冷艶素香

現ES21がいろんな人達から愛されていたり、割れ顎の堅物侍を巡って、藤と金の人外魔境神未満ズが火花を散らしたりしてます。

朱に交われば赤くなる(下)

2008年12月02日 | もう一つの大奥(瀬那総受/読切り)
「心外だな、阿呆とは……」

不快感に顰めた顔すら麗しい、呉越の古ならぬ、今この時を生きる、傾城
傾国の美貌。

「ホントノコトヲモウシアゲタダケデゴザイマスデスヨー」
「むしろ御気でも触れられたか」
「So crazy……」
「ん~、ちょっと※うとましいかな?」
「ぶっちゃけキモウザイ、ってか「「「「変態」」」」

パン!

その瞬間、扇子が鮮やかに閉じられる。

「瀬那君の爪切りが、大事なことではないとでも言うのかい、君たちは?
冷たく無慈悲な金属の道具が、もしも誤って彼の指の柔肌に食い込み、
紅の雫が滴り落ちるような事態にでもなったら! かと言って、彼の桜貝
のように可愛らしい爪を伸びるままにまかせて剪定せずにいては、あの
五弁一重咲きの可憐な双花に触れられない……こんな板挟みには耐え
られない僕の音楽性は、ゆえにこそ、御所の御風を真似させて頂いたと
いう訳さ……だからね、いいかい? 仮に君たちの言うように僕が変態で
あるとしても、それなら僕は、“変態”と言う名の夫君思いの御台所だ
というだけのことであって、別段痛くも痒くもない」
…………

弱点は、それを指摘された本人自らがそれを弱点と認めた時から初めて、
本当の意味に於いての弱点となるのであり、逆に言えば、本人がそれを
弱点と思っていない限りは、それを幾ら突ついてみたところで何の意味も
無く、また何も引き出せるものなど無いのだという、赤御台はその、非常
に分かりやすい一例であった。

「だが将軍とは……武門の総帥であって、都の主ではあられませぬ。太
平の有難き御世とは申せ、戦への心構えは常に有って然るべきもの……
多少の怪我や病如きに泣き喚くようでは天下万民に示しがつかぬし、そ
もそも瀬那は……深爪の痛み程度にも耐えられぬような軟弱者に非ず」

剣道場で目にする小さな若武者の、この上無く真摯な双眸と、己が指南
の下に日々積み重ねられる精進の結果、本当に少しずつではあるが、着
実に彼のものとなりつつある成果を思い出し、内容こそ堅いが、この者に
しては珍しいと、誰もが感じる柔らかな口調を以って反論したのは、進典
侍であった。
 
「あぁ、その通りだぜこの糞筋肉……これでテメーの行状に何一つ疚しい
ことが無けりゃ、その思慮とも相俟って最高だったんだがな……それこそ、
そこの糞赤目と地位を交換させてもいいって思うくれぇに、な」
「然りとは(さりとは)……?」
「糞チビが稽古の後、着替える度に、奴が着てた道着と袴をテメーが“回
収”
すんのはまだいいとして、それを“収集”すんのは止めろ」
「……」
「「「「…………」」」」

お稽古の度に新しいものを用意してもらうのって、何だか勿体無いですよ
ねとかあいつがおかしなこと言うもんだから、変に思って調べさせてみりゃ
あ……しかも洗って返すでもなく汗臭ぇまんま、葛籠の中に何着も何着も、
その上わざわざ自分の手ずから畳み入れてるって一体、何考えて……っ
てか、何に使うつもりだよいやぶっちゃけ何に使ってんだよあんま知りたか
ねぇけどと、蛭魔局は、半ば憐れむような眼差しを相手に投げ付けた。

さいあ「オメーらも他人(ひと)のこととやかく言えた義理
か」


御局さまにビシャリと遮られ、御手付き二人は一瞬、その大柄な体をビクッ
と竦ませた。

「な、何のことを仰って……」
「ミニオボエモキオクニモゴザイマセーン」

暗色(あんしょく)の頭は左へ、明色(めいしょく)の頭は右へ、綺麗な線対
称のそっぽを向く。

「すっとぼけても無駄だっつーの……上様の御八つの※お余り、それも特
に食い掛けのを狙って毎日毎日、※高坏(たかつき)が膳所に下げられて
くる途端、海の御部屋の御二方が乱入してきちゃ、血眼になって取り合っ
てるってなぁ……昨今じゃ御末お半下どもの溜まりにまで伝わってる笑い
話なんだよっ!」
……
…………

残酷な神……ならぬ、残酷な沈黙が場を支配する。

「フー……どんなに外見(そとみ)を飾り立ててみたところで、本来の氏素
性の卑しさというものはやはり、隠し切れないようだね」
「何と浅ましい……犬畜生でもあるまいに、これではまるで地獄の餓鬼に
も等しき振舞い……」

紅白二人がこれ見よがしに眉を顰める中で──

「下手な口を挟まねえってのは利口だが、コソコソ逃げ出そうとしてるって
ことはやっぱ、貴殿にも何ぞ、後ろ暗きことお有りとお見受け致しま
するが……如何に(いかに)、紫苑御方?

「……え~っと……その、ねぇ……?」

部屋の入り口から優美な裳裾が完全に消え掛ける、寸前のことであった。
                      ・
                      ・
                      ・
(どこか……穴を掘るのに適した、人目につかない、良い場所は……無い、
だろう、か……)

謹厳実直な御広敷侍が、叫びたくて叫びたくて楽になりたくて堪らないの
は、君が好きだとか好きでないとか王様の耳はロバの耳だとか上様には
猫耳も犬耳も似合うだとか、そういった(どういった?)内容ではなく。

(いっそ、永の暇を請うて0/2/2/0/2/2へ……)

時空を超越した某人材派遣会社にまで思いを馳せてしまうほどの彼の苦
悩、それは。
                      ・
                      ・
                      ・
「近頃やたらめったら漢籍買い込んでると思ったら、また変なこと始めやが
って……」
「や、ちょっとした好奇心って言うか……そ、そう、爪と同じでさ、“※身体
髪膚之を父母に受く”
って言うじゃない?」
「Shut up! 糞チビが孝行すんのに値するような二親じゃなかったから要
らねぇんだよ、そんな配慮は! 誤魔化そうったって無駄だぜ? テメーの
真意なんざとっくにお見通し……ってかヒゲのくせに発想が無駄に乙女
で気持ちワリーんだよ!」
「……すっごい差別発言なんじゃないのかねぇ、それって?」
「喧しい! 言い返すくらいなら※林のジジィがこの前糞チビ用に書き下し
た漢文(からぶみ)の間違い、原本無しにその場で速攻指摘したそのおツ
ム、もっと生産的な方向に向けてみろってんだ!」

紫苑御方が、肌身離さず身に着けておられる西陣の香袋、それに施して
ある刺繍が実は、幼主の御髪(おぐし)を定期的に削いで差し上げたもの
を一定量貯めてから、香を溶いた水に長期間漬けた後、やはり一定量を
削ぎ落とし、同様の処理を済ませた自分の髪と共に縒り合わせたものを
糸代わりに、※髪繍(ファーシウ)なる技術──材料の質よりも、縫い手の
腕前よりも何よりも、大切で必要不可欠なものがあるのは、言わずもがな
──を用いて一針一針、丹念に縫い取られていったものであるということ。

「どいつもこいつも……」

認めたくはないが、もしかすると自分には、人を見る目が無いのかも知れ
ない。

「マ(まるで)/ダ(駄目な)/オ(男)ばっかりかよ!!!」

キリキリと痛む白い額に手を当てて、吐き捨てるように叫んだ、その刹那。

(蛭魔さん)

御局様の脳裏に浮かんだのは、心に響いたのは。

(……ったく、明日、だけだ……明日一日だけだかんな、糞チビ……)

明日だけは、政務も学問も鍛錬も稽古事もすべて無しにして、好きに
過ごさせてやろう。甘味も好きなだけ食させてやろう。それに、少しだ
けなら……日頃の労いの意味も込めて、ほんのちょっとだけなら(←二
回言ったよこの人どんなツ○デレ/笑)
、頭を撫でてやってもいい。

鬼の目にも涙、はたまた御取締の心にも憐憫の情?

とにもかくにも、今日この日ばかりは己の傀儡(くぐつ)が、どうにも不憫
に感じられてならず、自分でも何故だかよく分からぬままに、ただ何とな
く、優しくしてやりたいと思った、蛭魔局様なのでありました。
                      ・
                      ・
                      ・
クシュン!

「な、何か寒気する……風邪、引いたのかな?」

誰からも愛され、好かれ、恋われ、慕われ、慈しまれて……その人生は、
幸福と栄光だけに満ち満ちていて、然るべき筈なのに。

当代公方・瀬那様の毎日は、何故だか気苦労が絶えず、それ故に※苦
爪楽髪(くづめらくがみ)、苦髪楽爪(くがみらくづめ)──持ち主の性質と
は正反対の、茶目っ気たっぷり自由奔放な跳ね髪と、計十本の柔き(や
わき)両手指先、それに輪をかけて繊細な三日月の爪が、驚異的な速さ
で伸びてゆくという、嗚呼、何たるこの矛盾、そして悲喜劇の悪循環!

果たして彼の、輝ける明日はどちらに……?(笑)
                      ・
                      ・
                      ・
「フー……勿論、僕の所に決まっているじゃないか」
「……此方(こなた)へ」
「ハイハイハイ俺んトコ! 瀬那と明日一緒に遊ぶのは俺、絶対俺!!!」
「少し黙ってろ水町……# あ、あのな、瀬那君、もし嫌じゃなかったら、俺
と明日……」

「あー……そういえばねぇ、瀬那君がずっと見たがってたあの古い絵草紙
だけど、実家(さと)に置きっぱにしてた俺の本、こないだ全部こっちに引き
取ってうちの部屋の書庫にぶっ込んだ時、偶然見つけたもんだから、今度
瀬那君と一緒に見ようと思って日干ししといたんだけど……」

「Fucking! お前ら全員一遍死んできやがれ!!!」


                         <落ちぬままおしまい/笑>

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

語釈

うとましい……
御所・公家言葉で言うところの「気持ち悪い」、「気味が悪い」。

お余り…
将軍や大名、その家族の食事は、毒見やお代わりの分も含めて、多めに
用意されるのが普通であった上(八食から十食分ぐらい?)、ガツガツとし
た大食いは下品で好ましくないと考えられていた為にいつも、相当の量が
残されていたようである。残った物を下の者達が食べるのは、ごく普通の事
であったらしい(殆ど手付かずで残されていたのであろうから、汚いとか惨め
といった感覚も薄かったのではないかと思われる)。ってか、主の食事=お仕
え人たちの分込みっていうのは、どこでも暗黙の了解だったのではないかと。
誰も口に出してハッキリ言わなかっただけで。
余談ですが、これが中国だと、王朝支配の時代なんかもう、皇宮や王侯貴
族の家に勤めていた使用人及び奴隷達は、普通なら絶対食べられないよう
な御馳走ばかりと知っていたので皆、御主人様達の食卓の残り物は、先を
争って食べてたらしいです。食べる以外にも、外で売ると凄く良い値段で売
れたみたいなんですよ、これが、残飯なのに(主家黙認の場合が多い)。ま
あ、素材からして凄かったのは確かにそうなんですけどね。
更に余談ですけど……今でも多分、こっちの大きな会社や学校、高級飲食店の残飯って、
専門業者が買い取って再加工した後、廻りめぐってまた幾度かの手を加えられた上に、またどっ
かで売られてると思いますよ、多分……。売られないでも、其処でそのまま再利用されてる可能
性も凄く高いですし、日本で先日ぶっ潰れた某高級料亭みたく……


高坏…食べ物を盛る脚付きの台。現在では神饌を盛るのに使われる。

身体髪膚…
「身体髪膚,受之父母,不敢毀傷,孝之始也」(身体髪膚、これを父母に
受く、敢えて[あえて]毀傷[きしょう]せざるは孝の始めなり)。
『孝経』の有名な一文より。人間の体というのは、そのすべての部分が皆、
両親祖父母引いては御先祖代々から受け継いできたものであり、時と場
合によっては、既にこの世を離れられたその目上の世代の御方々の依代
ともなり得る、とても大切なもの。故に濫りに粗末に扱う事や、不注意によ
る怪我や病で損なうような事は許されず、また、その大切な体を健常に保
つ事こそは、およそ人の為し得る第一の孝行と言えよう……と、いった感
じの意味として昔々、習ったような気がします。確かこの後、更にもう数行
続いていたような……年々物忘れが酷くなってきてるなぁ(苦笑)。
前編の方で、噛み切られた(笑)後の瀬那の爪が丁重に扱われていたの
も、恐らくはその影響。そう言えば、爪や髪の毛って、古今東西を問わず、
spiritualな物事とよく結び付けられてますよね。ちょっと調べてみただけで
も、この『孝経』以前の時代から、多くの国々で凄く大切なものと考えられ
てたみたいですし……(あ、でも臓物も結構重視されてたよな……)。何で
でしょ、ふしぎフシギ不思議ー???

林の~…
え~っと(苦笑)、まず全世界の林さん、お気を悪くされておられましたら本
当に申し訳御座いません。二次創作しかもパラレル作品の蛭魔さんという
事で、どうしてもあのように乱暴な呼び方になってしまいました(別にパラレ
ルじゃなくてもいつもあんな感じか?)。
ご存知無い方の為に説明を付け加えさせて頂きますと、江戸時代、徳川幕
府には、幕府と繋がりの有る学問所一切の統括や、将軍やその後継者へ
の儒学指南を任された、大学頭(だいがくのかみ)という職が御座いました。
これは江戸時代初期、家康から家綱の徳川四代に渡り儒学を教え、またそ
の知識を以って幕政(とりわけ典礼面)に貢献した林羅山(はやしらざん)の
血筋に連なる林氏の人間が代々務めていたものです(ただし「大学頭」とい
う正式の役名並びに役職は羅山の孫・鳳岡[ほうこう]に始まる)。羅山さん
(←知り合いかよ)は四書五経に訓点を施した「道春点」(どうしゅんてん/
「道春」は羅山さんの僧号にして通称)でも有名です。
で、まあ(ハイ?)、このお話に出てくる幕府の中で一番権力持ってんのは
蛭魔局様なんで、その……どんなに偉かろうが頭良かろうが、例え年上で
あったとしても、あの御方にかかりゃー、当代の大学頭さんもJiji-E呼ばわ
りされてしまう訳でありまして……(←それでオブラートに包んだつもりかぁ
ぁぁ)。
まさかこげな所にいらしているとは思いませんが、後裔の皆様、とりあえず
スンマソンどした……m(_ _)m 「糞」を付けなかったのが、香夜さんのせめ
てもの良心です)

髪繍…
こちらで放映されていた、お針子がヒロインのTVドラマを見ていた時に知っ
た技術です。ただし香水に漬け込んだ点と、他人同士の髪を縒り合わせる
というのは、香夜さん的捏造。本物は恐らく、切って後、洗浄して乾かした、
一人の人間の髪だけを使って刺繍してゆくものと思われます。

苦爪楽髪~…
「苦爪楽髪」の方は、苦労している時には爪が速く伸び、幸せな時には髪が
速く伸びるという意味の言い伝え(諺?)。「苦髪楽爪」はその逆で、苦労時
には髪が速く伸び、幸せなら爪が速く伸びるとの事。「じゃあ、両方同じくらい
の蝶・スピードで伸びてる場合は?」という、香夜さんの捻くれた疑問の答え
は、未だ見つかっており申さず……(苦笑)。

朱に交われば赤くなる(上)

2008年12月02日 | もう一つの大奥(瀬那総受/読切り)
彼の長く、しなやかな指は氷のように冷たいけれど。

チュ……クチュ……

「……っ///」

薄く、しっとりとした唇の感触は、この上も無く優しく、柔らかく、けれど
微かにざらついた舌だけは、ほんの少し、意地悪で。

カリ……

そのものを剥ぎ取られるとでも言うのなら話は別だが、先端だけならば、
何も感じない筈。

それなのに、それなのに。

「やめ……やめて、くだ、さい……っ……」
「?」

グイと、受動的要素で構成されている部分の方が遥かに多い、常日頃
の様子からは考えられないほど乱暴な勢いで、若将軍は、己が両手を
包んでいた白い掌を振り払った。

「おおおおおお付きの人たちも居る前で、こんな、は、は、恥ずかしいこ
と……」

その柳眉を微かに上下させた以外は、特にうろたえる風でもなく、お美
しい御台所は、ただただ訳が分からぬといったように首を傾げられると、
とにかくまずは事の仔細を問うて、次第によっては背の君のお許しを請
わねばと、静かに体の向きを斜め横へとずらし、※紅型(びんがた)の多
種多様にして色鮮やかな染模様に彩られた胸元より取り出した畳紙へ
と※丹花の唇(たんかのくちびる)を押し当て、口中に含んでいたものを
くるみ取る。

そしてそれを二つ折りにした手を、能の所作のようにスィ……と伸ばせば、
下段左側の最前に控えていた樹理が膝行して御前へと罷り出で(まかり
いで)、袂から取り出した白羽二重の小袋の口を緩めて畳紙の中味を押
し戴くと、後ずさりでもと居た場所へと一端戻り、腰を下ろしたかと思うと、
すぐにまた立ち上がり、しかし此度は両膝を屈めた中腰の姿勢にて、“そ
れ”
を御火中に投ずるという自らの勤めを果たすべく──既に不要のもの
とは言え、かつて上様の御体の一部を成していたものを塵芥の如く粗末
に扱うなど許されず、ましてや濫りに(みだりに)下の者に始末させるなど
以ての外──、音も無く下がって行った。

「フー……何をそんなに慌てふためいているんだい?」
「だだだだって……!」

見苦しくないようにと、眼前の麗人がどれほど自分に気を使ってくれてい
たのだとしても、ハッキリと見えなかったからこそ、想像力は余計に逞しゅ
うなるというもの。

この人の皓歯で噛み切られた時の濡れた感触、赤い舌先に絡め取られ
た状態から畳紙へとそれが移される時、雨雫を貫いた蜘蛛の糸のように
伸びたのであろう、銀糸の様──頭から振り払おうとすればする程、悩
ましげな想像は朧げなものからどんどん、鮮明なものへと、秒単位で変
化してゆくのだった。

「当たり前のことをしただけだろう? この場に於いて最もあの任に相応
しかったのは、どう考えても僕だけだったのだから」
「そ、それなら普通にやってくれれば良かったじゃないですか……!」
「……普通? 普通、だっただろう?」
「普通じゃありませんでしたよっっっ!」

双方、意思の疎通がままならぬもどかしさに睨み合う──いや、この場
合は将軍の側が一方的にと言うべきか。淡紅色に上気した頬、僅かに
潤んだ上目、水中から放り出された金魚の如くパクパクと開閉する小さ
な口のゆえに、迫力はまったくと言ってよいほど無かったけれど。

「絶っっっ対! 変ですよ、おかしい! ねえ、光太郎さんもそう思ったで
しょう!?」

いつもなら主よりも、小柄な少年の肩を喜んで持つ御台所付き御小姓筆
頭であったが、さすがに今回ばかりはその問いかけが、あまりにも唐突
であったことも重なって、特に深く考えることも無く──別に、いつだとて
深く物事を考えている男ではないのだが──、あっさりと将軍の御下問
にお答えした。

「え、どっか変だったか?」

別に普通だったんじゃねえの?と、怪訝そうな顔付きをする相手に、少年
は最後の砦も崩れ落ちた事を悟り、それでもなお諦め切れず、更に下段
に控える者たちへと縋るような視線を向ける。なれど返されるは無情にも、
「お上、何ゆえのお腹立ちさんであらしゃるか?」といった表情と、小首を
傾げる仕草ばかりであった。

「フー……ひとまずは落ち着いた方がいい、瀬那君……」

この世で唯一人にだけ向けられる、穏やかな美声にて紡がれる言の葉。
常であれば程無くして少年を大人しくさせ、時によってはその動きを止め
ることさえも可能であるそれであったが、今日ばかりは、それを紡ぐ端麗
な唇、その端からホロリと零れ落ちた、白珊瑚の欠片にも似た三日月型
の小さな塊がいけなかった。

御台所の着物それ自体の華やかさを引き締めるため、臙脂と褐色という、
比較的地味で尚且つ変わった取り合わせで組まれた※名護屋帯から垂
れる糸房に、ちょこんと数塊のそれらが引っ掛かるのを目にして、少年は
最早耐えられぬとばかり、絶叫した。

「う……うわぁぁぁっ!!!」

そしてとうとう、茹蛸のような色と化してしまった顔を背けると──ああ何
て美味しそう……と、本能的に思ったことを心と口の外に出さなかったの
は、浮世と言うか、この世離れを通り越してあの世寄りの感性の持ち主で
ある赤御台にしては珍しく、賢明な判断であったと言えよう。彼と共にはる
ばる京よりやって来たお仕え人たちは、先程までの光景にこそ何ら驚きを
示さなかったが、主の心中に於けるこの呟き(否、惚気と言うべきか)を耳
にすれば、その時ばかりは間違い無く、誰しもが顔に朱を上らせていたで
あろうから……閑話休題──、この草深い御殿の主が誰よりも、何よりも
大切にしている小さな御宝は、一目散に山里の丸を走り出て行ってしまっ
たのである。
                      ・
                      ・
                      ・
「……と、いう訳なんだが、僕は何か瀬那君の気に触るようなことをしたの
だろうか?」
「「「「「…………」」」」」

疑問を投げかけてくる割には、特に気に病んでいるという風でもなく、殆ど
無表情に近い※芙蓉の顔(かんばせ)に、パタンパタンと所在無さげに開
閉を繰り返される、白檀の骨の扇。

ああ白磁の頬でもいい白魚の手でも構わない、素のままに白く透き通った
雪肌(せっき)を引っぱたくか引っ掻くかして傷だらけにしてやりたいとまず
思ったのは、山里の丸は御台所御休息の間に大奥より召集された五名の
内、下位に在る大柄な御手付き二人。

とりわけ、冬の蒼海の瞳を持つ方は、肌理細かな額にかかる濃紺艶やか
な髪の筋の隙間から覗く、何本もの青筋が、あまりにもくっきりと生々しく
浮き出ており、日ノ本の人間としてはかなり彫り深く整っている容貌、そし
て並外れた背丈とも相俟って、その醸し出している雰囲気はさながら、人
外魔境のそれであった。膝の上で凄まじい握力によりギリギリと握り締め
られてしまっているせいで、折角の※光琳水(こうりんみず)の清らな(きよ
らな)流れにもその内、何やら禍々しい色合いをした、鉄臭いものが混じり
そうな気配である。

「破廉恥な……」

滅多なことでは感情に引き摺られず、顔を負の念に歪めたりすることも皆
無に等しかった筈の御内証の方は、たった一言、低く呟いたきり、絶句し、
その後は渋面をフイとあらぬ方向へ向けたまま、二度と御台所の方を見よ
うとはしなかった。ギュッと、真一文字に固く引き結ばれた唇は、強く噛み
締められ過ぎて、限りなく白い色合いへと近づきつつあった。

「こっちの人たちは……うん、見んの多分初めてだったろうし、そりゃ、まあ
……吃驚しただろう、ねぇ……」

非礼にならぬようにと、下方の畳へと向けた顔を、※江戸紫の袖元でゆっ
たりと覆った努力も空しく、両肩どころか体全体を小刻みに震わせている、
公家出の大上臈。

「じゃあさじゃあさ~、次は俺にやらせてよ!」

俺ぴっととか自分の鼬で慣れてっから、瀬那のちっせーのでも上手く出来
るからと、尖らせっぱなしであった口をようやく元に戻すと今度は、此処が
どこであるかなどとはお構い無しに、青畳の上に転がり、両手両足をバタ
バタジタバタと駄々っ子のように振り回して自己主張を始めた、子どもと呼
ぶには少々育ち過ぎの観有る、職人泣かせ呉服の間泣かせの御手付き
その二に──どれほどの精魂を込められ、いかに手間隙かけて作り出さ
れた着物も服飾の品々も、誰かが気付いた時にはいつも既に水の中、眠
っている間でさえ半刻もじっとしていられずに、将軍お渡りの夜を除いては
毎晩、泳いでいるかの如き寝相で廊下に転がり出てくる彼にかかっては、
あっという間に皺くちゃ、一週間と持たずにボロボロのぐちゃぐちゃの粉々
にされてしまうのである──

カコン!

本日下された仕置きは、相部屋の御手付きその一によるいつもの鉄拳制
裁ではなく、それまで、出された茶菓に手を付けることもせず、ただひたす
ら沈黙を守るばかりであった御取締が、日頃の働きに対するせめてもの感
謝の印にと、幼主より特別に賜った※献上博多(けんじょうはかた)を用い
て仕立てた帯に差し込んでいたのを、目にも留まらぬ早業で抜き取っての、
正確無比なキセル投げであった。

「どいつもこいつも……」

ユラリと立ち上がった御取締の背後には、凄絶な怒りの焔が、大きな大き
な渦を巻いていた。それもその筈、忙しい執務時間中、まがりなりにも御
台所からのお召しとあって、渋々ながらに貴重な時間を割いて来てみれば。

「糞チビの爪切るくれえのことで阿呆かテメーらはっっっ!」
                      ・
                      ・
                      ・
「え……それではこちらでは、将軍さまでらしても、鋏か剃刀で爪をお切ら
せになるのですか!?」
「って言うか、人の歯で噛み切らせてるって方が俺ら的には吃驚……グェ
……」
「まあ、玉体とお呼びするくらいだから、傷付けなどしては畏れ多いという
禁中の考え方は、理解は出来るけど、此方の上様は別に、現人神という
訳ではないからね……」

控えの間。目を真ん丸くする山里の丸老女に対し、進典侍の御機嫌伺い
に参上していたこの日、噂に名高い赤御台のお召しを受けた一族の誉れ
へ、興味本位も手伝ってお供を願い出たところ、「……心知れたる者ら控
え居れば、後(のち)、多少はあの苛立ちと不快感も軽減されようか……」
と、謎めいた言葉と共に、存外にスンナリと同行を許された、王城の一門
──この通り名を耳にして、どこのお家のことを指すのかが分からぬ者は、
江戸の人間ではないとすぐ知れる──に連なる、恰幅の良い若者二人。

苦笑を浮かべた片方は、武士としては珍しく眼鏡を掛けた、知的で穏和な
風貌、そしてこれまた武士としては珍しい、柔らかな人当たり。

もう片方は、上は大名家の姫君方から下は江戸の町娘ら、果ては目の肥
えた吉原の綺麗所たちにまで、道行けば必ず黄色い嬌声で騒がれる割に
は、誰に対しても隔て無く、驕り無く接し、幼子たちに共遊びをせがまれる
ことも多い、朗らかな笑顔が誰からも好かれる、しかし先程より、隣室にて
この御殿の主より饗応(?)を受けている、己が同族にしてかつての同輩が、
その意志強き両の眼(まなこ)より放ち続け、華麗な※金泥(こんでい)の絵
襖を突き抜けてくる殺人眼光を、もろに浴びてしまう位置に端座しているが
ために、現在は半死半生の若獅子である(移動する気力さえ最早無し)。

「何とぉぉぉ……まっこと奇怪な慣わしではあるがそのこと、もっと早くに筧
先生にお知らせ致すことが出来ておれば……この大平、一生の不覚なり
ぃぃぃっ!!!」
「お前の“一生の不覚”は一体、一生に何度有るんだよ……」
「クッ……大平であれば当然の失態と言えようが、仮にもこの僕ともあろう
者が、此奴と同じ過ちを犯そうとは……僕は、僕は虫ケラ以下なのか!?
あぁ……悔し涙で目の前がっ……目が、目がぁぁぁっ!」
「大西、それ幾ら何でも言い過ぎ言い過ぎ、業界用語でギスイー。大平の
涙の量が心なしか当社比ってか、当家比で倍増した上に何か赤いの混じ
り始めたから、それ以上はやめてやれ、な?」

王城の二人を更に上回る身の丈の巨漢二人を、その間に座った小人のよ
うな小男が──もっとも、この二人に挟まれれば、大抵の人間は皆、その
ように見られよう──、慣れた態度で宥めている。

「……それだけ……神にも等しいと、思し召さるるほどに……御台様は……
上様を……お慕い申し上げて……いると……いう……こと、だろう……」

口を開く様子すら、目にした者は片手で数えるほどということで有名な御広
敷侍が、どこか遠くを見るような目付きと、抑揚は無いが重々しい声音で呟
いた、その言葉に。

「おお、アンタよく分かってんじゃん、粋と言ってその心即ちスマートだぜ!」

若さはバカさ……もとい、怖いもの知らずと言うか、相手がまず、自分の主
の敵手の腹心であるということをすっかり忘れ、光太郎は鉄面皮の男の鋼
のように強靭な両肩を、親しみを込めてバシバシと叩いた。

「鉄馬」の通称で通っている男が、光太郎のその無遠慮な手を払い除ける
こともなく、黙然とされるがままになっていたのは何故かと言えば、この時、
彼は自分の主が、此度の御台所お召しに先んじて事の仔細を知り、「じゃ
あ俺は髪を貰うとしようかねぇ」と言った時の、貼り付けたような薄っぺらい
笑顔を思い出し、今ひとたび寒々しい思いに駆られていたからである。

言えない、言える訳が無い。

古来より秘密というものは、かなりの高確率で誰かにばれるように出来て
おり、また、それを知る者は、常にそれを誰かに言いたくてたまらぬと相場
が決まっているものだが、こればかりは絶対に言えない。

もともと鉄馬は寡黙な性質(たち)であり、口も相当に堅い方だが、このこと
に関してはゆめ、気が緩んでついウッカリなどと、口を滑らせたりしないよう、
よくよく注意せねばならぬ。それも命が惜しいなどといった理由からではなく、
主の面子を重んじればこそ。

(…………)

心中でのみ、彼は密やかに溜息をつくのだった。


                                  <(下)へ続く>

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語釈

紅型…
一枚の型紙だけを用いて、何種類もの色と模様を染め出した生地。原色鮮
やかな沖縄の琉球紅型が最も有名。

丹花の唇…美人の赤く美しい唇。

名護屋帯…
not名古屋帯です、御注意。室町時代から江戸初期にかけてまで流行した、
組紐状の帯。両端には房が付いていて、後ろか横で蝶結びにするのだそう
です。糸の組合せはカラフルなものが多いらしく、実際には今回香夜さんが
捏造したような奴は無いと思われます。しかも夏用の帯みたいです。後述し
ますが、蛭魔さんは冬用帯結んでるってのに……orz!

芙蓉の顔…花のように美しい顔。

光琳水…
江戸時代中期の芸術家(メインの仕事はやっぱり絵?)・尾形光琳の考案に
よる、形や構成を単純明快にした水の模様。

江戸紫……武蔵野の紫草から作った染料による、青味の強い紫色。

献上博多…
煩悩を打ち砕くとされる仏具・独鈷(どっこ)と、法会の時に撒く花々を入れて
おく器・華皿(はなざら)に着想を得た幾何模様をそれぞれ、縞模様と交互に
織り出した絹織物。江戸時代には、黒田藩が毎年幕府に献上していた事で
有名。男物に関しては存じませんが、女帯に使う場合は冬用。

金泥…ニカワと水と金粉を混ぜて作った絵の具。