『7転ビ8起キ』 by背番号7

GARNET CROW・倉木麻衣等音楽&野球関連&最近は旅行記も充実してます。ハートは熱く頭はクールに。時事川柳も♪

GARNET CROW 『THE ONE』で振り返る思い出(飛躍期編)

2013-06-01 03:53:31 | GARNET CROW
もう6月ですよ。

あっという間にGARNET CROWのファイナルライブの東京公演から1週間経ち、
ほんとのラストの大阪公演まであと1週間になってきました。。。

引き続きベストアルバムを聴きながら、自分史をGARNET史を重ねて振り返りたいと思います。

今回は2枚目、2003年~2007年初旬のシングル。
名づけるなら「飛躍期編」です。


*****

2枚目のトップを飾る「泣けない夜も 泣かない朝も」ですが、
奇遇にも私が当時大好きだったテレ朝の「内村プロデュース」のエンディングでも流れてまして、
大好きなさまぁ~ずとGARNETがこんな形でコラボしてるのにちょっと興奮したり。

この曲リリースした頃よく覚えてるんです。

というのも、
大卒後2002年から私公務員受験(一般的な事務職)のために予備校通学してたんですよね。

1年以上かけて準備していざ2003年6月に本番を迎えるわけです。

公務員試験って受験者数が多いのもあり、
一次試験の筆記試験の結果発表に1カ月近く待たされるんです。

で、対象科目も30科目近くあって本番までの勉強時間がはんぱない量だってのと、受験日が重複して併願が最大でも3つくらいしかできず、
受験資格に年齢制限があって今回失敗したらあと1回で終わってしまうということもあり、
数日前からストレスで吐き気がものすごいことになるわけで・・

ストレスが大学受験の10倍くらいはあるでしょうね。
当然体調にも異変が出て、髪はぱっさぱさになり、抜け毛や白髪がひどい、体重が増えだす・・・
そんな事態になりだしたのがこの時期。


そんな人生をかけて挑んだ戦いの結果・・・不合格。
特に本命だったところは、善戦むなしくわずかなところでアウト。

まあ薄々は感じていた実力不足ながら

しばらく、敗北によるがっかり感と、体力消耗のぐったり感、
これから来年のラストの戦いへ挑まないといけないプレッシャーと

いろんなもので体が締め付けられそうになった
あの第一志望の試験結果発表の当日だか翌日だかにリリースされた曲(←説明が長い)

頭ふらふらにながら、
この曲を聴いたり、1stライブDVDを観て一生懸命リフレッシュをはかり、
なんとか気持ちを奮い立たせてた時期です。


そして
「君という光」で再びTV出演数本したので、こちらも録画した記憶。

ただ、基本的にはゆりっぺがしゃべる程度でその他のメンバーのキャラは不明のまま。


で、
「僕らだけの未来」が再びすぽるとのテーマ曲に起用!!

Mステではとうとうタモさんとのトークがなく
CM明けにいきなり曲が始まるがっかりパターン(笑)

確かCDTVで曲紹介の時にやっと一言七さんの声が聴けてちょっと興奮したような(笑)

この曲からかな?我が家ではビデオデッキからHDDレコーダーでの録画へ。


受験勉強の間をぬって春にlivescope2004へ。

ファンクラブ枠ながら渋谷公会堂の2階席にて。
いろいろテンパりすぎてたので
「永遠を駆け抜ける一瞬の僕ら」を聴いてたらなんかいろいろこみ上げてきて軽く泣いた記憶があり。
ライブで涙するなんて初めてだったから、かなり情緒不安定だったと思われる(笑)
アンコールでの「雨上がりのblue」に興味津々!!


そして2004年6月再び公務員受験。
2度目にしてラストの挑戦。
1カ月ほど前から1日10時間以上、
直前は15時間くらい猛勉強してた記憶。
大学受験なんてこの半分もやってなかったような
↑だから1勝9敗(←ただこの1勝が大金星・・・逆に言えば滑り止めが全部落ちた)

大本命の一次試験、筆記試験はまずまず。
小論文のテーマの対策があたり、取りつかれたように記憶してた内容を書く。
人生で一番パワーを使った瞬間。

1か月後・・
結果、昨年よりランクを落とすというまさかの敗退。。。

憔悴しきっていた時に、
全然あてにしてなかった第二志望先が一次試験突破との朗報が舞い込んでくる。
1000人近く受験した中でなんとか250番以内に入った模様。

地獄から天国へ。
敗者復活から再び次のステージへ進める喜びを胸に
二次試験の小論文へ。
が、当日会場へ行く途中に腰に違和感。のちにぎっくり腰と判明。
満身創痍で臨み終了1分前になんとか満足いく内容を書き終える。

一次試験の出来がおそらくカットラインギリギリと思っていたため
なんとかあと半分以上順位を上げないとと
グループディスカッションと個人面接で大いに盛返し
再び1か月後の運命を待つことに。

世間はアテネ五輪で盛り上がる中、
発表日数日前からお約束の吐き気・・・

そして、運命の日。
大して寝られず、勝手に目が覚め、合格者番号をインターネットから見る・・・。

人生で一番緊張した作業。

載っておらず・・・・・・・。


「まじかよぅ・・・」思わず天を仰いでなんか力なくつぶやいた記憶が。。。

これまた次に辛い作業が・・・「両親に報告」ということ。

正直、就職に苦しまなかった両親世代にとってはこの超氷河期のレベルが分かるわけもなく。
母は「なんで??」って言ってたが、
今の世代はそれくらい紙一重のギリギリの戦いを強いられてるってことなんですよ。
天国から地獄の底まで落とされた瞬間。
そして間違いなく親を落胆させた瞬間。

情報公開制度があって、自分の順位を教えてくれるということで、
ふらふらする足で役所へ。

111人合格していたところで自分は113位と知る。

あまりの僅差で人生が変わるこの不条理さに
頭が真っ白になりすぎて思わず笑ってしまったような。
人ってショックがでかすぎると泣けなくなるようで・・・。

メダルまであと一歩、
オリンピック的に言うなら銅メダルと4位のあまりにも大きすぎる差を目の当たりにする。。。


当時、父は自ら病気ながら自分の両親を介護しに数キロ離れてた実家へ毎日のように通っていて
深夜に朝までお互いの悩みというか胸の内を語り合うというそんな思い出も。
普段父とそんな熱心に会話することもなく、後にも先にも一度だけ。

こうして、
敗戦が決定して生きる気力をなくし1週間ほど寝込む・・・。
後頭部を思いっきり鈍器で引っぱたかれたような、そんな強い衝撃で記憶が飛びましたね。
「ショックが大きすぎる情報があった時、生命維持のためにそれを抹消する現象」っていう記憶喪失のメカニズムがなんとなく分かった気がする。


友人らが
残念会やろうってボウリングやら飲み会やら開いてくれたのがほんと嬉しかったな~。
なんとか徐々に前向きになれてきたからね。
ネットでマジで「樹海での死に方」みたいなサイトみてたくらいだから。。。
いや、実質2004年8月で我が人生1回死んでるといっても過言ではありませんね(笑)


そんな壮絶な2004年を超え2005年。

就職活動を始めるも年齢だけ重ねて経歴も大したもの持ってない人間が当然うまくいかず。

2月にlivescope 2005へ参戦。
これまた2階席という運の悪さ・・・。
この頃の全体運の低迷っぷりは今考えるとほんと恐ろしい・・・。

そんな4月の1日。

祖母が亡くなったという電話が・・・。
身内が亡くなったのが初めてだけに動揺隠せず。

群馬に葬儀に出かけ、
最後火葬が終わったあとそれまで雨だった天気が
急に虹になったんですよね。

「君を飾る花を咲かそう」とリンクしてびっくりした記憶が。

そして4月下旬。
初のファンクラブイベント「filmscope 2005」へ。
なぜかうちからも近い川崎の小さなライブハウスにて。
おかもっちが来てたかな??

最後に新曲の「君の思い描いた夢 集メル HEAVEN」のPVが流れる。

歌詞の

大切なものをなくして 哀しみにただ心が枯れ
君が誰かを傷つけたとして 責めることできるでしょうか
君が大人になってゆく その間中傍にいたいけれど
一人きりで旅立つ君を遠く 見守っているよ

って部分はじめ、当時の自分の心情とオーバーラップしまくりで、ものすごく力を与えてくれる詞に
「よくこういう人の気持ちを汲んだ歌詞が作れるな」と七さんを改めてリスペクト。

タイアップ絡みのふざけたタイトルで
ファンからも微妙な声があがっていたこの作品ですけど、
私自身はとってもとっても思い入れがあり、元気がもらえる大事な曲です。
もちろんライブでも不可欠ですね。

この歌詞のごとく、祖母が天国に旅立って自分に力を与えてくれたのか(と自分は信じているが)、
ようやく2005年12月に就職先が見つかり、社会の一員に(笑)


新しい環境に身を置いて間もなく
プレミアムライブが行われたんですよね。

ベストアルバムに入ってた応募券での抽選でしたが、
これに漏れたのがかなり悔やまれるところ。

ですが、それ以上に仕事ができることに喜びを感じてたから一応納得はしてますね。
でも、行きたかったな~(笑)


少しずつ前向きになった
2006年1月、
我がブログスタート!!

ようやく軌道に乗り始めてきたころ

GARNETの3か月連続シングルリリースが何と言っても思い出深いですね。

「夢・花火」にはじまり「今宵エデンの片隅で」を経て、しめに「まぼろし」と。

GARNETの曲調もだいぶ様変わりを見せてきたころで
デビュー後あたりにはなかったアップテンポで情熱的な詞や曲も増えてきたころかなと。

ここらへんも当然賛否わかれるところでしょうね。
初期の頃のちょっとダークな世界観が好きな人もいますしね。

ただ、こういう枠にとらわれないいろんなタイプの楽曲ができるという部分で
引き出しの多さを感じ、さすが「クリエイター集団」だなと
私自身は肯定派でしたね。

秋にはこの3部作も当然収録されている
アルバム「THE TWILIGHT VALLEY」がリリース。

そして2006年を締めくくるlivescope 2006へ。
ようやく1階席へ。
運気も上向き(笑)

ライブもこれまでのしっとりとしたクールな衣装から
派手な衣装になってきたり、MCが楽しくなってきたりとだいぶ様変わりしてきました。




自分史の方がはるかにボリュームある
そんな「飛躍期」ですが、

個人的にほんといろいろ浮き沈みの激しい、激動の時期だっただけに、思い入れはめちゃくちゃあります。

2003~2005の低迷期に元気をもらい、
2006年からの自分の上昇ムードに合わせてくれたかのごとく明るく前向きな曲も増えてきた印象で
ますますGARNET熱が高まっていた、まさに「飛躍期」ってイメージがふさわしい時期かなと思います。

と、同時に人生について相当勉強になった時期です。
だいぶ丸くなったというか(体型もですが^^)考え方が相当前向きになりました(ならざるを得なかった)。
これほど人のありがたさを感じたことないなって思いましたし
ピンチの時にいろいろ手を差し伸べてくれた人に本当に感謝です。

こういう経験してからは
いつも文句ばっか言ったり、人のダメ出しや揚げ足とったり、自慢ばかりしたり・・
そんな人や環境はだいぶ避けるようになってきましたね。

マイナス思考にはマイナスの人種が寄せられてくるし、
明るく前向きで謙虚で優しくふるまってるような人には、いい人が寄ってくるし、
ピンチに思わぬ縁や助けが得られることもあるわけで。

人ってほんとうにピンチの時ってプラスに考えざるをえないから考え方がものすごく純粋になれるんです。
愚痴が出たりとか誰かの批判とかしてるうちはまだまだ余力があるから大丈夫だよと思うし
こういう負のものには活力を吸い取られるんで、なるべく関わらないようにして(ネット掲示板なんて典型例)、
自分も極力負のオーラを出さない、相手の立場を考えた振る舞いを目指すようになった気がします。


まさにピンチは最大のチャンス・・・まぁ口では簡単に言えますし、二度と味わいたくない経験ですが、
これもアイデンティティとでもいいますか、平坦な人生ではなかなか味わえない誇り高き財産でしょうかね。


続く
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