからね 君の勇気が
   誰かにとどく 明日はきっとある
   どんなに困難で くじけそうでも
   信じることさ 必ず 最後に愛は勝つ


結局は、“勇気”ってところにかかってると思うんだよね。
  “勇気”なくしては 生きていても死んでいると同じ
  きみは きみを生きているかい?
  生きる“勇気”を 起こしてみよう
  その時 心の雨雲も 吹き払われていく


“死に体”になっていた僕の心にも、目覚めるものがあったんだ。
それに気づいたからこそ、どんな変化があっても、信じて生きていこう!

ところで・・・
あなたが“ずっと育て続けてきた”夢を聞かせてくれますか?
「そんなの、ない!」と言うかもしれませんが、心のふたを開けてみれば、必ずあるはずですよ。
もしも、「話すのが恥ずかしい~」というのなら、オフレコでもかまいません。
ただ、思い出しただけでも充分! それは、あなたの心に、その“夢”がよみがえったのだから・・・

気持ちはすでに、ブラウン系の装いをしているけれど・・・

2005-08-19 07:07:07 | 懐想(Kaisou)
(写真は、星の王子さまミュージアムの「コンスエロのバラ園」。物語に出てくるバラのモデルにもなった...という説もあるらしい)

      

8月も半分を過ぎて、暦の上では間もなく“秋”ですね。

4年前の7月に、蒸し暑さから逃れるように栃木に引っ越してきた僕は、いくぶんか凌ぎやすい気候に喜んだと同時に、9月になれば、長袖で寝ても汗をかきにくいことに感動したのです。
大阪では、10月を過ぎても、Tシャツ姿で寝ていても汗だくになってましたから。

「お盆を過ぎたら、秋はもうすぐ
そう言い聞かせる僕でした。
そろそろ、秋のワードローブに変えようかって思います。
今年の秋は、色々と変化がありそうなので、ちょっと装いに凝ってみようかな?

先日、おたふくさんのblog「独身貴族」と書かれていたので、思わずコメしました。
「僕はそろそろ飽きました。年貢の納め時かな?でも、どこに納めればいいの?」
そして、おたふくさんの切り返しは・・・
「納めるとこ? う~ん、多分・・・市役所」

・・・やられました。負けました
お見事~っ!
早く、市役所に行きたいです

・・・さて、ここまで書いて「下書き保存」した僕は、続きを書いて「投稿」をクリックしたのですが、またしてもログイン画面になり、全部消えちゃいました。
大っ嫌いだぁ~っ!

・・・で、「年貢の納め」の話をしたところ、頭のなかに浮かんだ曲がありました。

  ♪恋は素敵だね 何も考えず
   ただ 時に身をゆだねていればいい
   僕は 自分の過去を忘れて
   今 ありのままの姿で 君に逢える・・・


僕にも、色々な過去があります。
別れて、シングルになると、ついつい、その過去のフタを開けてしまいます。
でも、そのたびに、みっともないなぁ~って思うのです。

ちなみに、
僕のベッドはシングルです
隣の国ではハングルです
奥地に行けばジャングルです
ネタがすべってグルグルです

  ♪このまま 世界の終わりが来てもかまわない
   君と 一緒に死んで行けるなら 全てを許そう
   You never とめられない Nobody
   You never forever・・・


う~ん。
この歌詞は、今の時代にはちょっとアブナイなぁ。
集団で生命を捨てる人たちが増えているのは、困ったものです。

でも、この曲は、あくまでも“激愛”です。
世界の終わりに一緒に死んで行くことを望むほどに愛してるんですね。

「世界の終わりが来たら、あなたなら誰と何をしますか?」

僕なら、世界の終わりが来たら、あの世で再会する約束をします。

  この体が 役割を終えて 消えても
  魂で きみと 永遠を綴りたい

(by SEITA)



  ♪指をからませて 口びるを寄せて
   この 愛するよろこびを わかちあおう
   君がいれば もう何もいらない
   この世で ただ一人の 心を許す人・・・


この曲は、吉田拓郎さんが、今の奥さんに捧げた曲らしいです。
こんなふうにささやかれる奥さんは、シアワセでしょうね。
僕も、シアワセを感じてくれるようなメッセージを、誰かに捧げたいです。

・・・とまぁ、残暑の陽気に誘われて、色々と語ってみました。
ではまた!

(今日のBGM♪『I'm In Love』 by 吉田拓郎


「自由に飛べばいい」・・・言われたとしても、僕は言いきれるかな?

2005-08-10 12:30:41 | 懐想(Kaisou)
まだ20代半ばの僕にとって、“終着駅”にたどりつくには未練が多すぎたのかもしれない。
そんなに、たくさんの旅を重ねたわけではない。
そんなに、たくさんの人を知ったわけではない。

もともと、そんなに熱望して決めた旅ではなかった。
“その駅”は、僕にとっては通り過ぎるべき駅だったのかもしれない。
「安住」を決めて、僕の日々は始まった。
でも、時の流れは、僕を、“その駅”から遠ざけていった。

その時、好きだった歌が、頭の中を流れた。

Canary pursue your dreams
You are free to fly away from me・・・


そんな僕のことを知っていたのか、運命の川の流れは、確実に僕の手を引いていった。

見知らぬ子供たちが走る
振り出す雨に追われるように
歩道の脇のシトロエン
窓のあなたに Say Good-bye・・・


僕はふたたび、旅をはじめた。
それは、ほんとうに、行くあてのない旅だったけれど、歩みを進めるうちに、道はできてきた。

自分を試してみたいのよ
都会のどこか片隅の店
ピアノを弾いて歌うわ
そんな夢も話した・・・


「安住」の覚悟もできてきたけれど、僕の終着駅は、いまだに見えていない。
それは、僕の“夢”がまだ、成長の過程にあるからかもしれない。

自由に飛べばいい
夢をあきらめないで
ぼくの手のひらから
羽ばたいてゆくがいい
静かに言ってあなたは
私の背中押したの・・・


・・・誰もが、そんな想いだったのかもしれない。
僕も、自然に、“その駅”から離れていくことばかりだった。

僕の“終着駅”は、何処にあるのだろう?

今日もまた、僕は旅を続ける。

歌い続けている青い小鳥のように
命のある限り
あなたを忘れないわ
一人で生きる自信と
翼をくれたあなたを・・・




・・・などと、久々に『懐想列車』っぽく決めてみた僕です。

僕個人としては、「自由に飛べばいい」なんて言ったとしても、その人のことを手放すことはできないな。
憑依霊になるつもりはないけれど、のようにさわやかな天使のように、陰ながら見守りつづけるだろうなぁ。

通り過ぎた駅をなつかしみ、その駅のぬくもりを思い出すように、僕はこれからも、いくつもの駅を愛していくことにしよう。

そしていつか、“きみ”という終着駅にたどり着きたい!

(引用の歌詞は、『Canary』 by 松田聖子

心の奥にあるメロディーが、ぼくに教えてくれること

2005-08-08 23:40:15 | 懐想(Kaisou)
最近、妙にカンが働くことがあるのです。

つい先週も、仕事中に「あるシチュエーション」が浮かんだら、その30分後にそれが現実化しそうになったりして・・・
でも、僕自身、「それはまずいんじゃない?」って思ったら(念じたら)、数時間後には、そのシチュエーションが取りやめになったりもしたんです。

まぁ、ずっと前から、妙なところで予知が働くことはあったのですが、なにやら宇宙人してる僕でした。

その他にも、先週は僕自身「えっ、マジかよ~と思うぐらい、何度も立て続けに浮かんだことがあるのですが、これは、現実になればお話しすることにしましょう。
(かなり、実現の確率高し)

そんな僕が、今日の夕方から、頭のなかをエンドレスで駆け巡ったがありました。
あなたが知ってるかどうかは分かりませんが、僕が大学時代に好きだった(・・・というか、想い出のある)歌です。

悲しまないで きみを責めないで
真面目に生きてるのに 悩まないで
激しさだけの 若さはいらない
無口なほど 情熱を感じるから
きみという 夕映えを
痛むくらい 抱きしめたら
これから もう歩けない
きみなしじゃ 生きて行けない・・・


特別に好きな人がいる訳じゃないのですが、こんなシチュエーションが手に取るように感じられた夕暮れでした。
僕のカンが働くのならば、なにかいいことが起きるまえぶれなのかな

きみに逢えてから 本当の孤独が 優しさにあると知ったよ
きみに逢えなくて 夢中で生きたら
ぼくは 前より なくしてばかりいる・・・


そういえば、最近は、「せつない・・・」話ばかりしていた僕でした。
それは、たぶん、僕だけでなく、僕の記事を読んでくれる人たちの“せつなさ”も汲み取って、そのような路線を描いたのかもしれません、
でも、“せつなさ”だけじゃ先に進めないですからね。
見えない明日に向かってこそ得られる“出逢い”を求めていきたいものだと思いました。

昨日、ある友人の「歓送」の場に立ち会いました。
「歓送」といっても、彼は隣の県に住んでいるので、これからも時々は会えるのですが、やっぱり“せつないモード”が漂っていて、女性たちは泣いてましたね。
こういう場って、僕も苦手なんです。もらい泣きしそうで・・・
でも、主役の彼は、肝心なところで笑わせてくれたので、僕も思わずツッコんでしまいました。

おんなじ“プロジェクト”で頑張った仲間が巣立つのは、寂しいものですね。
特に、彼がいてくれたからこそ、僕もこの“プロジェクト”に参加できるようになったんです。
そんな恩人がいなくなることはひときわ寂しかったですが、僕は思いました。
目標に向かっている途中の姿は
本当の姿であって 本当の姿でない
だから 目標に向かっている途中の交流も
本当の交流であって 本当だとは言い切れない

友よ これから
ぼくたちは 本当の同志に近づいていけるように思う
この次に 会った時には
本当の笑顔と 本当の情熱で
互いの成功を 支え合おうではないか!


“恋の予感”あり、“友情の発展”あり、最近の僕は、物語の発想を描く素材に恵まれています。

・・・で、このブログに来てくれたあなたに対して感じる“予感”ですが。
「すばらしい未来が、あなたを待ってるサ!
えっ、自分自身は、そんな実感がないって???

だいじょーぶ!
僕が、真心込めて、あなたの“すばらしい未来”を願い続けるから
僕を信じていて


(引用の歌詞は、『きみと生きたい』 by 大江千里でした)