松江人の日帰り登山

私のモットー SIMPLE IS THE BEST

出雲かんべの里だより 3/30号

2022-03-30 | 風物詩

今日は朝から初夏のような気温と天気。小学校入学が近づき、明日で卒園するAちゃんに会いに出雲かんべの里に出かける。小学校は春休みで、生徒らしき年齢の子が園児に混じって広場で遊んでいる。Aちゃんに「明日は来れないので今日来たよ!」と声を掛けたが返事なし。元気さが消えている。「小学校よりここがいい」と言ってたからか...。「小学校で楽しんで!!」と言ったけど、背中を向けている。握手する機会がなかった。歌を歌ったり、踊ったりしてくれた女の子だった。もう二度と会うことはないであろう子供のひとりである。
新しい道を通って奥に入ると、まむし谷池の大堤の所で子供たちに出会う。竹を切ってきたので、広場に戻ってから「弓矢をつくる」そうで、女の子も竹を抱えて楽しそう。先生役の大人を含めると20人くらい。賑やかな一日になりそうだ。森の中にはサクラの樹はなさそうだが、施設のある通りのサクラは何種類も植えられているので、散ったものから満開のもの、蕾のものまである。木陰の風が気持ちいい。向かいに見える茶臼山の山頂も満開になっているかもしれない。隣の風土記の丘では、お弁当を食べている人が居た。花見にお弁当、いいですね~。











東比田・坊床へ 

2022-03-29 | 日帰り登山

坊床 ぼうとこ 約600m
3/29 晴れ 出発地:安来市広瀬町東比田坊床
  
背丈もあるササだらけの坊床に行くのをやめていたが、一か月前にインターネットで何気なしに航空写真を見ていたら坊床がササ刈りされ、樹々が伐採されているのを発見、現地に行ってみようと思い立った。今朝、東比田交流センターに立ち寄ったが現地の様子は知らないとのことで、近くのFさん宅に寄ったらご主人が居られ、「私の軽トラックで行きましょう」と言われて乗せてもらう。
坊床への舗装道は両側がササ刈りされていて2年前よりも幅広く感じられたが、急斜面を削って道が付けられているので落石が道のあちこちに転がっている。旧仔牛育成場前にチェーンが張られていて「通行禁止」の看板。多分車のことだろう。以前はもっと先まで車で入れたが。広い盆地状の坊床の奥に入ると、予想どおりの場所に「東比田小学校坊床分校跡」の記念碑。Fさんも3年ぶりの坊床だそうで、ササも樹木も切られていて、あまりの様変わりにびっくり。作業道がいっぱい斜面に付けられ、「やり過ぎ。これでは斜面が雨のときに崩れてしまう」と心配される。話に聞いていた学校近くの展望台に行ってみたが、今は樹木が茂っていて、これから若葉が広がりだすと眺めは無くなってしまう。「宇波小学校親子遠足登頂記念」の木柱が転がっていたので、起こして撮影。平成10年と書かれていたように思う。
戦後、開拓団が生活の場を求めて入植したことがあり、田んぼもあったが腰辺りまではまったという。ここは湿地なので細い流れがあり、「音無し川」と呼ばれている。寒冷の地なので作物が限られていて、冬季は積雪が2m以上になるときもあったらしい。開拓団の記念誌を読むと苦労話に頭が下がる。坊床は平安時代から信仰の場であったが、今は戦後建て直された大師堂のみ残っている。まだ調べたいことがあったが、次回にということにして、車の中で話をしながら道城集落へ戻った。もう少しすると、各集落で守り育てられているシバザクラの景色を見ることができる。


坊床分校跡地の記念碑 開校当時から立っている樹の下にある


記念碑の正面


記念碑の裏側


展望台にあった記念木柱 生徒たちは宇波 うなみ の雲場 くもんば 集落から登って来た? 


中央のコンクリート地は比田地区の中電鉄塔工事に使われたヘリポート 戦後の開拓時には田んぼだった 


独松山だより 3/11号

2022-03-11 | 日帰り登山

昨年10月、独松山三角点を通らず、山腹を横切って高盛山方向へ抜ける近道(かつての札打ち道)の草刈りを一部分残したため、通行止めの赤テープを張っておいたが、昨年秋の登山会で「来年3月には通れるようにします」と宣言した手前、気になって今日昼前に山へ草刈りに出かけた。別所登山口にある小橋の踏み板が腐ってきているので、2枚取り替えてから登山開始。鐘尾峠から三角点登り口、ここから真っ直ぐに刈りこみ済みの道を進むと、昨年刈り残していたはずのササが刈られていて、反対側の出口まで行けるようになっていた。どなたか登山者の方が刈られたようである。倒れている枯木を撤去したり草刈りを少し行って終了、3か所の赤テープを外して下山する。おかげで早く整備終えられたこと、草刈りされた方に感謝。コバノミツバツツジの花芽は未だ小さいものの、いっぱい枝に付けている。4月になれば一斉に咲き誇る。この道を通る登山者は少ないので踏まれた道にならないが、ツツジが咲くコースなので歩いてほしい。
白鳥ロードで、まだ北帰行を終えてない白鳥を5羽見かけたが、帰りには姿が消えていた。大山は、たっぷりの雪に覆われて陽に輝き、春のような登山気分だった。


ササを刈ってから赤テープを外す


別所コースの展望地から見る大山 別所集落の一部が右手に見える



雨乞山へ

2022-03-09 | 日帰り登山

雨乞山 あまごいやま 155.2m
3/9 晴れ 出発地:松江市八雲町東岩坂 岩坂ハイツ付近の道路端 約37m

このところ晴天に恵まれてはいるが、やや霞んでいるので春霞と言いたい暖かな日が続いている。国道432号線を南へ八雲町日吉に入り、日吉台サニーハイツの背後に見えるのが雨乞山。初めてなので駐車する場所が分からず、取りあえず山の近くに止めようと、八雲郵便局前の信号のある十字路を左折、岩坂川に沿って奥へ。小松電機を過ぎた先にある橋を渡り、川角公民館の前を通って進むと広々とした田んぼと東岩坂ハイツが見えてくる。いこいサロン・メロの前、川原川に架かる穴田橋を渡ってハイツを60m過ぎた、幅広くなった市道路肩に車を置き出発。引き返してハイツ東側と田んぼの間にある農道を150mばかり奥に入ると物置小屋。横に道があり、ここが登山口で竹林の中へ入る。尾根を登るが急な斜面。ハイツから山頂にあるNHKデジタルテレビ中継送信所まで電柱が立っているので、それに沿って登って行くことになる。途中、電柱に沿って斜面に道が現れるが、左の尾根道を歩いた方が歩きやすい。20分ばかりで山頂に着く。三角点が送信所脇にある。眺めは無いが、今は葉が落ちた樹木の間から星上山が見える。
折角なので、下山してから穴田橋まで行き、橋を渡らないでサニーハイツ方向に120m行くと右に入る道がある。山に向かって少し進むと再び右に入る道があるので、道を進んで左へカーブした所(写真:軽トラがある所)から畦道を竹林に向かって行くと雨乞山古墳。雨乞山も古墳も案内板など無し。竹藪の入口付近にあるが見つけにくいので、農作業の人に聞いた方が良い。私も作業中の人に尋ねて古墳の場所が分かった。「訪れる人がおられる」とのこと。当ブログの写真を参考に...。方墳の石棺式の石室であるが、盛り土部分の多くは田畑として削り取られてしまっている。6世紀ごろの古墳らしい。
登山だけでは時間の余裕がたっぷりあるので、近くにある風土記の丘や出雲かんべの里(工芸館や民話館で地図がもらえる)に寄られたらよい。

日吉台サニーハイツ
雨乞山の西側に日吉要害山(123.7m)があった所。採石場として使われていたが、造成されてサニーハイツとなり、山は消えてしまった。

雨乞い神事
かつて、雨乞山山頂近くに龍王を祀る松の神木があり、それは雨を祈る本尊であった。日照り旱魃のときに行われた儀式は明治時代まで続いたという。出雲かんべの里には雨乞池がある。日本では、龍王(神)は水を司る水神とされている。




















 

 


CDを聴く 『モリコーネ ● ヴァイオリンと管弦楽のためのシネマ組曲』

2022-03-01 | CD

モリコーネが作曲した映画音楽の組曲集

エンニオ・モリコーネ(1928-2020)はイタリア生まれの映画音楽作曲家で、記憶に残る美しい曲の数々を残したひとり。このCDはモリコーネが作曲した映画音楽をヴァイオリン演奏用組曲に自らアレンジしたもので、最後を飾る作品となってしまった。CD録音の際に指揮するはずだったが亡くなってしまい、代わりに息子のアンドレアが指揮している。ヴァイオリン・ソロは20年にわたりモリコーネの演奏活動に参加していたマルコ・セリーノ。《セルジオ・レオーネ組曲》《ジュゼッペ・トルナーレ組曲》《モーセとマルコ・ポーロ組曲》《ミッション》など。組曲名だけでは分からないが、演奏されている曲を聴けば直ぐ映画を思い出す人も多いだろう。マカロニ・ウエスタン(イタリア製西部劇)の曲まで美しい旋律となってヴァイオリンで奏でられる。日本未公開の映画もあるので初めて聴く曲もある。Arcanaレーベル。紙製二つ折りケース。

ナクソス・ジャパン '21/3録音 '22/1発売 7作品(21曲) 64:00 2,286円(輸入盤 タワーレコード通販)
             マルコ・セリーノ(ヴァイオリン)
             アンドレア・モリコーネ(指揮)
             ポルツァーノ・トレント・ハイドン管弦楽団(イタリア)