夜長姫と耳男

忌野清志郎を愛し、路上生活者支援NPO・TENOHASIの事務局長Sの日記

雪どけ

2010年03月09日 | Weblog
早池峰山の麓・タイマグラにある開拓農家の宿・フィールドノートに5回目の宿泊。

今回は、味噌踏みツアー。
映画「タイマグラばあちゃん」で見て以来、ずっと体験してみたかったことの一つ。

ばあちゃんの味噌作りは、
①畑で取れた大豆をじっくり茹でて、親指と小指だけでつぶせるほどの柔らかさにする。
②大きな桶に入れ、熱いうちに足で踏んでつぶす。
③冷めないうちに高さ18センチくらいの台形にする。これが味噌玉。
④一晩おいて固まったら、藁でくくり、家の中につるす。
⑤家の麹菌が中で繁殖した1ヶ月後、バラバラに崩して塩や麹を入れ、樽で2年寝かす。
ばあちゃんのてきぱきした仕事ぶり・丁寧に作る充実感が、豊かさという言葉の意味を教えてくれるような印象的なシーンだった。

さて、今回の味噌踏みツアーに参加したのは僕を含めて3人。東京のtさんは若い女性だが、畑作りと鳥への情熱は半端ではない。最近の若い人は、フィールドノートの3人兄弟も含めて、すごいなあとおもう。
仙台のcさんは、3回目のタイマグラ。いい人なんだが、1回目は途中で崖崩れ・2回目は峠で雪にはまって車中でビバークという、ステキな体験の持ち主。たぶん、よほど方角が悪いんだろう。今回は無事に到着したが、車を降りてから滑ったそうだ。

フィールドノートの三兄弟のうち、長男君と三男君が清志郎にはまっているそうだ。すばらしい。ますます理想郷である。

1日目。
朝からことことと煮込んだ大豆を何度もつぶして柔らかさを確認。美味しいのでついつい何度も確認作業をしてしまう。
そして16時過ぎ、ようやくゴーサイン。よく水を切った大豆を大きな桶に入れて、味噌踏み専用長靴でぐちゃ・ぐちゃっと踏んでいく。冷めると固まらなくなってしまうので熱いうちに手早くやらなくてはならないのは餅つきと同じで興味深い。
どんどん踏んでいくと、ぬかるみ状になって踏むのが難しくなってくる。そうなったころに桶から出して、味噌玉作りへ。両手でつぶれた大豆を掬って、トントンと落としながら、マヤ文明の頂上が平らになっているピラミッドのような形というか、分銅みたいな台形にしていった。映画にでていたばあちゃんのように手早くは行かないが、慣れてくるとそこそこにきれいな形にできるのが楽しい。
cさんが、最後に残った大豆でちいさな台形を作ったら、子供たちがはまって、遊びに来た監督の息子さんが7段だか8段だかに積み上げていた。

2日目
一晩おいて乾かした味噌玉を、家の中でつるす作業に入る。まず奥畑さんが雪の中に埋けてしめらせた稲藁を砧で叩いて柔らかくした。次はみんなで縄ないの練習。藁から縄を作れないとその先に行けないのだ。
何回かやったことがあるが、これが難しい。親指の付け根と人差し指&中指で2本の藁束を同時に撚らなくてはならない。角度・力加減が本当に微妙だ。何本か縄を作ってみて、ようやく縄を作れる自信が付いたところで、味噌玉つるしに挑戦する。味噌玉を藁で十文字にくくり、味噌玉の上で1本の縄にしていく。思いの他うまくできて気持ちがいい。途中から三男君の選曲で清志郎メドレーがかかったので、ますます快調。こんなに無心に作業するというのは最近ないなあ。
 部屋の中にずらりと味噌玉が吊されて作業終了。あとは家の中にいる麹菌が味噌玉の中で繁殖するのを待って、1ヶ月後にばらして樽に仕込む。そして2年寝かせてできあがり。手間のかかる仕事だけど、すごく充実感があった。
「味噌は生きてると思うよ。味噌と話したわけではねえけど」というばあちゃんの言葉を思い出しながら、今日の10倍もの大豆を自分で作り、自ら味噌に仕込んでいたばあちゃんの暮らしの豊かさを改めて思う。

帰路、盛岡でバスを降りて、ぶらぶらカフェ巡り。cartaと機屋は両方とも行く価値のあるステキな店だった。盛岡はモダンでハイカラな街だ。岩手山がきれい。

タイトルは、これまた清志郎の名曲。
「雪がとけ始めると、つい口ずさみますね」とタイマグラの陽子さんも言っていた。
コメント
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