冷艶素香

現ES21がいろんな人達から愛されていたり、割れ顎の堅物侍を巡って、藤と金の人外魔境神未満ズが火花を散らしたりしてます。

珠玉 10─改訂版之一

2009年06月15日 | 珠玉
夢と、知りせば。

「……小早川、瀬那?」

少年の顔は、泣いているようにも笑っているようにも見えた。

(どうした、何かあったのか?)

最後に会ったのは一年ほど前であったろうか? 毎年の再会はいつも
必ず、少年がその大きくつぶらな瞳をパチパチと瞬かせ(しばたかせ)、
そしてホワリと口元を綻ばせたのを見計らってから、自分が彼に声を掛
けるのが常であった。

(だが、今のお前はどうしたことか)

陽光に煌めいていた琥珀の瞳からは、以前ほどの生気が感じられなか
った。無骨な己の、さして面白くもないであろう話の一つ一つに、いちい
ち大きく反応し、嬉しい時には控えめながらも、その小さな口元に、精一
杯の喜色と朗らかさを湛えた笑みを浮かべる彼であった筈なのに。

「………、……。……………。…………………。…、…、…、…………」

その上、生きて再び会えたことを心から喜んでいるのであろうその気配
もまた先程から、痛い程にひしひしと感じられるにも拘らず。

「何故だ、何故お前の声が聞こえない?」

もどかしく思い、男は手を伸ばす。手の先と先とが触れ合って──掴ん
だその手、その指の温もりを通じ、彼と自分ならば声に出さずとも、互い
の“思い”と“想い”は相手に伝わると、男はそう信じて疑わなかった。

しかし──

「!」

男の──進清十郎の“思い”と“想い”は、冷たく、優しく、哀しく、柔らか
い……白絹の長袖、それと同じ色の手甲、そして一対のそれらが軽く握
り締める、やはり白の手巾に、静かに拒まれた。

進の考えは、決して間違っていた訳ではない。ゴツゴツとした、数え切れ
ないほどの剣胼胝が現れては潰れ、皮が幾重にも厚くなったその逞しい
手が、つい一年ほど前までは「小早川瀬那」という名前しか持たなかった
市井の少年の、ささやかながらも穏やかな幸福に満たされているのであ
ろう生活感が滲み出ており、野の花が精一杯咲き誇るが如くにいつも開
かれていた小さな掌に、“触れられた”のならば──次に進を訪れた情
況は温もりにこそ欠けてはいようが、確かに彼の心を満たしていただろう。

しかし──

「……これ、は!?」

掴んだと思った小さな手には、血肉の温もりも感触も無く──否、それど
ころか進の目に映るのは、不自然な形に握り締められた己が拳のみだっ
た。進の手に包まれている筈だった少年の手は、淡雪のように音も無く、
忽然と消えてしまったのだ──相手の手を掴んだ形のままの、進の手だ
けを残して。

コツリ、コツコツコツ……

驚きのあまり思わず凝視した先には、微かに首を左右に振る少年の、年に
添ぐわぬ静謐な、そして進がこれまでに見たことも無いような、哀婉な表情
があった。

昔、彼が慌てふためく度に淡紅色に染まった頬は今、白磁とまではゆか
ずとも、その象牙色の肌に血の気は薄く。

外を走らなくなったのだろうか、黒褐色に日向の匂いと温かさのみを帯び
ていた跳ね髪と両目は、頭上の清麗な桎梏のせいも有ろうが、艶と黒味
を増し、異香(いこう)を仄かに漂わせ。

コツリ、コツリ、コツコツコツ──

涼やかに響く玉響(たまゆら)の瑟音(しつね)は、髪の上へ白い菊の花と
共に留めた、鮫人の涙の連なり。

聞こえるか聞こえないかの衣擦れ、その音源を捜せば其処には、二度と
は戻れない、失われた美しき昔日に彼へ手渡した、しかし時間(とき)とは
異なりて、色褪せること無かった己が心。与えたその日にはよもや、これ
ほど想い募る日が来ようとは、想像だにつかなかった。

けれど、如何に頭(つむり)へ珠を挿し、腰に玉を佩こうとも。

(そうか、この違和感は……)

少年がまとう白衣(びゃくえ)は、喪失を悼むためのもの。

己へと向けられた数多の、狂おしいまでの想いに包まれて──其は宛ら、
人の魂の舞うが如き──その輝きはあまねく周囲を優しく照らしてはいる
が、光たちの拠り所となっている彼自身は、小柄な体を素服(そふく)に包
み、その頬には透明な雫が止め処無く流れていた。

「……っ瀬那、小早川瀬那っっ!!!」

男の頬にもいつしか、細くも熱い流れが生じていた。
                      ・
                      ・
                      ・
「進、さん……」

伸ばした手指はむなしく虚空を掴むばかりで。

「進さん、進さん、進さんっ……!」

有明の月は海へと沈み行き、人の夢──儚い逢瀬は終わりを告げる。

「進さん……苦しいんですか? それとも悲しい? 困ってるの?」

泣き顔など、一度たりとも目にしたことの無い、自分の知る限り心身共に
誰よりも強いだろう彼が落涙するなど、余程のことに違い無い。あまり良い
夢ではなかったような気がするが、あの人が本当に苦しんでいるのだとし
たら、そんなのは些細なこと。

ああ、目を覚ましさえしなければ、その内に彼の声が聞こえるようになって、
涙の訳を聞くことも出来たかもしれないのに!

「……朝なんて、朝なんて来なければっ! これからだって、来なきゃいい
んだっ!!!」

だが、どれほど少年が切歯扼腕したところで、無情な暁の光は今朝も徐々
に、強さを増してゆく。

少年が、涙の向こうに見た哀しい夢。

現実にはず、らず、らざるがゆえに、誰にも咎められること無く、誰
の目も気にする必要は無かった──

幸せな、幻。

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