冷艶素香

現ES21がいろんな人達から愛されていたり、割れ顎の堅物侍を巡って、藤と金の人外魔境神未満ズが火花を散らしたりしてます。

菊の香や 月は東に日は西に

2009年09月14日 | 雑記
「トルコさん、どうか、本当にもう、これ以上のお見送りには及びませんので
……」
「気にしねえで下せぇ、俺がやりたくてやってんですから」

出航間近の船のタラップで、先程から幾度となく繰り返してきた遣り取りを
またもや繰り返す“彼ら”を見つめる人々の視線はしかし、ウンザリやイラ
イラといったものとは程遠く、不思議と温かい。

何故ならその誰もが、“彼ら”の内のどちらかに属し、その加護を受ける身
であり、また自身、間も無く別れを告げようとしているこのアナトリアの広き
大地か、或いは太陽がここよりも七時間早く天空に昇り、この地の“今日”
より約半日早い朝を既に告げられているであろう、日出ずる島と、良い意味
に於ける何らかの形で、関わりを持つ身だからである。

「今度はぜひ、我が国へもいらして下さい。此度の貴国よりの行き届いたお
もてなしには程遠くありましょうが、心より歓迎させて頂きますので……」
「や、こいつぁ嬉しいねぇ……よろしんですかい、本当に? アンタお得意の
社交儀礼ってやつじゃねぇだろうな?」
「滅相も無いこと。こちらこそ、無上の喜びにして光栄で御座いますよ。後日
書状にて改めてお伺いしますけれども、当方と致しましては陰暦九月九日、
今年なら……そうですね、10月26日当日か、その数日前にお出で頂けれ
ば幸い至極に存じます。それならば、お国の共和国記念日にも差し支え無
い筈ですから」
「??? 日本さんがそう仰るんなら、万難排してお邪魔させてはもらいます
がね……しかしどうしてまたその日なのか、お尋ねしてもよござんすかい?」
「まぁぁ、綺麗な夕日ですこと」
「へ?」

当然予想し得たであろう己からの問いかけを耳にすると、途端、顎と両頬の
間で綺麗に切り揃えられた彼の、真っ直ぐでしなやかな黒髪に囲まれた小
作りの顔がクルリとあらぬ方向を向き、そしてすっとぼけたような呟きと共に、
微風にそよいだ袖からは異香が仄かにこちらへと──あたかも話をはぐらか
そうとするかのように──漂ってきた。

(丁子に麝香、沈香、ここまでは分かるが、あとは……何だ?)

自己主張の激しい香料たちを完璧に調和させた上で、独自の工夫を加えた
極上の薫物をさりげなく、まるで何でもないもののように自らの存在を構成す
る一部と成す日本の、卓越した知識と感性、そして手先の器用さ──成程、
「技術立国」の根本はこのような、身の回りのこまごまとした物事への繊細
な気配りに端を発するものであったということか。

──と、感心したところで、煙ならぬ香りに巻かれてそのまま疑問を忘れ去
るほど、トルコはおめでたく出来てはいない……筈だったのだけれど。

「日本さん? なぁ、日本さんってばよ?」
「ふふふ……」

男にしては滑らか過ぎるように見える襟足がこちらに向けられたかと思うと、
銀鈴を転がすような笑い声でもって「はいはい、ちゃんと聞いてますよ」と返
してくる相手の、だが視線を海の彼方に沈み行く太陽の方に向けたままの
真意は、相変わらず分からない。

しかしこれも惚れた弱みか、トルコにとっては日本のその謎めいた言動のす
べてが、愛おしくて堪らないのだ。

どうせ一度はぐらかされた問い、二度目に答えを得られるとも思えず、ゆえに
彼に対してこれ以上の詰問を重ねるのは、野暮の極みというもの。

「やれやれ、いけずな御方だねぃ」

もともと大柄で精悍な体つきを更に威風堂々としたものに見せる、ゆったりと
して色鮮やかなカフタン(前開きの長衣)の、これまた大振りの両袖に包まれ
た幅広の肩を竦め、豪奢な宝石と羽根飾りの付いたターバンで包まれた頭
を軽く左右に振ると、男の顔の上半分を覆っている白い仮面の、眼窩に合わ
せて開けられた穴から覗くオリーヴ色の両目にも、真っ白な歯が、健康に輝
く褐色の皮膚と好対照を成す口元にも、僅かな苦笑が浮かんだ。

「ふふっ……当日までの、秘密です」

象牙細工のような人差し指を桜唇に当てて、ニッコリと微笑んだ窈窕たる想
“人”(?)の、射干玉の黒髪を乱すボスフォラスの潮風が、心底から羨ま
しかった。

風は、どこへでも──遥か東の日出ずる島国までも、吹いて吹かれて、行け
るから。

(本当は、片時どころか、一分一秒一瞬たりとも……アンタと離れていたかぁ、
ないんですぜ?)

けれどそんな我侭を口にすれば、あのボワボワ頭でノタノタ動きのくせに、何
かと言うとすぐ自分に対して逆毛を立てては、日本との間に立ちはだかろうと
してくるガキんちょ猫と、大差無いおつむの程度であると、自ら公言するような
もの。

愛し、焦がれ、惹かれてやまぬこの年上の美しき存在の前では、断じてその
ような醜態を晒す訳にはゆかなかった。

「さて、そんじゃそろそろ、お名残惜しくはござんすが……」
「ええ、私も……」

皮手袋の上からでも明らかに武人のそれと知れる、仮面の男の、骨太で硬い
掌が、その武骨な感触からは想像も出来ないような優雅な動きで、竪絽の夏
羽織に半ば隠れていた華奢な手を取り、この上も無く恭しく押し戴く。

そして──

「Ellerinden öpüyorum……İyi yolculuklar(エルレリンデン オプヨルム……
イィ ヨルジュルクラール/貴方の御手に口付けを致します……どうか、良い
旅を)」

チュ

そうして唇を落とした手の甲を、男はこれまた恭しく、己が額に押し当てた。

「~~っ!」
「ありゃ、吃驚させちまいましたかね? うちの挨拶の一つなんですが……」
「ぞ、存じております……! 年長者への敬愛表現と、旅人の道中の無事を
祈って下さる御言葉で御座いましょう? 物の本で読んだ記憶が……」
「わざわざお調べ下すったんで!?」
「……え、ええ……ですから、も、勿論……私からも……お、お返しを!」

そして今度は、和服姿の青年が、目にも留まらぬ素早い動きで、相手の懐に
飛び込んだ。

「Sağ ol……Herkese selamlar!(サグ オル……ヘルケセ セラムラール!
/有難う御座います、皆様にどうぞ宜しくお伝え下さい!)」

偃月刀(えんげつとう)を片時も手放すことの無かった、いにしえの記憶の欠片
ゆえに、相手の恐ろしいまでの俊敏な動きに対し、男は思わず身構えてしまう。
が、それは単なる杞憂に終わった。

それどころか──

チュ、チュ

それは、仮面に覆われていない両頬下部への、素晴らしい僥倖であった。

「ご、ご御機嫌よう……!」
「あ、ちょ、待って下せぇ……!」

この国に滞在中も、かの地の伝統ある美しい衣で通していた彼が、サングラス
や観光客特有の安っぽいキャップ帽でその麗容を台無しにしてしまうなど、「冗
談じゃねえやい!」と、実は女物であるということを伏せ、滞在中の日除け風除
け埃除け代わりにと己が差し出して以来、外出時にはいつも愛用してくれてい
たヤシュマク(ヴェールの一種)を袂から取り出すと日本は、それを引っ被り、薄
紅色に上気した顔をサッと俯かせ、そのまま船室へと走り去ってしまい──
れきり、二度と甲板には出てこなかった。

そして──無常なる汽笛の音が鳴り響く。

(行っちまった、な……)

船が徐々に小さくなってゆき、水平線の際に豆粒のような点が確認できるだけ
となってしまうまで、トルコは船着場に立ち尽くしたままでいた。

「……」

金の縁飾りが付いた白い薄物を頭から翻し、馨しい香りだけをこの胸に残して、
自らが本来在るべき所へと帰って行った日本。

自分と同様、彼にも大切な役目が有る以上、仕方の無いことなのだと、理性の
上では分かっているのだが──

「……俺も、焼きが回ったもんだ」

えらが張り、無精髭の生えた男らしい顎をさすって口元をほろ苦く歪めながらも、
好物の蜜菓子にも似た甘ったるい想いに、男は誓いを新たにした。

(まだだ、今はまだ時が満ちてねぇ……だが……)

いつの日か、必ずや。

(並び立つのに、どこよりも相応しい存在に)

そのためには──

「さってっと……仕事戻るか」
「あっ、いたいた、トルコさぁん! EUの奴ら、また俺らの加盟申請撥ねつけや
がりましたぜ!」
「んだとぉ? ……チッ、また一から作戦練り直しかよ……毎度毎度、ムカツ
クったらありゃしねえ……!」

部下の報告に、男は盛大な舌打ちをした。

己の誇りを──イスラームの精神を捨てるつもりは、毛頭無いが、国家の更なる
発展と、そして昔より多少減少したとは言え、未だ侮れない数の恋敵たちに対し、
もっと効果の有る牽制をするためにはどうしても、欧州経済の一員として認められ
ることが必要なのだ。

「っか~~~!!! 完全に締め出すってんならともかくよぉ!」

UEFA(欧州サッカー連盟)やユーロヴィジョン・ソング・コンテストといったスポー
ツ・文化面に於ける加盟・参加のみならず、NATOの一員としても認めておきな
がら、いざとなるとこれである。

溜まりに溜まった鬱屈により最近は、国民たちの中から「もうやめよう、これ以
上奴等に愛想を振り撒くなど御免蒙る。トルコさんの仮面(=国の体面)にも傷
が付くばっかりじゃないか!」といった声もチラホラ聞こえてくるが、これまでに
費やしてきた時間と労力、そして金銭を考えれば、それこそこの仮面(=面子)
にかけて、ハイそうですかと簡単に諦める訳にはゆかないのだ。

(可愛いこいつらとアンタのためなら俺ぁ、どんなことだってやり遂げてみせます
ぜ……)

恋する者と接していた時とは打って変わって、眠りから覚めた肉食獣のような雰
囲気を瞬時にして全身にまとうと男は、気合いを入れ直すかのように仮面をカチ
リと、改めて顔に固定した。口角にはこれまた獰猛な笑みを浮かべ、そして──

「っし、行くぞ野郎ども!」

時は満ち、月は欠けた。夜の帳が下りればそこはもう、人だけの世界ではない。

「「「「「「「「「Evet!!!(エヴェット!!!はい!!!)」」」」」」」」」」
                         ・
                         ・
                         ・
一方、故郷への帰途についた青年の方はと言うと──

(ハァ……もう、しっかりなさい、私! お誘い如きでこのような体たらくでは、決
戦の日が思いやられますよ!?)

お医者さまでも草津の湯でも、決して治せぬ病に臥せり、甘い懊悩に桃色の吐
息をついていた。同じ状態でも、太陽ならぬ三日月に吼えている相手とは、何と
も対照的である。

(例年以上に見事な花を丹精しよう、あの方のために)

(誰よりもお慕い申し上げております、誰よりも情と懐深き貴方さま)

(厚かましいことを承知の上で、敢えて申し上げるならば、別れ際に頂戴した鬱
金香は黄色のものより、叶うことならば赤い花を頂きとう御座いましたけれど……)

(お心を片恋などとはどうか、お思いにならないで下さいまし、赤き空に白く輝く
三日月と星の御方)

(白き空に身を置くこの“日”とて、これまで隠し通してはまいりましたが、心の奥
底、秘めたる真の想いは……貴方さまと、同じに御座いますれば)

紅菊……受け取って頂けましょうや? 愛しているのです
白菊……受け取って頂けましょうや? 私を信じて下さい

我が想い……“和”が想い(わがおもい)、年も当地の畑に瑞穂の金波輝く
重陽の頃──

の花咲き乱れる私の家の庭で、貴方さまにお伝え致しましょう……。


                                            <了>