冷艶素香

現ES21がいろんな人達から愛されていたり、割れ顎の堅物侍を巡って、藤と金の人外魔境神未満ズが火花を散らしたりしてます。

朱を奪う紫 (後編①)

2006年12月12日 | 大奥(キッド×瀬那)
心が疼く。
甘く、妖しく、残酷に。

とても、幸せだった。
彼に会えて、良かったと思う。
穏やかな陽だまりのような日々が、いつまでも続いてほしかった。

でも──良過ぎるとやっぱ、ロクなことがねぇ。

意識が“あれ”に、完全に搦め捕られてしまう前に、一つだけ。
君に、心からの謝罪を。

どうか許してほしい。
君を──

「         」

                       ・
                       ・
                       ・

「な~るほど、そういうことだったんだ……」

寝惚け眼の幼主の身支度を、深窓の育ちと俄かには信じられない、まるで
生まれつきの奉仕者のような手際の良さで、すべて整えてやり──侍女た
ちは当然のことながら、「お方さまの御手を煩わせずとも……!」と慌てて
主を止めたが、「おたくらの念入りさじゃ、蛭魔局御自らが痺れを切らして怒
鳴り込んでくるよ?」という、苦笑気味の御方に至極ごもっともな一言を返さ
れた途端、彼女らの動きは凍り付き、まったく使い物にならなくなってしまっ
──、「せーなくん、朝だよ起きて~? あと半刻で※朝の総触れだよ~
?」と、切羽詰った状況には何とも相応しくない、のんびりとしたセリフと共に
己の局部屋から送り出した後(本来ならばこの一言ですぐ、瀬那は完全に目
を覚ますのだが、慌てている時の彼は却ってドジを踏みやすく、要領も悪くな
るので、キッドはわざと瀬那を半睡の状態のままにしておいて、自分が代わり
に支度をしてやり、それが終わったところで初めて、彼を“起こす”のである)。

「何か頭痛いんで今朝の総触れ欠席します」と、蛭魔局に使いをやって病欠
(?)を申請し、さわやかな秋晴れの空の下、部屋の縁側で茶を啜りながら
キッドは、乳兄弟であり、大奥入りに際してもその条件の一つとして、特に自
分付きの※お広敷侍(おひろしきざむらい)とさせた鉄馬から、昨日の午前か
ら夕方──即ち、瀬那が自分の部屋に来るまでの間に起きた一連の騒動に
ついて、調査報告を受けていた。

「……ということだ……だが……深入りはしない方が、賢明だ……」

鉄馬が自分の意見を口にするのは珍しい。もともと口数少ないのに加え、
その重厚で、しかも今日は意図的に低められた声は、念仏のように聞き
取りづらく、慣れたキッド以外の者にはまるで不明瞭だった。しかしそれで
あるからこそ、どこかに必ず潜んでいるであろう、蛭魔の息のかかった者
による盗み聞きも、警戒する必要が無かった。

「ん、分かってる。下手に口出して却ってこじれたら面倒だもんね」

本心を言えば、何とかしてやりたかった。だが同時にまた、どうにもならない
ということもまた、長年の経験と、そして近頃になってようやく気付いた事々
から、分かっていた。

「皆……辛いんだね……」

風に乗って、前栽の小さな木の葉が一片、キッドの湯呑みの中に舞い落ちる。
それを取り除くでもなく静かに見つめながら彼は、ポツリと呟いたのだった。
                      ・
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所詮は他人事と、冷酷というのとは違うが、どこか突き放したように淡々と
した態度の主に鉄馬は、御身自身にもいずれ何らかの形で影響を及ぼす
やもしれぬことなのだから、もっと身を入れて聞いてほしいものだと、小さく
溜め息をついた。

確かに、本人は決して認めたがらないが、後宮や大奥のような、権力と陰
謀の腐臭渦巻く伏魔殿に於ける身の処し方については、学問から得た知
識や教養だけでなく、生来の鋭い勘によるところもあって、キッド(紫苑)は
万事、そつが無い。だがそれでも鉄馬は、漠然とした不安を感じていた。

ある時期を境に、何事にも必要以上の興味と感情を示さなくなってしまった、
生涯の主にして大切な親友。その端正な顔がまだ憂愁の翳りを知らなかっ
た、※書始(ふみはじめ)の前にまで遡る遠い昔。一使用人の子に過ぎぬ己
が若君と、無邪気に様々な遊び事に興じることが許されていたあの頃には、
彼に確かに存在していた明るい生気が、ほんの少しずつではあるが、着実
に戻り始めた今日この頃。本当なら自分も、それを素直に一緒に喜んでやり
たかった。

キッドが“瀬那君”と呼ぶあの少年は、人間のありとあらゆる負の感情が澱
を成す、この泥沼のような世界にあって、不思議なほど穢れていない、白い
蓮のような存在だ。優しい、とても良い子だと思う。だが皮肉なことに、その
魂の稀有な清らかさほど、この大奥に似つかわしくないものもまた無い。主
に報告した今回の件といい、このままではいずれ……。

鉄馬はキッドにも分からないほどの微妙な角度で、眉を顰めた。

(我が主は将軍に非ず。キッドが──紫苑が、この静謐な陽だまりから引き
ずり出されそうになるのであれば、その時は……非情だが、あの小さな彼を
──

数多の憂苦を経た末、ぼんやりとした中にも意外としたたかな一面を持つよ
うになり、けれどその実やはり、硝子細工の脆さをも孕み続けている主の神
経構造は、彼が物心ついた時には既にその傍らに控えており、現在に至る
まで最も忠実な腹心にして、最良の友の見るところ、強靭な鋼鉄線と繊細な
銀糸を縒り合わせて作られた、複雑極まりないものである。そんな主とあの
無垢な幼将軍の取合せは、道を一歩踏み外せば奈落というこの大奥に於い
ては、非常に危険であると言わざるを得ない。

そしてもう一つ。ここに住んでいる者たちには空気と同意義、故に意識すること
も無いのだろうが、大奥と外界の合法的な接点・お広敷で働く鉄馬には分かる。
京の後宮もそうであったように、脂粉の匂い甘やかにして綺羅のはびこる奥御
殿という場所には、人の心を歪ませる、何か瘴気のようなものが、常に漂ってい
る。まがりなりにも“官”として身を置き、いよいよそれが難しくなった時には、宿
下がりを口実に、後宮を出たその足で、そのまま行方をくらますことの出来た禁
裏と違い、“側室”として入ったこの大奥では、目の前のキッド(紫苑)ですら果た
して、いつまで正気を保っていられるだろう? しかも今回は、彼が既に将軍の
寵を受けてしまっている以上、主に注目する視線は、あの抜け目の無いお取締
を始めとして、前回よりも更に多く、華麗な迷宮からの脱出は絶対に不可能なの
である。

実際、鉄馬の危惧している通り、暗雲は既に垂れ籠め始めていた。
                      ・
                      ・
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観楓の宴から数日後。紫苑の方は改めて、大奥入りを果たした挨拶をしに、
手土産を携えてお付きの者たちと共に、側室や高職者たちの住む、広々と
した一の側長局の各部屋を回った。勿論、瀬那の訪れを待つだけの普段と
違って、先日の宴に引き続き、その出立ち非の打ち所無く整えられた上で
の訪問である。

何事も見逃さない、智謀に富んだ鋭い金眼(きんめ)を持つお取締・蛭魔局
からは、大奥法度と側室の諸事心得を言い聞かされ、また給与の沙汰と、
卑猥な言葉の羅列による激励というか、煽動を受けた(実際、蛭魔の表現
のあまりの露骨さ・過激さに、キッドは危うく、もてなしの茶菓を噴き出すと
ころだった)。

たとえ筆頭側室の地位を奪われたとて、その漆黒の瞳の高潔さはいささかも
損なわれていない進典侍は(紫苑の方は堂上出なので、先任者の進典侍を
飛び越え、公家出身者にのみ許される上臈側室の地位を与えられており、そ
の高位故に、未だ御子を上げていないにもかかわらず、“お部屋様”と仰がれ
ていた)、紫苑の方の来訪に対し、丁重な挨拶と立派な返礼の品をもって返し
てきた。“文武両道”という四字熟語が、まさに人の形を取ったかのようなこの
先任側室の、言わば敵手である自分の訪問にも、決して取り乱すことなくきち
んと礼に適った、かと言って慇懃無礼という訳でもない見事な応対にキッドは、
先日の宴での幸若の腕前といい、その装いや返礼品の質実でありながら、さ
り気ない趣味の良さといい、相手が※“御内証の方”(ごないしょうのかた)に
選ばれたのも道理と、改めて舌を巻く思いだった。

続いて訪れたのは、そのあまりの広さと青畳の鮮やかな色合い故に、大海
かと見紛うような大きな座敷だった。

その部屋には二人の住人が同居していた。御子を未だ上げず、また進典侍
のように特殊な地位と立場にある訳でもなく、そもそも筋目からして、かの御
方とは差が有り過ぎる御手付き中臈たちが、個室に住むことは大奥の制度
上、許されておらず、二人は蛭魔の監督の下、相部屋を余儀無くされていた。
しかしさすがに両者の、標準を遥かに上回って堂々たる体躯に配慮してか、
大奥中臈の通常の相部屋と比べればこの二人の住居は、居間として使われ
ている、先述の広々とした、庭に面して日当たりの良い縁座敷を始め、寝間
(ここだけは当然のことながら別々である)、書斎、用途様々のお小座敷数部
屋、また衣裳部屋や※お仕舞所、湯殿に厠、物置に加え、大きな※旦那さま
方の御用を滞り無く務めるために集められた、これまた大柄なお半下たちの
※溜りなど、殆ど独立した一軒の住居と呼んで差し支え無かった。

先日の宴での凛々しい直垂裃姿とは打って変わって、涼秋とはいえ晴天の日
中、それも気ままな自由時間ということでお掻取は羽織らず、山吹地に八角形
を基本とした連続幾何模様が織り出された※蜀錦(しょっきん)の小袖だけを身
につけ、左右側頭部のやや上辺りで二つに分けて束ねられた豊かな金髪のそ
れぞれの結び目に、※虎目石をドングリの実に模して飾り付けた、一種の※花
櫛を挿した水町は、西の都から鳴物入りでやって来た新入り側室の気品に満
ちた姿が視界に入った途端、大好きな上様からお世話を任された白黒斑の猫、
白い※毛長鼬(ケナガイタチ)と一緒に遊んでいたそれまでの上機嫌な笑顔を
一変させ、眉を急角度に吊り上げた。二匹の愛玩動物をギュッと胸に抱き締め、
拗ねた子どものように両頬をプゥと膨らました水町は、唇を尖らせながら、ずばり
言い切った。

「俺、あんたのこと嫌い。あんたが来てから俺が瀬那と過ごす時間、すげー
減った。前なら夕方の自由時間は瀬那、いっつも俺と一緒に過ごしてくれて
たのに!」

キッドを真っ直ぐに睨み付ける、ついさっきまでは仔犬のそれのように無邪
気に輝いていた、榛(はしばみ)の柔らかな薄茶色をした双眸には今や、純
粋過ぎる悲哀と怒りが満ち溢れていた。化粧気の無いさっぱりとした、相手
の健康美溢れる容姿に加え、事実このところ、瀬那が自分の部屋ばかり訪
れてくれていること──とは言っても、体裁を取り繕うため、時折ハタと思い
出したかのように臥所を共にする以外は、一緒にお喋りをしたり、菓子を食べ
たり、キッドの得意な手芸を瀬那が教わったりと、彼らの交流は至って健全
で微笑ましいものばかりなのだが──を、嬉しく思い、且つ心待ちにするよう
になりながらも、だからこそ同時にまた他の局部屋に対し、少々の後ろめた
さを感じ始めていた現在のキッドには、水町の率直さはたとえ側室お心得の
一つ、“上様のお側に侍る者同士、いささかの嫉妬の念も起こすまじきこと”
に違反していようとも、それは血の通った人間であれば当然のことと、宮仕え
をしていた頃のように、その情念を厭わしく煩わしいものと捉えることは最早、
出来なかった。

「あ~、そりゃまたどうも……スンマセン」
「!!!」

目下の者たちや物への八つ当たりなどといった、理不尽なことを好まぬ元来
のサバサバとした気質上、やり場の無い怒りをうまく発散出来ず、日に日に
募る苛立ちをそれでも必死に堪えていたところへ、キッドのこの、のほほんと
した対応(水町にはそう感じられた)は、却って逆効果だった。何か言い返し
たくとも、相手との間に立ちはだかる大きな身分の壁に、悔しさの余り、目尻
に微かに滲み始めたものを見られまいと、水町は顔を伏せてサッと立ち上が
り、くるりと体の向きを己の寝間の方向へと転換させると、猫と鼬を抱き締め
たまま、足音も荒くドスドスと縁座敷を出て行った。

(やば、失敗……嫌味の一つもかまして俺のこと完全に憎ませたげた方が良
かったか……)

己の迂闊さに嘆息し、今日は※髢(かもじ)まで足してきっちりと結ばれた髪
の中に、思わず手を突っ込んで掻き回しそうになってしまったキッドと同時に、
同居人の後姿を見送りながら、必然的に一人で、名実共に第一のお部屋様
の応接をしなければならなくなったもう一人の中臈──こちらは※縹(はなだ)
に金糸で、天に向かってすっくと伸びる豊かな稲穂を刺繍したお掻取と、綸子
の※間白(あいじろ)をきちんと着込んだ上に、※銀襴繻子(ぎんらんしゅす)
地の半幅帯をキリリと前横に結び下げ、すっきりとした姿の筧もまた、大きな
溜め息をついた。

「誠に合い申し訳御座いませぬ……水町の無礼、何卒ご容赦下さりませ、
紫苑の方さま。あれの相部屋の者としてこの筧、代わりに謝罪させて頂き
まする」

地位の上下に加え、紫苑の方の方が年長ということもあり、筧は両手の三つ
指を畳について深々と、濃紺の髪つややかな頭を下げた。海が育んだものよ
りも小粒な淡水真珠を幾つも連ね、米粒に見立てた簪の、真珠が互いに擦れ
合う、玲瓏として涼やかな音が微かに鳴り響く。

「いえ、こちらこそ年甲斐も無く由無きことを……どうぞ、お顔とお手をお上げ
下さいますよう。大奥にてはあなた様方の方にこそ一日の長がお有りです。
こなたへの御遠慮など無用のこと……ってか……あ~、あの、こーゆーまど
ろっこしい遣り取り、もうやめません? 水町君の様子から察するに、おたくら
も瀬那君から、普段は気楽にって言われてんでしょ?」

目上の御方の突然の砕けた口調に、伏した中臈の畏まって縮められていた
両肩は一度、ピクリと揺れた後、緩やかに力を抜いていった。そしてゆっくり
と体を起こす筧。紫苑の方が部屋を訪れる前の、端然と正座した姿に戻った
全身からは、本来の幅広さを取り戻した両肩を中心として、あの進典侍に勝
るとも劣らぬ、堂々とした風格が漂っていた。

「ああ、まあな。こっちとしてもその方が有難い。改めて名乗らせてもらう、筧だ」
「局名は紫苑の方って言うらしいけど、そんな大仰な呼び方してたら疲れちゃう
だろうから、俺のことはキッドって呼んでね。あ、これつまらないもんですけど」
「ご丁寧にどうも……」

キッドから差し出された手土産の白羽二重の反物を受け取り、一応は礼を述べ
る筧。しかし、水町のようにあからさまでこそなかったが、キッドの鋭敏な心眼
は確かに、筧の深い、紺碧の海の色をたたえた瞳の中にも勢いよく燃え上がる、
水町の瞳にあったのと同質の、ただし色は異なる蒼い炎を、ハッキリと知覚して
いた。

「なるほど、おたくが筧君ね……何でも蘭語だけじゃなくてエゲレス語の読み書
きまで出来んだって? 瀬那君がす~ごく興奮しながら話してくれたよ」

一瞬だけ、筧の鋭すぎる視線はふっと嬉しそうに和らいだ。

「瀬那君が……そうか」
(おや、まあ……これはこれは……)

キッドの興味深げな表情に気付いた筧は途端、慌てて表情を取り繕ったが、
バツの悪さは如何ともしがたかったようで、それきり素っ気無く、「用が済ん
だのならもう帰ってもらえねぇか? 俺、書見の邪魔とかされんの好きじゃ
ねえから……」と、キッドが来るまで読んでいた本に目線を戻すと、最早チラ
とも彼の方を見ようとはしなかった。キッドもその気持ちを察し、敢えて詮索
するような真似はせず、サラリとその場を後にしたのだった。
                      ・
                      ・
                      ・
そして最後。この御方に会うのが、その日のキッドの最大の目的だった。

大奥からはかなり離れた山里の丸におわす、美貌、才智、そして宮家の
血筋と、玉に瑕一つ無い、だが謎多き貴人。あの心優しい小さな天下人
の隣に、望めばいついかなる時も寄り添うていられる、この世で唯一にし
て正当な権利──先程会ってきた中臈二人は恐らく、喉から手が出るほ
ど欲しているのであろうそれを、塵芥を払い去るが如く簡単に放棄したと
言われる、美しき御台所。

鉄馬からの報告、そして何故か不思議なほど京の事情に明るく、共に興じ
る西の都の遊び事も、その腕前はともかくとして、基本はおおよそ知ってい
る瀬那が、時折見せる切なげな表情をそれとなく観察することで、今ではキ
ッドにも、自分が江戸へ下る前後の大奥の、複雑な人間関係がほぼ、完全
に呑み込めていた。

「代わり……なのかな? ま、別にいいけどね」

自分自身ではそれを己の心情と疑っていない、淡々とした呟きとは対照的
に、キッドの、およそ激情というものを宿したことの無さそうな双眸が、心持
ち眇められたのは果たして、申の刻(午後4時頃)を回り、赤みを増してきた
夕日の眩しさのせいだけであったろうか。
                       ・
                       ・
                       ・
柔らかな※石竹色(せきちくいろ)の地に、金と緑を主体にした孔雀の羽根
模様が、目にも彩な京友禅。強い陽射しは苦手とかで、西日が差し込む今
の時刻、舶来品の日除け眼鏡をかけた御台所は、螺鈿細工の施された美
しい琵琶の調律に精を出しておられた。

「ようこそ、武者小路の……」

                                     (後編②へ)
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※注釈

朝の総触れ…
代々の日課と定められている御仏間拝礼、また大奥居住の母親・御台
所・側室・子どもや孫といった家族たちとの朝の対面や、お取締を始めと
する高職者たちから奥向きに関する諸報告を聞くため、将軍は毎朝定刻
に、“中奥から”お鈴口に入り、お鈴廊下を通って大奥へやってくる。たと
え大奥泊まりの翌朝であっても、必ず一旦は中奥に戻り、入浴、身支度、
朝食、健康診断などを済ませた上で、改めて来ないといけない(ただし
幼少、病弱、好色などの理由で大奥にいる時間の方が長かった者は別)。
なので当然、キッドさんにお着替え(笑)させてもらってる瀬那将軍の朝
の風景は、“捏造”です。

お広敷侍…
お広敷は大奥の諸事務を取り扱い、また大奥に出入りする人間や品々を
検察して、非常事態を警戒する役目も負う場所。そこに勤務する役人の事
をお広敷侍と呼ぶ。

書始…
皇族・公家の男子が初めて漢籍の読み方を習う、就学始め(教師に就い
て学問を学び始めること)の儀式。7歳頃に行われた。

御内証の方…
未成年の将軍に性の手解きをする、初めての房事の相手。或いは側室中
のNo.2。この小説の中での進典侍の立場には、両方の意味が有ります。
ただし『爪紅』にも書きましたように、進さんが側室として召されたのは、赤
御台が山里の丸に引き籠った後の事です(ぶっちゃけますと、諸事情によ
り赤羽×瀬那は、まだ褥を共にしていません)

お仕舞所…化粧や着替えをする部屋。

旦那様…各局部屋の主の事。

溜り…控え室。

蜀錦…中国四川省産の有名な絹織物。蜀江の錦(しょっこうのにしき)。

虎目石…
タイガーアイの事。キャッツアイよりも色が濃く、廉価。装飾品とする。

花櫛…造花で飾り付けた櫛。

毛長鼬…イタチ科の哺乳類。家畜化したものがフェレット。

髢…
頭髪をより長く、或いは豊かに見せるため、地毛に結び付ける入れ毛、
付け毛の類。現在で言うところのエクステンションに近い。

縹…薄い藍色、紺碧の空の色。

間白…お掻取(打掛)と下着の間に着る絹の小袖。

銀襴繻子…
繻子は五本以上の経糸、緯糸を使って織った平たい絹を指す。金襴緞
子の“金”が“銀”になり、地が繻子の織物と考えればよい。

朱を奪う紫 (後編②)

2006年12月12日 | 大奥(キッド×瀬那)
琵琶を調律する手を止めない、物憂げで御座なりの挨拶は却って、皮肉に
しか感じられなかった。だがその美声だけは、感情どころか抑揚すら存在し
ていないにもかかわらず、不思議と甘く、音楽的な響きすらもって蠱惑的に
響く。結局、紫苑の方の来訪に対する御台所の反応を要約するとそれは、
圧倒的なまでの無関心であった。

「赤羽宮の御台さんに於かれましてはご機嫌麗しゅう……」

別居とはいえ正室は別格ということで、手土産も、上等ではあるがありふれた
白羽二重数反といったものではなく、特に厳選した西陣の※疋物(ひきもの)を
始めとし、京から取り寄せた数々の名工芸品の他、紫苑の方はかの地で最新
流行の楽曲の譜面──それも特に琵琶曲のものを多く選んで、御台所に献上
した。やはりと言うべきか、言上の挨拶を聞くと、雅な楽の音をこよなく愛される
御台所は、他の物には目もくれず真っ先に、譜面の入った黒漆塗の箱に御手
を伸ばされた。だが、箱の内部一番上に、体裁を整える遊び紙として入れられ
ていたのは……御台所の背の君が、多少拙い筆致ではあったが、心を込めて
描かれた、燃えるように鮮やかな真紅の色をした正室の髪と、同色の紅葉の絵
──それはキッドが、瀬那と二人で絵に興じたあの日、片付けのどさくさに紛れ
て一枚、失敬してきたものだった。

「!」

御台所の血の気の少ない、大理石のように白く滑らかな顔が、心なしか着用の
お掻取の地色と同じ色を帯び、日除け眼鏡の下で一対の紅玉が瞠目したのが、
気配で分かった。色紙に触れるしなやかな指先は、微かに震えている。見間違
えよう筈が無い、これは確かに瀬那の筆致。何故なら、琵琶を聞かせた以外に
も、自他共に認める人嫌いのこの自分が、手ずからあの子に教えてやり、二人
で笑い興じた都の遊びは、絵画に投げ扇、貝合せ、双六、歌留多など数知れず
──

(……やっぱりねぇ)

キッドは、彼にしては珍しい質の小さな微笑を伏せたままの面に閃かせると、
喉をクッと振るわせた。

「……!」

その軽やかでどこかひんやりとした、聞こえるか聞こえないかの嗤い声を、どうや
ら相手はしっかりと聞き取ってしまったらしい。その刹那、絢爛たる色彩で幾重に
も蔽い、他者に気取られぬよう、用心に用心を重ねてまとうていた心の完全武装
を、ついうかうかと解いてしまっていたことに気付いた御台所は、ハッと弾かれた
ように、なよらかな指を引っ込めた。そして直ちに何気無い風を装い、懐に差し込
んでいた、あの観楓の宴の日と同じく、艶に香る白檀の扇を片手に取ると、空いた
もう片方の手でそっと日除け眼鏡を外し、代わりにそこへ差し込む。手にした扇を
そのままゆるゆると開いて口元を覆い隠し、脇息に優雅にもたれかかると御台所
は、しばし長い睫毛を伏せて思案に暮れた。そして──

「※ご火中にしろ、これらの品々すべて、一つ残らず」

側近くに控えていた、今こそ不安にくすんではいるが、その本来は明るく人好き
のする顔立ちと、いかにも前向きといった感じで快活そうな雰囲気が、常時であ
れば輝かんばかりに魅力的なのであろう、職名に似つかわしくない若々しさの
老女と、懐から覗かせている※黄楊(つげ)の櫛で折角、念入りに手入れしてあ
ったのだろうに、今や顔中冷や汗まみれなせいでその髪が、叱られた犬の尻尾
のように力無く垂れてしまっている、これまた年若い奥小姓に、御台所は冴え渡
った冷たい美声で低く命じる。鮮紅色が深みと妖艶さを増したその両眼には、暗
い血が旋舞していた。

「フー……君の尽力によるお上からの哀れみ、確かに受け取った。役目ご苦労
──※秋好み、朱を完全に奪った紫苑どの。冷泉のお上はお元気かい?」

言葉が終わると同時に白檀の扇が凄まじい勢いでパン!と閉じられた。赤御台
の顔には、その日初めて見せる感情らしい感情──華やかな冷笑が浮かんで
いた。だが敵も然る者。所属を問わず、周囲のお付きたちがすべて恐怖に震え
上がっている中ただ一人、紫苑の方だけは薄笑いすら浮かべ、泰然自若とした
態度で御台所の問いを鮮やかに切り返した。

「はい、日々お健やかにてあらしゃります。口にこそお出しになりませぬが、一途
に御台さま恋しきご様子にて、絵筆を取られるとお描きになるのは赤きものばか
り……御蔭を被りまして我が局部屋、※居乍ら(いながら)にしてこちら山里の丸
の結構極め数寄を凝らしたお美しさを満喫させて頂いておりまする」

俺もいい年こいて何やってんだか……と、心の中でだけ自嘲の呟きを洩らしつつ、
それでも口は、幼少の頃より叩き込まれ、宮中で磨きをかけられた慇懃な言葉遣
いを、遺憾無く悪用していた。

「フン……」

再び花の顔(かんばせ)より一切の感情を消し去ると、音も無く立ち上がった御台
所は、超然とした姿勢を崩さぬまま、か細い衣擦れの音だけを立てながら次の間
へと去って行く。ほどなくして聞こえた、“ベキッ!”と何かを壊す音。

(お~、こわ)

もともとこんな命知らずの行動に出るつもりは、キッドには無かった。けれども
最近、あの幼気(いたいけ)で薄幸そうな少年に、無条件に恋い慕われている
人間が何故だか、酷く癇に障るのだ。

(俺は側室、分相応にしてなくちゃいけない……んだけど……)

キッドの薄く形の良い唇の両端が再度、小さな弧を描いた。とろ火のように小さい、
けれど確かな満足感がどす黒く心を満たす。

ほんの少し腰を折るだけでいいのに、何故そうしない?
(どう足掻いたところで“俺たち”じゃ、あんたにはなれない)
遠く離れていながら、どうして今もあの子の顔を曇らせる?
(いっそ消えてくれ)

蒼白な顔でオロオロと取り成しの言葉を口にする、鉄馬のように善良で忠実な
御台所付きの側近二人に向けて、「大丈夫、気にしてませんから」と、キッドは
“苦笑”──しかし、いつも瀬那へ向けるのそれとはどこか、似て非なるものを
返した。
                       ・
                       ・
                       ・
ピィン、ピピピピピン、ピィィ───ン!

月華の下、かつて紅のあの人が聞かせてくれた琵琶よりはやや深く、幽艶な
音色が庭に谺(こだま)する。その日の夕方もまた、キッドの部屋を訪れてい
た瀬那は、部屋の片隅に布をかけて放置されたままの琴に目を留め、キッド
がそれを物すると聞くと、早速いつもの好奇心で無邪気に一曲、所望したの
である。

「ホント久し振りに弾くから、凄く耳障りかもよ?」と断りつつも、庇護欲を刺激
する小さな少年のため、キッドは琴爪を仕舞った小箱を取ってくるよう、侍女の
一人に命じた。そして彼女が持ってきた小箱の中から、象牙で出来た琴爪を
取り出して指に嵌めた瞬間だった。瀬那の体が、ビクリと震えたのは。

瀬那……今宵は何を聞かせてあげようか……?

記憶が逆行と順行を目まぐるしく繰り返す。
忘れ得ぬ美しい人の優婉な声。
その繊細な指が奏でる綺麗な音色。
そして紅(あか)、赤(あか)、朱(あか)、緋(あか)、蘇芳(あか)──

瀬那の変化に気付かぬキッドは、そのまま琴を演奏し始めた。傍らに座する、
琴爪と同じ色、同じ質感の頬に、透き通った一筋の涙が静かに伝い始めて
いたことにも気付かず。

ピピピィン、ピンピィ───ン……
ビィン、ビビィィィン!
ピィ───ン……
ビン、ビン、ビィィン!
ピピン、ピン……
ビィン、ビィン、ビン……
ピィン、ピ───ン!
ビンビンビィィィン……
イィィィィィン!!!

「止めてっ!」

急に叫んだ瀬那に、キッドは慌てて琴から両手を離し、驚いたような視線を向
けた。

「分かっているのに……キッドさんとあの人は違うんだって、分かっているのに
……」

そのまま縁側に敷かれた※毛氈の上に突っ伏してしまった瀬那を見つめなが
ら、しばし呆然とするキッド。そしてようやく思い出す。都にいた時に耳にした噂。
赤羽宮家の隼人※御寮人(ごりょうにん)は、つややかな象牙の義甲を嵌めた、
その美しい十指を縦横無尽に駆使し、かの御方にしか扱えぬ宮家伝来の秘蔵
の琵琶で、天上の楽の音もかくやと思わせる、妙なる調べを奏でると──

一陣の冷たい風が、紙縒で束ねることを再びやめたキッドの散切り髪を、サッと
乱す。そうして風の去った後、再び西日の下に現れ出でた、茜差す紫苑の方
顔には、氷を彫って作った能面さながらの、冷艶で冷徹な無表情。

彼はその日、大奥入りして以来、初めて将軍の願いを拒んだ。

狂気の音色がそれでも美しく、蕩けるような甘さをもって、彼ら二人を包み込む。
                        ・
                        ・
                        ・
キッドが正気を取り戻した時、瀬那は既に体を丸めて頭を両腕で強く抱え、ごめ
んなさい、ごめんなさいと、啜り泣きながら何度も繰り返していた。

(俺は……何てことを!)

キッドは慌てて瀬那を抱き起こした。

「瀬那君、瀬那君、ごめん、ごめんね? 俺の方こそ、ごめん……本当に……」
「ヒグッ、うぇ……キッドさぁん……」

自分に向かって伸ばされた赤子のように小さな手に、心臓を鷲摑みにされたよう
な心地になる。嗚咽に震える小さな頭を胸に強く掻き抱くと、キッドは右手と左手
のそれぞれで、瀬那の髪を繰り返し優しく撫で、その細い背中を何度も優しくさす
った。

(ごめん、鉄馬……お前の不安、ドンピシャだった……)

ずっと、気付かない振りをしてきた。“あれ”は理性では制御不可能なものだと、
本能的に悟っていたから。

本当は昔から、父や周囲から期待などされずとも、心の奥底よりも更に深く、闇だ
けが支配するどこかには、どんなことであれ決して誰にも負けたくないと思う勝気
が存在していた。けれど、貪欲にすべてを求める“あれ”の存在を認め、その命じ
るままに行動すれば、後に待つのは滅びだけ。

幸い、鉄馬を始めとする数少ない理解者たちのおかげで、これまでは何事も無く
済んできた。けれど同時にまた、“あれ”は決して自分の中から消えることなく、
むしろ抑制されてきたことで却って、その牙の鋭さを増していた。そしてこの大奥
の空気は“あれ”にとって、どうやら最高の養分であったらしい。

知らず知らずの内に侵蝕され、澱んでいた自分の心。
己の両腕の中でむせび泣く小さな少年。
彼に対する柔らかな感情は、灼熱の恋情を伴うような所謂“愛”ではなく、
同族意識による親和の情であった筈なのに。
けれどそれは自分がただ、そう思い込みたかっただけだったのだ。
彼と共にある時感じていた、温かく穏やかに満ち足りた気分も。
その正室たる御台所に対して抱いた、仄暗い衝動も。
すべて皆、端を発していたのは──

(結局は俺も、同じ穴の貉ってことか……)

だが己の浅はかな妄信と愚鈍の故に、あと少しで“あれ”は野に放たれ、この、
今になってようやくそのかけがえの無さに気付いた大切な存在を、ズタズタに
噛み殺すところだった。唇を噛み締めたキッドが、口の中に充満する鉄臭い味
に気が付いた時には、辺りは既に薄暗くなっていた。夕暮れの赤さは徐々に
失せ始め、空は薄青から青、藤色、菫へと順に染まってゆき……やがて紫紺
の夜の帳が、重なったままの二人の周囲一帯に音も無く下りた。

あれほど念じていたのに、戒めていたのに……。
一時の情は燃え尽きれば後に虚しい灰を残すだけと。
恋心は、花と──あの紅い華と、競ってまで咲かせてはならなかったのに!

「許してね……」
君を、愛してしまったこと。

この想いと共に、自分だけが灰と燃え尽きて風に四散し、人知れず無に帰す
ことが出来たらどんなによいだろう? 遠い昔、幾度となく願ったように。

泣き疲れ、己の腕の中で眠ってしまった少年の滑らかな額に、青年は気持ち
削げ気味の自分の頬を、そっと押し当てた。触れてくる彼の無精髭のくすぐっ
たさに、僅かに身じろぎした少年の滑らかな両頬を、どちらのものとも知れない
※泪珠(れいじゅ)が、水晶のように透明な糸を引きながら、とめどなく伝う。

すまじきものは、恋。

白銀の月の残酷なまでに優しく清麗な光に照らされて、鬼にも人にもなりきれ
ぬ男は、ただ静かに涙を流し続けた。
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それからほどなくして、紫苑の方はその若さと、大奥入りをしてまだ一年も経っ
ていないにもかかわらず、将軍に対し※お褥すべりを願い出、どのような弁舌
を用いたのやら、蛭魔局にまでそれを諒承させたという。

(お閨の勤めを果たさずして、何のための側室か?)
(紫苑の方さまはどこぞ、お体の御具合でもお悪いのであろうか?)

様々な憶測や流言飛語の類が大奥中を飛び交ったが、噂の御当人は何事も
無かったかのように、以前と変わらず、穏やかな御様子でいらせられた。最近
では※有職故実(ゆうそくこじつ)について、表の※高家職(こうけしょく)たち
よりも博識である上、分かりやすい教え方をすると、蛭魔局に頼まれて、上様
にそのご講義も始められたという。同様に、武士(もののふ)の頂点に立つ者と
て、風流な嗜みの一つや二つ持っていなければ、禁裏や諸侯を始め、天下万
民から侮りを受けると、これもやはり蛭魔局のお考えで上様は、紫苑の方につ
いて茶の湯の本格的な稽古なども始められたらしい。

“廃品利用”などと陰口をたたく口さがない者たちもいたが、そのように下種な
言葉は絶対にして唯一の事実により、すぐに聞かれなくなった。夜のおとない
こそ無くなったが、幼将軍の紫苑の方に対する御寵愛には、まったく変化が
無かったのだ。むしろ以前よりも更に増したと言ってもよいほど、幼将軍は嬉々
として御方のお部屋に足繁く通われている。

あの晩、自分の持てるおよそすべての涙を流し切った後。降り注ぐ白銀の氷輪
の精華を媒介として男は、自身の内部に潜む闇の生き物に対し、一つの妥協
案を提示したのだ。

瀬那
すべての“慈愛”を君に
すべての“信頼”を俺に
願うのはただ一つ
君にとって
俺が一番
心安らげる存在でありたいということだけ


大奥の光と闇の間(はざま)に生きる“まやかし”は今日も、愛しき少年に対し、
優しく、優しく、心から微笑みかける。

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※注釈

朱(あけ)を奪う紫…
『論語(陽貨)』より。直接の意味としては、間色である紫色が正色で
ある朱色(赤色)よりも人目を引き、もてはやされる事。悪が善に勝る
事が時としてある、世の中の不合理を指す。或いは、似てはいるがま
ったく違う事。“紫の朱を奪う”とも。

石竹色…
唐撫子(からなでしこ)の花にあるような淡紅色。薄いピンク色。

疋物…
一疋で二反、即ち反物よりも量の多い織物。通常の成人が一枚の着
物を誂えるなら、大抵は一反で事足りる。

ご火中にする…
粗末に扱ってはならないものを処分する場合はただ捨てるのではなく、
焼却処分にする。まがりなりにも贈り物、しかも瀬那君直筆の絵まで入
ってる(神棚に祀らなきゃ!)、でもこの男(キッド/紫苑の方)からとい
うのが非常に気に食わないね……という赤羽さんの、屈折した気持ち
(苦笑)の表れ。

秋好み、朱を~…
日本語には中宮・皇后の異称で“紫の宮”、“秋の宮”という表現がある。
ここでは赤御台が、秋のイメージが強く、紫色のよく似合う紫苑の方を、
瀬那よりも年上ということもあって、『源氏物語』の秋好中宮(あきこのむ
ちゅうぐう/六条御息所の娘、朱雀帝の御世の斎宮。朱雀帝の譲位と
共に役目を終えて帰京後、まもなく母を亡くし、源氏の後見で梅壺女御
として、源氏と藤壺の宮の不義の子・冷泉帝の後宮に入内。後、中宮に
上る。四季の中で秋を最も好んだことから“秋好中宮”の異名が付いた。
ちなみに幼妻ならぬ幼夫≪笑≫よりも10歳上の姉さん女房)になぞらえ、
「瀬那の寵を笠に、この自分を差し置いて、もう正室気取りか」と、二重
どころか三重、四重(笑)の嫌味を言っている。“お上”は将軍だけでなく、
天皇をも意味する(むしろこちらが正式か)。

居乍らにして…外に出ずして。

黄楊…
ツゲ科の常緑小高木。黄色で堅いその木材は櫛・印材・版木・将棋の
駒などに加工される。

毛氈…獣毛をフェルト状に加工したもので、主に敷物として使う。

御寮人…身分の高い人の息子・娘に対する尊敬語。

泪珠…
涙。以前の“墨鏡”に引き続いてすみません、これ実は中国語です……
orz 発音もほぼ同じ。

お褥すべり…
高齢出産の危険性を阻止するため、江戸時代の感覚では既に花の盛
りを過ぎたと考えられる30歳前後に、将軍や大名の妻妾が閨の務めを
辞退する事。主君の寵が誰か一人だけに集中し、その者が好き勝手に
振る舞うのを防ぐ目的もある。

有職故実…
朝廷や武家の、諸事に関する古来よりの決まり。

高家…
幕府の職名の一つで、諸儀式・典礼を司る役目。特に勅使の接待や、朝
廷への使者派遣の時などに活躍する。