「心外だな、阿呆とは……」
不快感に顰めた顔すら麗しい、呉越の古ならぬ、今この時を生きる、傾城
傾国の美貌。
「ホントノコトヲモウシアゲタダケデゴザイマスデスヨー」
「むしろ御気でも触れられたか」
「So crazy……」
「ん~、ちょっと※うとましいかな?」
「ぶっちゃけキモウザイ、ってか「「「「変態」」」」
パン!
その瞬間、扇子が鮮やかに閉じられる。
「瀬那君の爪切りが、大事なことではないとでも言うのかい、君たちは?
冷たく無慈悲な金属の道具が、もしも誤って彼の指の柔肌に食い込み、
紅の雫が滴り落ちるような事態にでもなったら! かと言って、彼の桜貝
のように可愛らしい爪を伸びるままにまかせて剪定せずにいては、あの
五弁一重咲きの可憐な双花に触れられない……こんな板挟みには耐え
られない僕の音楽性は、ゆえにこそ、御所の御風を真似させて頂いたと
いう訳さ……だからね、いいかい? 仮に君たちの言うように僕が変態で
あるとしても、それなら僕は、“変態”と言う名の夫君思いの御台所だ
というだけのことであって、別段痛くも痒くもない」
「「「「「…………」」」」」
弱点は、それを指摘された本人自らがそれを弱点と認めた時から初めて、
本当の意味に於いての弱点となるのであり、逆に言えば、本人がそれを
弱点と思っていない限りは、それを幾ら突ついてみたところで何の意味も
無く、また何も引き出せるものなど無いのだという、赤御台はその、非常
に分かりやすい一例であった。
「だが将軍とは……武門の総帥であって、都の主ではあられませぬ。太
平の有難き御世とは申せ、戦への心構えは常に有って然るべきもの……
多少の怪我や病如きに泣き喚くようでは天下万民に示しがつかぬし、そ
もそも瀬那は……深爪の痛み程度にも耐えられぬような軟弱者に非ず」
剣道場で目にする小さな若武者の、この上無く真摯な双眸と、己が指南
の下に日々積み重ねられる精進の結果、本当に少しずつではあるが、着
実に彼のものとなりつつある成果を思い出し、内容こそ堅いが、この者に
しては珍しいと、誰もが感じる柔らかな口調を以って反論したのは、進典
侍であった。
「あぁ、その通りだぜこの糞筋肉……これでテメーの行状に何一つ疚しい
ことが無けりゃ、その思慮とも相俟って最高だったんだがな……それこそ、
そこの糞赤目と地位を交換させてもいいって思うくれぇに、な」
「然りとは(さりとは)……?」
「糞チビが稽古の後、着替える度に、奴が着てた道着と袴をテメーが“回
収”すんのはまだいいとして、それを“収集”すんのは止めろ」
「……」
「「「「…………」」」」
お稽古の度に新しいものを用意してもらうのって、何だか勿体無いですよ
ねとかあいつがおかしなこと言うもんだから、変に思って調べさせてみりゃ
あ……しかも洗って返すでもなく汗臭ぇまんま、葛籠の中に何着も何着も、
その上わざわざ自分の手ずから畳み入れてるって一体、何考えて……っ
てか、何に使うつもりだよいやぶっちゃけ何に使ってんだよあんま知りたか
ねぇけどと、蛭魔局は、半ば憐れむような眼差しを相手に投げ付けた。
「「さいあ「オメーらも他人(ひと)のこととやかく言えた義理
か」
御局さまにビシャリと遮られ、御手付き二人は一瞬、その大柄な体をビクッ
と竦ませた。
「な、何のことを仰って……」
「ミニオボエモキオクニモゴザイマセーン」
暗色(あんしょく)の頭は左へ、明色(めいしょく)の頭は右へ、綺麗な線対
称のそっぽを向く。
「すっとぼけても無駄だっつーの……上様の御八つの※お余り、それも特
に食い掛けのを狙って毎日毎日、※高坏(たかつき)が膳所に下げられて
くる途端、海の御部屋の御二方が乱入してきちゃ、血眼になって取り合っ
てるってなぁ……昨今じゃ御末お半下どもの溜まりにまで伝わってる笑い
話なんだよっ!」
「「……」」
「「「…………」」」
残酷な神……ならぬ、残酷な沈黙が場を支配する。
「フー……どんなに外見(そとみ)を飾り立ててみたところで、本来の氏素
性の卑しさというものはやはり、隠し切れないようだね」
「何と浅ましい……犬畜生でもあるまいに、これではまるで地獄の餓鬼に
も等しき振舞い……」
紅白二人がこれ見よがしに眉を顰める中で──
「下手な口を挟まねえってのは利口だが、コソコソ逃げ出そうとしてるって
ことはやっぱ、貴殿にも何ぞ、後ろ暗きことお有りとお見受け致しま
するが……如何に(いかに)、紫苑御方?」
「……え~っと……その、ねぇ……?」
部屋の入り口から優美な裳裾が完全に消え掛ける、寸前のことであった。
・
・
・
(どこか……穴を掘るのに適した、人目につかない、良い場所は……無い、
だろう、か……)
謹厳実直な御広敷侍が、叫びたくて叫びたくて楽になりたくて堪らないの
は、君が好きだとか好きでないとか王様の耳はロバの耳だとか上様には
猫耳も犬耳も似合うだとか、そういった(どういった?)内容ではなく。
(いっそ、永の暇を請うて0/2/2/0/2/2へ……)
時空を超越した某人材派遣会社にまで思いを馳せてしまうほどの彼の苦
悩、それは。
・
・
・
「近頃やたらめったら漢籍買い込んでると思ったら、また変なこと始めやが
って……」
「や、ちょっとした好奇心って言うか……そ、そう、爪と同じでさ、“※身体
髪膚之を父母に受く”って言うじゃない?」
「Shut up! 糞チビが孝行すんのに値するような二親じゃなかったから要
らねぇんだよ、そんな配慮は! 誤魔化そうったって無駄だぜ? テメーの
真意なんざとっくにお見通し……ってか、ヒゲのくせに発想が無駄に乙女
で気持ちワリーんだよ!」
「……すっごい差別発言なんじゃないのかねぇ、それって?」
「喧しい! 言い返すくらいなら※林のジジィがこの前糞チビ用に書き下し
た漢文(からぶみ)の間違い、原本無しにその場で速攻指摘したそのおツ
ム、もっと生産的な方向に向けてみろってんだ!」
紫苑御方が、肌身離さず身に着けておられる西陣の香袋、それに施して
ある刺繍が実は、幼主の御髪(おぐし)を定期的に削いで差し上げたもの
を一定量貯めてから、香を溶いた水に長期間漬けた後、やはり一定量を
削ぎ落とし、同様の処理を済ませた自分の髪と共に縒り合わせたものを
糸代わりに、※髪繍(ファーシウ)なる技術──材料の質よりも、縫い手の
腕前よりも何よりも、大切で必要不可欠なものがあるのは、言わずもがな
──を用いて一針一針、丹念に縫い取られていったものであるということ。
「どいつもこいつも……」
認めたくはないが、もしかすると自分には、人を見る目が無いのかも知れ
ない。
「マ(まるで)/ダ(駄目な)/オ(男)ばっかりかよ!!!」
キリキリと痛む白い額に手を当てて、吐き捨てるように叫んだ、その刹那。
(蛭魔さん)
御局様の脳裏に浮かんだのは、心に響いたのは。
(……ったく、明日、だけだ……明日一日だけだかんな、糞チビ……)
明日だけは、政務も学問も鍛錬も稽古事もすべて無しにして、好きに
過ごさせてやろう。甘味も好きなだけ食させてやろう。それに、少しだ
けなら……日頃の労いの意味も込めて、ほんのちょっとだけなら(←二
回言ったよこの人どんなツ○デレ/笑)、頭を撫でてやってもいい。
鬼の目にも涙、はたまた御取締の心にも憐憫の情?
とにもかくにも、今日この日ばかりは己の傀儡(くぐつ)が、どうにも不憫
に感じられてならず、自分でも何故だかよく分からぬままに、ただ何とな
く、優しくしてやりたいと思った、蛭魔局様なのでありました。
・
・
・
クシュン!
「な、何か寒気する……風邪、引いたのかな?」
誰からも愛され、好かれ、恋われ、慕われ、慈しまれて……その人生は、
幸福と栄光だけに満ち満ちていて、然るべき筈なのに。
当代公方・瀬那様の毎日は、何故だか気苦労が絶えず、それ故に※苦
爪楽髪(くづめらくがみ)、苦髪楽爪(くがみらくづめ)──持ち主の性質と
は正反対の、茶目っ気たっぷり自由奔放な跳ね髪と、計十本の柔き(や
わき)両手指先、それに輪をかけて繊細な三日月の爪が、驚異的な速さ
で伸びてゆくという、嗚呼、何たるこの矛盾、そして悲喜劇の悪循環!
果たして彼の、輝ける明日はどちらに……?(笑)
・
・
・
「フー……勿論、僕の所に決まっているじゃないか」
「……此方(こなた)へ」
「ハイハイハイ俺んトコ! 瀬那と明日一緒に遊ぶのは俺、絶対俺!!!」
「少し黙ってろ水町……# あ、あのな、瀬那君、もし嫌じゃなかったら、俺
と明日……」
「あー……そういえばねぇ、瀬那君がずっと見たがってたあの古い絵草紙
だけど、実家(さと)に置きっぱにしてた俺の本、こないだ全部こっちに引き
取ってうちの部屋の書庫にぶっ込んだ時、偶然見つけたもんだから、今度
瀬那君と一緒に見ようと思って日干ししといたんだけど……」
「Fucking! お前ら全員一遍死んできやがれ!!!」
<落ちぬままおしまい/笑>
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
語釈
うとましい……
御所・公家言葉で言うところの「気持ち悪い」、「気味が悪い」。
お余り…
将軍や大名、その家族の食事は、毒見やお代わりの分も含めて、多めに
用意されるのが普通であった上(八食から十食分ぐらい?)、ガツガツとし
た大食いは下品で好ましくないと考えられていた為にいつも、相当の量が
残されていたようである。残った物を下の者達が食べるのは、ごく普通の事
であったらしい(殆ど手付かずで残されていたのであろうから、汚いとか惨め
といった感覚も薄かったのではないかと思われる)。ってか、主の食事=お仕
え人たちの分込みっていうのは、どこでも暗黙の了解だったのではないかと。
誰も口に出してハッキリ言わなかっただけで。
余談ですが、これが中国だと、王朝支配の時代なんかもう、皇宮や王侯貴
族の家に勤めていた使用人及び奴隷達は、普通なら絶対食べられないよう
な御馳走ばかりと知っていたので皆、御主人様達の食卓の残り物は、先を
争って食べてたらしいです。食べる以外にも、外で売ると凄く良い値段で売
れたみたいなんですよ、これが、残飯なのに(主家黙認の場合が多い)。ま
あ、素材からして凄かったのは確かにそうなんですけどね。
更に余談ですけど……今でも多分、こっちの大きな会社や学校、高級飲食店の残飯って、
専門業者が買い取って再加工した後、廻りめぐってまた幾度かの手を加えられた上に、またどっ
かで売られてると思いますよ、多分……。売られないでも、其処でそのまま再利用されてる可能
性も凄く高いですし、日本で先日ぶっ潰れた某高級料亭みたく……。
高坏…食べ物を盛る脚付きの台。現在では神饌を盛るのに使われる。
身体髪膚…
「身体髪膚,受之父母,不敢毀傷,孝之始也」(身体髪膚、これを父母に
受く、敢えて[あえて]毀傷[きしょう]せざるは孝の始めなり)。
『孝経』の有名な一文より。人間の体というのは、そのすべての部分が皆、
両親祖父母引いては御先祖代々から受け継いできたものであり、時と場
合によっては、既にこの世を離れられたその目上の世代の御方々の依代
ともなり得る、とても大切なもの。故に濫りに粗末に扱う事や、不注意によ
る怪我や病で損なうような事は許されず、また、その大切な体を健常に保
つ事こそは、およそ人の為し得る第一の孝行と言えよう……と、いった感
じの意味として昔々、習ったような気がします。確かこの後、更にもう数行
続いていたような……年々物忘れが酷くなってきてるなぁ(苦笑)。
前編の方で、噛み切られた(笑)後の瀬那の爪が丁重に扱われていたの
も、恐らくはその影響。そう言えば、爪や髪の毛って、古今東西を問わず、
spiritualな物事とよく結び付けられてますよね。ちょっと調べてみただけで
も、この『孝経』以前の時代から、多くの国々で凄く大切なものと考えられ
てたみたいですし……(あ、でも臓物も結構重視されてたよな……)。何で
でしょ、ふしぎフシギ不思議ー???
林の~…
え~っと(苦笑)、まず全世界の林さん、お気を悪くされておられましたら本
当に申し訳御座いません。二次創作しかもパラレル作品の蛭魔さんという
事で、どうしてもあのように乱暴な呼び方になってしまいました(別にパラレ
ルじゃなくてもいつもあんな感じか?)。
ご存知無い方の為に説明を付け加えさせて頂きますと、江戸時代、徳川幕
府には、幕府と繋がりの有る学問所一切の統括や、将軍やその後継者へ
の儒学指南を任された、大学頭(だいがくのかみ)という職が御座いました。
これは江戸時代初期、家康から家綱の徳川四代に渡り儒学を教え、またそ
の知識を以って幕政(とりわけ典礼面)に貢献した林羅山(はやしらざん)の
血筋に連なる林氏の人間が代々務めていたものです(ただし「大学頭」とい
う正式の役名並びに役職は羅山の孫・鳳岡[ほうこう]に始まる)。羅山さん
(←知り合いかよ)は四書五経に訓点を施した「道春点」(どうしゅんてん/
「道春」は羅山さんの僧号にして通称)でも有名です。
で、まあ(ハイ?)、このお話に出てくる幕府の中で一番権力持ってんのは
蛭魔局様なんで、その……どんなに偉かろうが頭良かろうが、例え年上で
あったとしても、あの御方にかかりゃー、当代の大学頭さんもJiji-E呼ばわ
りされてしまう訳でありまして……(←それでオブラートに包んだつもりかぁ
ぁぁ)。
まさかこげな所にいらしているとは思いませんが、後裔の皆様、とりあえず
スンマソンどした……m(_ _)m 「糞」を付けなかったのが、香夜さんのせめ
てもの良心です)
髪繍…
こちらで放映されていた、お針子がヒロインのTVドラマを見ていた時に知っ
た技術です。ただし香水に漬け込んだ点と、他人同士の髪を縒り合わせる
というのは、香夜さん的捏造。本物は恐らく、切って後、洗浄して乾かした、
一人の人間の髪だけを使って刺繍してゆくものと思われます。
苦爪楽髪~…
「苦爪楽髪」の方は、苦労している時には爪が速く伸び、幸せな時には髪が
速く伸びるという意味の言い伝え(諺?)。「苦髪楽爪」はその逆で、苦労時
には髪が速く伸び、幸せなら爪が速く伸びるとの事。「じゃあ、両方同じくらい
の蝶・スピードで伸びてる場合は?」という、香夜さんの捻くれた疑問の答え
は、未だ見つかっており申さず……(苦笑)。
不快感に顰めた顔すら麗しい、呉越の古ならぬ、今この時を生きる、傾城
傾国の美貌。
「ホントノコトヲモウシアゲタダケデゴザイマスデスヨー」
「むしろ御気でも触れられたか」
「So crazy……」
「ん~、ちょっと※うとましいかな?」
「ぶっちゃけキモウザイ、ってか「「「「変態」」」」
パン!
その瞬間、扇子が鮮やかに閉じられる。
「瀬那君の爪切りが、大事なことではないとでも言うのかい、君たちは?
冷たく無慈悲な金属の道具が、もしも誤って彼の指の柔肌に食い込み、
紅の雫が滴り落ちるような事態にでもなったら! かと言って、彼の桜貝
のように可愛らしい爪を伸びるままにまかせて剪定せずにいては、あの
五弁一重咲きの可憐な双花に触れられない……こんな板挟みには耐え
られない僕の音楽性は、ゆえにこそ、御所の御風を真似させて頂いたと
いう訳さ……だからね、いいかい? 仮に君たちの言うように僕が変態で
あるとしても、それなら僕は、“変態”と言う名の夫君思いの御台所だ
というだけのことであって、別段痛くも痒くもない」
「「「「「…………」」」」」
弱点は、それを指摘された本人自らがそれを弱点と認めた時から初めて、
本当の意味に於いての弱点となるのであり、逆に言えば、本人がそれを
弱点と思っていない限りは、それを幾ら突ついてみたところで何の意味も
無く、また何も引き出せるものなど無いのだという、赤御台はその、非常
に分かりやすい一例であった。
「だが将軍とは……武門の総帥であって、都の主ではあられませぬ。太
平の有難き御世とは申せ、戦への心構えは常に有って然るべきもの……
多少の怪我や病如きに泣き喚くようでは天下万民に示しがつかぬし、そ
もそも瀬那は……深爪の痛み程度にも耐えられぬような軟弱者に非ず」
剣道場で目にする小さな若武者の、この上無く真摯な双眸と、己が指南
の下に日々積み重ねられる精進の結果、本当に少しずつではあるが、着
実に彼のものとなりつつある成果を思い出し、内容こそ堅いが、この者に
しては珍しいと、誰もが感じる柔らかな口調を以って反論したのは、進典
侍であった。
「あぁ、その通りだぜこの糞筋肉……これでテメーの行状に何一つ疚しい
ことが無けりゃ、その思慮とも相俟って最高だったんだがな……それこそ、
そこの糞赤目と地位を交換させてもいいって思うくれぇに、な」
「然りとは(さりとは)……?」
「糞チビが稽古の後、着替える度に、奴が着てた道着と袴をテメーが“回
収”すんのはまだいいとして、それを“収集”すんのは止めろ」
「……」
「「「「…………」」」」
お稽古の度に新しいものを用意してもらうのって、何だか勿体無いですよ
ねとかあいつがおかしなこと言うもんだから、変に思って調べさせてみりゃ
あ……しかも洗って返すでもなく汗臭ぇまんま、葛籠の中に何着も何着も、
その上わざわざ自分の手ずから畳み入れてるって一体、何考えて……っ
てか、何に使うつもりだよいやぶっちゃけ何に使ってんだよあんま知りたか
ねぇけどと、蛭魔局は、半ば憐れむような眼差しを相手に投げ付けた。
「「さいあ「オメーらも他人(ひと)のこととやかく言えた義理
か」
御局さまにビシャリと遮られ、御手付き二人は一瞬、その大柄な体をビクッ
と竦ませた。
「な、何のことを仰って……」
「ミニオボエモキオクニモゴザイマセーン」
暗色(あんしょく)の頭は左へ、明色(めいしょく)の頭は右へ、綺麗な線対
称のそっぽを向く。
「すっとぼけても無駄だっつーの……上様の御八つの※お余り、それも特
に食い掛けのを狙って毎日毎日、※高坏(たかつき)が膳所に下げられて
くる途端、海の御部屋の御二方が乱入してきちゃ、血眼になって取り合っ
てるってなぁ……昨今じゃ御末お半下どもの溜まりにまで伝わってる笑い
話なんだよっ!」
「「……」」
「「「…………」」」
残酷な神……ならぬ、残酷な沈黙が場を支配する。
「フー……どんなに外見(そとみ)を飾り立ててみたところで、本来の氏素
性の卑しさというものはやはり、隠し切れないようだね」
「何と浅ましい……犬畜生でもあるまいに、これではまるで地獄の餓鬼に
も等しき振舞い……」
紅白二人がこれ見よがしに眉を顰める中で──
「下手な口を挟まねえってのは利口だが、コソコソ逃げ出そうとしてるって
ことはやっぱ、貴殿にも何ぞ、後ろ暗きことお有りとお見受け致しま
するが……如何に(いかに)、紫苑御方?」
「……え~っと……その、ねぇ……?」
部屋の入り口から優美な裳裾が完全に消え掛ける、寸前のことであった。
・
・
・
(どこか……穴を掘るのに適した、人目につかない、良い場所は……無い、
だろう、か……)
謹厳実直な御広敷侍が、叫びたくて叫びたくて楽になりたくて堪らないの
は、君が好きだとか好きでないとか王様の耳はロバの耳だとか上様には
猫耳も犬耳も似合うだとか、そういった(どういった?)内容ではなく。
(いっそ、永の暇を請うて0/2/2/0/2/2へ……)
時空を超越した某人材派遣会社にまで思いを馳せてしまうほどの彼の苦
悩、それは。
・
・
・
「近頃やたらめったら漢籍買い込んでると思ったら、また変なこと始めやが
って……」
「や、ちょっとした好奇心って言うか……そ、そう、爪と同じでさ、“※身体
髪膚之を父母に受く”って言うじゃない?」
「Shut up! 糞チビが孝行すんのに値するような二親じゃなかったから要
らねぇんだよ、そんな配慮は! 誤魔化そうったって無駄だぜ? テメーの
真意なんざとっくにお見通し……ってか、ヒゲのくせに発想が無駄に乙女
で気持ちワリーんだよ!」
「……すっごい差別発言なんじゃないのかねぇ、それって?」
「喧しい! 言い返すくらいなら※林のジジィがこの前糞チビ用に書き下し
た漢文(からぶみ)の間違い、原本無しにその場で速攻指摘したそのおツ
ム、もっと生産的な方向に向けてみろってんだ!」
紫苑御方が、肌身離さず身に着けておられる西陣の香袋、それに施して
ある刺繍が実は、幼主の御髪(おぐし)を定期的に削いで差し上げたもの
を一定量貯めてから、香を溶いた水に長期間漬けた後、やはり一定量を
削ぎ落とし、同様の処理を済ませた自分の髪と共に縒り合わせたものを
糸代わりに、※髪繍(ファーシウ)なる技術──材料の質よりも、縫い手の
腕前よりも何よりも、大切で必要不可欠なものがあるのは、言わずもがな
──を用いて一針一針、丹念に縫い取られていったものであるということ。
「どいつもこいつも……」
認めたくはないが、もしかすると自分には、人を見る目が無いのかも知れ
ない。
「マ(まるで)/ダ(駄目な)/オ(男)ばっかりかよ!!!」
キリキリと痛む白い額に手を当てて、吐き捨てるように叫んだ、その刹那。
(蛭魔さん)
御局様の脳裏に浮かんだのは、心に響いたのは。
(……ったく、明日、だけだ……明日一日だけだかんな、糞チビ……)
明日だけは、政務も学問も鍛錬も稽古事もすべて無しにして、好きに
過ごさせてやろう。甘味も好きなだけ食させてやろう。それに、少しだ
けなら……日頃の労いの意味も込めて、ほんのちょっとだけなら(←二
回言ったよこの人どんなツ○デレ/笑)、頭を撫でてやってもいい。
鬼の目にも涙、はたまた御取締の心にも憐憫の情?
とにもかくにも、今日この日ばかりは己の傀儡(くぐつ)が、どうにも不憫
に感じられてならず、自分でも何故だかよく分からぬままに、ただ何とな
く、優しくしてやりたいと思った、蛭魔局様なのでありました。
・
・
・
クシュン!
「な、何か寒気する……風邪、引いたのかな?」
誰からも愛され、好かれ、恋われ、慕われ、慈しまれて……その人生は、
幸福と栄光だけに満ち満ちていて、然るべき筈なのに。
当代公方・瀬那様の毎日は、何故だか気苦労が絶えず、それ故に※苦
爪楽髪(くづめらくがみ)、苦髪楽爪(くがみらくづめ)──持ち主の性質と
は正反対の、茶目っ気たっぷり自由奔放な跳ね髪と、計十本の柔き(や
わき)両手指先、それに輪をかけて繊細な三日月の爪が、驚異的な速さ
で伸びてゆくという、嗚呼、何たるこの矛盾、そして悲喜劇の悪循環!
果たして彼の、輝ける明日はどちらに……?(笑)
・
・
・
「フー……勿論、僕の所に決まっているじゃないか」
「……此方(こなた)へ」
「ハイハイハイ俺んトコ! 瀬那と明日一緒に遊ぶのは俺、絶対俺!!!」
「少し黙ってろ水町……# あ、あのな、瀬那君、もし嫌じゃなかったら、俺
と明日……」
「あー……そういえばねぇ、瀬那君がずっと見たがってたあの古い絵草紙
だけど、実家(さと)に置きっぱにしてた俺の本、こないだ全部こっちに引き
取ってうちの部屋の書庫にぶっ込んだ時、偶然見つけたもんだから、今度
瀬那君と一緒に見ようと思って日干ししといたんだけど……」
「Fucking! お前ら全員一遍死んできやがれ!!!」
<落ちぬままおしまい/笑>
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
語釈
うとましい……
御所・公家言葉で言うところの「気持ち悪い」、「気味が悪い」。
お余り…
将軍や大名、その家族の食事は、毒見やお代わりの分も含めて、多めに
用意されるのが普通であった上(八食から十食分ぐらい?)、ガツガツとし
た大食いは下品で好ましくないと考えられていた為にいつも、相当の量が
残されていたようである。残った物を下の者達が食べるのは、ごく普通の事
であったらしい(殆ど手付かずで残されていたのであろうから、汚いとか惨め
といった感覚も薄かったのではないかと思われる)。ってか、主の食事=お仕
え人たちの分込みっていうのは、どこでも暗黙の了解だったのではないかと。
誰も口に出してハッキリ言わなかっただけで。
余談ですが、これが中国だと、王朝支配の時代なんかもう、皇宮や王侯貴
族の家に勤めていた使用人及び奴隷達は、普通なら絶対食べられないよう
な御馳走ばかりと知っていたので皆、御主人様達の食卓の残り物は、先を
争って食べてたらしいです。食べる以外にも、外で売ると凄く良い値段で売
れたみたいなんですよ、これが、残飯なのに(主家黙認の場合が多い)。ま
あ、素材からして凄かったのは確かにそうなんですけどね。
更に余談ですけど……今でも多分、こっちの大きな会社や学校、高級飲食店の残飯って、
専門業者が買い取って再加工した後、廻りめぐってまた幾度かの手を加えられた上に、またどっ
かで売られてると思いますよ、多分……。売られないでも、其処でそのまま再利用されてる可能
性も凄く高いですし、日本で先日ぶっ潰れた某高級料亭みたく……。
高坏…食べ物を盛る脚付きの台。現在では神饌を盛るのに使われる。
身体髪膚…
「身体髪膚,受之父母,不敢毀傷,孝之始也」(身体髪膚、これを父母に
受く、敢えて[あえて]毀傷[きしょう]せざるは孝の始めなり)。
『孝経』の有名な一文より。人間の体というのは、そのすべての部分が皆、
両親祖父母引いては御先祖代々から受け継いできたものであり、時と場
合によっては、既にこの世を離れられたその目上の世代の御方々の依代
ともなり得る、とても大切なもの。故に濫りに粗末に扱う事や、不注意によ
る怪我や病で損なうような事は許されず、また、その大切な体を健常に保
つ事こそは、およそ人の為し得る第一の孝行と言えよう……と、いった感
じの意味として昔々、習ったような気がします。確かこの後、更にもう数行
続いていたような……年々物忘れが酷くなってきてるなぁ(苦笑)。
前編の方で、噛み切られた(笑)後の瀬那の爪が丁重に扱われていたの
も、恐らくはその影響。そう言えば、爪や髪の毛って、古今東西を問わず、
spiritualな物事とよく結び付けられてますよね。ちょっと調べてみただけで
も、この『孝経』以前の時代から、多くの国々で凄く大切なものと考えられ
てたみたいですし……(あ、でも臓物も結構重視されてたよな……)。何で
でしょ、ふしぎフシギ不思議ー???
林の~…
え~っと(苦笑)、まず全世界の林さん、お気を悪くされておられましたら本
当に申し訳御座いません。二次創作しかもパラレル作品の蛭魔さんという
事で、どうしてもあのように乱暴な呼び方になってしまいました(別にパラレ
ルじゃなくてもいつもあんな感じか?)。
ご存知無い方の為に説明を付け加えさせて頂きますと、江戸時代、徳川幕
府には、幕府と繋がりの有る学問所一切の統括や、将軍やその後継者へ
の儒学指南を任された、大学頭(だいがくのかみ)という職が御座いました。
これは江戸時代初期、家康から家綱の徳川四代に渡り儒学を教え、またそ
の知識を以って幕政(とりわけ典礼面)に貢献した林羅山(はやしらざん)の
血筋に連なる林氏の人間が代々務めていたものです(ただし「大学頭」とい
う正式の役名並びに役職は羅山の孫・鳳岡[ほうこう]に始まる)。羅山さん
(←知り合いかよ)は四書五経に訓点を施した「道春点」(どうしゅんてん/
「道春」は羅山さんの僧号にして通称)でも有名です。
で、まあ(ハイ?)、このお話に出てくる幕府の中で一番権力持ってんのは
蛭魔局様なんで、その……どんなに偉かろうが頭良かろうが、例え年上で
あったとしても、あの御方にかかりゃー、当代の大学頭さんもJiji-E呼ばわ
りされてしまう訳でありまして……(←それでオブラートに包んだつもりかぁ
ぁぁ)。
まさかこげな所にいらしているとは思いませんが、後裔の皆様、とりあえず
スンマソンどした……m(_ _)m 「糞」を付けなかったのが、香夜さんのせめ
てもの良心です)
髪繍…
こちらで放映されていた、お針子がヒロインのTVドラマを見ていた時に知っ
た技術です。ただし香水に漬け込んだ点と、他人同士の髪を縒り合わせる
というのは、香夜さん的捏造。本物は恐らく、切って後、洗浄して乾かした、
一人の人間の髪だけを使って刺繍してゆくものと思われます。
苦爪楽髪~…
「苦爪楽髪」の方は、苦労している時には爪が速く伸び、幸せな時には髪が
速く伸びるという意味の言い伝え(諺?)。「苦髪楽爪」はその逆で、苦労時
には髪が速く伸び、幸せなら爪が速く伸びるとの事。「じゃあ、両方同じくらい
の蝶・スピードで伸びてる場合は?」という、香夜さんの捻くれた疑問の答え
は、未だ見つかっており申さず……(苦笑)。