冷艶素香

現ES21がいろんな人達から愛されていたり、割れ顎の堅物侍を巡って、藤と金の人外魔境神未満ズが火花を散らしたりしてます。

墨染桜 (後編)

2006年06月09日 | 金剛双子×瀬那
「まずゲームやめねぇとな」
「菓子類も控えなければならない。むしろ茶だな。薄茶で苦いと言っているよう
では話にならん。人に振る舞わなければならない機会もあるだろうしな」
「おー、ほんじゃ正座の練習もだな。一時間もしない内に足が痺れる尼なんて
聞いたことねえや」
「せわしなく走り回るのも禁止だ。伯母上を見れば分かるだろうが、動作はゆっ
たりと落ち着いたものでないと」
「「何よりもまずもっと勉強しろ」」

双子の歯に衣着せぬ指摘に、瀬那はズゥゥゥンと落ち込んだ。お洒落などに
興味が無い分、小遣いの大半を注ぎ込んでいるテレビゲーム。檀家からの差し
入れによる甘味類。尼になる覚悟に嘘偽りが無いのならば、それらの楽しみは
すべて捨てられる筈だと、阿含はニヤニヤと意地悪気に、雲水は苦笑交じりに
言う。

「えっと……一度にいろんなこと始めるときっと失敗しちゃうから、順番に少し
ずつ始めるつもりなんですけど……」

さきほどまでの意気込みはどこへやら、急に弱々しい声になる瀬那。だが阿
含はやはり容赦が無い。

「そ~んな意志の弱さで尼になれるなんて思ってんのかよ?こりゃ真冬の滝
に打たれたら即死だな」
「阿含!」

弟のあまりにも無遠慮且つ不謹慎な言葉に、さすがに雲水が声を厳しくする。
だが阿含はどこ吹く風で、一向に気にする様子も無く、盛大な欠伸を一つした
だけだった。

「……っやっぱりっ、こんな僕ではダメなんでしょうか……っ?」

微かに震えを帯びた瀬那の声が本堂に響き渡る。いつもの口論を始めようと
していた双子はギョッとした。見れば震えているのは瀬那の声だけでなく全身、
そしてやはり薄墨色で覆われた両膝の上にちょこんと重ねられた小さな両手の
上には水時計のように一定の間隔で、透明な雫がポタリ、ポタリと落ちてくる。

「「……っっ!」」
顔立ち以外は何もかもが正反対の雲水と阿含だったが、実は年下の義理の
従妹の涙に弱いという点だけは共通していた。穏和な雲水は勿論のこと、粗
暴極まりない阿含ですら、である。瀬那の涙は彼ら二人に遠い昔の記憶を思い
起こさせた。
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その昔、瀬那が小学校に上がったばかりの頃。ちょっとからかえばすぐに涙ぐむ
小柄な少女は、元気過ぎる男の子達の格好のからかいの標的だった。彼らに本
当の意味での悪意は無く、所謂「好きな子ほどいじめたい」という、屈折した幼い
恋心だったのだが、やはり未成熟な心の少女にとってそれは、苦痛以外の何物
でもなかった。それほど頭の回る訳でもなかった瀬那は担任の先生にも何と相談
したらよいのか分からず、かと言って養母を心配させるのも本意ではなかったので、
いつも寺の裏庭の草花や、池の鯉を見るのに没頭している振りをしながら、とめど
なく涙を流していたのだ。

ある日のこと。やはりいつものように男の子達に囃し立てられ、タンポポまで
投げつけられた瀬那は─実はそのタンポポ、彼らの内の一人が、プレゼント
のつもりで摘んできたものだったのだが、如何せんどう渡したら良いものか
思い付かず、結果的に投げつけるという行為に行き着いてしまったのだった─、
またまた桜の樹の下で声を押し殺しながら泣いていた。

その日、両親に連れられて尼寺を訪れていた金剛兄弟は、いつもなら伯母の
尼と一緒にニコニコと自分達を出迎える筈の瀬那が、一向に姿を見せないこと
を不審がり、手分けして瀬那を探していた。伯母の話では、最近は裏庭、或い
はそこから続く裏山で遊ぶことに夢中なのだそうだ。それにしても自分達兄弟
が来た時にまで……?と訝しく思った二人は、死角になっていて見えなかった
桜の大木の陰で、ウサギのように真っ赤な、泣き腫らした目の従妹を、日が
翳り始めた頃にようやく見つけたのだった。

「「瀬那……?」」
同じ小学生の男の子の声でも、恐怖心ではなく安堵感を抱ける、大好きな二重
の呼びかけ。瀬那は両膝に埋めていた顔をもたげ、嬉しそうに笑った。

「雲水お兄ちゃん、阿含くん!!!」
雲水にだけ「お兄ちゃん」が付くのは年上というだけでなく、人徳の成せる業で
ある。

「瀬那、どうしたんだ、その目は?」
「え?セナどうもしないよ?あっ、さっきね、目にゴミが入ったときにつよくこすっ
ちゃったの」
「……んじゃ何で顔がまだら模様になってんだ」
「マダラってなあに?」

小学一年生など幼稚園児に毛の生えたようなものと分かってはいるが、話の
前後からも自分達の問いをきちんと理解していない従妹の鈍さに、双子は彼女
の将来を一瞬本気で危ぶんだ。が、すぐに気を取り直し、その年にしては切れ
すぎる頭脳を急速に回転させ始めた雲水と阿含が結論に達するのに、そう長い
時間はかからなかった。義理の従妹のこの愛すべきトロ可愛さと、下校後すぐ
は尼に帰宅の挨拶だけをして、すぐに外へ出てゆくという状況。そして泣き腫ら
した顔。兄弟はその晩、翌日は彼らの通う小学校の開校記念日で休校だから
と(それ故に双子の両親は尼寺を訪ねてきたのだが、大人達は基本的に日帰
りのつもりだった)、ゴネて尼寺に泊まると言い張った。いつも我儘ばかりの阿
含だけでなく、普段あまりおねだりというものをしない雲水が珍しく願い事をして
きたので、明日は休みだし、この二人なら子どもだけで帰ってくるのも問題ある
まいと、その日は彼らの両親だけが帰っていった。大喜びの瀬那を見て、尼は
苦笑しながら客間に三人分の布団を敷いてやったのだった。

翌日の午後。瀬那を迎えに行ってくると、伯母から瀬那の通う小学校の所在地
を聞き出した双子は(理由は「瀬那と早く一緒に遊びたいから」とした)、校門に
辿り着いてすぐ、昨日の自分達の推測の正しさを確信した。

「いっつもアタマにしろい布かぶってるなんて変だ!」
「変なおかあさん!」
「セナもきっと家では布かぶってんだ!変なの!」
「あっ!泣き出した!やーい、泣き虫セナ!」

口々にからかいの言葉を瀬那に対し投げつける少年達。彼らに宗教がどうの
こうの、仏に仕える者の心得とは……などと言ってみたところで、理解出来る
筈もない。その無邪気さ故に残酷な好奇心と、屈折した幼い恋心。普通ならば
情状酌量の余地が無いでもないのだが、こと瀬那に関する限り、金剛兄弟は
相手が誰であろうと容赦するつもりはなかった。

「雲水、瀬那頼むわ」
「やり過ぎるなよ」
一分も経たぬ内に作戦は決まった。
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スゥ……と音も無く近寄ってきた、見知らぬ年上の少年。彼は現在進行形で
泣いていた瀬那を抱き上げると、ポンポンと軽く背中をたたいてあやし、やはり
スゥ……と、静かにその場を立ち去ろうとする。一瞬ポカンとした少年達だった
が、ハッと我にかえると「なんだよお前!」、「待てよ!」などと、口々に叫び始
める。喚く彼らとは対照的に、少年は一言も発しなかったが、安堵のあまり自
分の肩に顔を埋めていた少女の頭を撫でながら、彼が一年坊主どもに向けた
一瞥は、ゾッとするほど冷たいものだった。集団をたてに、強気の姿勢を崩そう
としなかった少年達も、親や教師たち大人の恐ろしさとは違う、ことによるとそれ
よりも遥かに恐ろしそうなものに初めて出くわした恐怖で、その場に凍りついた。

「よ~ぉ、楽しそうじゃん?」
場違いに明るく楽しそうな声に、再び我にかえる少年達。気がつけばいつの間に
か、もう一人見知らぬ─正確には最初に現れた少年とそっくりな容貌だったので、
別な意味で彼らは驚いたのだが─少年が、彼らの傍に佇んでいた。だがその明
るい声からは年齢に不釣合いな残虐さが感じられ、また彼の表情は笑顔を湛えて
いたが、目だけは笑っていなかった。何とも身勝手な話だが、阿含は自分と雲水
以外の人間が瀬那をいじめたりからかったりすることを決して許さない。

そして穏やかな筈の昼下がり、乾いた校庭は鮮血の雨に濡れた。

その後、瀬那に面白半分のちょっかいを出す子どもは一人としていなくなった。
小学生にして既に中高生の不良グループとも互角に渡り合っていた阿含は、
近隣の町々でもかなり名が知れていた。実際、彼の制裁には欠片の容赦も
なく、自分の身を犠牲にしてまで大人達に報告に行こうとする者は誰一人と
していなかった。また、雲水の抜かりの無い、大人顔負けの後始末(?)の
おかげもあって、後日になっても証人は一人として出てこなかった。だが子ども
同士のネットワークの中では噂があっという間に広まった。曰く、
「小早川瀬那に迂闊に手を出すと、隣町の金剛阿含に死ぬほどボコられる」と。
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思えばその頃から二人は、既に無意識の内に、瀬那に惹かれていたのだろう。
幸い、女の子の友達には徐々に恵まれていった瀬那は、それ以降は楽しい学
校生活を送ってきたようだ。だが彼女は今、それら俗世の幸せをすべて捨て、
人知を超越した存在に一生を捧げようとしている。雲水の想いと阿含の自尊心
は、それを容認することなど到底出来なかった。双子の心があの幼かりし日
と同様に、再び同調する。

ワタスモノカ、タトエアイテガ何デアロウトモ……

二人の視線が一瞬交わり、再び作戦が決まった。
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「駄目と言っているのではない。冗談抜きに言えば、仏道に入るということは己
一人の精進で済む問題ではないんだ。伯母上のもとにもよく、色々な悩みを相
談しに多くの人が来るだろう?俗世での経験を豊富に積んだ者の方が、適性が
あるのだよ」
「別に今すぐなる必要ねえだろ。年齢制限ある訳じゃねーし。も少し時間おいた
ら、オメーが好きなモンみんなあきらめっ時、そんな苦しまなくて済むかもしんね
ーぜ?」

双子は言葉を尽くして瀬那を説得した。単純な瀬那はアッサリとまるめ込まれ、
とりあえず近くの都立高校の三次募集の願書受付〆切が明後日ということで、
大急ぎで準備にとりかかるという予定変更を、養母の尼に告げに行ったのだっ
た。

本堂に取り残された雲水と阿含は顔を見合わせ、してやったりと会心の笑みを
浮かべた。

「あいかーらず鮮やかな口舌なこって」
「お前もなかなかのものだったぞ」
「いえいえ、オニーサマには及びません」
「謙遜する必要は無い」

ゴロリと横になった弟から、従妹が先程まで頭部を覆うのに使っていた白い絹布
を取り上げると、雲水はそれを丁寧に畳み始めながら、淡々と独り言のように呟く。

「まあ、もし瀬那がどうしても尼になるというのなら、剃髪さえしなければ、それは
それで……な」
「?」

珍しく読み取れぬ兄の意図に、阿含は怪訝な顔をした。雲水はチラリと弟の顔を
一瞥すると、済ました顔でサラリと爆弾発言を放つ。

「薄墨、白色、うすくれない……あれの法衣を己が手で乱して、雪肌(せっき)に
桜花を散らすのも、なかなか趣深いのではないか?」

さすがの阿含も一瞬、目を点にし、たっぷり十秒は沈黙した。そして一言。

「雲子ちゃんのヘンターイ☆★」
「黙れ、想像しなかったとは言わせんぞ」

可憐な桜の花びらが舞う麗らかな、春のある晴れた日の、何とも心和む(?)
兄弟の会話だった。