冷艶素香

現ES21がいろんな人達から愛されていたり、割れ顎の堅物侍を巡って、藤と金の人外魔境神未満ズが火花を散らしたりしてます。

ひぐらしのなく頃に

2008年07月28日 | 金剛双子×瀬那
「こ、来ないで! 阿含さん、来ないで下さい!」
「あ゛ー? チビカスてめぇこの俺に向かっていい度胸してんじゃねーか、
何様のつもりだ?」
「嫌! 来ないで! う、雲水さ~ん……!!!」
「瀬那君、どうし……阿含! 今度は何をしたんだ!?」
「別に何もしてねーよ(今日はまだ)! 雲子はすっこんでろバーカ!」

尊敬と憧れと仄かな恋心の対象である雲水への悪態を耳にした途端、
瀬那の涙目は瞬時にして乾き、178th down“GAME OVER”(コミックス
第20巻)のVS神龍寺戦、前半戦終了直後、阿含のGAME OVER宣言
に静かにブチ切れた時と同様の表情へと変貌を遂げた。

「おいコラこっち来い。雲子のダッセェ道着なんかに引っ付いてんじゃね
ーよ、テメーまで抹香臭くなんぞ」
「………、……、………………、……、………………」
「言いたいことあんならハッキリ言えや、ブッ殺されてーのか、あ゛!?」
「せ、瀬那君……?」

雲水の問いかけに力づけられて(恋の力は偉大だ)、カッと大きく両目を
見開くと、瀬那は雲水のエクトプラズマ(魂魄)が体内から搾り出されて
しまうのではなかろうか、と、いうぐらいの力で、ギュッと雲水の腰を抱き
締め、その後ろから頭だけを覗かせると阿含を真っ直ぐに見据え、周囲
半径100m以内なら確実に聞こえるであろうと思われる大声で、叫んだ。

「この季節は暑っ苦しいから阿含さん
近寄ってほしくないんですよ!ちゃん
と洗ってないドレッドヘアとかキッツイ
香水とかジャラジャラのアクセサリー
とかヤクザみたいなサングラスとか背
中の刺青とかすぐキレて白目に毛細
血管浮き出させるとことか! しかも
今日は珍しくちゃんと部活に出てさっ
きまで走り回ってたもんだからまだ中
途半端に汗の匂い残ってんのが香水
と混じって何か凄く微妙な匂いになっ
ちゃってるし! あっち行って下さいよ、
来ないで! こっち来ないで!!!」


「「……」」

──夏の瀬那はどうやら、対阿含限定でドSになるようだ。

西日が辺りを緋色に染め、ひぐらしがカナカナと鳴くある夏の日のジットリ
とした夕暮れ時。

グラウンドにいた神龍寺ナーガの全部員たちが阿含を見つめる眼差しは、
何故か今日この時に限って、恐怖や畏敬とは程遠い、とても生温いもの
であったという……。


何の目的で瀬那、神龍寺に来たんでしょう……雲水目的? アゴン
ヌはこの後ハサミをじっと見るか、白刃の滝に打たれに行くといい。
タイトルの『ひぐらし~』は、怖いと有名な某PCゲームより拝借しま
したが、思いつきで付けたものなので、特に深い意味は御座いませ
ん。そもそもあのゲームがどのように怖いのかをまず、詳しく知りま
せんから……(それこそ“怖くて”、知りたくもありません)。



↑と、web拍手の御礼に使っていた時は、申しておりました(笑)。そう言
えばあのゲーム、実写化もしたらしいですね。どうして皆さんそんなに怖
いもの好きなのかしら? 程度にもよりますが、香夜さんは基本的にホラ
ー映画やサイコ、スプラッタ系の怖い&グロいお話は駄目な人です……
ガタガタ((((TДT;))))ブルブル。精神的に気持ち悪いのとか、痛い系の話
をしょっちゅう書いている奴が何を戯言をと、鼻で笑われてしまいそうです
が、それでも後味が悪くなる事だけは避けようと(自分自身、後味が悪く
なるものが苦手なんで;)、いつも、自分なりに気をつけているつもりなん
です。

罪滅し編……いやいや、これまたやはり何の関連性も無いのですが(苦
笑)、少しまぁるく、可愛く(?)なった最近の阿含への愛故に、拍手お礼
に久々の阿含×瀬那を投下してみましたので、もしよろしけばそちらもど
うぞ(あ、でもリンクしている訳ではありません)。

今夏は阿含もヘアスタイルを変えてはどうだろう、坊主とか坊主とか坊主
とか(どこまで雲水贔屓なんだ、香夜さん!)。夏の瀬那が優しくなってく
れるかもよ?(笑) そうだよ、坊主二人とちびっ子で浴衣着て、夏祭りで
も花火大会でも行ってきなされよ!(はい?) 肝殺りでも可!(←え、試
すんじゃないの!? 取りに行くの!?/笑)

私が今いる所も、日本程ではないと思いますが、やはり暑く、湿気も凄い
です。皆さんも体調にはくれぐれもご注意下さいねー\(>○<)/

大奥 進典侍編その⑤と⑥の語釈

2008年07月07日 | 大奥(進×瀬那)
御七夜の儀…
子どもが生まれて七日目の夜、その子の健やかな成長を願って行なうお祝い。
そしてこの日に名前を付ける。

おしとね…座布団の事。

又者…
中級以上のお女中(拙ブログには男もおりますが)が、私的に雇った使用人。

辻模様…
長さか太さ、或いはその両方が異なる線と線を交差させた、十字のような模
様。

水が張られた…
現代で言うところのスノードームをご想像下さい。手仕事万歳、職人芸に乾杯、
日本の手工業製品は世界一!

連理…
本来は別々の木と木が、幹や枝など、どこか一部分を通じて木目が一体化し
ている状態。愛し合う者同士の想いの深さの例えにもよく使われる。

臥竜梅…
梅の一種で、朝鮮梅とも。もともと幹の低い品種である上に、枝が自らの重さ
で自然に下へ下へと垂れてゆき、それらの蟠った状態が、飛翔していない時
の竜を思わせる事から、この名前が付いたらしい(けど画像見る限りでは……
??? ま、Don't think, feel!の方向で一つ)。
枝は地面に接すると、そこからまた新たに根を張り、株を徐々に増やしてゆく。
香夜さん的には、白いのとピンクのとがそれほど離れていない距離に在れば、
人の手が加えられない限り、いつかはどこかが絡まるとかどうにかなって(?)、
そうして接木されたような状態となれば、理論上では連理になるんじゃないか
?と思ったんです(接木された梅には本当に、異なった色同士の花が一緒に
咲く)。Don't think, feel② and dream……!(苦笑)

追っかけ…
源義経が牛若丸時代、奥州へ行く途中に美濃の国で、大盗賊の熊坂長範を
討ったという伝説を基にした能『熊坂』に出てくる謡(幸若舞なら『烏帽子折』)。
牛若丸の俊敏な動きは、その姿は確かに目には映っているにも拘らず、決し
て手に取って触れる事は出来ない陽炎や稲妻、水面に映る月のようであった、
と。
現時点に於ける進典侍にとっての上様≠瀬那???の場合は、走りの速さも然
る事ながら、その本心は一体どこに……みたいな……(痛)。

頻伽の声…
仏教に於ける想像上の生物で、「迦陵頻伽」(かりょうびんが)と言う、人頭鳥
身の存在がいる。その美しい鳴き声は仏様の御声にも例えられるとされ、故
に美声を意味する「頻伽の声」という成語が生まれた。西洋の神話や伝説に
出てくるセイレーンやローレライとは違い、人を死に誘うような恐ろしい存在で
はないようです。しかし、その妙なる鳴き声を聞く為には、人界に属さぬ奥深
い雪山や、極楽浄土に赴かなければなりません(それって結局……;)。

己がなぞらえた、白い塔…
マリア観音では有りがちな上、周囲からあらぬ疑いをかけられやすいだろうと
思い、辞書に載っていたラテン語“turris eburnea”(象牙の塔/聖母マリアを
指す)から、こういう物を考え付きました。
現在に於いて広く知られている、世間とあまり交渉を持ちたがらず、自分の世
界に籠るといった意味にはお取りにならないで下さい(ある意味、籠ってるちゃ
ー籠ってますが、筧先生)。物としては、台北の故宮博物院に展示されている
ような奴。芸が蝶・細かくて凄いんですよね。翡翠の白菜や瑪瑙の豚角煮もス
ゲェェェ!と思いましたが、和室に飾るならこっちでしょう(ってか白菜はまだ子
授けお願い出来るけど、豚の角煮に何を祈れようか……/苦笑)。
筧さんが隠れキリシタンなのかどうかについては、私も未だ決めかねておりま
す。お祈りの言葉も、筧さんの苦悩と、それ故に精神的な救いを渇望している
様子を強調する為に、聖母マリアに関係の有るものを継ぎ接ぎしたもので、お
かしいのは百も承知の上で御座います。それに、筧さんがマスターしているの
は英語と蘭語なのにっていう問題も有りますし。
マリア様を重視するのはどちらかと言えば、カトリックの方らしいですね。16世
紀以降のイングランドは英国国教会や清教徒主義始め、旧教の影響はそれな
りに残っていても、敢えて分類するなら新教側でしょうし、実際には半々ぐらい
か、旧教徒の方が微妙に多かったようですが(今も?)、国家としてはプロテス
タントの国として見られる事の多いネーデルラントも然り。
う~ん……西洋とその文物を真に理解する為には、ギリシャ語とラテン語の素
養が有った方がやっぱ良いと、洋書を沢山読み漁ってる内に、宗教系の知識
も得てしまったとか? 真に実力の有る通詞なんて数える程しかいなかったよ
うですし(通詞が世襲制って……嘘ぉ!?/『シ/モ/ネ/ッ/タ/の/デ/カ/メ/ロ
/ン』 田/丸/公/美/子 文藝春秋[文春文庫] 2008.03.01第2刷 p.221~p.
225「大通詞」中221頁すべて/小松氏の本も読んでみたい……)、幕府の検
閲の網の目って案外スカスカだったりして???(捏造するなら、蛭魔さんが意図
的にそうしたとすべきなんだろうな)。それに筧先生の実家(幕府お抱えの蘭学
者)が洋書の検閲とかもやってたと考えれば、少なくとも筧家の人々は、知識
を得てしまうのでは? あー、自分でもよく分からなくなってきた!
あ、そうそう、念の為に申し上げておきますが、宗教を冒涜するつもりはこれっ
ぽっちも御座いません。結果として冒涜してるよ!と言われた場合には……ん
~……反論出来ないかもしれませんが(--;A

明らかに…
将軍と別居している御台所が大奥に来る場合、大奥側で最初に接する役目
が分かりませんでした。手元資料の江戸城見取り図で、吹上のお庭(山里の
丸のモデル。現在で言うところの吹上御苑。今でこそ、今上両陛下お住まい
の御所を始めとする幾つかの建物が点在し、皇居の中心部と見なされている
が、徳川時代は江戸城の外苑即ち城外と見なされていた模様。ついでに言
えば、「山里の丸」という名詞も実は、大奥からはかなり距離が有るんですよ
~と強調するための、香夜さんの造語だったりします。先述の地図に敢えて
当て嵌めるとすれば、中の丸ですかね?)から一番近いのが西桔門というと
ころまでは良いとして、あの辺りが誰の管轄下にあったのかが、調査の甲斐
無く、未だ分かりませぬ……orz 男の役人がいたのか、それとも大奥に近く、
また、やって来たのも御台所の御一行という事から考えると、御客会釈か表
使が対応するべきなのか? でもこの二職の詰所の位置から考えるとそれっ
て何かおかしいし、そもそも今回は御目見得以上って事で、その人達最初か
ら御座の間に伺候しちゃってるしな……と、色々考えた挙句、とりあえず、御
目見得以下ということで、(中間管理職以上が)御七夜が無事済んだ事に対
するお祝いを申し上げるこの日も、通常通りの勤務をしていた、あの辺り付き
(と、いう設定に香夜さんが無理矢理した)仮名ゐさん(仮名Aさんのノリでお
読み下さい/あ、もしかして御使番?でも下のお錠口からは来ないだろ……)
が、小袖の裾絡げてドップラー効果付きで知らせに来たとお考え頂ければ。

降家…造語です。意味は“降嫁”の男性版とお考え頂ければ。

御次…
物の運搬をしたり、側室・姫君・高職者の世話をしたり(部屋の掃除や給仕の
他、話相手なども務める)、主・上役の傍や、その居る場所の次の間に控え、
御用の際に立ち働いたりなどする役目。さほど重要でない人事を担当する事
も。

紅返し…
「紅返し」(べにがえし)とも。袷や綿入れの袖口や裾を少しだけ折り返してお
いて、裏地を表に見せる事を「吹返し」(ふきかえし)、若しくは「袘」(ふき)と
言い、その中でも、裏地に赤い生地を用いる場合を特に「紅返し」と言う。
それにしても赤と黒って、京都出身(という設定)にしては随分too vividと言お
うか、アヴァンギャルドな趣味してますねぇ、うちの御台様は(←他人事のよう
に/ま、詳しくは知りませんけど>日本服飾史及び江戸時代の各地・各時代
のモード/あ、でもこれってLe Rouge et le Noir!? 全然類似点無いけど!)。
多分、箔も散らしてあるでしょうし。それが瀬那の事になった途端、ファンシー
ピンクと言うか桃/色/片/思/いと言うか(笑)、とにかく↓みたくなる訳ですか
ら、恋ってぇのは、妄想ってぇのは……!(震笑)

薔薇水晶…
紅水晶。ローズ・クォーツ。宝石としての価値は低いが、優しいピンク色は誰
にも好まれ、細工物によく使われる。

御島台…
州浜をかたどった台の上に、植物や反物で形作った吉祥の事物を、沢山載せ
たもの。祝事の席に飾られる。

御舟…
上面の縁が高くなった(直方体に近い?かもしれないが、箱とはちょっと違う)、
黒い漆塗りの台に綱を付け、上に物を載せて運ぶ道具。日本ですし、畳や板
敷きの上を引っ張ってゆく訳ですから車輪は付いていませんが、用途としては
要するに、イベントでサークル参加される方達(オンリー会場を探してて迷った
時は、彼女らに着いて行け!)が使ってらっしゃる、カートなんだと思います。

部屋方…使用人の、そのまた使用人。

金目の…
高い地位にあった武家ほど金銭の話を忌む事甚だしかったと、物の本に書い
てあったように記憶しております。赤御台は宮家出ですが、江戸の将軍家と
大奥を小馬鹿にしているのは、武家の考え方や作法にもきちんと通じている
からこそであって(凡人ならよく知りもせず、また知ろうともしないで一方的に
貶すでしょう。そういった意味に於いて狭隘な人間であってほしくはないんで
す、赤羽さんには)、ならば当然、御祝儀に関しても、武家以上に強い矜持と
美意識の下(彼の場合は“音楽性”か)、直接現金を包むような真似はしない
んじゃないかな、と。そうすると、その下で働いているコータローも自然と影響
を受ける訳です(結果、あの発言となる)。使用人の礼儀知らずと無知はそっ
くりそのまま、彼らを使っている立場に在る人間のそれに繋がり、最終的には
主人自身が恥をかく訳ですから。
アホの子っぽい拙ブログのコータローですが、実務に関しては結構テキパキ
していて使える子in山里の丸。コミックス29巻でデビルバットと仔デビバちゃ
んが「テストの点と頭脳は別物」と言っていたように、知的ではなくとも、実社
会では結構役に立つ子だと思います、彼は。また、口癖の「スマート(だぜ)!」
は時代考証と彼の知的レヴェルの都合上(苦笑)、「粋」と置き換えさせて頂
きました。
ちなみにプレゼントがゴージャスなのは別件。瀬那への好意と赤ん坊への友
好(?)の証なので(進さんに対しては最低限の礼儀として。基本的にはあん
まし気にかけていない)。

御台さま御養ひ…
正室が妾腹の子どもの嫡母となる事。実際に手許で養育するかどうかはまた
別の話です。うちの赤羽さんは引き取って育てる気満々ですが、現実には形
式の上でだけの事の方が多かったのではないかと。ちなみに「嫡親」というの
も造語です。うちの御台様は殿御ですから。

井戸…
李氏朝鮮でごく普通に使われていた日常用の食器が(特に両班の家庭の物
というのでもなく、庶民の家の物も含めて)、どういう経路を辿ってか、日本に
もたらされた後は不思議な事に、お茶席で大変有難がられるようになったとい
う、面白いお茶碗。
良く言えば「素朴だけど力強い魅力」、けれど侘び寂びに興味の無い人にとっ
ては、小・中学生が図工or美術の時間に作らされたものか、弥生式土器の親
戚か何かに見えるのではないかと思われる。
「井戸茶碗」乃至は「高麗茶碗」とも言い、現在でも蝶・高額で取引きされてい
るようです。が、うちの赤御台様はお好みがハッキリしていらっしゃるので、周
囲の評価がどうであろうと、御自身の音楽性に合わないものであれば、ぶっち
ゃけゴミと同じぐらいにしか思いません。従ってその場合の扱いも、推して知る
べし。今回のお茶碗はジュリちゃんが御台さまから、「持ってっていい、僕の音
楽性とは合わないから」と拝領した御品です(ジュリ&コタは急いでいたので、
厳重に管理されている赤羽さんのお茶道具を全部出してくる余裕は、無かった
のだと思われます)。
あ、濃茶手前の作法に関しての意地悪突っ込みはご容赦下さい。茶道の経験
が無いどころか、抹茶アイスさえ嫌いな人間が片手間に調べたものなので(苦
笑)。でも分かり易く教えて頂けるのなら、喜んで拝聴致したく!

大奥 進典侍編その⑥

2008年07月07日 | 大奥(進×瀬那)
サァァ──

清々しい香りを放つ青畳の上に、力無く伏せられた紺碧の頭を、外から入り
込んできた風が、優しく撫でた。

(事実も真実も、この苦しさを薄めちゃくれねぇ……)

胸元に差し込んである一枚の料紙。金銀の箔が点々と散らされたそれには、
大奥と呼ばれるこの深海を、刹那、温かな日の光で満たしたかと思うと、程
無くして、海の泡のように儚く消えてしまった小さな命が、この世に於いて僅
かな日々だけ用いた名前が、水茎の跡も麗しくしたためられていた。

(ねぇ筧君、この子の名前を決めたんです)

親子というよりはまるで、兄妹のようだった。

(この紙に──って、書いてもらえないかな?)

心に細波が立たなかったと言えば嘘になる。けれど──

(この子は僕と、皆の子だと思ってほしいんです。進さんだけじゃなくて、筧君
も、水町君も、それに──


はにかんだような笑顔の愛らしさ、そしてそれに対する狂わんばかりの愛おし
さには、逆らえなかった。

続く、最大にして最高の想いを込めて呟かれるのが、自分は決して就くことの
出来ない座にある貴人の名前だと、分かってはいても。

めでたし、聖寵充ち満てるマリア、主御身と共にまします。
御身は女の中にて祝せられ、御胎内の御子イエスも祝せられ給う。

天主の御母聖マリア、罪人なる我らの為に、今も臨終の時も祈り給え。

元后、憐れみ深き御母、我らの命、慰め、及び望みなるマリア、我ら逐謫(ちく
たくの身なるイヴの子なれば、御身に向かいて呼ばわり、この涙の谷に泣き
叫びて、ひたすら仰ぎ望み奉る。

ああ、我らの代願者よ、憐れみの御眼もて我らを顧み給え。
またこの逐謫の終わらん後、尊き御子イエスを我らに示し給え。
寛容、仁慈、甘美にまします童貞マリア。

慈悲深き童貞マリア、御保護によりすがりて御助けを求め、敢えて御取り次ぎ
を願える者、一人として棄てられし事、古より今に到るまで、世に聞こえざるを
思い給え。

ああ童貞中の童貞なる御母、我これによりて頼もしく思いて馳せ来たり、罪人
の身をもって、御前に嘆き奉る。
ああ御言葉の御母、我が祈りを軽んじ給わず、御憐れみを垂れて、これを聴き
給え、これを聴き入れ給え。

めでたし、海の星なる君、幸いなる天の門、至高なる主の永久に童貞なる御母。
ああ、はるかなる過ぎし日に、天使ガブリエルの宣いし、イヴの名転ぜしアヴェ
により、下界に平和を建て給いぬ。

砕き給え、捕われ人の足枷を、注ぎ給え、光を盲いたる眼に、我らのすべての
病を追い払い、あらゆる至福を懇願し給え。

示し給え、御身が母なるを、捧げ給え、彼に我らの嘆息を、御身を軽んずる事無
く、我らの為に人となり給いし彼に。

すべての童貞の中の童貞よ、導き給え、我らを御身の隠れ家に、優しき者達の
中の最も優しき者、我らを純潔にして優しき者と成し給え。

助け給え 我らのか弱き努力を、我ら猶お旅路にある故に。
至高なる天に於いて御身とイエズスと共に我らが永遠に喜ぶその日まで。

全能の聖三位、聖父、聖子、聖霊に、唯一にして同一の光栄有らんことを。

アーメン。

                       ・
                       ・
                       ・
ここ二、三日前から何でか知んねーけど、筧は元気が無い。や、病気とかそん
な感じじゃないんだけどさ、何かこう……いつでもどこでも、うなされてるみてえ
な顔してんの。

俺、心配して聞いてみたんだ。お前大丈夫かよって、医者に診てもらった方
がいいんじゃねえのって。そしたらさー。

「俺はっっ、何も……っ! ……あっち行ってろ……俺に、構うな!」

すんげえ剣幕で怒鳴られちまってさ、ンッハー吃驚したの何のって!

え、いや、ほら、俺って悪気は無いんだけどよく筧に迷惑かけちまうこと多く
てさ、怒られたりど突かれたりすんのしょっちゅうだから、別に今更怖くも何
ともないんだけどさ、俺が吃驚したってのはね、そん時のあいつの顔が……
俺、あいつがあんな、何か怯えてるような面してんの見たの、大奥来てから
初めてだったから。

で、本日今日ただ今、その筧大先生さまさまは、ここ数日間の中でも最っ高
~に、気分最悪ですって感じで、多分象牙? で出来たちっさい塔の置き物
の前で、数珠いじりながら何か小さな声でブツブツ呟いてんの。あいつ、俺や
他の皆に知られたくねーこととか、独り言とかにはいつも、何語か知んねーけ
ど、外国語使いやがんのな。

でも、今日はその様子があんまりにも鬼気迫ってるもんだから、俺としてもさ
すがに茶々入れっ気にはなれねえや。大先生のためならたとえ嵐の中津波
の中の二人ヒロシでさえ、息を殺して遠くから様子を窺ってるだけだ。

何かお祈りでもしてんのかな? 俺的には最近来たあの無精髭の人が、どっ
かですっ転んで瀬那の前で鼻血出しますよーにとかのお願いがいいと思うん
だけどなー。

あ、でもそう言えば今日って、瀬那の一番最初の子の命日じゃん。そーすっ
と、そっちのための追善って可能性も有り? お経って俺、ちんぷんかんぷん
で、外国語みてーに聞こえるからなー……って、お経はもともと外国から来た
んじゃん。

ま、そんなこたどーでもいいや。俺も後で真似だけしとこ。瀬那がいいよって
言ってくれたから、俺も何度か抱っこさせてもらったけど、人懐っこくて超可愛
かった。あの子が今も生きててくれたなら、瀬那があの紫の髭の人にベッタ
リになるどころか、そもそもあの人が大奥に来ること自体無かったのに……
ちぇっ。

それにしても筧の奴、熱心にブツブツ言ってんなー。

「なぁ、ぴっとー、筧どーしたちゃったんだと思う?」
                       ・
                       ・
                       ・
心配と困惑の色を深めるばかりの世話係の、地面から遥か高い目線の高さ
にまで抱き上げられた、白黒まだら斑の猫はそれに同調するかのように、「ナ
ァ~、ナァ~」と鳴いた。

ナァ~……ナァ~……ニャ~ウ…ァ~~ウ……ア~ウ……アウゥ……

耳に響くは猫の鳴き声か、それとも──

「!」

背筋だけはしゃんと伸ばしていた筧の上半身が、グラリと揺れた。

(泣かないでくれ……)

この国では信ずることを許されない教え。崇め奉られる唯一の神の御子を、一
人で産んだと伝え聞く慈母に※己がなぞらえた、白い塔が、その小ささも相俟
って、気を失う直前、筧の脳裏で愛しい誰かの面影と重なった。

(もっと、早く、知っていたなら……)

あの日の恐怖と喪失感が今、再び冷や汗となって彼の背中を伝う。

(俺の中の……)

白い産着に包まれていた、愛しい彼と、自分ではない誰かの子。低めの美声
で小さく歌いながら、その子の頬に優しく指を這わせていた──

(くれないの……)

春雨の故に、温かく湿った空気の中、薔薇の針さえも柔らかく感じられたあの
日の午後。

(違う違う違う、そんなこと……!)

見ては、ならなかった。見たくも、なかった。
気付いては、ならなかった。気付きたくも、なかった。
結局、紅(くれない)は呉(くれ)の藍(あい)と思い知らされたあの日、あの日、
あの日……!
                        ・
                        ・
                        ・
パタパタパタパタパタパタッ

「お、畏れながら申し上げますっ!只今山里の丸より、あの……、その、みみ
み、み、御台さまがお越しになられたそうで、既に先触れが……!」

御座の間へ転がり込むように注進してきた、※明らかに御目見得以下と知れ
る小袖姿の若い侍女に、衆目が一斉に注がれた。

「……んだと?」

蛭魔局の金色の双眸の中、漆黒の瞳孔が三日月のように細くなり、剣呑に光
った。周囲も小さくざわめき出し、御手付きということで比較的前方に座を与え
られていた筧と水町も、一体何事かと顔を見合わせた。

「赤羽さん、が……?」

困惑と居た堪れなさと驚きと、そして……一点の喜びが入り混じった将軍の表
情を目の当たりにして、進典侍はほろ苦く口元を歪めた。

(やはり、か……)

一度砕け散ってしまった玻璃の欠片たちを拾い集め、膠で張り合わせたところ
でそれは決して、壊れる以前の状態と同じであるとは言えない。

「御台さま、おなりで御座います!」

遠くからでもそれと分かる名香、銘も正しく「紅」(くれない)と称する伽羅の匂
いが少しずつ濃くなってくるにつれ、進典侍は静かに身をしさらせた。

将軍御座と我が身のこの尺寸(せきすん)の距離、その何と遠く感じられるこ
とか。

それ即ち、心と心の距離ゆえに……。
                       ・
                       ・
                       ・
「……やや子?」

柳眉が不快げに逆立った。

「怒らない! まずは私の話を最後まで聞く!」

耳にするだにおぞましいとばかり、そっぽを向こうとした主の前にタン!と勢い
よく扇子を立てて、樹理は御台所の意識を強制的に自分の方へ向けさせた。

「フー……まったく、何だと言うんだ……」

他の近侍たちであれば、一睨みで下がらせることが出来るのだが、御台所の
乳母の実の息子、即ち乳兄弟の光太郎同様、物心ついた時には既に自分付
きの女小姓として傍らに侍しており、主たる自分の※降家(こうか)の際も、親
兄弟とは今生の別れになるやも知れぬというのに、江戸での引き続きの奉公
を躊躇うことなく願い出た樹理の忠誠心と芯の強さは、共に過ごしてきた十数
年来の歳月から、己が一番よく知っていた。

何より、樹理がいなければこの山里の丸の一切が機能しなくなってしまう。高
貴の者の常として、一人では身支度も満足に整えられず、また、何かをしてい
る最中に、ふっと別のことに気を取られると、琴爪や読みかけの楽譜をそこら
に放置してそのまま忘れてしまい、後で見つけられず、独り不機嫌にむくれて
いることなどしばしばの御台所としては、彼言うところの“音楽性”に合った生
活の維持には必要不可欠の有能な老女が、斯様なまでに強調するほどの事
柄であれば、さすがに耳を傾けない訳にはゆかなかった。

「こんなこともあろうかと思って、御庭番の縁者で大奥勤めしてる※御次(おつ
ぎ)を一人、前々から買収してあったの。んで、とうとう御内証の進さまの御木
に御結実の兆しが見てとれたって、情報が届いたんだ」
「……フー、それで話は仕舞いかい?」

ならもう失礼するよと、スィ……と飛翔しかけた鳳凰の、華麗な尾羽──なら
ぬ、貴(あて)にして艶なる黒地※紅返し(もみがえし)の後ろ身頃、その腰か
ら下へ、帯の代わりとして煌びやかにたなびく金銀の組紐の束の内、数本を、
樹理はグイと引っ張った。

「な……っ!」

思わずつんのめりそうになるのを辛うじて堪えた御台所は、ムッとした表情で
腹心の老女を睨んだ。

「……危ないじゃないか」
「まだ終わってないっつーの!」
「……?」

さっぱり呑み込めぬ事態というのは、御台所の音楽性をいたく負の方向に刺
激するようで、もともとあまりよろしくなかった御機嫌は、立ち所に急降下して
いった。

「もー、順を追って話そうと思ってたのに……しゃーない、結論から先に言う
わ。もしもね、ことが上手くいけば、進さまのお子さまがアンタと瀬那君をもっ
かい、一緒に仲良く暮らせるようにしてくれるかもしれないのっっっ!」
「!」

これならじっくり腰を据えて自分の話を聞くだろうと、樹理は、片手で組紐を
掴んだまま、腰にもう片方の手を当ててふんぞり返ろうとして──

ドタン!


「きゃっ!」

瞬時に、紅玉の如き凄艶さが薄れた。替わって、驚きに喜びの微粒子が混
ざったのか、※薔薇水晶の柔らかな光を放つようになった彫刻──の、よう
に立ち尽くした御台所。が、ために主思いの老女は、派手に尻餅をつく破目
に陥った。

「こら、急に棒立ちになるんじゃないっ!」
「樹理、今、何と……」
「危ないから突然立ち止まるんじゃないって……「その前! その前に
何と言ったのか聞いているんだ!」


日除け眼鏡をかけていない、横顔の端麗さはいつものことながら、その燃え
立つような真紅の髪との対照が目にも綺(あや)な白皙の頬から、細い頤に
かけての線が、微かに震えていた。

──

「じゅーりー、障子開けてくれ、障子ー!」

緊張感の欠片も無い光太郎の声が、張り詰めていたその場の空気を、カラ
カラと突き崩した。

「うし、届いたわね」

作法に反して、勢いよく立ち上がった樹理が両手でダン!と、障子を開け放
つと、そこには紅白・朱金・金銀といった、色鮮やかな水引で美しく整えられ
ていたり、或いは鶴亀、尾をはね上げた鯛、松竹梅などの縁起物をかたどっ
た※御島台(おしまだい)などなど、贅を凝らした贈り物の山があった。

「っし! 光太郎、目録と※御舟(おふね)の手配は!?」
「おう、ばっちしよ!」
「運ぶ御次や御三の間たちと向こうの※部屋方(へやかた)たちへの祝儀も
準備したわね?」
「※直に金目のモン渡すよか、ず~っと粋なのばっか用意してきたぜ!」

俺らの御扶持米までぶっ込んだんだかんな!と、光太郎もどこか吹っ切れた
ように爽快で、ウキウキと楽しげな様子だった。彼の後ろで忙しそうに、行っ
たり来たりを繰り返しながら立ち働いている、山里の丸のお仕え人たちの表
情も、すべてを諦めたようないつもの乾いた表情と比較すれば、雲泥の差で
あった。久々にやり甲斐のある仕事を得て、彼ら・彼女らは魚が水を得たよう
に、キビキビとした動作であちらこちらと走り回っていた。

「よーしアンタたち、御台様と私と光太郎はちょっと相談しなきゃなんないこと
が有るからちょっと茶室行ってくるけど、その間もしっかりと頼んだわよ!?」

口々に「はい」、「承りまして」、「お任せ下さりませ」と頼もしく返してくる部下
たちをグルリと見渡し、満足気に大きく頷くと、樹理は自ら先触れを買って出、
「お通り遊ばす!」と叫びながら、幼馴染の男二人を茶室に連れて行った。
                       ・
                       ・
                       ・
「あっかばー、テメーの音楽性とやらはいつまで経ってもぜってー理解出来
ねーだろうと思ってたけどよぉ、今日これからオメーが聞くのはめっずらしく、
俺もお前も嬉しく思えることなんだぜ!」

だから心して聞けよーと、勿体ぶってスゥと深呼吸をした光太郎ではあった
が。

「……えっと、みだいさま……御台さまお焼き茄子、だっけか?」
「※“御台様御養ひ”(みだいさまおやしない)じゃ、この馬鹿たれがー!」

樹理が放り投げた柄杓は、光太郎がいつも、暇さえ有れば念入りに整えて
いる頭にカコンと軽い音ながら、その頭皮に容赦無くめり込んだ。

「……成程、つまり進の所に限らず、これから瀬那君の子として生まれてく
るやや子たちを皆、僕と瀬那君の子ということにする訳か」
「そ、表立っては誰も文句言ってこない。ってか、言える訳無いわ。たとえ御
実家が大身旗本でいらっしゃる進さまの御木からお生まれにになったところ
で、庶出ってことには変わり無いもん。けど宮家出の赤羽が嫡親になってあ
げれば、御世子さまなら箔が付くし、姫さまでも未来の将軍姉君ともなれば、
下手な所にはご縁付けられない以上、やっぱそれなりの後見があった方が、
後々いいに決まってるでしょ?」
「……」
「赤羽、色々思うところは有るだろうけどさ、ややさま方に非が有る訳じゃな
いんだし……」
「ああ、それに……瀬那君の、子だ」

久方振りに聞く御台所の穏やかな声音。それに彩られた言の葉を紡ぐ、薄
い唇の両端が、どちらかと言えば上を向いているように見えたのは、樹理と
光太郎の気のせいだったろうか。

「瀬那君の血を引くその子は、瀬那君の、一部……」

愛しい彼の一部が、この自分を親と慕う。さすればその本体とて、当然のこ
とながら──

「瀬那君はきっと、その子のことをとても、可愛がることだろうね……」

まるでその場景を本当に目の前にしているが如く、赤御台は歌うような呟き
を続ける。

「瀬那君が、己が一部を愛しく思うと言うのなら……」

昔はその価値を一顧だにすること無く、機嫌の悪い時などは、わざと片手で
持ち上げたりしたこともある※井戸(いど)の茶碗を、その時の御台所は恍
惚とした表情で、臙脂色の絹の古袱紗(こぶくさ)の上へ、普段なら信じられ
ないような恭しい所作で載せ、押し戴くようにして口をつけた。

コクリ──

白い喉が液体を嚥下する音は、その一瞬の茶室が静謐のみに支配されて
いたため、恐ろしいほどに趣深く響いた。

「どうして彼を愛するこの僕が、その一部を愛しく想わない筈があると言うん
だい?」

髪の一筋も血の一滴も、骨の一欠片まで、あの子のすべては僕と共に在る
べきなのだから。

ピチャリ……

濃茶で過度に濡れた唇。その片端からツゥ……と、雫が顎へと流れる様も、
名残惜しげになかなか茶碗から唇を離そうとしなかったことも、やっと離した
かと思えば、茶碗を次の光太郎に回そうとせず、飲み口さえ拭わぬまま膝
の上に置いてしまった赤御台は、単に作法に外れているだけでなく、そのあ
でやかな存在の何もかもが、恬淡とあるべき侘茶の精神にはまったくそぐわ
なかったが、この時茶室に在ったのは間違い無く、ある種の「美」であった。
                       ・
                       ・
                       ・
「この度は、姫君の御誕生、誠に、おめでとう……」

いつもは物憂げで抑揚が少なく、しかし淀みは無い低い美声が、その日に
限っては何やら、妙に歯切れが悪かった。

「あ……」

有難う御座いますと言いかけたところへ、蛭魔局から厳しく刺すような視線
を向けられて、将軍はコクリと頷くに留めた。これなら将軍の威厳は損なわ
れない。

「上さま、此度は姫君さまの御誕生、祝着至極に存じ奉り、我ら山里の丸付
きの者たちよりも心より御祝い申し上げまする。また本日は御台さまより、上
さま、姫君さま、進典侍お腹さまへのお心尽くしの御七夜祝いの御品々を持
参致しておりますれば、どうかご嘉納下されますよう」

祝いの言葉の後に続く言葉をすっかり忘れてしまった御台所に代わり、老女
の樹理が後を引き取って、弁舌爽やかに述べ立てた。

「これへ!」

パンパン!と、樹理が両手を叩くと御座の間へ、次々と御舟に乗せられた祝
いの品々が運び込まれてきた。

「お局さま、目録を上さまへ……」
「……考えやがったな、祝いのついでに御養いの件ってか」

蛭魔局の錐のように鋭い言葉へ、樹理は笑顔のみを返した。慌てたり、下手
な受け答えをして言質を取られてしまえば、後は局の思う壺だということを彼
女は、これまでの経験から身に沁みて知っていた。

(折角赤羽が自分からやる気になってくれたんだもん、今回は負けませんか
らね!)

素直でない上に人嫌い、風変わりな所ばかりではあったが、それでも樹理は
光太郎同様、赤毛の主を嫌いになることは出来なかった。

大奥 進典侍編その⑤

2008年07月07日 | 大奥(進×瀬那)
「※御七夜の儀、お滞りのお、おするすると済みましやりまして、祝着至極
に存じ奉ります」

大奥一同を代表して、取締・蛭魔局が祝辞を述べると、下座に控える御目
見以上の者たちも一斉に平伏し、「おめでとう存じ上げます」と合唱した。

※おしとね無しとは言え、将軍御座のすぐ左下に座を与えられ、以前は自
身も身を置いていた下段を将軍と共に見下ろし、大奥一同の拝礼を受ける
栄に浴したは、当代将軍家一の姫を生した功により、晴れて「御部屋さま」、
若しくは「お腹さま」と仰がれるようになった進清十郎改め“進典侍”であっ
た。

「うん」

未だ年若き将軍は、掌中の珠を優しくあやしながら微笑んだ。

「良かったね、ちい姫、皆が君におめでとうって……」

若将軍の、それほど秀麗という訳でもない顔を内側から、明月のように明
るく照らし出している幸福感とは対照的に、姫君御誕生後も御部屋さまの
表情に柔和さが加わることは無く、その凛々しく引き締まった顔付きのどこ
にも、喜びの色を見出すことは出来なかった。

この世の春を謳歌されていらっしゃる筈の御方が何ゆえに?と、訝しく思わ
れぬでもなかったが、典侍さまお初の“御結実”でいらした故、“ご収穫”後
の御木の相当の疲弊が、只今の御気色にも影響しているのであろうと、最
古参のお女中たちがさして気にするでもなく言えば、首を捻ってばかりいた
年若き者たちは、成程そういうものかと、先達たちの経験と知識に感心して、
しきりと頷いた。

正式な大奥勤めは、当代の将軍が死するまでの一生奉公である。表の諸
役人と対等の口を利くことが出来、その美貌にも才智にも些かの衰え見え
ずとも、将軍の閨に侍るには少々──或いはかなり──薹が立ってしまっ
た高職者連、また大奥運営の実務に携わる中堅どころのお仕え人たちや、
将軍の御子方の乳母たちなどを除いては、原則としてその構成員は、うら
若き未婚の男女が大多数を占めていた(将軍の御手が付く可能性を考慮し
て)。

片や少数の寡婦乃至は“寡夫”まで含み、こなた恋の「こ」の字も知らぬ内
に、※又者(またもの)として大奥入りした少年少女もいたことを考えれば、
ご収穫後の進典侍の御様子に対する反応が大奥中で、てんでんばらばら
なのは、当然と言えば当然のことなのであった。
                      ・
                      ・
                      ・
白羽二重の産着に包まれた(くるまれた)小さな生き物が、ニッコリと、あど
けなく笑いながら、桜色でぷっくりとした、これまた小さな椛形の手を、自分
に向けて伸ばしてきた時──単なる無意識下の行動、決して自分を親と認
識した上で甘えてきている訳ではないのだと、分かっていた筈なのに──
心が温かくならなかったと言えば、嘘になる。

「進さん、有難う御座います。こんなに可愛い子を僕に与えて下さって……」

何故なら幼子の笑顔は、今も昔と変わらぬこの笑顔に、瓜二つだったから。

「女子では家を継がせられぬ」

にも拘らず、お前は最早、俺の知るお前ではないというこの現実。

「……進さん」

ジッと静かに見つめてくる、濁ってはいないが秋の湖水のように深く、時とし
て底の知れない瞳に視線を合わせ続けているのは、苦しくて──不快な苦
しさではないゆえにこそ、却って辛かった──、進典侍はフイと視線を逸らし、
袴に目を落とした。

(一つ、二つ、三つ、四つ、五つ……)

気を紛らわせようと、※辻模様(つじもよう)を心の中で数えるも、それは遠く
て近い昔、梅見の約束をした際、互いに絡めた、武骨な己の小指と、“彼”の
細い五指の中でも、最も華奢であった小指を思い出させ、気分をより一層重
くさせただけだった。

──

(……女の子で、良かったんですよ。女の子ならいずれ、ここから出て行けま
す、僕と違って……)


「せ、な……?」
「~♪♪~♪……♪~♪♪……」
「……っ、上さまっ!」
「え、あ、……ハイ? 何でしょう、進さん?」
「今しがた、何と仰せられたか?」
「? 僕、何か言いましたか?」

言葉を解さぬ赤子へ、取りとめも無く話しかけたり、子守唄もどきを歌ってやっ
たりしていた内の、一つであったと言うのだろうか、あれは?

(いや、さっきのは確かに“瀬那”だった! 俺の瀬那が俺を見、そして俺に話
しかけてきた……!)

だが改めて凝視してみれば、目の前にいるのはやはり、あの絶望の日より己
の主君となった、蝙蝠の御座の囚われ人。

(……幻、か……げに女々しきは我が心……)

賛辞のつもりか、人は己を雪魄氷姿などと言う。しかし、自分が真に得たいと
願うは、鉄心石腸の強さ。この胸の奥深く眠る、清らかな石の英(はな)の蕾
──脆いようでいて固く、我が心中の氷原に在りて、羽毛の如き想いの断片
たちで身を覆い、再びの春の訪れを待ちながら、昏々と眠り続けるそれを、完
全に枯らしてしまえる冷徹さ。

「……どうやら、空耳に御座いましたようで……御容赦を」
「え、あ、謝る必要なんて無いですよぅ!」

部屋の主の心に吹く風は未だ、香り無き六花の舞う、凛冽な冬のそれであっ
たが、それでも、稚けなき姫君のおわした頃の進典侍御部屋には、華やかな
さんざめきと早春の麗らかな光、咲き初める(そめる)梅の花の仄かな香気が
満ち満ち、また、そこへ足繁く通われてくるお若い父御が姫君を、正に目に入
れても痛くないとばかり、深く、深く慈しまれる様は、親子と言うよりむしろ、年
の離れた兄妹と呼びたくなるような、大層微笑ましい光景であった。
                       ・
                       ・
                       ・
赤ちゃんが、生まれた。
ちっちゃくて、ほわほわしてて、いい匂いがして──絶対に僕の心を潰さない、
僕を拒まないでくれる、可愛い可愛い女の子。進さんは、お家のことを考えて
かな、あんまり嬉しそうじゃない。

進さんの実家は凄く由緒正しい、直参の中でも特に立派なお家ということだか
(実際に行ったことは無いけど、このお城ほどじゃないにしてもおっきくて、広
くて、でもキンキラキンではなさそう? お庭に緑は少なくて、どっちかっていう
と石灯籠とか石塔とか、庭石、玉砂利、それも白いのが多くて……あ、でも凄
く大きな木が一、二本は生えてそう……樹齢何百年!みたいな梅の古木とか。
それで雪が降ったりした時なんかは、とっても風情が有るんじゃないかな……
って、変なの、まるで行ったことが有るみたく、いつも脳裏にくっきり浮かんでく
るんだよね。他の誰かの実家の様子を聞いても、こんなに細かく想像出来たこ
とは無い。単なる想像でしかない筈なのに、どうして進さんのお家だけ……?)

やっぱり、男の子が欲しかったんだろうな。

進さん自身は権力とかに全然興味無さそうだけど、進さんがお世継ぎの親っ
て事になれば、実家の人たちは幕府の中で、今まで以上に強く意見言えるよ
うになるだろうし……名家ってだけじゃなくて皆、僕よりずっと頭良さそうで、お
仕事も出来そうだから、反対する人も少ない筈、きっと。

進さんの親戚の人たちって、表で何度か会ったけど、皆いい人たちばっかなん
だ。政務の時間って、大抵の人たちは頭下げたまんまか、目を伏せたままで、
皆、僕のことなんか仏像みたいに思ってるんだろうな~って、ハッキリ過ぎるく
らいに分かっちゃうんだけど(書類でもうとっくに蛭魔さんに報告してあることを、
繰り返して言うだけだもんね)、進さんのお家の人たちは、礼儀上許される限り、
最大限に顔を上げて僕に視線を合わせてくれて、なるべく簡単な表現で話して
くれる。

でも、こればっかりはどうしようもない。この子が女の子として生まれてきたの
は、この子自身が選んだことではないのだろうし、僕は男の子でも女の子でも、
元気で、将来幸せになってくれればそれでいいと思ってる。

(けど好いてはもらえないまでも、せめて、僕とこの子のこと、嫌わないでほし
いな。次の子が男の子だったら、進さん喜んでくれるのかな……って、そ、そ
れってまた……一緒に、ね……っうわぁぁ!!!)

僕は布団の上を馬鹿みたいに転がった。それにしても、僕が好きなのは赤羽
さんの筈なのに、進さんとの間に子どもが出来る(出来た)っていうことについ
ては、全然違和感を覚えない。これも凄く不思議なんだよね。そうなって当たり
前、みたいな気持ちさえするんだ。

この間、あの子が進さんに向かって手を伸ばした時、ほんの一瞬だったけど、進
さんの雰囲気が凄く優しくなった。そのふわりとして温かで、柔らかい感じに、傍
にいた僕は何でか分からなかったけど、突然、胸が締め付けられるような懐かし
さを覚えて……瞼が、ジワリと熱くなった。

僕には、父上に可愛がってもらったという記憶が無い。頭を撫でてもらったこと
すら無かった。母上は僕を産んだ後、産後の肥立ちが悪く、数年寝たきりの生
活を送った後、ひっそりと世を去った。こちらに至っては、顔すら覚えていない。
僕が何とかお城に居続けられたのは、まもり姉ちゃんのおかげだった。

「瀬那をいじめないで!」
「いい子だから泣かないのよ、瀬那」
「瀬那のことは私が一生守ってあげるからね」


優しくて綺麗で頭も良くて、誰からも好かれたまもり姉ちゃん。兄弟の中でより
にもよって一番鈍臭い僕を、どうしてだか物凄く可愛がってくれた。まもり姉ちゃ
んがいなかったら、気だけでなく体もあんまり丈夫じゃなかった僕は多分、きっ
ともっと早くに、たとえば風邪でもこじらせて、なのに誰にもそのことに気付いて
もらえないとかで、早々に母上の許へと旅立ってた筈だ。

すべすべしてて、いつもいい匂いがしたまもり姉ちゃんの白い掌。その中が、昔
の僕の全世界だった。時折息苦しくなることも無くはなかったけど、僕には結局、
そこを出て行く勇気は無かった。機会が無かった訳じゃないけど……僕は、僕に
外の世界の素晴らしさを教えてくれた子が、外の世界へ一緒に行こうと誘ってく
れた時、最後の最後で怖気付いてしまった僕の頭を拳で軽く叩いて、「その気に
なったら呼べ、飛んできてやるからさ……いつでも」って、苦笑しながら僕の手の
中に滑り込ませてきた小さな銀の鏡──よく見る塗りのじゃなくて、全体が銀で、
裏の唐草模様の中央にちっちゃな翡翠が、星みたくキラキラ光ってるそれ──
時折覗き込みながら、外の世界について“いろんな想像をめぐらせるだけ”で、十
分満足だったんだ。

将軍になる前の僕の、所謂“良い思い出”って言ったら、それくらいしか無い。あ
とは他の兄弟たちにいじめられてたか、使い走りさせられてたか(下働きの人た
ちに同僚だと思われてたって知った時は、さすがに傷付いたな……)、自分の部
屋の押入れに籠もって泣いてた記憶ぐらい?

しかも父上が亡くなられて、何がどうしてそんなことになったのか、この僕が次の
将軍に決まってしまい、周りが皆ガヤガヤしてた……らしい?間も僕は、僕以外
の男兄弟たち全員の突然の死因だった流行り病に、自分もかかってて、意識不
明の日が何ヶ月も続いてたし……(だから一時は直系以外から跡継ぎを決めよう
って話も出て、騒ぎになかなか収拾がつかなくて大変だったって、蛭魔さんが言
ってた)。

でもあの日、進さんに対して感じたあの、奇妙な懐かしさは、割合的には圧倒的
に灰色ばかりだった僕の過去のどこにも、該当する記憶が無かった。だからこそ、
余計に不思議で堪らなかった。
                         ・
                         ・
                         ・
「……でね、ほら見て、凄くよく出来てるだろ?」
「……」
「し~ん~……!」

桜庭の熱弁虚しく、彼のかつての同輩の反応はさっぱりである。

桜庭の手の内にあるのは、透明で、彼の握り拳よりも一回りほど小さな硝子の
塊だった。※水が張られているらしき内部には、彼ら二人の属する本家の冬景
色が、驚くほど精緻な造りで再現されていた。

「お前もつくづく懲りん男だな……」

現在二人が相対している御対面所を含めた、この城の壮麗さとは比べようも無
いが、その家格と扶持に恥じない威容を誇る、しかし驕りは微塵も感じられられ
ない、端正な佇まいの武家屋敷。

シャラン──

桜庭が硝子玉を握る手を軽く振れば、中庭に積もった白銀の雪の粉が舞い上が
り、再び地面にふわふわと落ちてゆく。まさに“猫の額より小さな”庭の、楊枝の
先ほどしか無い上に数少ない木々はその上、枯葉の一枚も残っていない、寒々
とした姿ではあったが、楚々とした花を点々と控えめに咲かせている、他に比べ
ればやや大きめの木が、二本だけあった。

否、正確には一本と言うべきか。色こそ異なれ、枝の一振り※連理となりて、寄
り添うように立っている、白と桜色の※臥竜梅(がりょうばい)。

「な、今度こそは絶対うまくいくって。これ見せたら瀬那君、絶対お前や俺たちの
こと思い出してくれるよ!」
「……思い出したとて今更どうなると言うのだ? 当代公方はすべてを投げ捨て、
男妾の一人と手に手を取って比翼の鳥となり、蓬莱へと飛び立っていった、と?
陳腐な伽噺だな」
「進……」
「……許せ、言葉が過ぎた」
「……いいよ、気にしてないから」

始めの勢いはどこへやら、ついには桜庭も言葉を失って、項垂れた。

(無理も無いよな……)

半身を捥がれただけでも、その恨みは連綿として決して尽きること無いだろうに、
残されたその身半分の、更にまた半分を奪われたも同然なのだ、今のこの男は。

「……※追っかけ追い詰め取らんとすれど、陽炎稲妻水の月かや、姿は見れど
も……手に、取られず……か……言い得て妙だとは思わぬか、桜庭?」
「進……」

謡い、呟く※頻伽の声(びんがのこえ)は、美妙であれば美妙であるほど、聞く
者の心に哀しく響き、その中でも、頻伽自身が耳にした己が声こそ、最も哀しく、
美しく──

シャラン……シャラン……

これは昔の自分
にとっては何よりも美しかった
美し過ぎて、同時にまた何よりも脆くかった
二人の夢
パキィィィン……

力を籠めるまでもなく、ほら、片手で撫でただけで、粉々に砕け散ってしまう。
後に残るのはにまみれた──

                                                                         
                       
                       骸

                       
                       け
                        。

                       ・
                       ・
                       ・
「今……破談、と、言ったのかい、蛭魔……?」
「そうだ」
「……理由を、聞かせてもらえるかな」
「次の将軍は、今一時的にテメーらとこに預けてあるあの糞チビだからだ」

高見が仕えるこの家そのものを体現したような男であり、またその方が呼び
やすいということもあって、一族の皆から、下の実名よりも姓を以って「進」と
呼ばれていた、その前途を大変に嘱望されている若武者の婚儀を目前に控
えていた折も折、その岳父となる予定であった現将軍が、急逝した。

婚儀は当然のことながら延期となり、また御相手の瀬那君(せなぎみ)が一
年の喪に服さねばならなくなってしまったことから、邸内の空気がどんよりと
沈んでいた、ある日のことだった。

「……何故、あの子なんだ?」

全身を貫く落雷のような怒りの衝動を必死に抑えながら、高見は冷静を装っ
て、正面にゆったりと構えている、金毛白面の招かれざる客に問うた。

「さて、な?」
「……まさか、近頃の局地的な流行り病も……」
「ケケケ、何言ってんのかサッパリ分かんねえ」

瀬那君(せなぎみ)より次期将軍職に近い距離に在った公子たちが、このと
ころ立て続けに、同じ病でバタバタと死んでいた。

「そんなことよりも、だ。もう決まったことだからあの糞チビ、今日これから城
に連れ帰るぞ。必要なモンは全部こっちで用意してあるから、身一つでいい。
今まであいつが使ってた着物なんかは全部、そっちで適当に処分しろ」
「進も瀬那君(せなくん)も承知する訳無いだろうっ!?」
「糞チビは承知するだろうぜ。ってか、せざるを得ねぇだろうな。ここに通され
る前にあいつとこに詳細したためた書状を届けた。幸いテメーらの所の糞
化け物筋肉も今日は留守だしな」
「まさかあの登城命令もっ……!」
「高見さん……」
「!?」

人払いをしてあったにも拘らず、ス……と、微かな音を立てて障子が開いた。

「せな、く……」

最近ようやく様になってきた、女物の着物をまとった姿では最早、なかった。

(逆らっちゃ駄目です)
(何も、言わないで下さい)

困ったような笑顔で、少年はフルフルと首を左右に振った。

「今まで、御世話に……なりました……」

一緒に居たかった……ただ、それだけのことだったのに。