銀色に無地の、ありふれた家庭用調理ボウルでそのまま出されたのでな
ければ、洋菓子店から買ってきたのかと勘違いしていしまいそうになる程、
芳醇な味わいに満ちたパンプキン・プディング。繊細なデコレーションまで
はさすがに無理だったのか、泡立てた生クリームが別のボウルにこれまた
山と盛られ、キャラメルシロップが瓶入りのまま出された大雑把さは、男子
高校生ならではのご愛嬌と言ったところであろう。
プディングの濃厚で滑らかな舌触りを楽しみながらも、未だコーヒーが苦手
な甘党の自分のためには特製カフェ・オ・レ、そして彼自身が飲むブラック・
コーヒーを、それぞれ手際よく淹れてくれている陸の、無駄の無い、いっそ
洗練されていると言いたくなるような手の動きに、瀬那はただただ、溜め息
をつくばかりだった。
「僕、今日がハロウィンなんてことすっかり忘れてた。まさか陸がこんな用意
しといてくれるなんて思わなかったなぁ……覚えてたら、僕も何か手土産持
ってきたんだけど……。ごめんね、気を使わせちゃって?」
「気にすんな、俺が勝手にやりたいと思っただけだから。それよりどうだ、味
の方は?」
「すっっっごく美味しい!!!」
瀬那の、今にもとろけそうな、幸せ一杯の笑顔に、陸はここ毎晩、深夜まで
ネットの製菓サイト巡りをした甲斐があったと、畑違いの苦労がすべて報わ
れた気がした。人一倍プライドが高く、男としての体面を気にする彼のこと、
書店で菓子作りの本を買ったり、まもりに教えを乞う訳にはゆかなかったの
である。
「あ、そだ、ちょっと待ってろ」
二種類の飲み物をテーブルに置き、唐突に身を翻してキッチンを出ていった
陸。軽やかに階段を昇降する音がして、五分と経たず戻ってきた彼の手に
あったのは、片手に納まるほどの手頃な大きさをした、愛敬たっぷりのジャ
ック・オー・ランタンだった。
「ほい、やる」
「これも……陸が作ったの?」
目をまんまるくして、瀬那は相手を凝視した。刳り貫かれた装飾用カボチャの
中には、ご丁寧にも小さなキャンドルまで置かれている。自分の恋人はまあ、
何と器用で用意周到なことだろう!
キリリと引き締まった顔立ちに怜悧な頭脳。体つきは自分とそれほど変わら
ない筈なのに、そこからはち切れんばかりの闘志と、実力に裏付けられた矜
恃、そして何よりその自立心が陸を、彼の属する“フィールドの開拓者”集団
の猛者たちに少しも見劣りしない、立派な一人前の“男”に見せていた。
それだけでも十分に魅力的であるのに、加えてこの細やかで気の利いた心
配りに代表されるような、鈍い自分にも分かりやすいよう、言動にハッキリと
した形で、惜しみ無く示してくれる愛情……恋人志願の少女たちはさぞかし
多い筈だ。恋人への惚気と、彼を奪われはしまいかという不安の間で、瀬那
は胸を締め付けられるような思いに駆られた。
(いやいや、今は考えないようにしよう。こんな暗いことばっかり考えてるって
知られたら、きっと陸に嫌われちゃうよ……)
脳裏にちらつく不安を振り払おうと、瀬那は陸に気付かれぬ程度に頭をそっ
と、左右に振った。所有者とは正反対に自由奔放な髪の一房一房、一本一
本が音も無く揺れ、同時にシャンプーの仄かな香りが、彼の生来の体臭と
相俟って、テーブルの上の菓子や飲み物とはまた異なった、甘い誘惑を発
する。
その誘惑に酔い痴れることを楽しんですらいる銀髪の恋人が、瀬那のこの
甘やかな憂いを知れば、自分の陰日向無いアプローチがようやっと、他者
からの好意には相変わらずまるで疎い少年の、幼い心の蕾を開花させたか
と、嫌うどころか逆に、感極まって喜びの涙を流していただろう。そしてその
愛情はより一層深まること間違い無しなのだが、晩熟な瀬那にはそのよう
な、人間の微妙に過ぎる心情の機微など、知る由も無かった。
閑話休題(それはさておき)──
夕方近くになり、やや薄暗くなってきたのを機に、二人は早速キャンドルに
火を点じた。可愛らしかっただけのお化けカボチャの提灯に、ほんのちょっと
だけ、不気味さが加わる。ピクリと身じろぎをした瀬那にさり気なく身を寄せ
ると、陸はわざと淡々とした声で語り始めた。
「知ってるか、瀬那? 今でこそハロウィンはアメリカ流のが主流になって、
子ども向けの楽しいお祭りって風に日本でも解釈されてるけど、本来は古
代ケルト族の、日本で言うお盆と大晦日を一緒にしたような神聖な日だっ
たんだってさ。11月1日からはいよいよ厳しい冬、暗黒の季節の始まりって
ことで、その前日からもう暗い雰囲気に包まれちゃって……お盆っつっても
日本みたいに、ご先祖の霊魂を家の中にお迎えして祭る習慣は無いから、
死霊は単なる怖いものでしかなかったし、それ以外の闇の生き物たちも含
めて、ヤバイ奴らが家の中に入って来ないようにって、篝火焚いたり魔除け
の供え物したり……化け物の仮装すんのだって、そいつらに自分が、か弱
い生身の人間だってことがばれたら、取り殺されちゃうからなんだと。
そうそう、このジャック・オー・ランタンにも、永久に生死の境を彷徨わなきゃ
いけなくなった男の伝説が……」
瀬那の顔色が次第に蒼ざめてくる。計算通りと心の中でほくそ笑みながら、
陸はパッと、キッチンの蛍光灯のスイッチを入れ、アメフト以外では未だ臆
病なところが数多く残る愛しい恋人に、明るい笑みを向けた。
「あ~んしんしろって、瀬那!ここ日本だぜ?自分たちの国のお盆だって
忘れがちなのに、今じゃもう先祖の祟りとか別に聞かないだろ?」
「あ、安心って何さ……別に僕は怖がってなんか……」
ハッと口元を押さえる瀬那を、陸はテーブルに両手をついて上から意地悪
そうに覗き込んだ。彼の両目のエメラルドには、小さな子どもが悪戯に成功
した時の、愉快で得意そうな光がキラキラと躍っている。
「♪♪♪~」
「……」
鼻歌を歌い始める陸に対し、口をへの字に曲げた瀬那。その膨れっ面すら
愛おしいと、上機嫌の陸は気付かなかったが、瀬那にだとて多少の自尊心
はあるのだ。しばしの沈黙を経て、彼は捨て身の反撃に打って出た。
「陸の馬鹿……もういいよ、僕、今日は進さんのとこ行く……新しい効果的
なトレーニング方法教えてくれるって言ってたから……それにあの人ならき
っと、相手が何でも関係無くやっつけてくれるだろうし……」
呟くが早いか、「ごちそうさまでしたっ!」と叫んで立ち上がると、瀬那は光
速の速さでキッチンを出て、靴に両足を突っ込むと、つむじ風のように、あっ
と言う間に甲斐谷家を出て行ってしまった。
「え……ちょ、瀬那!待てって……ゴメン俺が悪かったからっっっ……って、
フギャァァァア!!!」
事態の唐突さと、一瞬の後に気付いたその深刻さに、すぐ瀬那を追おうと
した甲斐谷陸少年16歳だったが──恋人に構いきりで、自分には一向に
“treat”してくれる気配の無い造物主に痺れを切らしたお化けカボチャの
“trick”か、キッチンと廊下の境目に足を取られ、当初の予定にあった柔
らかな桜色の唇とは、似ても似つかぬ硬いフローリングの廊下と接吻する
羽目に陥ってしまった。歯が折れたりして、“血染めのハロウィン”(どこの
ホラー映画だ)にならなかったのが、せめてもの救いか。
今宵はさぞかし美味なディナーにありつけようと、期待に胸ふくらませ、緑
の瞳を爛々と輝かせていた銀色の毛並みの人狼が、逃げてしまった愛く
るしい小動物を、果たして再びその腕に取り戻せたのか、それとも聖なる
騎士の、(白)銀の弾丸ならぬ三叉の槍に返り討ちにされてしまったのか。
答えはジャック・オー・ランタンと、月夜に飛び交っていた蝙蝠たちだけが
知っている……?
ければ、洋菓子店から買ってきたのかと勘違いしていしまいそうになる程、
芳醇な味わいに満ちたパンプキン・プディング。繊細なデコレーションまで
はさすがに無理だったのか、泡立てた生クリームが別のボウルにこれまた
山と盛られ、キャラメルシロップが瓶入りのまま出された大雑把さは、男子
高校生ならではのご愛嬌と言ったところであろう。
プディングの濃厚で滑らかな舌触りを楽しみながらも、未だコーヒーが苦手
な甘党の自分のためには特製カフェ・オ・レ、そして彼自身が飲むブラック・
コーヒーを、それぞれ手際よく淹れてくれている陸の、無駄の無い、いっそ
洗練されていると言いたくなるような手の動きに、瀬那はただただ、溜め息
をつくばかりだった。
「僕、今日がハロウィンなんてことすっかり忘れてた。まさか陸がこんな用意
しといてくれるなんて思わなかったなぁ……覚えてたら、僕も何か手土産持
ってきたんだけど……。ごめんね、気を使わせちゃって?」
「気にすんな、俺が勝手にやりたいと思っただけだから。それよりどうだ、味
の方は?」
「すっっっごく美味しい!!!」
瀬那の、今にもとろけそうな、幸せ一杯の笑顔に、陸はここ毎晩、深夜まで
ネットの製菓サイト巡りをした甲斐があったと、畑違いの苦労がすべて報わ
れた気がした。人一倍プライドが高く、男としての体面を気にする彼のこと、
書店で菓子作りの本を買ったり、まもりに教えを乞う訳にはゆかなかったの
である。
「あ、そだ、ちょっと待ってろ」
二種類の飲み物をテーブルに置き、唐突に身を翻してキッチンを出ていった
陸。軽やかに階段を昇降する音がして、五分と経たず戻ってきた彼の手に
あったのは、片手に納まるほどの手頃な大きさをした、愛敬たっぷりのジャ
ック・オー・ランタンだった。
「ほい、やる」
「これも……陸が作ったの?」
目をまんまるくして、瀬那は相手を凝視した。刳り貫かれた装飾用カボチャの
中には、ご丁寧にも小さなキャンドルまで置かれている。自分の恋人はまあ、
何と器用で用意周到なことだろう!
キリリと引き締まった顔立ちに怜悧な頭脳。体つきは自分とそれほど変わら
ない筈なのに、そこからはち切れんばかりの闘志と、実力に裏付けられた矜
恃、そして何よりその自立心が陸を、彼の属する“フィールドの開拓者”集団
の猛者たちに少しも見劣りしない、立派な一人前の“男”に見せていた。
それだけでも十分に魅力的であるのに、加えてこの細やかで気の利いた心
配りに代表されるような、鈍い自分にも分かりやすいよう、言動にハッキリと
した形で、惜しみ無く示してくれる愛情……恋人志願の少女たちはさぞかし
多い筈だ。恋人への惚気と、彼を奪われはしまいかという不安の間で、瀬那
は胸を締め付けられるような思いに駆られた。
(いやいや、今は考えないようにしよう。こんな暗いことばっかり考えてるって
知られたら、きっと陸に嫌われちゃうよ……)
脳裏にちらつく不安を振り払おうと、瀬那は陸に気付かれぬ程度に頭をそっ
と、左右に振った。所有者とは正反対に自由奔放な髪の一房一房、一本一
本が音も無く揺れ、同時にシャンプーの仄かな香りが、彼の生来の体臭と
相俟って、テーブルの上の菓子や飲み物とはまた異なった、甘い誘惑を発
する。
その誘惑に酔い痴れることを楽しんですらいる銀髪の恋人が、瀬那のこの
甘やかな憂いを知れば、自分の陰日向無いアプローチがようやっと、他者
からの好意には相変わらずまるで疎い少年の、幼い心の蕾を開花させたか
と、嫌うどころか逆に、感極まって喜びの涙を流していただろう。そしてその
愛情はより一層深まること間違い無しなのだが、晩熟な瀬那にはそのよう
な、人間の微妙に過ぎる心情の機微など、知る由も無かった。
閑話休題(それはさておき)──
夕方近くになり、やや薄暗くなってきたのを機に、二人は早速キャンドルに
火を点じた。可愛らしかっただけのお化けカボチャの提灯に、ほんのちょっと
だけ、不気味さが加わる。ピクリと身じろぎをした瀬那にさり気なく身を寄せ
ると、陸はわざと淡々とした声で語り始めた。
「知ってるか、瀬那? 今でこそハロウィンはアメリカ流のが主流になって、
子ども向けの楽しいお祭りって風に日本でも解釈されてるけど、本来は古
代ケルト族の、日本で言うお盆と大晦日を一緒にしたような神聖な日だっ
たんだってさ。11月1日からはいよいよ厳しい冬、暗黒の季節の始まりって
ことで、その前日からもう暗い雰囲気に包まれちゃって……お盆っつっても
日本みたいに、ご先祖の霊魂を家の中にお迎えして祭る習慣は無いから、
死霊は単なる怖いものでしかなかったし、それ以外の闇の生き物たちも含
めて、ヤバイ奴らが家の中に入って来ないようにって、篝火焚いたり魔除け
の供え物したり……化け物の仮装すんのだって、そいつらに自分が、か弱
い生身の人間だってことがばれたら、取り殺されちゃうからなんだと。
そうそう、このジャック・オー・ランタンにも、永久に生死の境を彷徨わなきゃ
いけなくなった男の伝説が……」
瀬那の顔色が次第に蒼ざめてくる。計算通りと心の中でほくそ笑みながら、
陸はパッと、キッチンの蛍光灯のスイッチを入れ、アメフト以外では未だ臆
病なところが数多く残る愛しい恋人に、明るい笑みを向けた。
「あ~んしんしろって、瀬那!ここ日本だぜ?自分たちの国のお盆だって
忘れがちなのに、今じゃもう先祖の祟りとか別に聞かないだろ?」
「あ、安心って何さ……別に僕は怖がってなんか……」
ハッと口元を押さえる瀬那を、陸はテーブルに両手をついて上から意地悪
そうに覗き込んだ。彼の両目のエメラルドには、小さな子どもが悪戯に成功
した時の、愉快で得意そうな光がキラキラと躍っている。
「♪♪♪~」
「……」
鼻歌を歌い始める陸に対し、口をへの字に曲げた瀬那。その膨れっ面すら
愛おしいと、上機嫌の陸は気付かなかったが、瀬那にだとて多少の自尊心
はあるのだ。しばしの沈黙を経て、彼は捨て身の反撃に打って出た。
「陸の馬鹿……もういいよ、僕、今日は進さんのとこ行く……新しい効果的
なトレーニング方法教えてくれるって言ってたから……それにあの人ならき
っと、相手が何でも関係無くやっつけてくれるだろうし……」
呟くが早いか、「ごちそうさまでしたっ!」と叫んで立ち上がると、瀬那は光
速の速さでキッチンを出て、靴に両足を突っ込むと、つむじ風のように、あっ
と言う間に甲斐谷家を出て行ってしまった。
「え……ちょ、瀬那!待てって……ゴメン俺が悪かったからっっっ……って、
フギャァァァア!!!」
事態の唐突さと、一瞬の後に気付いたその深刻さに、すぐ瀬那を追おうと
した甲斐谷陸少年16歳だったが──恋人に構いきりで、自分には一向に
“treat”してくれる気配の無い造物主に痺れを切らしたお化けカボチャの
“trick”か、キッチンと廊下の境目に足を取られ、当初の予定にあった柔
らかな桜色の唇とは、似ても似つかぬ硬いフローリングの廊下と接吻する
羽目に陥ってしまった。歯が折れたりして、“血染めのハロウィン”(どこの
ホラー映画だ)にならなかったのが、せめてもの救いか。
今宵はさぞかし美味なディナーにありつけようと、期待に胸ふくらませ、緑
の瞳を爛々と輝かせていた銀色の毛並みの人狼が、逃げてしまった愛く
るしい小動物を、果たして再びその腕に取り戻せたのか、それとも聖なる
騎士の、(白)銀の弾丸ならぬ三叉の槍に返り討ちにされてしまったのか。
答えはジャック・オー・ランタンと、月夜に飛び交っていた蝙蝠たちだけが
知っている……?